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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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「話は終わったのか」

 覚悟を決めたように向き直り、再び武器も持たずに近付いてくるシュウヤを見てシロップは冷たい声を向けた。

「お前を説得する準備ができた」

「説得?どうやら本当に戦う気が失せたようだな」

「ああ、失せたよ」

 シロップの目が蔑むように細められる。シュウヤは気にせずに話しかけた。

「ここまで長い旅をしてきた。メノルやコナーの言うことを信じるなら、オレたちはこの星をほぼ一周してきたことになる。その間にスーと出会い、コナーと戦い、メノルと話してこの世界の事を知った。アラタと会って、クルミと再会もできた。お前とだって。思い出してくれ」

「思い出せ?私が忘れていることなんて無い。すべてを覚えている。その上で言っているのだ、ここで死ねと。邪魔をしないでくれ。私がこの力を手に入れるまでどれだけ苦しんだか」

 シロップの顔が怒りで歪んでいる。

「いいや、思い出してない。シロップ、お前は何も思い出していない。知っているだけでは覚えていることにはならないだろ。オレはもうリーアの感じていた感情を思い出すことはできないけど、お前にはまだできるはずだ。思い出せ、山形の人たちの事をお前はどう思っていた?アラタの事は?お前、あの時再会できて喜んでたよな。ここに来るまでいろいろあっただろ。それに、そいつは?」

 シュウヤの指がシロップの鼻先をまっすぐ指差す。彼女は僅かに身じろいだ。

「カトルはどうなんだ。お前は確かに羽化したいとずっと言っていたが、そいつを選んだのはもっと他に理由があったんだろ?助けたいと思ったんじゃないのか。そいつを解放してやらなくていいのか?」

「黙れ」

 シロップが犬歯を剥いて唸る。まるで何かに抵抗しているように。

「確かに私がカトル・エギルの後継となったのは彼に同情のようなものを覚えると同時に希望を教えてやりたいと思ったから、というのもある。しかしその考えはもう変わった。やはりカトルの考えは避けようもなく正しかった。そもそもこの星をこのような有り様にしたのは、人間なのだ」

「……そうだな、全ての責任を開拓軍や世界連合に押し付けるのは間違ってるかもしれない」

 でも、それだけで否定できない可能性が人間にはある。

「思い出してくれ、お前がここに来るまでに出会った人々の事を」

 その途端、シロップの目が見開かれた。

「……っ!?」

 彼女は頭を両手で抑え、地面に膝をつく。

「な、にを……?」

 唖然とした声を出しながら、シロップは自分の目を覆う。目の前の何かを見ないように抵抗しているような仕草だった。

「二人分の記憶の欠片をあなたに送った。あなたが持っているはずだった記憶」

 顔を上げるシロップにスーが淡々と言う。

 スーが彼女の頭に送り込んだのはシュウヤとクルミの持つシロップの記憶だった。スーの隣に立つクルミが静かな表情でシロップを見ていた。しかしその表情はどこか緊張しているようでもあった。

「……頑張って」

 ぽつりと呟かれた一言。

 シロップの頭に送り込まれた記憶の欠片は彼女自身の記憶を呼び出す引き金となり、今、彼女自身の中に残る「シロップ」を呼び起こそうとしているはずだ。

 やがて彼女が目を覆っていた手をだらりと下ろす。

「……あ、」

 彼女は再び顔を上げた。

 その瞳に、あの見慣れた光を灯して。

「シロップ!」

 彼女は驚いたような表情で周りを見回し、自分の手を見下ろし、そして背中の翼を見た。

「シロップ、『羽化』したんだ」

 さっきよりもやや舌っ足らずな、しかし幼かった愚者のシロップよりも大人びた口調で彼女はそう呟いた。

「……はは」

 シュウヤはかくりと膝をついた。安堵のせいか、先ほどまでの恐怖と緊張がまだ残っているのか。どちらにしろ、情けないことにしばらく膝が立ちそうになかった。

 ここにいるのはシロップであり、カトル・エギルだ。二人は今、同じ賢者となって目の前に立っている。

 シロップがにっと子供っぽい笑みを浮かべた。シュウヤは笑い返す。ああこれで、ようやくこれで。

「うわあ、すっご!」

 自分の出した白い空間を見回して驚きながら、シロップがはしゃいでいる。クルミは彼女に笑いかけて、言った。

「この外に、私たちに協力してくれた人たちがいるの。ここ、開けてくれる?」

「おー、いいよ!」

 シロップは賢者とは思えないような輝く笑顔を浮かべ、両手を掲げた。同時に銀色の翼がぶわっと広がる。


 ……白い空間が消えて、シュウヤは心臓が凍りつくのを感じた。

 東京地下街を出て絶望を味わったあの日から、ずっとここまで旅をしてきた。旅の中で様々なことを知り、力を手に入れ、悲劇を終わらせると心に誓ってここまで来た。

 ようやく、誰もが幸せになる終わりが訪れると思ったのに。どうしてこんなところで、あの日と同じ絶望を味わわねばならない。

 ――空間の外は、土砂降りの雨だった。

 ストーム級か。カラミティ級でもあり得る。どちらにしろこんな雨の中では雨宿りに走る暇も、機械翼の防御形態を展開する時間もない。

「クルミ……」

 何のためにここまでやってきたのか。死の雨を止めたかったのに。ここまで来ても雨は、希望を断とうとするのか。

 手足が痺れた。

 シュウヤは暴れ出す心臓を押さえつけながら後ろを振り返り――きょとんとした顔のクルミと目が合った。

「あれ?」

 クルミは瞬きを繰り返しながら自分の両手を見る。彼女の黒い髪を伝った雨粒が手の中にぽたぽたと落ちた。

「シュウヤ!クルミ!スー!」

 聞き慣れた声に、シュウヤとクルミはパッと振り返った。機械翼も身に着けないアラタが同じくずぶ濡れで走ってくる。その後ろからは、こちらは機械翼を身に着けているのに防御形態を開かずに走る黒い軍服姿が大勢ついて来ていた。

「おお!?もしかして、シロップかい!?」

 アラタはシュウヤたちの前で立ち止まると、目を丸くして驚きの声を上げた。いつの間にかまた伸びだした髪が濡れて目にかかり邪魔そうだ。

「いや、それよりも、なんだよこれ!」

 シュウヤはバシャッと水しぶきを上げて立ち上がる。雨はどうやら本降りになってきていた。

 アラタが満面の笑みを浮かべ、返事は後から追いついてきたメイフィールドが引き継いだ。

「隊長たちがやってくれたんだ。ナイトメア級発生区域だったところから、今賢者の血の効果を打ち消す薬のようなものが打ち上げられているところだ」

 シュウヤは口をパクパク動かした。全く現実味がない。

 しかし、事実だ。いくら雨を浴びても痺れが来ない。さっき感じたのは過度の動揺から来る錯覚か。背中も全く痛くなかった。

 少しして、巨大都市中にメノルの声で放送が流れた。

 ――巨大都市にいるの皆さん。先ほど、我々バジリカを陥落させました。雨により進行中だったの実験、地球からじきに中止命令来るでしょう。我々は、自由です!

 この放送で残りの開拓軍が唖然としたのは言うまでもない。その中にはバジリカの陥落を喜ぶ者も少なくなかったという。

 こうして、十五年間続いた死の雨はようやくその終わりを迎えたのだった。


「これからどうするの?」

 振り返ると、クルミが立っていた。

 ここは巨大都市の入り口近く。今は巨大な足場が組み上げられ、その上に巨大な鉄塊が乗っていた。どうやらこれが宇宙船というらしい。

 あの後雨はしばらく止まず、メノルたちと合流したシュウヤたちはバジリカで全員と顔を合わせていた。

 いつの間にか大所帯になってしまったものだ。最初はシュウヤ一人だったのに、今は隠れ家のメンバーに加えて巨大都市の戦いで仲間になった元開拓軍のメンバーも大勢加わっている。

「私は、地球に帰るます」

 一番最初に言ったのはメノルだった。

「お父さんとお兄さんに報告すること、山の如し。賢者と愚者のデータも取れたので」

 本当に満足しているらしくメノルはにこにこと上機嫌だ。彼女とはもう会うことは無いかも知れない。

「俺も帰る」

 コナーがそれに続き、対照的な低調子で言った。メノルのように理由は言おうとしないが、彼がそう言いだすであろうことは想像がついていた。彼の故郷は、どこにいようとあの星なのだ。

 それに今回の帰還はそれだけが理由ではない。開拓軍隊長、クレール・リュフワ。今や犯罪者となった彼の身柄を地球の警察組織に届けるためでもあるらしい。

 マシューも同じようにコナーに続いた。他の軍人たちも地球に帰るのが大半のようだ。しかし、それに続いてアラタまで手を上げた時には驚いた。

「え?アラタも行くのか?」

「ああ、だって別の星だよ?宇宙船にも乗ってみたいじゃないか」

 彼の欲はいつも通り知識欲だけに傾いているようだ。それはそれでアラタらしいと思った。

「みんな、今までありがとう」

 彼は爽やかに言った。

「ああ、こちらこそありがとな」

 続いて、全員の視線は自然とこの場にいる二人の賢者、スーとシロップに向いた。翼をしまっていても目に眩しい金色と銀色の輝きは正直、この場に一番馴染んでいなかった。

 スーは静かに瞬く。

「他の賢者を探すわ。彼女が賢者化したから、しばらくしたらもう一人愚者が生まれるはずだし」

 彼女、と言いながらシロップを視線で示す。シロップはうんうんと頷いて朗らかに言った。

「じゃあ、シロップもそうする」

「俺は東京に帰ろう」

 最後にイサミがシュウヤに目を向けながら言った。

「戻ったらいろいろやることもあるはずだ。地上に戻るのにも時間がかかる。シュウヤ、お前はお前の好きなようにするといい」

 そう言ったイサミは、その次の日には東京へ向かい旅立って行った。

 今日は宇宙船を積んだロケットの発射日だった。シュウヤはクルミと並んで立ち、その巨大な鉄の塊を見上げる。

「オレは、これから大陸を渡って地下居住区を回ろうと思う。開拓軍が崩壊したんだ、もしかしたら死の雨が止んだことにまだ気付いてない人たちもいるかもしれないからな。もしそうじゃなくても、オレにできることがあるなら手伝って行きたいんだ。クルミは?」

 ちらりと目を向けると、彼女の顔が小さく曇った。

「私は……、どうしようかな。上海に戻っても歓迎されるとは思えないし」

 東京の事が出て来ないのは、長い間離れて暮らしたあの土地はクルミにとって故郷と思える場所ではないからだろう。

「じゃあ、オレと一緒に来るか?」

 クルミがパッとこちらを向く。

「いいの?」

「お前がいいなら」

 クルミは目を丸くしてしばらくシュウヤの顔を見ていたが、ほんの少し視線を泳がせ、視線を宇宙船へと戻した。その頬は微かに色づいていた。

「お……発射されるみたいだぞ」

 カウントダウンの放送が流れる。二人は煙を吐き始めた宇宙船を注視する。

 今日の天気は晴れ。雨など到底降りそうもない快晴だ。

 カウントダウンがゼロを告げると同時にロケットから赤い炎がゴウッと噴き出し、見るからに重そうな鉄塊をゆっくりと天上へと持ち上げていく。

 地球が次にこの星に近付くのは十五年後。それまでは、彼らと再び会うことは無いだろう。

 二人は、雲一つない青空の向こうに宇宙船の光が消えていくのを最後まで見守っていた。

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