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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第二章 縁
32/80

32 本能

 飴玉を狙ったブルグレがしつこい。ノワも一度ビュンビュン丸から降りてきた。

 羽リスたちは交代で降りてきているようで、小さな一粒を嬉しそうに受け取り、片頬をぷっくり膨らませては再び上空へと戻っていく。


「ブルグレもみんなを見習いなよ」

「知っとるか? 頬はな、両方同じように膨らませておく必要があるんじゃ」


 絶対に嘘だ。ほれほれ、と膨らんでいない方の頬をぺちぺち叩いて飴玉を要求する意地汚いおっさん。


 その間に、今度は女の人たちがザァナ族のテント群からやって来た。

 さすがに女の人に手を上げるわけにはいかないと、ファルネラさんもシリウスも男の人以上に難儀して追い払った。おばちゃんパワーは世界が変われども凄まじい。何を言っているのかはわからないのに、あんなのに取り憑かれたら間違いなく身ぐるみ剥がされてしまいそうな勢いで、ぐいぐいがたいのいい男二人を圧していたのを、ブルグレと一緒にテントに隠れてこっそり見ていた。


 姦しい一団をなんとか追い返してしばらくすると、今度は子供の一団がやって来た。見るからに栄養が足りてない様子に、ファルネラさんが顔をしかめ、テントの陰に連れて行く。どうするのかと興味本位で見に行けば、子供たちを一列に並べ、自分の分の水を子供たちに少しずつ飲ませていた。さすがお父さん、むせないよう順番に少しずつ飲ませている。

 ファルネラさんが何か言うと、子供たちが一斉に頷く。シリウスが「大人に告げ口しそうなヤツはダメだ」と言えば、子供たち同士で何かを話し合い、シリウスに何かを答えている。


「飴あげてもいいと思う?」

「わしにももうひとつおくれ」


 ブルグレを無視して子供たちの口に一粒ずつ飴を落としていく。子供たちはその甘さに飛び上がらんばかりに驚き、シリウスの「噛まずに舐めるんだ」を真剣な顔で聞き、両手で頬を包んで幸せそうに笑っていた。


「ゆっくり歩いて帰れ。向こうに着く頃には舐め終わる」


 シリウスの声に子供たちが一斉に頷き、口々に何かを言って戻っていった。

 しばらくすると、別の子供たちがやって来た。さっきの子供たちよりも幼い。同じようにテントの陰に連れて行き、水を飲ませ、飴玉を与える。同じように全身で驚き、喜び、そして何かを言って戻っていく。


「ねえ、なんで男の人も女の人も子供たちも、五人ずつ来るの?」


 シリウスに訊くと、シリウスもわからなかったのかファルネラさんに訊いてくれた。


「ファルボナでは五は縁起のいい数みたいだな」


 へー! とファルボナ豆知識に感心しているうちに、再び子供たちの姿が見えた。今度は三人だ。大きな子一人と小さな子二人。小さな子はまだ歩くことに慣れていないのか、時々転んでは大きな子に助け起こされている。


「どうやらあれが最後らしい。族長の子と乳飲み子を除けば子供の数はあれだけのようだ」


 小さな子との対比で大きく見えた子は、近寄ってくるうちにファルネラさんの長男よりも幼いとわかった。


「ああ、あの子、ボナの娘だ」


 ファルネラさんが駆け寄り、幼子二人を両腕に抱える。それに女の子がほっとしたように笑い、ファルネラさんの後ろを小走りで付いてきた。小さな子供二人を一人で連れてくるのは大変だったろう。笑顔のかわいい女の子だ。目元がボナさんに似ている。


「ねえ、飴を包める何かあるかな」

「紙だとくっつきそうだな」

「ラップはないし……ビニールみたいなものは……」

「ああ、油紙がある」


 シリウスがクッキングペーパーみたいなものを一枚くれた。本来は薬などを包むものらしい。


「あんまり多いとバレるよね」

「そうだな。とりあえず一人一粒くらいだな」


 うーん、と悩んで、五粒を十センチ四方ほどの薄い紙に包んでいく。妊婦に飴はいいのか心配になったけれど、背に腹はかえられぬ。ダメならボナさんが判断するだろう、と丸投げすることにした。


 子供たちの口にあめ玉を一粒ずつ放り込み、ボナさんの子供にこっそり飴玉を持たせた。幼い彼女はものすごいミッションを告げられたかのように、シリウスの説明に真剣な顔で何度も頷いている。

 どこに飴玉を隠そうかと散々悩んで、ファルネラさんの助言で腰紐の組み糸の一部を緩めてそこに挟み込み、表からはわからないよう締め直した。


 間違いなく向こうの見張りに立っている大人には、子供たちが何をしているかわかっているだろう。見て見ぬ振りをしているのは、子供たちの中に自分の子供がいたからだろうか。


「ネラの予想では、一族は二分する」


 よちよち歩くでこぼこの影を見送る。シリウスの声にファルネラさんが真面目な顔で頷いてみせた。


「そうなの?」

「ああ、ボナたちに賛同する者と残る者に分かれるだろう。ボナの父親がどっちにつくかが鍵だな」


 ボナさん一家が単体で離脱するか、それに追随する者が出るかは、族長の弟であるボナさんのお父さんがどっちにつくかで変わってくる、とファルネラさんは考えているらしい。


「おそらく後で水の代金を持ってくる。そのときに色々訊かれるだろう」


 そこからシリウスとファルネラさんがまた話し合いを始めた。


 中身が減った飴の瓶を目の前に掲げる。まだ一粒も舐めていないのに、もう半分以上なくなっていた。余程情けない顔をしていたのか、肩に乗っているブルグレが慰めるように首筋をぺちぺち叩いてきた。それでももう一粒要求する安定の意地汚さはある意味立派だ。


 ブルグレを肩に乗せたままふらっと散歩に出る。テントから離れすぎないよう、シリウスの注意が頭の中に届いた。


「きっとさ、本物の聖女なら分け隔てなくどんな人でも救おうとするんだろうね」


 レインブーツのような革靴は、土や砂が入ってこないように作られている。こういうの、エンジニアブーツっていったっけ、と一歩ごとにふわっと舞い上がる土埃を見ながら思う。


「本物の聖女? お前さんは偽物の聖女なのか?」

「そういうわけじゃないけど……、でも、私が知っている物語の聖女って、誰にでも優しくて、自己犠牲の上で人々を助けるような、なんか、陰を持たない人っていうか、清らかさの塊みたいな人っていうか……」


 少し離れたそこは、今朝水浴びをした場所だ。十キロほどの水袋六つ分の水がほんの僅かな時間で土に浸み込むことなく乾上がってしまう。今はもうテントを立てたときに開けた穴があるだけで水の痕跡はどこにもない。

 突き刺さるような日射しの強さは、頭からすっぽりかぶった布がなければ火傷するほどだ。


「そんな胡散臭い生きもの、本当にいるのか?」

「さあ。実際に会ったことないし」


 きっと本物の聖女なら、ザァナ族の全ての人を分け隔てなく助けるのだろう。

 私にはできない。したいとも思わない。私には清らかさの欠片もない。


「もうこの一族に先はない。あとはそこからどう離れられるかが大事なんじゃ」


 頭の中で何かが光った。足が止まる。土埃が足元で小さな渦を巻いた。


「もしかして、助けなきゃいけないのは離れようとする人たち?」

「そうとも言えるな。シリウスはそのつもりじゃ」


 ふと、シリウスの方が聖人のようだと思った。


「シリウスに……砦に戻ったら婚姻届出すって言われた」

「そうか」


 肩に乗るブルグレの声がさっきまでより少しだけ低かった。いつもそこはかとなく漂っているふざけた気配が一切ない。


「いいのかな」

「今更だろう?」

「今更なのかな」

「今更だ。お前さんはわかっていて真名を名乗った」

「あの時はわからなかったよ」

「それは嘘だな。本能でわかっていたはずだ。本能とはそのためにある」


 そうなのかもしれない。わかっていて、真名を名乗った。

 黒く濃い影が足元から伸び、乾涸らびた大地に張り付いている。


「それでもさ、嬉しいって思ったんだよね。シリウスが真名を返してくれたことも、私を守るために結婚してくれることも」

「いいんじゃないか? 人として自然なことだろう?」

「後悔するんじゃないかな」

「させなければいい。そもそもあれが自分の意思で真名を返し、お前さんとの結婚を決意したんだ。あれが選んだことじゃ。お前さんはただ全身全霊でその想いを受け取ればいい」


 ただの人として出会いたかった。聖女などという生きものじゃなければいいのに。

 ブルグレが肩から腕を伝い降りてきた。慌てて手のひらを胸の前に広げる。手のひらの上でちょこんと立ち上がり、小さな丸い目でじっと見上げてきた。


「わしはずっと一緒じゃ」

「ありがと。でも飴は一日一粒」


 羽をぱたぱたさせながら両手を前に出しておねだりする姿は本当にかわいい。ゲスさも一瞬眩むほどに。


 テントの周りを大きく回りながら歩いていると、日が傾き始めた。何もしない一日が終わる。

 さすがに何もしないままここに滞在し続けるわけにはいかない。ボナさんもわかっているだろう。おそらく明日中には決めてもらわないと食料がぎりぎりだ。私たちとファルネラさん、ボナさん一家くらいなら余裕がある。けれどそれ以上となると厳しい。追い出される人たちが水や食料を分けてもらえるはずもない。


「ここから一番近いオアシスって?」

「いつもの速度で三日か四日。人数が増えるとその分足も遅くなるから、最悪十日じゃ」

「十日かぁ。かなり厳しいね」


 遠くで駆け回っているうちのガバたち。ガバは基本購入だ。ファルネラさんのガバとボナさんのガバ、そして私とシリウスのガバ。必要なくなるとほぼ購入した価格で売れる。

 野放しでもシリウスが指笛を吹くと一目散に戻ってくるまで懐いている。いつかは手放す、ということを頭の奥に押し込んで考えないようにしている。

 今もシリウスに呼ばれた三頭が競いながら駆けてくる。ちなみにかなり速い。そして必死の顔が怖い。


「あの子たちのご飯もぎりぎりだなぁ」


 彼らはラクダと同じで一度に大量の水を飲む代わりにひと月くらいは水を飲まずとも生きていられる。ダファ族のオアシスで大量に水を飲ませてきたこともあり、まだしばらくは大丈夫だろうけれど、絶対ではない。ぱんぱんにしてきたガバのエサ袋も半分以上減っている。


「今日は揚げ芋にしようかな」


 本当なら日の高いうちに芋を土の中に埋めておけば蒸し芋ができて簡単だ。ただ、糞尿混じりの土かと思うと、どうしても抵抗がある。オアシスではどの家にもトイレが設置されているので、土はきれいなのだ。

 オアシスで芋を大量に買い込んだとき、揚げ物用の鍋と油も一緒に買っている。携帯コンロみたいな石の板が熱くなる道具はシリウスが元々持っていた。温度調節ができるのでカイロ代わりにもなる優れものだ。


 テントに戻り、ごろんと丸いソフトボール大の芋の皮を剥く。何をしようとしているのか気付いたシリウスとファルネラさんが、石の板を用意し、鍋に油を入れた。

 油はココナツみたいな実から採れる。固い殻を割るとラードのような果肉で、それを熱すると油になる。冷めると固形化するので持ち運びに便利だ。さっぱりとしつつ少し甘味のある油で、大帝国ではお菓子作りにも使われているらしい。


 はねる油にびびって揚げられないでいると、見かねたファルネラさんが豪快に油の中にくし切りの芋を放り込んでいく。くし切りと細切り、薄切りにしてみた。薄いというほど薄くは切れなかったのが残念だ。


 シリウスたちの予想通り、日が暮れてからボナさんのお父さんが訪ねてきた。しばらく男同士で話し合い、今日の夜明け前に出立することになった。


『急じゃない?』

──こういうことは遅くなれば遅くなるほど面倒なことになるんだ。


 暗闇の中、小さな光石の明かりを頼りに、ふーん、と軽い返事を返しながら荷物をまとめ始める。ファルネラさんは仮眠中、シリウスは外で見張りをしている。


『ボナさんのお父さん、どうするって?』

──一緒に行くそうだ。


 何が彼を決断させたのだろう。シリウスを見ればひとつ頷かれた。そっか。あの出産か。もしかしたら彼は、自分の妻が出産するときに、息子と同じことを考えたのかもしれない。


『どのくらいの数になるの?』

──いや、ボナのところだけだ。

『なんで?』

──ちゃんと暮らせるようになって、それからじゃないと呼べないだろう? 先行きもわからない中、巻き込む気はないらしい。


 やっぱり、ふーん、と鼻を鳴らしながらテントを出て、降下してきたビュンビュン丸に荷物を積み込んでいく。気付かれないよう、テントを片付けるのは最後だ。

 ふと見れば、昨夜はすでに明かりが落ちていたはずのザァナ族のテント群に仄かな明かりが灯っていた。


「そういえばさ、ここの族長さんに話訊いてないけどいいの?」

「ボナの父親から道中聞く」

「あ、そっか。どっちにしても族長会議あるしね」


 頷きながらシリウスがビュンビュン丸の助手席の荷物を降ろしたり、別の場所に動かしている。


「出産直後にガバは辛いだろう?」

「そうかも」

「俺は男だからわからんが、数日は安静にするものだろう?」


 いつの間に起きたのか、ファルネラさんが頷いている。同じ女でも経験もなければまだ興味もなかったせいで、入院することはわかってもその期間もどんな状態になるのかもわからない。


「軽くてかさばる荷物はガバに積む」

「わかった。じゃあ着替えはガバだね」

「寝袋やハンモックもガバだ」


 大人しく大地の上で休んでいるガバたちを左手で撫でていく。


「夜明け前に出発だからね。荷物たくさんになるけどがんばって」


 ぶふん、と鼻が鳴った。鼻水が飛んだ。慌てて避けた。


「サヤ、ネラが聖女は動物と言葉が交わせるのかと訊いてるぞ」

「いや、まったく」


 首を振って否定すれば、荷物をまとめていたファルネラさんが、ふーん、的な音を出している。


「私って、そういう乙女チックな能力ないよね。ホラーな左手くらいしか」

「ああ、そういえばそれな、俺たち以外には見えていないようだ。俺も最近気付いた」

「そうなの? え、喜ぶところかな、それ」


 さあ、とばかりに肩をすくめられた。まあ、ホラーな血の珠が見えていたら、仲良くしてもらえなかったかもしれない。特に子供には。


 あとはテントを畳むばかりとなったところで、外の気配が遮断されないよう入り口を大きく開け、ファルネラさん共々テントの中でまったりお茶を飲む。

 お茶は紅茶やウーロン茶みたいな黒っぽい茶葉で、味は麦茶かほうじ茶っぽい。砦あたりで飲まれていたのは紅茶寄りの味で、大帝国で飲まれていたのはウーロン茶っぽい。

 このあたりではそれにガバミルクを入れて飲む。ちなみに私はお腹がピーピー警戒音を発しそうなので、未だガバミルクを飲んだことはない。

 ファルネラさんはごく普通にいつも自分が乗っているガバから直接乳搾りして飲んでいる。えー! と思っているのは私だけらしく、ボナさんも「俺にもひと口」的な会話を交わしながら、自分のマグカップを差し出していた。ちなみにシリウスは単純に味が嫌いらしい。しかも厳密には乳ではなく体液みたいなものだと聞いてますます、えー! と思った。


 軽く寝るよう言われたけれど、きっと眠れない。お茶の道具を片付けて、手持ち無沙汰にぽつぽつ話していると、シリウスとファルネラさんが同時に顔を上げた。二人は顔を見合わせると静かにテントの外に出た。


 夜の荒野は、昼の乾いた空気と違って、しっとりした冷たい気配に満ちていた。満天の星が氷の粒のようで、吐き出す呼気が冷たさに触れて重さを増し、地にほろほろと落ちていくようだった。


 星明かりの中、何頭かのガバと一緒に幾人ものシルエットが闇の中に浮かび上がっていた。






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