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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第二章 縁
34/80

34 縁

 行程は順調に進み、途中すれ違う隊商にゼフ族のオアシスにいる彼女たちの夫に宛てた伝言を託しながら、行きよりも日数を要して、ようやくダファ族のオアシスに到着した。

 道中一度も水浴びができず、どこもかしこもべとべとしている。鼻は機能していない。


 族長さんの次男の宿に直行し、今回は正規料金で前回と同じヴィラを、同行の一団には大部屋を用意してもらう。正規料金を払ってくれるならと大部屋は無料にしてくれた。

 部屋に入った途端、兎にも角にも服を着たままみんなでプールに飛び込んだ。申し訳ないことに澄み切ったプールの水があっという間に濁り、あまりの汚さにみんなでアホみたいに笑った。はしゃぐボナルウさんの娘を見て、大人たちの笑みは一層深まった。


 ファルネラさんとボナルウさんのお父さんが一緒に使用人部屋を使うことになり、もう一部屋をボナルウさん一家が使い、私たちは初めて天蓋付きのベッドで眠れることになった。ノワが喜んだのは言うまでもない。


 ファルネラさんは、族長と話し合ってからだ、と前置いた上で、今いる全員をゾル族に迎え入れようと思っていることをボナルウさんたちに伝えている。単純に男手がほしいこともあるし、この道中で彼らの人となりがわかったこともある。

 なにより、彼らは護衛として使い物にならないことがわかっている。私ですらわかってしまった。


 そもそも姿勢が違う。


 シリウスはまあ軍人だからというのもあるけれど、ファルネラさんもボナルウさんもとにかく姿勢がいい。身体の芯がしっかりしている。それでいて動きはしなやかだ。バランスがよくてブレない。それは彼らの生き方そのものにも思えるほどで、身のこなしがスマートだ。

 そんな彼らと一緒にいるせいか、同行している男たちの動きがひどく鈍って見える。


 ファルボナの男たちが外で稼ぐ場合、手っ取り早く割がいいのは戦争に参加することだ。次に護衛。

 ファルボナ地域での護衛は強いだけでは役に立たない。道案内もしなければならないし、なにより食料や水の分配を考えながら行程を決めなければならない。

 この「行程の組み方」が護衛としての実力になる。当然これが上手くいかないと死ぬ。こればかりはセンスと経験がものを言うらしく、ボナルウさんは積極的にファルネラさんから行程の組み方を学んでいるのに対し、同行の男たちはボナルウさんほど真剣に聞いてはいない。


 護衛が単独で雇われることは少ない。大抵はファルネラさんのようなリーダーとなるものを中心に数人が選ばれる。とくにチームを組んでいるわけではないらしい。ただ、実力のある者の周りには自然と人が集まる。

 当然リーダーとその他ではお給料も違う。実力のある者は自分を安売りしない。料金が高いからと低ランク者を選べば道中不安だらけになる。中には実力を騙る者もいる。護衛選びは人を見る目がないと失敗する。だから必然的に紹介業者も存在する。

 シリウスが雇ったときも、ファルネラさんはボナルウさんよりお給料が高かった。


 ボナルウさんはいずれはリーダーに、と考えている。他の男の人たちは、リーダーになれずともいい、と考えている。根本が違うのだ、姿勢も違ってくる。

 そもそも子連れでの護衛など当然無理で、母親のいない子供たちは父親の仕事中はバザールに置き去りにされる。子供たちにとっては最悪のひと言に尽きる。同じく子を持つ父として、ファルネラさんはそこに同情してしまったらしい。


 向上心がない、とシリウスは言う。

 お給料が全額没収されていたなら向上心なんて持てない、と私は思う。

 きっとこの先彼らの考え方も変わっていくのではないかと思う。がんばればがんばっただけ暮らしが良くなっていくのだから。


「ネラもルウもポルクス隊にほしい。もしくは本部直属」

「無理じゃない?」

「だから尚更ほしい」


 ファルネラさんは自分の宿の改革を考えている。今までこんな豪華な部屋に泊まったことはなく、基本護衛は宿の軒先で、自腹で部屋を取るにしても一番安い大部屋だったらしい。

 このヴィラに泊まって、今まで自分の宿はそこそこいい宿だと思っていた自負が木っ端微塵に砕けたのだと、自嘲気味に笑ったらしい。

 ファルネラさんが、夢のようないい宿にする、と決意したのは、天蓋付きのベッドで家族揃って寝た夜のことで、奥さんの「夢のようね」のひと言で奮起したとか。道中シリウスとボナルウさんに熱く語っていたらしい。

 ボナルウさんはそれに賛同し、自分もその夢に協力する、と申し出た。シリウスは手っ取り早く部屋の備品を安く仕入れられるツテがあることを伝え、大帝国産から連合国産へのシフトチェンジを勧めていたとか。


 シャワーを浴び終え、最初に洗濯をさせてもらい、人心地つきながら天蓋付きのベッドにシリウス共々寝転んだ。

 傾き始めた日の光にきらきら反射する窓辺の布が時折風に吹かれて小さく揺れる。

 とろみついた時間がゆったり流れていく。

 隣ではベッドからはみ出しそうでいてはみ出ていない巨大ノワが気持ちよさそうに寝息を立てている。ブルグレは私とシリウスの間でしっぽを抱えて、くふぁ、くふぁふぁ、と寝ながら笑っている。


「ゾル族のオアシスにも行くの?」

「いや、ここから一度砦に戻る」


 ふーん、と答えながら手を伸ばす。滑らかなシーツの上を手のひらが泳ぐ。思考を読んだのか、元々そこにあったのか、指先がシリウスの指にたどり着いた。

 シリウスは右利きだ。私は常に彼の左側にいる。私の右側には常にシリウスがいる。

 最初に絡んだのは小指。そこから薬指が絡み、中指と人差し指が絡み、最後にシリウスの親指が私の親指を軽く押さえた。


「シリウスの手、大きいよね」

「サヤの手は小さいな」


 静かだった。小さくも確かに聞こえるノワとブルグレの寝息に、静けさがより膨らんでいくようだった。

 ボナルウさんが娘と遊んでいるのか、微かに彼の笑い声と澄んだ子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。


「後悔しない?」

「しない。サヤは後悔しそうなのか?」

「しない」


 天井は板ではなく何かが編み込まれてできていた。網代(あじろ)天井──父の実家の客間がこれに似た天井だった。


「聖女との結婚なんて正気の沙汰じゃないよ」

「誰もが羨むよ」


 ごめんね、と謝ってしまいたかった。

 あの時丸窓の外を覗かなければ、あの時治癒しなければ、あの時名乗らなければ、あの時差し出された手を取らなければ──。


「俺は、後悔しない」


 決意の声が差し込むオレンジの光に融けた。

 ただずっと、いつまでもこうして手を繋いでいたい。


「幸せにするね」

「それは俺の台詞だ」


 ちりりん、とヴィラのドアに付いているベルが聞こえた。


「夕食だ」

「お腹すいたね」

「そう思って少し早めに頼んでおいた」

「飯か!」


 ブルグレが跳ね起きる。巨大ノワの鼻がひくひく動いている。

 そうだ、腹が減っては戦ができぬ! ふん、とお腹に力を入れて、足を振り上げ反動で起き上がる。シリウスはなんてことなくむくっと起き上がった。


 手を繋いだまま食堂に顔を出すと、すでにみんな揃っていた。

 おいしそうな匂いが鼻を喜ばす。早く満たせとお腹が小さく唸る。


「結婚、することにしたんだ」


 シリウスがあまりにさらっと、日常会話の延長のような言い方をしたせいか、そこにいた大人たちが一瞬首を傾げかけ、次の瞬間には目を丸くしていた。




「うちのガバちゃん、元気でね。また会おうね。また乗せてね」


 私とシリウスが乗っていたガバは、ファルネラさんに託されることになった。ここまで従順なガバはそういないらしく、ファルネラさんが譲ってほしいとお金を用意していた。お金はいらないから、絶対に売らないでほしい、とお願いする。当然だ、とばかりにお金を押し付けられる。押し返す、押し付けられる、を繰り返し、シリウスが「この金で最新式の道具を送ってやる」と受け取った。


 左手でゆっくりとガバの背中を撫でる。どこも悪いところがないように。健康で長生きしますように。

 ぶふん、と鼻を鳴らしたガバが顔を寄せてきた。吐き出された息が凄まじく臭い。感動の別れなのに、あまりの悪臭に思わず仰け反った。ごめん。


 砦へのお土産はなんにしようかと悩んでいたら、お土産という習慣がないことをノワに教えられた。お礼の品はあるけれど、お土産はないらしい。


「日頃のお礼を兼ねた品なんだけどなぁ」

「じゃあ、なんか珍しい果物でも買っていけば?」

「えー……でもさ、正直どれもものすごくおいしいってわけじゃないよね」

「まあね。じゃあ、ドライフルーツとかは?」

「あー……それが無難かなぁ。携帯食にもなるし」


 ビュンビュン丸から荷物を降ろしながら、不要になる物をファルネラさんとボナルウさんに分けているシリウスにそれを伝えると、いらない、とあっさり返された。


「半分任務なんだ、贈物は用意しなくていい」

「えー……そういうもん?」

「俺がそれをするとみんなもしなければならなくなるだろう?」


 ごもっとも。普段まるで意識していないシリウスの肩書きを思い出す。


『ファルボナの独立って前から考えてたの?』

──まあな。なんとかできればと思っていた。質のいい光石が買いたたかれているのも腹立つし。大帝国(やつら)は自国だと言いながら支援しないし。


 頭の中に小さな怒りが伝わってくる。


──サヤが言っていただろう、擦れ違うのも何かの縁だと。元々縁があったなら、もう一度結び直せばいい。


 元々縁があったから──。縁を結ぶ──。


 不意にその言葉が頭に引っかかった。どこかに結びつきそうで結びつかないもどかしさに混乱する。どこに結びつくのかも、どうして結びつかないのかも、そもそも何を意味しているのかもわからないのに、とても重要な何かのような気がしてならない。

 よく聞く言葉のはずなのに、一瞬未知の言葉に思えた。


 突然ファルネラさんの叫び声が聞こえた。はっとして目を向ければ、ビュンビュン丸の荷下ろしと振り分けを行っていたファルネラさんが石鹸の箱を見付けて目を輝かせていた。

 ノワがファルネラさんの肩を足掛かりにビュンビュン丸の上に飛び乗った。一瞬肩に乗られたファルネラさんが驚いたようにビュンビュン丸を見上げながら、口元に笑みを浮かべた。ボナルウさんがちょっと羨ましそうな顔をしているのは、見なかったことにしよう。二人とも猫好きか。


「サヤ、ネラが石鹸を売ってくれないかと言ってる」 

「貰い物なのに売っていいのかな?」

「元々は備品だ。俺が許す」


 シリウスが許すならいいかと、ファルネラさんに譲ることにした。その代わり、次に行ったときの宿代をタダにしてくれ、とおねだりする。

 シリウスが、仕入れ値がこれくらいだから儲けを考えてこのくらいで売れ、連合国ではこのくらいの価格で売られている、とアドバイスすると、ファルネラさんもボナルウさんも驚いたように目を見開いた。


「なんで驚いてんの?」

「こんなに質がいいのにそんなに安いのかって。大帝国から買うと、ずっと質の悪いものがもっと高いらしい」

「確かにこの石鹸、かなりの高品質だと思うんだよね、私も」

「これな、小さな工房で作られているんだよ。支援も兼ねて砦で使っていたんだが……もっと値を上げさせるか」

「あ、だったらさ、女性用は女の人の手に馴染むようもっと小さくてころんと丸い形にして、そんでもって少しだけハーブや花の香りを付けて、きれいなパッケージに包んで売り出せばいいと思うの」


 それをシリウスがファルネラさんたちに伝えると、急に真面目な顔で話し合い始めた。

 箱の中ならひとつ手に取ってみる。ざっくりカットされた石鹸は、可愛さの欠片もないパラフィン紙に包まれているだけだ。


「この半分くらいの大きさで、角がなくて、濡らした手の中で転がりやすくて、刻印みたいに商品名とか社名を入れたりするんだよ」


 自分が知る石鹸の形を思い出す。


「いい香りの石鹸をね、鞄の中に入れておくとノートとか教科書に匂いが移って、ちょっと幸せになるんだよね」


 うちは小さな頃からボディソープじゃなく石鹸だった。手の中で石鹸を泡立てていくのが子供の頃から好きだった。兄弟で競い合ったりもした。


 いきなりぎゅっと抱きしめられた。何事かとあたふたしていると、頭のすぐ上から低い声が落ちてきた。


「サヤ、幸せにする」

「へ? なんでいきなり?」

「あなた、泣きそうな顔をしてたわよ」


 さらに上から聞こえてきたノワの声に、自分の失態を悟る。私はまだまだだ。

 ふぅ、と小さく息を吐くと、口角が上がった。


「無理に笑うな」


 なんのことかと、シリウスの腕の中から見上げた。痛ましそうな目が見下ろしていた。


「私って、無理に笑ってるの?」


 そうだ、とオレンジの奥にある空よりも深い青の瞳が悲しんでいた。

 そんなことはない。そんなはずはない。そんなつもりはない。


 ……はずってなんだ? つもりってなんだ?

 わけがわからなくなりそうで、どうしてか鼻の奥がつんと痛んだ。






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