魔法使い
突風と共に吹き付ける雨が農村に立ち並ぶ民家の窓を鳴らしている。黒っぽく見える木々も風に揺らされて左右にしなっている。
その豪雨の中を進んでいくシルエットが二つ。
片方は麻のシャツを着た少年で、大ぶりの雨で濡れねずみになって首を縮めている。
もう片方は白くて重そうなつなぎとこれまた重そうな同色のヘルメットという奇妙な服装の人物で、息を吐くたびに、目の部分を覆うバイザーが白く曇る。
つなぎの方がもう一人に向かって大声で言った。
「ねえ、思ったんだけどさあ!」
もう一人の少年、シュウヤは雨が入らないように目を極限まで細めながらこちらも大声で返した。
「あー!?聞こえねえ!!」
「ストーム級のスコールって普通のストーム級よりも断然嵐っぽいよね!!」
「やめろややこしい!!」
「そう思わないかい!」
「黙って歩け!お前が遅いせいでオレはこんな雨の中、のたのた歩くはめになってんだぞ!」
シュウヤが非難がましく言い返す。
シュウヤとアラタは山を下りてすぐにこの暴風雨に見舞われていた。もっとも、アラタの方はルナが来るときにこの天気じゃなくてよかったと能天気に喜んでいたが。
しばらくして、二人はようやく村の外れの民家に入ることができた。雨はまだ止む気配がない。
「あー、いてえ……」
シュウヤはじんじんと痛む背中をさすった。アラタは若干申し訳なさそうな顔でそれを見ている。
「雨が降ると背中が痛いんだっけ?」
「ああ。てか、お前はなんねえんだな」
「まあ、そうだね。雨の日なんて頭がくしゃくしゃになるのと、若干命の危険を感じるくらいだよね」
アラタはそう言っていつもよりもくしゃくしゃになって、わかめというよりもアフロと言った方がしっくりくるような自分の頭を叩いた。
「今日はこのままここで一泊かな。ところで、ご飯はどうしてるんだい?」
シュウヤはじっとりと水を吸ったリュックの中から秘蔵のレトルトカレーを取り出した。アラタは微妙な表情をする。
「えー……もしかしてそれだけかい?」
「何だよ、文句あんのか?」
「そんななら野菜とか持ってきとけばよかったなあ。そもそもどうやって食べ物を手に入れてるのさ」
「そりゃ、その辺からとってくる」
その辺、と言いながらシュウヤは今いる民家の台所を指さした。
「泥棒じゃないか!」
「そんなこと言ってられるかよ」
「泥棒までして手に入れるのがレトルトカレーなんて、割に合わないよ。そうだ、地下居住区で分けてもらえばいいじゃないか!」
「今じゃどこも食糧不足だ。見ず知らずの旅人に分けてくれる食糧なんて、どこの居住区にもねえよ」
「じゃあ買ったらいい!」
シュウヤは鼻で笑った。
「金はどうすんだよ。泥棒すんのか?」
「何言ってるんだい、通貨を使ってない地下街だってあるはずだろう?地下にお金を持って行った人は限られてるはずだ。物々交換で買うんだよ。地上の物資を持って行ってさ」
あまりに必死なアラタの様子に、シュウヤは首をかしげた。シュウヤ自身が何となく地下に行きたくないというのもあるが、それを抜きにしてもわざわざ地下に行ってまで食料を分けてもらう必要はないと思っていた。
「何だよ、やけに地下に行きたがるな」
アラタは一瞬口ごもると、きまりが悪そうな顔をして頭をかいた。
「まあ……うん、本当は、地下に行けばシロップが見つかるかと思ったんだ。あの子おっちょこちょいだから、何かの拍子に地下に落ちたりしててもおかしくないと思ってさ」
「どういう状況だよ、それ」
「この辺りにも地下居住区があるって言ってただろう?」
「言ったな」
「近いのかい?」
「……まあまあ」
シュウヤは嫌な予感を感じながら答えた。するとその答えを聞いたアラタは両手を握りしめて立ち上がった。
「どうせ食料を分けてもらう必要があるんだ、行こう、今!」
嫌な予感が的中して、シュウヤは顔を歪めた。
「今日はここで一泊するんじゃなかったのかよ」
「話していたら本当にシロップが地下に落っこちてそうで、いてもたってもいられなくなってきた」
「すげえおっちょこちょいだな、その魔法使い」
投げやりに言いつつも、シュウヤの表情は晴れない。アラタはそれを目ざとく見つけると、急に真顔になってシュウヤの前に腰を下ろした。
「君は地下に行きたくなさそうだね」
「そりゃ、行きたくはねえな」
「なんで?」
「……」
「トラウマ?」
シュウヤはアラタを睨みつけた。
こんな、誰もがあっけなく死んでいく世界では、みんな割り切って生きていかなくてはならない。東京地下街の人たちは一人の子供の命よりも他の住民の安全を選んだのだ。それは頭では分かっていた。でも、どうも再び地下に行く気にはなれない。それをトラウマと呼ぶかどうかはわからないが、割り切れない自分がみっともないとは思っていた。
「かっこ悪いなあ」
「うるせえ」
「あーあ、可哀想にシロップ……。強情な奴のせいでいたいけな女の子が一人、地下で寂しい思いをしてるんだ……」
「お前、案外腹黒だよな」
「で、行くの?行かないの?」
シュウヤは頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。これを機に地下に行けないという壁を壊してしまうのもありかとは思っていた。それに、アラタの口車に乗るのは癪だが、本当にそのおっちょこちょいな女の子が地下で寂しい思いをしているのなら、放ってはおけない。アラタにその子を旅に連れて行くと聞いたときに、男二人旅よりも女の子がいたほうがいいと思ったのも確かだ。
「行く」
「よし、じゃあ交換するものを探そう!」
そう言って、アラタは当然のようにその民家の中を漁りだした。シュウヤはそれについて指摘する気ももう起きなかった。
そんなこんなで、二人は多少弱くなってきた雨の中、一直線にガムテープの張られた「窓」の側に立っていた。
「どうしてガムテープが?」
「さあ、東京地下街にはなかったけどな。風習とかじゃね?」
「そうか。じゃあ、言い訳を考えよう」
シュウヤはアラタの言う意味がわからず、白いヘルメットを着けた彼に困惑の目を向けた。
「どういうことだ?」
「地下に行く、というか地上にいるいいわけさ。突然地上から人が入ってきて『物々交換してください』なんて言ったらおかしいだろう?」
「確かに、大騒ぎだな」
「だから言い訳を考えるのさ。えっと、僕たち行商人で……」
「怪しさ倍増だな」
「他の居住区から来た探索隊で……」
「オレ、コート着てないけどな」
「せ、仙人……」
「諦めるな、頑張れ」
アラタはシュウヤに迷惑そうな目を向けた。
「コートを着てない君がいるせいでどの言い訳も通らなくなるんだけど。もう僕だけで行ってもいいかい?」
「いや、ここまで来たらオレも入れろよ」
「んー……」
アラタは「窓」を見て、シュウヤを見て、うんと頷いた。
「入ってから考えよう」
そう言うと彼はおもむろに「窓」を蹴破った。ガムテープの張ってあったところはもともと割れていたらしく、べりっと派手な音を立ててガラスが真っ二つに割れた。
「えー……」
「ほら行くよ!」
シュウヤはアラタの突然の蛮行に動揺しつつも、もうどうにでもなれと彼に続いて下に飛び降りた。
「窓」の下は東京地下街と同じように鉄の壁で覆われた小部屋になっていた。壁の一部が扉になっているのも東京と同じだ。
二人はしばらく、どうしたものかとその場に佇んでいた。割れた「窓」からはストーム級の大粒の雨が彼らの頭にだけ降り注いでくる。
「ここから考えてなかったな」
「だね」
少しして壁の外が騒がしくなり、扉に鍵を差し込むガチャガチャという音がした。
扉を開けた青年は割れた「窓」とその下に立っている二人組を見て口をぱかっと開けた。
「……え?」
アラタは突然営業スマイルを浮かべ、青年に近付いた。
「こんにちは!僕たち怪しいものではありません、実はお願いがあってここまで来たのです。どうか中に入れてもらえないでしょうか?」
青年はじりじりと後ずさる。それはそうだ。白い奇怪な恰好をした人物が雨に濡れたまま近付いて来るのだ。恐怖でしかない。しかも、アラタ本人は親しみやすい笑顔を浮かべているつもりだが、ヘルメットのせいで弧を描いた目元しか見えないのだ。
シュウヤは青年に同情しつつ防雨コートの肩を掴んだ。
「やめろ、怖がってんだろ」
「えー?なんでかなあ」
「鏡見ろ鏡」
「あれまあ!今度は二人も落ちてきたのかい!?」
二人が声のした方に顔を向けると、固まっている青年の後ろから人好きのする笑みを浮かべた女性が顔を出していた。
女性の計らいでシュウヤとアラタはとりあえず地下に入れてもらい、乾いた服に着替えさせてもらった。二人は今、女性と共に地下街の一角に立っていた。
東京地下街と、作りは同じように見える。土が丸出しの天井と床。建物はテントか、そうでなければ木でできた粗末なものだ。東京と違うところと言えば、だいぶ規模が小さくなっているところだろう。東京地下街は広かったのでどちらを見てもただ建物が続いているように見えたが、ここはその向こうに町の限界である土の壁が見える。
「何があったのか知らないけど、あんなにびしょ濡れで大変だったろ!」
「はい、入れていただいてありがとうございます」
二人を見下ろす女性にアラタは頭を下げるが、シュウヤは女性が雨に濡れたシュウヤを見ても何の疑問も口にしなかったことが引っかかっていた。
女性はそんなシュウヤの疑惑をよそに豪快に笑う。
「あはは、礼を言われるようなことじゃないよ!何せ初めてのことじゃないからねえ!」
「初めてじゃない?」
シュウヤが訝しげな声を出すと、アラタは何か心当たりがあるように口を挟んだ。
「それなんですが」
女性がアラタに顔を向ける。
「シロップという女の子をご存知ですか?」
「ああ知ってるよ」
あまりにあっけらかんと女性が返したものだから、シュウヤは何か聞き間違えたのではないかと女性をまじまじと見てしまった。
女性は、それで納得がいったというようにうんうんと頷いている。
「そうかそうか、シロップの友達かい。あの子は今じゃあ山形地下街の人気者だよ」
アラタはパッと顔を輝かせて女性の手をがしっと掴んだ。
「いるんですか!今はどこに?」
「あー、たぶんそのへんで子供らと……あーいたいた」
女性が指さした先に、シュウヤとアラタは同時に目を向けた。テントの間を走り回る子供たちの中で、彼女はあらゆる意味で目立っていた。
まず、ショートカットにした日本人らしからぬ銀色の髪。それに日の光をあまり浴びないせいで全体的に白い子供たちの中で一人だけ健康的に焼けた肌。そして彼女は他の子供たちと比べて飛んだり跳ねたりひときわせわしなく動き回っていた。
「……て、女の子ってより子供じゃねえか」
「女の子だろう?おーーーい、シロップーー!!」
アラタが手を振ると、彼女はパッとこちらを振り向いた。くりくりと大きな瞳はピンク色だ。人間の瞳の色としては聞いたことも無い。
彼女はアラタの姿に気付くと、にぱーっと特大の笑みを浮かべて走ってきた。
「アラタぁ!ひさしいな!!」
「ぐえっ」
腹に突撃されて、アラタはカエルの潰れたような声を出した。彼女はアラタにへばりついたままぐるっと顔をシュウヤに向けた。
「あ!知らんひと!」
「……久しぶりシロップ。その人はシュウヤっていうんだよ」
「おー!」
シロップはアラタから離れると今度はシュウヤの方に駆けより、くんくんとシュウヤの周りを嗅いで回る。女性はその様子を見て微笑ましそうにしている。
「さ、あたしは旦那に呼ばれてるからそろそろ行くよ」
「はい、ありがとうございました!」
アラタが頭を下げると、彼女は手を振りながら去って行った。
「えー……、シロップ?は、今いくつなんだ?」
シュウヤは自分を熱心に嗅いでいる少女に話しかけた。シロップは顔も上げずに答える。
「五才!」
「え、まだ五才?」
「その子の言う事、あてにしなくていいよ。三年前からその見た目だから」
「は?」
シュウヤは胡散臭そうな顔をした。
「三年前って言ったらまだ二才じゃねえか。そんなわけないだろ」
「ふむふむ」
シュウヤはシロップに目を戻す。彼女は顎に手を当てて何やら頷いていたかと思えば、ピンクの瞳をシュウヤに向けた。
「シロップと似た匂いがするんだな」
「え?そうか」
これにはアラタが食いついた。
「おおやっぱり!?シュウヤは魔法使いなんじゃないかと思ってたんだよ!どのくらい似てるの?」
アラタの口から「魔法使い」という単語が出るとシロップは機嫌を損ねたように口をへの字に結んだ。
「魔法使い違う!おろかもん!」
「え?酷いなあ……」
アラタは気圧されたように弱気な声で言った。
「ザフーだもん!」
「あー……、そうだったね」
シュウヤはぶすくれている子供に聞こえないように小声でアラタに訊いた。
「ザフーってなんだよ」
「魔法使いの事、みたい。そう言えばこの子は魔法使いのことをザフーって呼ぶんだ」
「でなー、どのくらい似てるかってゆーとー、」
シロップはもう機嫌が直ったらしく、けろっとして言った。
「半分の半分くらい似てる」
「四分の一かよ」
「魔法使いのクォーターだね!」
「ザフーなの!」
シロップはまたしても怒って地団駄を踏んだ。どうやら魔法使いと言われるのが嫌いらしい。シュウヤが苦笑いしていると、突然何かが三人の背後から飛んできて、シロップが前に倒れた。
「ん?」
「は?」
瞬間、和やかだった空気が凍り付いた。
シロップの背には、ナイフが刺さっていた。
状況をうまく呑み込めないまま、二人はぎこちなく背後を振り返る。露店で干物を切り分けていたらしい男が、固まって真っ青になっていた。右手はナイフを持っていたであろう手のまま、まな板に振り下ろされている。
「ち、力入れすぎて……そんなつもりじゃ……」
男は二人よりずっと怯えていて、ガクガクと震え出した。
――カランッ。
「うー……」
なにか金属が落ちるような音と共に背後で聞こえたうなり声に、シュウヤは背筋が凍るのを感じた。
「……今ので、一回死んだ!弁償!」
シュウヤは恐る恐る振り返る。そこには、唇を突き出して仁王立ちになっているシロップの姿があった。




