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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第一章 始まり
19/80

19 調印式

 晴れ渡る国境線上に形が違う二隻の大きな大きな飛行船が浮かぶ。互いを睨み合うように一定距離を保ちながら上空を旋回し、周囲の警戒にあたっている。


 以前ノワの背から眺めた国境は地平線の彼方にある一本の線だった。

 今日、間近で見たそれは膝高の簡易的な石積みだった。一定間隔で光石が配置され、夜になるとぼんやり光るらしい。

 その石積みの一部が退けられ、それなりに整えられ、そこに大きく立派なテーブルと荒野には場違いなほど豪華な肘掛け椅子が用意されていた。


 どちらの国で調印式を行うか、結局最後までどちらも譲らず、吹き曝しの国境線上で行うことで両国はようやく合意した。

 ちなみに季節は冬を迎えようとしている。一昨日までの雨が去り、晴れていることが救いだけれど、アホみたいに寒い。

 つい「無風になーあーれー」と、こっそり唱えても許されるというものだ。ちなみに無風領域は加護を持つポルクス隊員だけの特権だ。あとは知らん。


 国境がどう考えても適当に積まれた石の山だろうが、調印式が吹き曝しの国境線上で行われようが、アホみたいに寒かろうが、まあそれはこの際置いておく。


 問題は、あのドヤ顔がドヤ顔でこの場にいることだ。


 目にした瞬間、咄嗟に連合国側の全ての人に惑わされないようこっそり加護を与えまくった。全力で駆け回ったせいでまだ始まってもいないのにすでに疲労困憊だ。

 さっきから気にしてくださいと言わんばかりに、わざとらしいほどこれ見よがしにシリウスを見ている。ちらちらちらちら見過ぎだ。感じ悪い。


──聞いてない。


 シリウスが脳内でぼそっと呟いた通り、彼女の出席は知らされておらず、連合国側は顔に出さないものの、みんな心の中では、未だ聖女が姿を現さないことに冷や汗をたらたら流しているらしい。


──まだかまだかとうるさい。


 ここにいますよー! と姿を隠したままみんなに向かって手を振っていたら、無表情のシリウスに「サヤ、大人しくしてろ」と頭の中で怒られた。


 見覚えがあるようなないような、仕草ひとつひとつがやけに大袈裟に見えるメタボな男の人が大帝国の皇帝らしい。偉そうな人特有の話し方は言葉の意味がわからずとも伝わってくる。髪も瞳も燃えるような赤で、軍服寄りのクラシカルなスーツを着込み、真っ赤な分厚いマントを翻している。

 そして、なぜかコックさんの帽子みたいなものをかぶっている。色こそ白ではなくマントと同じ赤い布でできているものの、どうみてもシルクハットではなくコック帽だ。正面に大帝国の紋章らしきものがあったり、宝石がちりばめられているのを見れば、王冠のようなものかもしれない。


 暖色の中に見付けてしまった赤の男。思わず隣にいるシリウスの袖を掴んだ。思い出したくもないあの鬱々たる日々がじわじわと浮かび上がってこようとする。


──大丈夫だ。


 真っ直ぐ前を向いたままのシリウスに励まされる。同じように真っ直ぐ前を向く。


 今日も今日とて上品なワンピースが用意されていた。おまけに薄くて軽いのにすごく暖かいマントも羽織っている。聖女を印象付ける装いとして用意されたのは、シンプルなウエディングドレスとも言えそうなもの。白が清楚に思えるのはどの世界も共通なのかもしれない。色があるのは唯一耳に咲くジャームの花だけだ。

 今回も用意してくれたのは、三人の女性隊員さんたちだ。あの、デネボラさんが怪我をしたときに呼びに来てくれたエニフから、こっそり彼女の肩に残る銃創の痕を相談されたのが切っ掛けで、彼女たちの古傷を全て治癒して以来、三人の扱いが敬う聖女様から丁寧に扱う上司の娘くらい気安くなった。


 ちなみにドヤ顔はルビー色のドレスだ。耳も首も指にもルビーみたいな宝石が輝いている。まあ、似合っているからいいと思う。ただ、ぱっと見、乙女という単語からはかけ離れて見える。そんな風に見えるのは、私が彼女にいい印象を持っていないからかもしれない。

 あの日ストロベリーピンクに見えていた髪や瞳が今日は焦げ茶に見える。私も真っ黒というわけじゃないから、あの色が彼女本来の色なのだろう。記憶の中ではもう少し色が抜けていた気もするけれど、その微妙な違いまでは憶えていない。


 テーブルを挟んで対峙する皇帝がなにやら不満そうな声を上げた。たぶん「早く席に着け」的な文句だ。用意された高そうな肘掛け椅子に威厳たっぷりに座り、隙なく目を光らせている皇帝の脇に赤の男、反対側には乙女と第二皇子が立ち、その背後には大帝国の偉そうな人たちが自分たちの優位を主張するかのように心持ち顎を上げながら立ち並んでいる。

 その正面は未だ空席。その背後にこちらも負けじと並んでいる。


 ただ、その中央に豪華なマントを羽織ったシリウスと姿を隠した私がいるのが腑に落ちない。

 一歩前に出たシリウスがまるでエスコートするかのように左手を差し出した。


──サヤ、姿を現せ。


 え、今? 戸惑いながらも言われた通り姿を現す。大帝国側の誰もが目を瞠り息を呑んだ。おそらく背後にいるポルクス隊以外の連合国側も同じように驚いたのだろう、背中にこれでもかと視線が突き刺さっている。


──サヤ、手。


 言われるがままに差し出されていたシリウスの左手に右手を乗せると、私を伴いながらシリウスが皇帝の正面の椅子に着こうとする。すぐ隣にはいつの間にか私用の椅子が用意され、シリウスが腰をおろすと同時に促されるままぽすんとお尻が落ちた。


『え? 何? え?』


 頭の中に「え」と「何」しか浮かばない。


──今まで言わなかったが、ポルクス諜報部隊の長のほかに連合国の総長もやっている。


 なんでそんな軽い感じ? 両方とも初めて聞いた。

 思わず隣に座るシリウスの腕を両手で掴めば、口元に笑みを浮かべたシリウスは、まるで見せつけるように耳に咲くジェームの花を長い指先でふるりと揺らした。


 ふと感じたのは忌々しげな視線。それと、呆然とした視線。


──気にするな。


 いやいや、呆然とした視線はいいとして、ドヤ顔が般若に変わっていたら気にするなって方が無理だ。怖いわ。

 その殺人光線が急に弱まり、般若顔にあからさまな怯えが浮かんだ。

 何事かと思えば、私の背後に羽ヒョウサイズのノワが姿を現していた。いきなり現れた気配に思わず振り返りかけ、目の端にノワを捉えた。頭の上から鼻息をかけるのやめてほしい。妙に生暖かい。

 来るなら来ると言ってほしい。砦でノワに見送られて連合国軍の飛行船に乗せてもらってここまで来たから、てっきりノワは来ないのかと思っていた。


──飛行船の横を姿隠して飛んでたぞ。

『うそ。知らなかった。え、なんで姿隠してるのにシリウスは見えるの?』

──なんでって、繋がっているからだろう。


 ということは、私にも見えるはずなのか。つい眼下の景色に目を奪われてしまい、全く気付かなかった。しかもブルグレまで一緒だ。人の肩の上でふんぞり返っている。おまけにその仲間たちに集られている。なんとなくねだられているような気がして、「少しずつだからね」とこっそり左手の手袋を外した。羽リスたちの歓声が上がる。

 これ、ビジュアル的には公園で鳩に集られている人と同じだ。


 素知らぬ顔のシリウスと頭の中でどうでもいい会話をしながら調印式が進んでいく。

 僅かひと月であらゆる準備をしなければならなかった両国の事務官たちは、疲労がピークなのか顔色がものすごく悪い。


『酷使?』

──わりと。


 デコラティブな二枚の厚紙に両国代表が署名する。それぞれ一枚署名したら交換し、さらに署名して再度交換する。もったいぶったようなやりとりは、正しく署名されているかの確認も兼ねているのだろう。

 最後に印鑑のようなものを押した。おそらく焼き印か何かだろう、液体を数滴垂らした場所に金属でできた大きなハンコを押しつけると、じゅっ、という音とともに蒸気のような白い煙がふわっと広がった。

 シリウスと皇帝が同じタイミングで立ち上がり、手を伸ばし握手を交わす。握手は世界を越えても同じ意味を持つらしい。周りから拍手が聞こえる。これも世界共通だ。祝砲が上がる。これもだ。


 ふと見れば、少し離れた場所にジェームの花が頼りなく咲いていた。見慣れたものよりずっと細くずっと小さな花が冬の風に懸命にそよいでいた。


──サヤ。


 シリウスに呼ばれ、座ったままぼんやりしていたことに気付き、差し出された手を借りて慌てて立ち上がる。

 シリウスが何か挨拶でもしたのだろう、周りから再び拍手が起こった。


 調印式はこれで終わりだ。会談や会食などはまた後日ということになっているらしい。

 その場を離れようと、シリウスのエスコートで背を向けた瞬間──。


「田中さやか!」


 フルネームで呼ばれた。繋がれたシリウスの指先に力がこもる。きっと私も無意識に力を入れた。

 名前がどういうものかは彼女だって知っているだろう。それなのに、あえて大勢がいるこの場でフルネームを叫ぶ意味を考えると怒りが湧く。どうあっても許せない。話したくない。絶対に振り向かない。


──周りにサヤの名は聞こえていない。

『真名じゃないのに?』

──真名に近いからだろう。


 何度呼ばれようが、私は二度と彼女に惑わされない。私の真名を知る人がいる。惑わされるわけがない。


 シリウスが足を止めた。どうしたのかと見上げれば、視線で正面を示される。顔を向ければ目の前に赤の男がいた。

 足の力が抜けそうになり、思わずシリウスに身体を寄せると、そのまま引き寄せられた。しがみつくようにその腰に腕を回し、みっともなくしがみつく。

 赤の男を目の前にすると、まるで条件反射のように身体が強張る。シリウスの胸に顔を埋め、見たくないものから目を逸らす。自分の弱さが情けない。

 後ろにいたノワがその指先にまたしても鼻息をかけてきた。気を紛らわせようとしてくれていることはわかるけれど、わざわざ屈んでまで鼻息をかけるのはどうかと思う。


 赤の男とひと言ふた言交わしたシリウスは、私をひょいと抱き上げ、再び歩き出した。


『なんでお姫様抱っこ?』

──姫抱きと言うのか?


 抱き上げられても顔を上げられず、シリウスの肩におでこを付けたまま頷く。シリウスの肩に乗るブルグレが、しっかりしろ、とばかりに頭をぺしぺし叩いている。


──サヤは子供じゃない。

『そうだけど。さすがに恥ずかしいよ』

──そうか?

『そうだよ。男の人にお姫様抱っこされるの初めてだし』

──俺は男の人なのか。


 しみじみとした声が頭に響く。男じゃなければなんだというのか。絶望の中から救ってくれた。今もこうして守ってくれる。ヒーローじゃなければなんだというのか。


「帰りは背中に乗っていく?」

「えー寒いからやだ」


 嫌だ嫌だとシリウスの肩におでこをごしごし擦りつける。ノワの「無風にできるでしょ」の呆れた声が聞こえた。


「あ、そっか。さっき思い付いて唱えたらできたんだよね。じゃあ乗っていこうかな」


 顔を上げるとシリウスも頷いた。視界をシリウスでいっぱいにする。シリウス以外は目に入れない。


 背後にいたノワが前に回ると、それまでとは違い横向きに乗せられた。さっきから女性扱いされるのが照れくさい。ブルグレが私の肩に移ると、一緒に飛ぶつもりなのか、羽リスたちも集まってきた。私とシリウスの周りだけ無風になるよう小さく呪文を唱える。


 周囲に響めきを残し、シリウスがすぐ後ろに跨がった途端、ノワが宙を駆け上がった。


 背後から聞こえ続けた声は、最後まで聞こえないふりをした。

 勝手に幸せになればいい。そう思っていたのは嘘じゃない。けれど、目の前に現れた瞬間、正確には名前を呼ばれた瞬間、そんな綺麗事はきれいさっぱり消えた。どうしても許せない。


 残酷だと思った。あのまま、顔を会わせないままだったらよかったのに。顔を見て、その存在を近くで感じてしまえば、深い闇が足元からせり上がってくる。濃い闇に呑まれていく。


 両国代表の上をこれ見よがしに旋回し、ふつりと姿を消したノワはたった五駆けで砦に着いた。あっという間だ。

 砦から少し離れた私たちの住処は、さっきまでの響めきなど知らず静かなものだった。ノワの背から再びシリウスに抱き上げられる。


──辛い思いをさせた。


 シリウスの首にしがみつき、その肩に顔を埋めたまま首を左右に振った。

 もう平気だと思っていた。最初は平気だったはずだ。ただそれは、些細な切っ掛けで砕け散る、薄氷程度の強がりでしかなかった。それだけのことだ。

 それまでの私を知るたった一人がどうしようもなく憎い。彼女を殺せば元の世界に戻れるなら、私は躊躇なく殺す。そのくらい憎かった。


「ごめん、こんなこと考えててごめん」


 そう言いながらも、頭の中ではぐちゃぐちゃと醜悪な音を立てながら彼女を黒く塗り潰している。


 殺伐とした思いは一生消えない。

 二度と得ることのない家族のぬくもりを忘れる日は来ない。

 彼女を許すことなど決してない。


 夢の中で彼女を殺す。

 息絶え、闇に沈んでいく虚ろな目。

 嘔吐きにも似た達成感と叫び狂いそうな空虚が纏わり付く。

 それでも彼女を淡々と殺し続けた。


 小さく光り続けていたのは、耳に咲くジェーム。

 懐かしさに霞むのは、耳慣れない子守歌──。

 





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