わかめとの遭遇
シュウヤは困り顔で、わかめ頭の少年(?)を見下ろしていた。当の相手はそんなシュウヤの表情に気を留めることも無く、まくし立てるようにしゃべり続けている。
「すごいなあ、もしかして僕が知らないだけで外は魔法使いでいっぱいだったりするのかい?この山って魔法使いの住処だったりするの?あ、シロップは元気かい?」
「……わかった、一旦落ち着こうか」
シュウヤは少年の話を両手で遮った。一人称や声の質からして、彼はどうやら少年で間違いなさそうだ。
少年は言われるままに口をつぐんで、すぐに何か恐ろしいことに気が付いたように大きく息をのんだ。彼はわたわたとその場で足踏みをしてから、ささっと小屋の中に引っ込んだ。
「危ない、気付かないうちに外に出てた……。あ、君も入ってよ。魔法使い大歓迎だ!」
小屋の中は案外綺麗に整理されていた。奥のほうには外から見えた温室に続いているらしい扉もある。ただ一つ異様なのは、扉のあるところ以外の壁が全て本棚になっていることだ。そしてその見上げるような本棚はすべて、ぎっしりと本で埋まっていた。
シュウヤは思わず口を半開きにしながらその本棚を見上げた。背表紙はこちらに向いているが、標準言語ではないらしくシュウヤには読めないものばかりだ。
「ン、これは標準言語だな。なになに……神話?」
「ああそれは、おじいちゃんが書いた本だよ」
部屋の隅からイスを持って来た少年が、シュウヤの手にある本を見て言った。シュウヤは慌ててその本を元あった場所に戻す。
「悪い、勝手に出しちまって」
「いいよいいよ、僕そういうの気にしないし!むしろ久しぶりの話し相手ができて、今すごく浮かれてるよ」
少年が嬉しそうに言ったが、顔が髪で隠れているせいで表情が全く読み取れない。シュウヤは頬をポリポリ掻きながら言いにくそうに言った。
「その、悪いけど前髪が、さ、その……顔が見えないっていうか……」
少年はきょとんとしていたが、しばらくしてシュウヤが何を言っているか分かったらしく、今度は小屋の反対側の隅に走って行った。そこで彼はおもむろに髪をまとめてわしづかみにすると、置いてあったナイフでザクッと切った。
シュウヤが唖然としている間に、少年は髪の束をごみ箱に捨てて何事も無かったかのように戻ってきた。
「髪切るのを忘れてたのを忘れてたよ。言ってくれてありがとう。少しはすっきりしたかい?」
少年はにっと笑った。「少しすっきり」どころか切り過ぎたと言ってもいいくらいだが、おかげで今度は今まで見えなかった顔がよく見えた。そばかすの多い童顔で、好奇心の強そうなどんぐり眼がぐりぐりしている。髪が短くなってもわかめのような髪質はそのままで、頭の上であちこち勝手な方向を向いていた。
「ああ、うん。どういたしまして?」
シュウヤは苦笑しながら答えた。
「さ、座って!話を聞かせてよ。君、名前は?どこから来たの?」
シュウヤは勧められるままにイスに座る。少年はその向かいのイスに腰かけると、身を乗り出した。
「オレはシュウヤ。東京地下街から来た。お前は?」
「東京!?それってすごく遠いんじゃないのかい?ちょっと待って」
少年はシュウヤの質問は耳に入らなかったようで、パッとイスを立つと本棚の一部に飛びつくようにして一冊の本を取り出した。
シュウヤは気を取り直して、少年がパラパラとページをめくるのを覗き込んだ。どこかの地図のようだが、やはり見たことのない言語で書かれていてどこだかわからない。
「ここだ!えっとここは山形だから、うわ、270キロ!?魔法使いってすごいなあ」
「なあ、オレ魔法使いじゃないんだけど」
シュウヤがさっきから思っていたことを口にすると、少年はぎょっとして顔を上げた。
「違うのかい!?でも外を歩いてきたじゃないか。シロップは?シロップとは知り合いなんだろ!?」
「いや知らねえけど……」
シュウヤは少年のすごい剣幕に若干引き気味で答えた。少年はとたんにがっくりと肩を落とすと、地図を持ったままイスに座った。
「そっか、知らないのか……。シロップは僕の知り合いの女の子で、魔法使い……いや、魔女って言った方がいいのかな、なんだけど、三年前からちっとも顔を見せなくなっちゃってさ。……最後に会っておきたかったな」
最後の方はぼそぼそと小声になってしまって、シュウヤには聞き取れなかった。少年は気を取り直して、シュウヤに再度聞いた。
「でも、君は本当に魔法使いじゃないのかい?違うならどうやって外を歩いてきたの?」
「えー……と、外を歩いている人間を魔法使いって呼んでるなら、オレも魔法使いってことになるけど……、魔法で身を守ってるわけじゃない。多分体質だ。シロップっていう子は、雨を受けても大丈夫なのか?」
「うん。シロップは不老不死の魔法使いなのさ」
少年はにこにこしている。シュウヤは少年の夢か何かを聞かされているような気分になってきたので、タイミングを見計らって話を変えた。
「お前は何でここにいるんだ?てか、名前は?」
「……あ!自己紹介がまだだったね。なんだい、先に言ってくれよー」
少年は大笑いした。シュウヤは苦笑いした。
「ぼくはアラタ。ここには生まれた時から住んでるんだ。お父さんは十五年前に亡くなって、お母さんは八年前に雨で。それからおばあちゃんと二人で住んでたんだけど、おばあちゃんも最近亡くなったよ」
「……そうか……」
「そんな暗い顔しないでよ。おばあちゃんは雨で亡くなったわけじゃないんだ。病気だよ。名前はわからないけど、心臓の病気だと思う。今は一人で野菜を育てて暮らしてるのさ。家の中に水源があってよかったよ」
アラタは思いのほか明るく言った。まるで死を全く恐れていないような、それを当然のものとして受け入れているような口調だった。
「で……おじいちゃんっていうのは?」
シュウヤが言うと、アラタは嬉しそうに壁の本棚を見回した。
「おじいちゃんは考古学者で、禁書コレクター!ここにある本はほとんど、おじいちゃんが集めた禁書なんだよ。おじいちゃんは地方の神話や言い伝えを集めるのも好きで、さっき君が持ってた本はおじいちゃんが集めた神話をまとめたものなんだ。すごい人だよ。ぼくが生まれる前に亡くなったから会ったことは無いけど、おじいちゃんは僕の憧れなんだ」
シュウヤの口がぱかっと開く。
「禁書?じゃあそれ、旧言語かよ。お前旧言語読めんの!?」
「ああこれ?」
アラタは地図を持ち上げてみせた。東京、と言っていたのを考えると、それは日本地図なのだろう。旧言語でなくても、シュウヤは日本の地図を見るのは初めてだった。
「読めるよ。時間だけはあったからね、片っ端から解読したのさ。これは『日本語』っていう旧言語で、この国で使われてた言葉だよ。あ、そういえば……」
アラタはふと何かを思い出したように、地図を持っていた手をおろした。
「君、東京地下街って言ってたよね?この地図にはそんな場所、載ってないんだけど」
「ああ……ここに籠りっぱなしだから、知らないのか」
シュウヤは十五年前のことや地下居住区のことなど、アラタが知らないであろうことを思いつくだけ話した。アラタはシュウヤの話にすっかり聞き入っていた。
「そんなことが起こってたのか……。本だけじゃわからないこともたくさんあるね」
アラタはシュウヤがここに来てから始めて見せる、どこか影のある笑みを浮かべた。
「眺めのいいところ?そりゃまたずいぶんアバウトな……」
シュウヤが呆れたように言った。そろそろ出発しようとしたシュウヤに、アラタはここよりも眺めがいいところに連れて行ってくれ、と頼んだのだ。とことん何を考えているかわからない少年だ。防雨コートさえ着ていれば雨に関しては問題ないだろうが、いかんせん心当たりがない。
内心困り果てているシュウヤに、アラタは両手を合わせて頼み込む。
「お願い!もう出てっちゃうんだろう?一番近いところでいいからさあ」
「はあ……。地下居住区にはどっちにしろ連れてくつもりだったけど、眺めのいい……あ、そうだ」
何かを思い出した様子のシュウヤに、アラタはパッと顔を上げた。
「この山、結構高いみたいだから……頂上はかなり眺めがいいんじゃないか?」
「き……聞いてない!僕の家、こんな、ぜぇ、高山にあったの!?」
びゅう、とアラタの体を冷たい風が押し戻す。高山という単語は、まさにこの山にぴったりだった。シュウヤとアラタがしばらく登ったところで森は途絶え、黄緑色の草原が広がりだし、更に登ると見たことのない植物が生えだした。
そして今は、その植物さえ見当たらなくなり、灰色の大きな石がごろごろと転がる緩やかな坂道に差し掛かっていた。勾配そのものは大してきつくないのだが、空気が薄い。
「おーい、おせーぞー。男ならこのくらい気合いで登れー」
シュウヤが振り返って、だいぶ後ろのほうをよろよろと歩いている白いシルエットに呼びかけた。シュウヤに疲れた様子は全くない。登り始めてから全くペースも落ちていなかった。
「君、化物か!」
「魔法使いって言ったり化物って言ったり、そんなにオレを人外呼ばわりしたいのか?」
「人外だろ!」
「わかったわかった。ほら、山頂もうすぐだぞ」
シュウヤの指差す先に、木でできた細長い標識が見えてきていた。
先に山頂に着いたのはシュウヤだった。アラタはその数分後に息も絶え絶えでシュウヤの脇に並んだ。
「つ、ついたあ……」
ぜえぜえと肩で息をつくアラタを見下ろして、シュウヤは、あー……と気まずそうな声を出した。
「せっかくここまで登ったけど……眺めがいい、とは言えないみたいだ」
「え?」
アラタは顔を上げて、シュウヤが指をさす先を見下ろした。
そこは、真っ白な雲海だった。綿のような雲が足元からどこまでも広がっていて、ここだけが別世界のようだった。
アラタは息をするのも忘れていた。シュウヤはその様子をちらりと見て、言った。
「あー、悪いな……」
「違う……」
アラタが首を横に振った。
「うん、だよな。どこか別のところを、」
「違うんだ。……最高だよ」
ヘルメットの穴から見えるアラタの目が、輝いていた。シュウヤは口をつぐむ。眼下に広がる景色が、彼の目を捉えて離さないようだった。
「君は……いつもこんな景色を見てるのかい?」
「いつもってわけじゃない。山に登ることはたまにあるけどな」
アラタはシュウヤを振り向いた。その目は静かで、いつになく真剣だ。
「どうして旅をしてるの?」
シュウヤはどう答えるべきか一瞬考えたが、次の瞬間には言葉が口を突いて出ていた。
「オレは、世界のすべてをこの目で見るって決めたんだ。そのためならどんな努力も惜しまない。何故か拾ったこの命を、オレはこの目標のために使うと決めた」
そこまで言って、シュウヤはふっと薄く笑った。
「それで、オレが見たものをあいつらに持って行ってやるってな」
アラタは長いこと何も言わなかった。
ゆっくりと雲を見下ろして、再び目を上げた時には何か覚悟を決めたようだった。
「シュウヤくん。僕も、連れて行ってくれ」
シュウヤはなにか聞き間違えたのかと思った。聞きなおそうとして、アラタの真剣な表情がヘルメットの中に見えた。
アラタは果てしなく広がる雲海へと再び目線を落とした。
「僕、本当はここで死のうと思ったんだ」
「はあ!?」
思わず声を上げたシュウヤに、アラタは申し訳なさそうに笑ってみせた。
「だましてごめんね。……僕、おじいちゃんを尊敬しているんだ。おばあちゃんも。お父さんもお母さんも、みんな尊敬している。すごい人たちだよ。だからきっと、みんな天国に行ったと思うんだ。すごい人は天国に行くものだからさ。でも、」
アラタは自嘲気味に言う。
「僕はすごい人じゃない。だからと言って悪いことをしたわけでもないし、その勇気もない。僕はずっと何もできない弱虫だった。だから考えたんだ。天国にも地獄にも行けない僕は、無になるに違いないって。僕の意識は消えて、あの世にもこの世にも、思い出してくれる人はいなくなる」
アラタは一旦言葉を区切った。シュウヤは何も言わずに聞いている。
「お母さんが雨に打たれたとき、僕……綺麗だと思ってしまったんだ。死ぬ前に翼を手に入れるなんて、幻想的じゃないか。どうせ無になるんだ、僕もそんな死を遂げたいと思ったっていいだろ?だから君に頼んで、ここに連れてきてもらった。ここはちょうどいいよ。雲の上で、翼を持って死ねるんだから。……でも、君の話を聞いて考えが変わっちゃったよ。君が目標を見据えて生きているのが、かっこいいと思ってしまった。やっぱり僕、幻想的に死ぬよりも最後までかっこよく生きたい」
アラタがにっと笑った。
「死ぬ死ぬ言うなよ……」
シュウヤはそう言いながら困ったように笑った。そういう理由で一緒に行きたいというのなら、シュウヤには止める理由がない。
「……わかった」
「本当かい!?」
「ただし条件がある!」
シュウヤが指を二本立てた。アラタは口をつぐむ。
「まずその防雨スーツは外にいる間絶対に脱がない事。あと、お前はもっと体力をつけろ」
アラタが目をぱちくりした。
「……それだけ?」
「それだけって何だ。自分の体力の無さ加減自覚してないだろ」
「わかってるよ。よろしく、シュウヤくん!」
アラタは威勢よく言って右手を突き出した。シュウヤはその手をパシンと勢いよく取った。
「おう、頑張ろうぜ、アラタ!」
こうして、シュウヤの旅路に騒がしい同行者が一人増えた。




