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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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カレー、農村、サバイバル

 ミヤ・マヤと出会ってから一週間、地上に出てからはや五年。

 シュウヤは建物一つ見当たらない辺境の道路を歩いていた。アスファルトの道路はそこそこ広くて綺麗だが、むしろその綺麗さが利用者が少なかったであろうことを物語っている。左手には青々とした木々が生い茂り、右手は緩やかな下り坂だ。等間隔で立つ電柱の合間に立っている標識が、根元から斜めにひしゃげていた。

「大丈夫かこれ……さっきから少なくとも二時間は何の建物も見かけてないぞ……」

 シュウヤは腕時計をちらりと見ながら途方に暮れた調子で言った。ちなみに二時間前に見かけた建物とは無人の野菜販売所である。

 彼は今朝、ここから南にある小さな集落らしきところから出発した。日暮れまでには次の村か町かにたどり着けるだろうなどと楽観視していたのだが、どうやら日本の田舎というのはそんなに甘くないらしい。朝からずっと歩いてもう昼過ぎなのに、町どころか人の住んでいた場所にさえたどり着ける気がしない。

 真夏の昼過ぎだ。木々に遮られて日は当たらないが、じっとりとした湿気が余計に体感温度を上げている。荷物は最低限にしているにもかかわらず、リュックと背中の間が汗でびしょびしょだった。

「せめて水……。普段は無駄に降るくせに、なんでこういう時に限って降って来ねえんだよ……」

 シュウヤは雨に対して言ってもしょうがない文句を言いつつ、真っ青な空を恨めしげに見上げた。


 拷問のような暑さに虚ろになってきた頃、ようやく道路わきに建物が見え始めた。

「おっ、これは……」

 死んだ魚のようだったシュウヤの目に生気が戻ってくる。建物にはレストランなどもちらほら混ざっている。人の住む場所が近い証拠だ。さらにシュウヤが進むにつれて、ギラギラと照っていた太陽が陰り始めた。

「曇るならもうちょっと早くしてくれよ……。照りっぱなしよりはいいけどさ」

 シュウヤが村らしき場所にたどり着いたときには、太陽はすっかり姿を隠し、空は薄い雲で覆われていた。

 シュウヤはリュックの肩ひもを片方はずして背中に風を通しながら、村の中を歩いた。

 農村だろうか。村の中に雑木林が点在していて、民家にはそれぞれ小さな畑がついている。十五年も手入れされていないので、どの畑も畑と言えるかどうか怪しいぐらい雑草でいっぱいだ。

「こりゃまた、不便そうな村だな」

 二つの民家の間に生えた巨木を見上げながら、シュウヤは呟いた。

「ん?」

 ふと、シュウヤの目が一軒の建物に吸い寄せられた。他の民家よりも背の低いその建物には入口に茶色く錆びた看板が掲げてあった。文字がかすれて読みにくいが、標準言語で「レジャー・電器・文具」と書いてあるようだ。

「ラッキー」


 横開きのガラス戸を足で蹴り破って中に入ると、分厚く積もっていた埃が一気に舞い上がった。

「げほっげほっ」

 シュウヤは腕で口元を覆いつつ、店の中に入る。中は薄暗いが、シュウヤはこういうところにも慣れているので、入り口から入る少しの光でも店の中が見渡せた。中には様々な種類の電源コードから、ボールペンなどの文房具まで統一感無く置かれていた。

 シュウヤは文房具の売り場でカッターナイフの替え刃が入った箱を見つけると、中身だけごっそり取り出して、もう片手で持っていたリュックを開いた。中には生活に必要なものが、シュウヤにとって一番わかりやすい配置で詰め込まれている。使わない防雨コートがかなり場所を取っているが、役に立つこともありそうなので捨てられないでいる。

 彼はそのリュックの中から細長いケースを取り出して開く。中には同じような替え刃が二枚だけ残っていた。彼はケースの替え刃を補充してリュックに戻した。ついでに、隣にあったガスボンベも何本か放り込む。

「無くなる前に補充できてよかったわ。何かと役に立つからな」

 シュウヤはそう言いながら店の奥を覗き込むと、何本か置き去りにされているペットボトルを見つけた。彼はそのうち一本を取り上げ、何のためらいもなく一口飲んだ。

 残りをリュックにしまいながら、彼は入口まで出てきて外を見た。日は陰ったままで、気温も少し下がってきている。

「これならいけるか……」

 シュウヤはリュックを背負いなおして、おもむろに屈伸運動を始めた。


 一定のペースを保ちつつ、村の中を走る。背中で揺れる荷物はかなり重いが、そのくらいはいい負荷だ。

 夕方の走り込みは日課になっていた。徒歩で世界一周を目指すなら体力を鍛えなければと、地上に出てから始めたことだ。本当は朝もやりたいところだが、それをすると一日の移動距離が減ってしまう。水分補給が必要になるから移動と走り込みは同時にはできないのだ。

 村の中心部から少し離れると一気に視界が開けて、辺り一面が田んぼになった。あまり離れると今日泊まるところがなくなるから、ちょうどいい辺りで引き返そうと思った時、シュウヤの足が止まった。

「……」

 少し大きめの集会場風の建物のそばに、人一人通れそうな大きめの穴が開いていた。少しのぞくと、奥の方に頑丈そうなガラスがはまっている。そのガラスには、なぜか下から十字にガムテープが貼ってあった。

 見覚えがあり過ぎるそれは、間違いなく地下居住区の「窓」だ。この下に、今も村を追い出された人たちが住んでいる。のどかで、ただ人がいないだけに見えるこの村も、十五年前に世界の終わりを味わったのだ。

 シュウヤは穴から目を背けてまた走り出した。ミヤとマヤには「地下居住区に連れて行く」などと言ってみせたが、実際にはシュウヤも五年前のあの日から地下には一度も入っていなかった。ここと同じように、地下居住区がある場所を知っているだけ。誰かを助けるという名目のもとなら、地下居住区に押しかける勇気も出るかも知れないと思ったのだが、二人はそれを待たずに逝ってしまった。シュウヤと出会わなければ、二人は死なずに済んだのだろうか。

「いや、後悔するな」

 シュウヤは自分に言い聞かせるように呟く。前に進むのだ。世界のすべてを見ると決めたじゃないか。

 唐突に、頬にピリッと痺れを感じた。見上げると空にかかる雲がいつの間にかどんよりと重いものに変わっていた。しばらくも経たないうちに、バケツをひっくり返したような激しい雨が降りだした。

「いたたたた痛い痛い!」

 シュウヤはどこか雨宿りできる場所を探して走る速度を上げた。地上に出て気付いたのだが、「羽化」しないとはいえ雨が当たれば痺れは来る。しかも長時間浴びているとピリピリがビリビリになってかなり痛い。特に、背中の、肩甲骨のあたりがじんじん痛む。意味もなく痛むだけというのもなかなかきつい。

 シュウヤは民家の勝手口が開いているのを見つけてそこに飛び込んだ。


「あ゛ー……」

 シュウヤは疲れ切った声を上げて膝に手をついた。

「まだ夕方なのにストーム級かよ、やってらんねー」

 シュウヤは勝手口から外を見ながらぼやいた。

 ストーム級というのは、ミヤにもらった紙に書いてあった、雨の階級の一つだ。三段階の真ん中で、説明を読んだところによると朝と夜中に降ることが多いらしい。

「いや、こういうわけわかんねえのはスコールって言うんだっけ?ストーム級のスコール……」

 シュウヤは自分で言って鼻で笑った。

「ややこし」

 改めて周りを見回すと、そこは非常に生活感あふれる台所だった。シュウヤは失礼ながら中を漁らせてもらうことにした。

 電源の切れた冷蔵庫はカビ様の独壇場なので手を出さない。十五年経って食料に使えるのは、保存食の類だけだ。そういうものがしまってありそうな戸棚を片っ端から開けていく。

「なんだこれ?」

 見たことの無いものを見つけて、取りだしてみた。プラスチックのパッケージに何か書いてある。シュウヤは目を凝らして読む。

「ぞ・う・か・わ・か・め。……わかめって海藻だよな。増加?」

 シュウヤはとりあえず開けてにおいを嗅いでから、中身の黒い物体を恐る恐る口に入れた。

 ぽりっ。

「……うまい」

 そう言いつつも、やはり得体が知れないので残りは元に戻しておいた。

「変な食べ物があるもんだな」


 結局雨が止まないので、今日はその民家で夜を明かすことにした。シュウヤは携帯コンロに湯を沸かして温めたレトルトカレーを袋から食べながら、ぼんやりと窓の外を眺める。

「やっぱカレーは外れないよなー」

 このレトルトカレーもさっき見つけたものだ。今食べているもの以外はリュックにしまっておいた。

 窓の外はまだ雨が降り続いている。雲がかかっているせいで見えないが、外がすっかり暗くなっているからもう日は沈んだのだろう。窓から見えるのは大体が田んぼで、少し離れたところから森が始まっていた。さっき走っていた時に、近くに山が見えていた。あの森は山の入り口と言ったところか。

「山登りもいいかもなー……」

 走り込みを途中で切り上げたせいで体力の余っているシュウヤは、カレーを口に運びながらそう呟いた。


 思い立ったらすぐ実行。やりたいようにできるのが一人旅のメリットだ。

 というわけで、シュウヤは次の朝、さっそく山登りを開始した。有酸素運動は体力をつけるのにもってこいだ。今日一日はトレーニングにあてよう。

 ……というのは半分建前で、実は村を渡り歩くだけの毎日に飽きて来ていたのだ。

 シュウヤは道なき道を登りながら、山頂があるであろう方向を見上げた。昨日の民家から見たところ、そこそこ高い山のようだ。天気は晴れ、昨日より少し温度が低い。山登りにはうってつけだ。

 どこからか水の音が聞こえてきた。そちらに向かって歩くと、案外近くに細い川を発見した。ちょうどいいので、シュウヤはその川を遡ってみることにした。

「そうそう、こういうのが冒険ってもんだよな。無人の店に入って万引きするようなのはサバイバルって言わないんだよ」

 シュウヤは妙な充実感を覚えつつ、川に沿って山を登って行った。日頃の体力作りに加えて、毎日ほぼ一日中歩いているおかげか、石やら木の根やらででこぼこした山道も大して苦にならない。

 しばらく行くと、山道の途中に一軒の小屋が現れた。

「うわ、なんか生活感ある。すげー猛者だな」

 シュウヤは玄関の脇に置かれた洗濯物かごを見て半分呆れたように言った。しかも驚いたことに、さっきまでシュウヤがたどってきた川がその小屋の中に続いている。

 わざわざ川の上に家を建てるだろうか、と訝しげに思いながらシュウヤは小屋の裏手に回った。しかし小屋の外を一回りしても、川の入っていく場所は見つけられなかった。どうも水源は小屋の中にあるようだ。

「水源独占してやがる」

 ふと目を上げると、その小屋から飛び出すように作られた温室が目に入った。シュウヤは目を疑う。中に生えているのは食べられる野菜ばかりで、どれも誰かが手入れしているように整っていた。しかも地面には雑草一本生えていない。

「なんだこれ、どうなってんだ?」

 ドンドンッ、ドン!!

 シュウヤは思わずびくっと身を縮めた。小屋の中から、何かを叩くような音がする。というより、内側から壁を叩いているような。

「誰か、いんのか……?」

 口にしてから、いや、と頭の中で否定する。いくらなんでも地上で、一週間に二回も人に会うなんてあり得ない。きっと鹿か何かだ。鹿がこの中に住んでいて、今壁を叩いてるのも鹿で、そいつが温室を綺麗に管理して……、

「……なわけないか」

 ぼそっと呟きつつ、シュウヤは恐る恐る入り口側に回り込んだ。ドンドンという音はまだ続いている。シュウヤは戸に手を伸ばしながら自分に言い聞かせるように言った。

「いやいや、ねーよ。人間はない。雨から逃げながらこんな山奥で生き残れたら、そりゃもうむしろ人間じゃない」

 シュウヤは小屋の戸に手をかけ、思い切って開けた。

「うわあ!?」

 中から、突然扉が開いてバランスを崩したらしい、一人の少年、と思われる人物が転がり出た。というのも、伸び放題でぼっさぼさの黒い髪で覆い隠されて、顔が全く見えないのだ。

 ……ああ、こんなの、つい最近に見た気がする。そうだ、

「増加わかめだ……」

 もはやこれ以上考えるのを諦めたシュウヤが呟いた。

 少年(?)は急いで立ち上がると、シュウヤを見上げ、喜々とした口調で言った。

「君も魔法使いなのかい!?」

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