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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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荷造りが終わらない

 地上で出会った風変わりな少年が、これから旅の仲間となることになった。

 死ぬまで一人旅を続けるのだろうと、悲観するでもなくそう思っていたシュウヤにとっては、どんな変人でも一緒に行く仲間が増えるというだけで感慨深いものがあった。また、なんだかんだ物知りなアラタがいれば今までとは違った冒険ができるかもしれない。そう思うと、一切の動物がいない世界を旅する気味の悪さも忘れて、期待に胸を躍らせたりもした。

 しかし。

「おーい、準備にいつまでかかってんだよー」

 シュウヤは小屋の入り口に寄りかかって疲れた声を出した。もうかれこれ三時間は立ちっぱなしだ。

 小屋の中から物音と共にアラタの声が返ってくる。

「もうちょっとー」

 二時間前も、一時間前もそう言われた気がする。

 そう、心躍る冒険はまだ始まる気配すら見せていなかった。


「いつまでもグダグダしやがって、女子かてめーは!」

 とうとうしびれを切らしたシュウヤが小屋の戸を叩き割る勢いで空けたとき、アラタはその正面に荷物を背負って立っていた。

「…………」

「やあ、ちょうど今終わったところだよ。じゃあ行こうか!」

 アラタはそう言って小屋から出て行こうとした。

「いや、いや待て待て」

「なんだい、急げって言ったのは君じゃないか」

「いいから自分の持っている荷物を見ろ。で、冷静に考えろ」

 シュウヤは努めて静かな声で言った。

 アラタが背負っているのは登山用リュックのようだったが、とにかくその大きさが規格外だった。アラタが五人くらいは余裕で入るのではなかろうか。底は床にずってしまっている。

 その大きさのリュックがぱんぱんになるくらい物が入っているのだ。たぶん、いや絶対に小屋の入り口を通らないだろう。

 アラタは言われたとおりにその荷物を見て、「それがどうした」とでも言いたげな顔をシュウヤに向けた。シュウヤは頭を抱える。

「お前はもうちょっと頭がいいかと思ってたよ……」

「失礼だなあ」

「それ言う前にもう一度考えろ。その荷物全部持って外に出るつもりか?雨にやられる前に行き倒れて死ぬぞ」

 シュウヤは人差し指を巨大なリュックにビシッと突きつけた。

「全部必要な物さ」

 アラタはちょっと慌てて言う。リュックの中身を取り上げられてはかなわないと思ったのだろう。しかしシュウヤは眉間にしわを寄せるだけだ。

「何が必要だってんだよ。オレが地下を出た時は手ぶらだったぞ」

「君と一緒にしないでくれよ!」

「いいから中身見せろ」

 アラタがしぶしぶといった様子でリュックを床に下ろした。まあもともと引きずっていたので肩紐から腕を抜いただけだが。

 こうしてアラタにとっては地獄の検問タイムが始まった。冒険の始まりはまだ遠い。


「これは?」

「水だよ」

 シュウヤがリュックから取り出したものを見てアラタが言った。

 それはプラスチックでできたタンクで、中には確かに水が入っているらしい。それが三つもリュックに収まっていた。

「そこの川から汲んだんだ。水源の水とはいえ、もうすぐ雨の成分で汚染が始まるだろうと思ってたから、君が来てくれてちょうどよかったよ。飲み水で感染したら、幻想的に死ぬどころの話じゃないよね」

「水源なら安全なんじゃないのか」

「とんでもない!」

 アラタはそう言って顔をしかめた。

「地下の天井は、土が丸出しだったんだよね?」

「ああ、まあ」

「天井から水が降って来ることは無かったかい?」

「あったな。オレも何回かやられた」

「それで感染する人は?」

 そう言われて、シュウヤはろ過場の看板に貼ってあったポスターを思い出していた。確か、こうだ。「上を向いて歩こう!~天井からの落水による事故感染が多発しています~」。当時は気にしていなかったが、つまり地下にいても必ずしも安全ではなかったということだ。

「いたんだと思う」

 シュウヤがそう答えると、アラタは真剣な表情で頷いた。

「地球の水は循環している。雨の何らかの成分が人を死に追いやる力を持っているのなら、僕らは空ばかりを気にしてはいられないよ」

「そっか、そうだよな」

 アラタは水の入ったタンクをポンポンと叩く。

「本当はもうちょっと持って行きたかったんだけど……」

「そのへんにペットボトルの水とかも残ってるけど、それを飲むんじゃだめなのか?」

 シュウヤがふと思いついて訊くと、アラタはあからさまに嫌そうな顔を上げた。

「ペットボトルって……十五年前のだろう?なんかやだ」

「は?それだけの理由?」

「それだけでも十分だよ!僕は君ほど図太くないんだ」

「……」

 シュウヤは何も言わずにタンクをすべてリュックから出した。

「ぎゃー!何するんだい!」

「ペットボトルのを飲みなさい。以上」

「シュウヤー、僕ら仲間じゃないかー」

「ナチュラルに呼び捨てすんな。そんな唐突に仲間意識は芽生えねえよ」

「なんだよ、君だって初対面の時から呼び捨てのくせに」

「あーあと、これも」

 そう言ってシュウヤは大きなフワフワの枕をぽいっと放り出した。

「ジェイミィィ!!」

「え、枕に名前つけてんの?キモ」

「正直に言わないでくれよ!無いと眠れないんだ!」

「そのうち慣れるって」

リュックに目を戻したシュウヤは、枕の下にあった、長さ五十センチ以上はありそうな黒い箱を発見した。

「これは?」

「望遠鏡さ……」

 シュウヤはそれ以上何も聞かずにリュックから箱を引っ張り出した。

「待って待って!それも必要なんだって!」

 アラタが必死になってそれを止めようとする。シュウヤはアラタの手を振りほどこうと箱ごと上に引っ張りながら言った。

「望遠鏡なんて持ち運んでどうすんだよ!天体観測でもすんのか!」

「そうだよ!」

「え、嘘だろ?馬鹿なの?」

「いいから聞いてくれよ!」

 アラタが言うので、シュウヤはとりあえず望遠鏡の箱を床に置いた。アラタは一息ついてから人差し指を立てた。

「今年が何年か知ってるよね?」

「三百六十五年だろ?」

 一体何から数えて三百六十五年なのかわからないが、シュウヤは地下でみんなが使っていた暦を地上でも使っていた。とはいえ地上に出てすぐのころは日数を数える余裕なんて無かったので、今日が何月何日かまではわからない。

 その返事を聞いて、アラタは満足そうに頷いた。

「そう。で、今年はなんと!五年に一度のルナが通る年なのさ!」

 小屋の中に沈黙が広がった。アラタは胸を張って自慢げに鼻の穴を膨らましている。

 シュウヤはちょっとしてから訊いた。

「ルナってなんだ?」

 その言葉を聞いた途端、アラタの顔が驚愕に固まった。

「ルナを……知らないのかい?」

「だから何だよそれ」

「えー……なんで?聞いたことも無いの?あ、そうだ見たことはあるよね?地上に出てきたの、五年前なんだろ?」

 シュウヤは顎に手を当てて少し考えた。

「確か、地上に出てきたのは秋だったはずだ。今は夏だし、正確に言うならまだギリギリ五年になってねえな」

「そっか、五年前のは逃しちゃったんだね。でも、あんな一大イベントが伝わってないなんて……。地下にいたらそりゃ、見えないけどさ。あれを知らないなんて絶対損してるよ、僕はあれが見られなくなるなら、いくら安全でも地下になんて行きたくないくらいなのに……」

 アラタは難しい顔をしてぶつぶつ言っている。シュウヤは我慢できなくなって、望遠鏡の箱をイライラと叩いた。

「おい、ルナって何なんだよ」

「あ、ああ、ごめん」

 アラタはふと我に返ったように顔を上げた。

「ルナは五年に一度地球のそばを通る星の名前さ。あまりにも近くを、ゆっくり通るものだから、その時間帯はルナの光で他の星が見えなくなるんだ」

「はあ……。それのためだけに望遠鏡を持って行くのか?」

「それだけの価値があるんだよ!今回はだいぶ遅れてるけど、もうそろそろ来るはずなんだ」

「で、それが終わったらこの望遠鏡はどっかに置いてくのか?」

「え?まあ……もったいないけど、さらに五年これを背負い続けるのが難しいのは、僕にも分かるよ」

 シュウヤはアラタのリュックを見た。かさばっていたのは水のタンクと枕と望遠鏡くらいだったようで、今はへにょりと縮んで、アラタの体力でも持ち運べそうなサイズになっている。

「わかった」

 シュウヤが思い切ったように言ったので、アラタは目を輝かせた。

「持って行っていいのかい!?」

「それはだめだ」

「……。じゃあ、何がわかったのさ」

「そのルナってやつが来るまで、ここにいようってことだ」

 アラタはよくわからないというような顔をした。

「それって、何かメリットがあるのかい?」

「あるだろ。ここに望遠鏡を置いて行けるじゃねえか。後からやっぱり持って行きたいとかいうなよ」

「うう。わかったよ。置いてけって言われるよりずっといいもんね」

 二人はルナが来るまで小屋にいることにした。冒険の始まりはまだまだ遠い。


「どうして雨に当たると人は『羽化』するようになったのか、考えたことはあるかい?」

 アラタが唐突に言った。

「さあ」

 床に座ったシュウヤが返す。座る二人の正面にあった本棚はついさっき脇にどかされ、塞がれていた窓から流れ星の光が惜しみなく入り込んでくる。その窓の手前には件の望遠鏡が空に向けてセットされていた。

「なんでそんなこと聞くんだよ」

「それが僕の目標だからさ」

 シュウヤは怪訝な顔を向けた。

「何が?」

「死の雨の秘密を解き明かすことだよ。だって、おかしいじゃないか。人の背中から鳥の羽だよ?しかもそのせいで人が死ぬんだよ?」

「そりゃまあ、おかしいけどよ。……オレの住んでたところにさ、探索隊って組織があったんだ。でも、できてから十年もしないうちに解散した。ガキの頃はなんで解散したんだー、なんて思ってたけどさ。今ならわかる。ありゃ、人が解明できるような代物じゃねえんだよ。地下の人はみんなもう考えるのをやめてる」

「当の君がそんなこと言っててどうするんだ」

 アラタは怒ったような表情で言った。

「当のってなんだよ」

「雨に当たっても死なないんだろう?すごく、恵まれてる。地上を安全に歩ける君がそんなこと言ってて、その探索隊の人たちに失礼だと思わないか?君は気にならないのかい?どうして自分は感染者にならないのか」

 シュウヤはアラタの剣幕に気圧されていた。

「……大げさだ」

 シュウヤは話をそらすように、明るめの口調で言った。

「外に出たら、まず何をするつもりなんだ?オレのほうは目的地とか無いけど」

「え?そうだなあ……」

 アラタは目をぱちくりして、星が流れ続けている窓の外を見た。

「そうだ、シロップを探しに行きたい。で、あの子も仲間に入れないかい?旅の仲間は多い方が楽しいと思うんだよ」

 シュウヤは途端に胡散臭そうな顔になった。

「シロップってあの、ま……」

「魔法使いだよ」

「本気だったのかよ……」

「本気も本気さ。シュウヤも会ってみればわかるって」

 そう言ってから、アラタはおもむろにシュウヤに目を向けた。

「今度は君の話す番だ。外で見たことをもっと教えてくれよ」

「話すことは今朝全部話しただろ」

 シュウヤが面倒そうに言うと、アラタはジト目になった。

「全部?本当に?五年分全部?」

「小学生かよ。そりゃ、無理ってもんだろ」

「じゃあ絞り出して」

 どうせ暇だったのでシュウヤは何かないかと宙を見つめる。

「あ」

「何?」

「これ、見せてなかったよな」

 そう言って彼は自分の荷物の中から一枚の紙きれを取り出した。一週間前にミヤにもらったあの紙きれだ。

「何だいこれ?」

「雨のランク分けだと。オレの……知り合いが、拾ったらしい」

「ふうん」

 なにか琴線に触れたらしく、アラタはその紙をしげしげと見つめている。

「この感じだと、強さでは三段階でギブリ級、ストーム級、カラミティ級。例外的なものはスコールと呼ぶ。ナイトメア級は威力は桁はずれだけど、一定の地域でしか発生しない……」

「そんなとこだな」

「このイラストが何なのか気になるね」

 アラタがランクの脇に書いてある色付きの絵を指さしながら言った。シュウヤもそれは気になっていた。二重の円の中に横線が一本入った図形で、ギブリ級は緑、ストーム級は黄色、カラミティ級はオレンジ、ナイトメア級は赤とそれぞれ色がついている。

「さあ、オレにも分かんねえな」

「それにこれ。ここだけ旧言語だよね」

 続けてアラタが紙の右下を指さす。サインのように走り書きされたそれは確かに旧言語で、シュウヤには読めない。

「なんて書いてあるんだ?」

「えっと、これは英語かな?ふ……」

 言いかけた言葉を言い切ることなく、アラタが顔を上げた。シュウヤも気が付いていた。窓から入っていた流れ星の光が、急に無くなったことに。

 今や窓の外は青い光に支配されていた。目に痛いほどの青。シュウヤはその青い光が、空をゆっくりと横切っていく巨大な星だということにしばらく気が付かなかった。

「ルナ……」

 アラタが呆けたように呟いた。

「……これが、ルナ」

 シュウヤはその光景に圧倒されていた。目が離せなかった。実際には一秒に満たないような時間が何時間にも引き伸ばされて感じた。

「宇宙船っていうのがあったんだ」

 アラタがぽつりとつぶやいた。シュウヤは瞬きを忘れていたことに気が付いた。

「初めて宇宙に行った人が言ったんだって。地球は青かったって」

「地球もこんななのか」

 シュウヤの返事にアラタは興奮したように息せき切って言った。

「ルナにも海が、空気がある!生き物がいるかもしれないってことさ!ああ、死の雨なんて無ければ僕が行って確かめてくるのになあ。くそお」

「宇宙人がいるってか?」

 シュウヤは軽く笑った。地球では理不尽に人が死んでいくというのに、宇宙人に思いを馳せるなんてずいぶん呑気なものだ。

「まずその、宇宙船?が無いだろ」

「あ、そっか……。どうして無くなっちゃったのかな」

 そうしているうちに青い星はゆっくりと夜空を横切って、森の中に沈んでいった。流れ星の白い光が戻ってくる。しかしシュウヤの目にはあの青が焼き付いて離れなかった。

「あー!!」

 アラタの叫び声に、シュウヤはびくっと振り向く。

「なんだよ」

「望遠鏡使うの忘れた!せっかく用意してたのに!」

「はは、次は地上で調達するんだな」

「あーあ……」

 アラタが残念そうな声を出した。

 次の日、小さめのリュックに荷物を詰めなおしたアラタとシュウヤは、小屋を後にした。ようやく荷造りが終わり、冒険が始まる。


 あの時望遠鏡を使っていたなら何が見えたのだろう、と、後になってシュウヤは思うことになる。

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