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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第三章 因縁
39/80

39 足止め

 あ……背中がぬくい。


「起きたか?」

「なんで?」

「ん? ああ、打ち合わせが長引いたんだ。夜中に終わった」


 背後から珍しくあくびの気配がする。夜明け前に起き出すここでの就寝は、かつてのゴールデンタイムだ。


「一緒に寝るのが嫌だったからじゃないの?」

「なんだそれ?」

「だってノワが……」


 くるっと寝返りを打って向かい合う。思わずぎゅーっとしがみついた。

 全然違う。

 質も量も重さも、全然違う。刷り込みでもいい。

 今この一瞬に何を思うか、今の私にとって大切なのはそれだけだ。それだけが大事。

 あー……思考がパステルな浮かれピンクだ。似合わない。


 夜が明ける。

 闇が濃い青に変わり、青が光にとけて白む。

 夜明けの澄んだ光が部屋の中に射し込み、あらゆるものを闇から浮かび上がらせ、夜から切り取っていく。

 夜明けの光は一縷の容赦もない。

 淡々と繰り返される自然現象は、生まれたときから、そして今も、世界が変われども変わることなく繰り返されている。


 忘れられない。きっと似た人たちを目にするたびに心が揺らぐ。

 忘れたくない。この匂いも、このぬくもりも。この手じゃなきゃ掴まなかった。それを忘れない。間違わない。


 よし。小さな決意を胸に顔を上げると、あくびの余韻を残したシリウスの目尻が笑った。


「色々考えたんだな」

「うん」

「俺でいいのか?」

「いい」


 何度考えても、どれだけ考えても、それ以外の答えはない。どれほど心が揺れても、それはただの郷愁だ。ここにいる彼らは、私の知る彼らじゃない。シリウスは、シリウスしかいない。


「シリウスは本当に聖女でもいいの?」

「サヤが聖女なのはサヤのせいじゃない」

「そうだけど」

「サヤがサヤならそれでいい」


 よかった。私もシリウスがいい。

 バカみたいに何度でも確かめたくなるのは、それほど失えないとわかっているからだ。面倒でも何度でも聞いてほしい。訊くたびに答えてほしい。

 夢であれば、そう願うのと同じくらい、夢じゃないことを知らしめてほしい。

 あー……思考にフリルとリボンが生えてきた。似合わな──。




「あなた思いっきり挙動不審よ」

「なんでノワは朝いなかったの?」

「夜中にシリウスが来たから。入れ替わりにシリウスの部屋に行ったんだけど? ダメだったかしら?」


 こんにゃろう。にたにたしながら部屋に来て、言うに事欠いて不審者呼ばわりした挙げ句、白々しくも小首傾げるとか、あざといのにかわいいから腹が立つ。


「あなたねぇ、あれだけエロ妄想しといて、ちょっとキスされたぐらいで何浮かれてるのよ」


 妄想は妄想だ。いいじゃないか。嬉しかったんだよ!

 前に熱を出したときにされたライフセービングなキスとは違うのだよ、ノワ君。今朝のは、ちゃんとお互いにしようと思ってしたキスなのだ。れっきとした破廉恥なキスなのだ!


「喜んで何が悪い」

「嫌ね、開き直っちゃって」

「あれ? ブルグレは?」


 いつもなら真っ先に飛んできて「破廉恥だ!」と騒ぐおっさんがいない。


「たぶんね、出発が延びるわ。嵐が来そう」


 ボウェスはΩ型大陸の南端、外海と内海が交わる位置にある国だ。ここは天候が荒れやすく、おまけに予測できない突発的な嵐がよく起こるらしい。


「台風みたいなもん?」

「ああ、似てるわね」

「ブルグレたちって風に飛ばされたりしないの?」

「しないわね。ちゃんと自力で存在できているなら平気よ」


 裏を返せば、精霊になる前の小さな存在は風に飛ばされてしまうということだ。


「宿っている木や草花が飛ばされたら一緒に飛ばされちゃうからね」


 ノワの言う通り、出発は延期された。まだ窓の外は快晴なのに、窓にぶつかる風だけが強くなっている。

 ブルグレの予測だと明朝には出発できるらしい。




 おかげでボウェスの第一王子の面会を受けることになり、またもやドレスを着る羽目になった。朝、シリウスに留めてもらったワンピースの背中のリボンが、エニフさんの手で解かれていく。


「いちいち着替えるのが面倒。このワンピースだって十分フォーマルなのに」


 ここでのドレスとワンピースの違いがイマイチ理解できない。今着ているワンピースだって私から見ればドレスだ。


「仕方ないわよ。エニフも仕方ないって言ってるわ」


 背後で私の感情を読んだエニフさんが、仕方ないのよ、と言わんばかりの笑みを浮かべている。

 エニフさんには私に伝えたいことを声に出してもらい、それをノワやブルグレが私に教えてくれる。私の言葉は伝わらなくても、エニフさんは感情を読んでくれるので、それによって質問内容を変えながら私の意思を汲んでくれる。後はひたすらジェスチャーだ。


「なんで王様との面会じゃなくて王子なの?」

「あんたがじーっと見てたからでしょ。あわよくばってやつじゃないの?」


 あわよくば程度で結婚した女をどうこうできると思わないでほしい。王子って存在はそんな傍若無人なものなのか。


「なんか勘違いしているみたいだけど、あなたは『結婚する』って状態で『結婚した』って状態じゃないのよ」

「は? だって婚姻届出したって言ってたけど」

「婚姻しますって届けを出したってだけで、婚姻自体はまだなのよ、披露してないんだから。あなたの故郷の制度とは違うの」


 うそでしょ、結婚した気でいたよ。すでに軽く妻気取りでいたのに、どういうことよ。


「そんな状態なのに、シリウスがあなたと一緒の部屋で寝ていたり、キスしたりってのは、彼が不誠実だって言われかねないの。現に昨日退出するときにエスコート以上にあなたに触れていたのを第一王子が見咎めているわけ。それを盾に取ってあなたとの面会をねじ込んだ来たのよ」


 思わずエニフさんを見れば、なんとなく面会の事情を察しているのか、複雑そうな顔をされた。

 面会、を表す人差し指と人差し指を向かい合わせ、どうして? と首を傾げ、面会理由を尋ねる。


「ほらね、第一王子からの婚姻の申し込みだって」

「あのさ、よくわからないんだけど、私って現状シリウスの婚約者ってことなんだよね」

「婚約って、あなたが思っているような一対一じゃないのよ。申し込み自体は聖女相手だから誰でもとはいかないだろうけど、まあ、ある程度の身分があれば可能なの。ほら、大帝国の唐変木だってしてきたでしょ」


 きれいさっぱり忘れていたことを思い出させないでほしい。

 ついでにエニフさん、タイミングよく背中のリボン締めすぎだから。思わず、ぐえっ、と呻いてしまった。


「で、婚約者ってのは複数いてもいいのよ。最終的に一人を選べば」


 ちょっと待て。複数いていいわけないだろう。私の中では一人だ。


「ここって一夫一妻制だよね」


 コルアでもボウェスでも王妃様は一人だった。それらしき女の人の気配はなかったと思う。それとも、表に出ないだけで大奥みたいな場所にいるのだろうか。


「あー、わかりやすく言うと、婚約者っていうのは、夫や妻になる候補者って意味よ。あなたの思っているような結婚の約束した人って意味じゃないわ。庶民の場合は大抵一対一だけど、ある程度の身分があったり有能だったりすると複数申し込まれることもあるみたいね。ちなみに一夫一妻で、浮気は罪よ。身ぐるみ剥がされてポイだから」


 浮気はダメだ。ポイで結構。

 問題は、今のシリウスと私の関係が確固たるものじゃなかったってことだ。


「でも結婚の準備って進んでるよね」

「それは、聖女の結婚の準備であって、厳密にはシリウスとのって意味じゃないのよ。連合本部としては総長とのって公言してるけど」


 なにそれ。私にとってもシリウスとのって意味だよ。それ以外にない。


「どうすればシリウス以外いらないって伝えられる?」

「さあ」


 なぜ猫の姿で肩をすくめられる。そう見えるだけで実際に肩をすくめているわけじゃないだろうけれど、ノワの仕草が人化して見える。まあノワのことだから、そう見せているだけかもしれない。


 エニフさんに、面会にはシリウスも参加するのかをジェスチャーで訊く。当然という顔で頷き返され、自分も控えている、とジェスチャーで教えてくれた。エニフさんも一緒なら心強い。

 ほっと胸を撫で下ろせば、軍服をかっこよく着こなすエニフさんが、大丈夫、とばかりに頼もしい笑顔を見せた。

 女性の軍服は足首までのタイトスカートだ。ただし、動きを妨げないよう脇にスリットが入り、肌と同じ色のアンダーパンツを穿いているせいか、ぱっと見かなりセクシーだ。この世界では公式の場で女性のパンツスタイルをよしとしない。




 んんー……。あくびを噛み殺すこと数回。それにしてもよく喋る。

 何を言っても私には伝わらないことは知っているはずなのに、正面に座るボウェスの第一王子は本当によく喋る。

 シリウスの通訳によれば、自分の武勇伝をこれでもかと並べ、自己アピール中だ。飛行艇を運転できるのがそれほど自慢なのか。王子なのに運転できるやんちゃっぷりをアピールしたいのか。ブルグレや羽リスたちですら運転できるのだ、何が自慢なのかさっぱりわからない。


 おまけに、エメラルドグリーンのさらさらの髪をちょいちょいかき上げるのは一体なんのアピールだろう。こういう場ではもっとかっちりした方がいいと思う。

 まさか、前髪をかき上げると周りの女子に「きゃー、ステキー」とでも言われるとか?


「ないわー」


 うっかり声に出したことによって、それに食いつくように王子の喋りがパワーアップした。


 シリウスに出会っていなければ、もしかしたら惹かれていたかもしれない。似ていることが切っ掛けになったかもしれない。こんなに必死にアピールされたら、絆されてしまったかもしれない。

 私は自分が思うよりもずっと単純だ。


 あ、シリウスがいなかったら何をアピールしているかわからないから、やっぱりないな。


 たとえ言葉が通じなかったとしても、ほんの少しでも私の意思を確認しようとする様子が見えたなら、きっと違う印象になったはずだ。少なくとも友達にはなれたかもしれない。

 目の前の第一王子はとにかく自分のアピールしかしない。私個人のことなどどうでもよさそうだ。さっきの「ないわー」の意味すらシリウスに訊こうとしない。まさか、彼の頭の中では「ステキ!」に変換されているとか? ないわー。


 王子が笑顔で髪をかき上げた。それもういいから。


 どうも同席を許可したことが気を大きくさせてしまったらしい。「陪席の栄を賜る」とかなんとか言いながら、仰々しくも鼻息荒く腰をおろし、身を乗り出してのアピールだ。姿を隠したノワ解説員が「陪席だって」と小難しい言葉を使いながら教えてくれた。私が一度でも聞いたことのある言葉は、頭の中に蓄積されているらしい。ちなみに陪席の意味は憶えていない。


 単純に寝不足のシリウスに座ってもらいたかった。そのためには王子にも席を勧める必要があった。それだけのことなのに、たかが同席、されど同席、感覚のズレが誤解を生む。気を付けよう。


 通訳だからと強引に隣に座ってもらったシリウスは、王子の通訳をしながら別室にいるレグルス副長と脳内で打ち合わせ中だ。

 こういうとき、シリウスの能力が羨ましい。正直暇だ。聖女スマイルが引きつってきた。


 ときどき思考のお裾分けをしてくれるのを聞いていると、嵐が収まる夜中に出立するかをブルグレを交えて相談し合っている。この機を逃すと後に続くもうひとつ大きな嵐にさらに三日ほど足止めされるらしい。後続の嵐はブルグレの当初の予想よりも勢いを増しているとか。

 通常、こういった場合は滞在を延ばす。高貴な女性は夜中に出立などしない。だがしかし、私の性格を知っているレグルス副長は、夜中に出ることを前提に準備を始めている。

 ならばそろそろ部屋に戻って荷造りしてもいいだろう。


 すぐ後ろに控えているエニフさんを振り返り、そばに来てほしいと目で訴える。

 私から存分に出ているであろう「面倒くさい」という感情を読んだエニフさんが、表情に出さずとも視線で「おまかせあれ」と伝えてきた。


 傍らに跪いたエニフさんが声を上げる。聖女様はお疲れのご様子、的なことを言っているのだろう、途端に第一王子の表情が曇る。ただし、目線は跪いたエニフさんのスリットに釘付けだ。気持ちはわかるが、その肌色はフェイクだ。騙されるな、若造。


 小さく深呼吸して気合いを入れる。よし。やる!


 自分からシリウスの手に指を絡め、そのまましなだれかかる。死ぬほど恥ずかしくても耐える。か弱いフリだ。自分から、というのがポイントらしい。

 自分からシリウスにさり気なくしがみつき、小っ恥ずかしさに耐えながら、じっとシリウスを見上げる。

 まずい。震える。引きつる。シャックリ出そう!


──サヤ、恥ずかしいのはわかったから、頭の中で叫ぶな。

『ちょっと耐えきれない。笑いそうなんだけど!』

──耐えろ。笑いを堪えて震えているのを都合よく勘違いしている。

『顔隠していい?』


 シリウスの胸に顔を埋める。だめだ、口元が引きつる。


 題して、シリウス以外いらない作戦、だ。

 発案はノワ。どう考えても陳腐なのは仕方ないにしろ、アホくさい以上に恥ずかしくて萎える。

 それなのに、効果は絶大らしい。

 ノワが面白そうに第一王子の様子を解説している。自己アピール中にアピール相手がほかの男の胸に顔を埋めしなだれかかっているのだ、お怒りはごもっとも。

 間違いなく王子のプライドをごりごり削っているだろう。


 聖女という立場に惹かれてくる人はいらない。きっと誰だってそう思うだろう。立場に惹かれてくる人なんて……。


「シリウスも私が聖女だからそばにいるの?」


 そうだ。聖女である私を守るために、シリウスは結婚してくれる。

 見上げたシリウスの目が呆れていた。


──あのな、どうしてそうなる。俺が一度でもサヤを聖女として見たことあるか? 聖女は後に付いてきたものだろう。


 そうだった。最初の出会いは聖女とは真逆の厄災の乙女としてだった。なんだかもう、シリウス以外いらないのに、色々面倒で頭の中がごちゃごちゃになる。

 悶々とした思いをぶつけるようにシリウスの軍服の胸におでこをぐりぐり擦りつけていたら、軍服にファンデーションが付いてしまった。慌てて指先で払うも取れるわけもなく、申し訳ない気持ちで見上げたら、シリウスがくつくつと堪えるように笑っていた。


「ごめん、汚した」

「着替えはある」

「落ちるかな」

「落ちるだろう」

「なんで笑ってるの?」

──王子が羨ましそうに見ている。


 ばっと振り返り、第一王子と目が合った途端、一気に顔が熱った。




 聖女様は総長にご執心。

 そんなゴシップが特大の尾ひれを山ほど付けて、ボウェス城内を駆け巡ったらしい。ブルグレが「破廉恥だ!」と目をつり上げて叫んでいる。ノワのしたり顔がむかつく。シリウスの機嫌はすこぶるいい。

 作戦通りなのに、ものすっごく複雑な気持ちになるのは、ノワのしたり顔のせいだ。






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