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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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黒の双翼

 黒い路地をただひたすらに走る。

 手の中には小さな通信機。画面には大まかな地図と、その中に赤い点がいくつか示されていた。その中の一つ、「3」と示されたポイントに向かってシュウヤは迷路のような細道を走り抜けた。見れば見るほどそのそっけない赤い点さえ弱弱しく見えてきて、自然走るペースも速くなる。

 最後の角を曲がって、ようやく目の前に人影が見えた。

「クルミ!」

 手前の二人が振り返り、シュウヤは急ブレーキで立ち止まった。

「おー、シュウヤ!」

 無邪気に喜ぶシロップ。そしてその隣にはこれまた見知った顔があった。

「カトル・エギル」

「あれ、君は僕の名前を知ってたんだっけ」

 そういう少年は以前に会った時とは明らかに違う。背中に広がる黒い翼が腹の底から湧き上がる絶望的な恐怖心を誘う。

 カトルは目を細めて記憶の中を探るような仕草をし、まあいいや、と呟いた。

「シュウヤ!」

 耳が求めていた声に反応し、パッとそちらに目を向ける。

 クルミはカトルの頭の向こうでウォッチマンゼロを抱え、縋るような目でシュウヤを見ていた。

「安心しろ。もう大丈夫だ」

 シュウヤは腰の剣をすうっと抜き放つとカトルの顔に向かって突きつけた。今まで重いと思っていたのが嘘みたいだ。今はこのくらいがちょうどいい。シュウヤはそれを片手で構えると、カトルに静かな敵意の目を向けた。

「戦う気満々みたいだね」

 カトルは子供らしからぬ落ち着いた声でそう言うと、シロップに下がるよう指示した。シロップはきょとんとしてほんの少しだけ背の高いカトルを見上げた後、にっこりと笑うと後ろに下がった。

 あいつは完全に敵の手の内か、とシュウヤの冷静な部分がそう判断する。

「君の正体はこちらでもだいたい分かってるんだ。考えてみれば僕が見たことのない賢者なんているはずがない。君は新しく生まれた賢者……リーア・ラッグの後継者だろう。そう考えれば愚者の、シロップの存在にも説明がつくからね。彼女はすでにこの世にはいない。違うかい?」

 シュウヤは答えず、カトルを見極めるように見た。こんな見た目でも賢者、頭は回るらしい。

「答える必要があるのか」

「無いね。答えは分かってるし」

 カトルは狭い路地の壁に片手をついた。黒い壁に小さなひびが入る。

 次の瞬間、爆音と共に路地の片側が吹き飛んだ。一秒遅れて爆風が来る。ちらりと目を向けると、カトルの手を中心に向こう数十メートルが更地になっていた。

「これで自由に暴れられるね。僕も――君も」

「……」

 シュウヤは黙って意識を集中させる。背中に徐々に力が集まり、ピリッと小さな痛みが走る。

 ――掴んだ。

 ぶわりと、シュウヤの背中から黒い翼が広がった。

 向かい合う二対の翼。両者から滲み出る凄まじい威圧感。離れて見ていたクルミが小さく身を縮める。

 先に空中に舞い上がったのはカトルの方だった。緩やかに翼を動かして最小限の力で空気をからめとるその動きは、まるで重力が彼に味方をしているようだ。

 シュウヤはこの少年を知っていた。

 知っている。覚えている。彼が生まれた時も、生まれる前も。カトル・エギルと言うこの賢者を、シュウヤは他の賢者を知っているのと同じように覚えていた。

 しかしそんなことは今のシュウヤにはどうでもよかった。きっとリーアでもそうするだろう。暴走している仲間がいたら力づくにでも止めようとするはずだ。それもシュウヤは知っていた。

「なら、」

 黒い翼が力強く空気を掴み、シュウヤの体を押し上げる。

「何の躊躇もいらないな」

 手に持つ剣はさっき以上に軽かった。それを構えて、相手を見据える。

 開始の合図は無かったが、二人が動き出すのは同時だった。シュウヤは剣を振り、カトルは素手。一見カトルが明らかに不利に見えるこの戦いは、しかし今のところ拮抗していた。

 いや、互角じゃない。

 シュウヤは歯を食いしばる。互いの翼が持つ力は同じ。だがカトルはそれを最大限に引き出していた。

「くっ!」

 危うく避けた相手の攻撃が翼をかすめて行った。鈍い痛みに顔をしかめる。

 対する相手はにこりと微笑む余裕さえ見せて、

「どうしたの?君の態度から、もう少し強いのかと思っていたんだけど」

 シュウヤはふーっと息をつく。同じ翼同士では、ものを言うのは経験差だ。スーの言葉が頭に蘇る。

「あなたはリーアにはならないみたい」と、スーはそう言った。

「きっと、あなたがもともと人間だから。ただ記憶を共有するだけ。リーアの感覚や価値観があなたに受け継がれることは無いわ」

 彼女はうっすらと悲しげに目を細めて、

「あなたには私の記憶も送っておいたわ。これで記憶だけは賢者だけど、戦うのなら役に立たない」

 そう言ったのだ。

 確かにリーアの記憶から、翼を自分の意思で発動させる方法は分かった。それでカトルが倒せるわけじゃないし、経験でカトルに勝てるはずもない。でも、

 視線を落とすと、クルミの姿が小さく見えた。

 だからって、諦められるわけがないじゃないか。

 シュウヤは右手で持っていた剣を両手で持ち、強く握りしめた。

 やってやる。

 やってやる、やってやる、やってやる!!

 シュウヤの手と柄の間に、青白い雷のようなものがパリッと走った。その雷が剣身を走り抜け、その後を追いかけるように刃が真っ黒に染まる。

 心なしかさっきよりも重さを増した剣を手に、シュウヤは息を整えカトルを正面から見据えた。

「……武器強化?エギルにそんな力が……」

 カトルは初めて驚いたような表情を浮かべる。シュウヤは素早く息を吸うと、黒い剣を持って飛び込んでいった。


 窓の外で爆発が起こったようだ。誰かが戦っているのだろう。イサミはそれを片目で眺めてから目の前の男に顔を戻した。

 開拓軍の最高司令官にして軍隊長、クレールは全くもって似合わない機械翼オートフェーダーをこれまた慣れない手で構え、イサミに怒りで濁った目を向けていた。

「それでどうするつもりだ?」

「阿呆め、分からないのか?ここで貴様は消えるんだ。物理的にも、紙の上でもな!」

「へえ」

 心底見下した目を向けられて、そういう顔を向けられ慣れていないクレールは一瞬ひるんだ。しかしすぐに立ち直って、スクリーンシューターを持ち上げ直す。

「状況がわかっていないのか?貴様は誰に対して牙を剥いたのかもわかっていないんだな」

「分かっているさ。この星のトップであらせられるところの軍隊長様だろ」

 クレールは皮肉に気付かなかったのか胸を張って、

「その通りだ」

 と答えた。

「軍隊長だ。下に何千の兵がついているのかもわかるだろう?今に増援が来る。私が貴様を殺せなくても、奴らが袋叩きにするだろう。私が殺せないことなど無いがな!」

 殺せない前提の話が先に出てきてしまうあたりにこの男の限界がある。さっき増援は来ないと言ったのを覚えていないのだろうか。

「俺としては早いうちに諦めることをお勧めする。黙ってこちらの要求を呑んでおけ。それがお前の為にもなる」

「は、戯けた事を。先ほどから私のことをお前お前と、何様のつもりだ?よく状況を考えろ!追い詰められているのは貴様の方だろう!」

 イサミは自分と相手の格好を見比べてなるほど、と小さく頷いた。相手は武装していて、こちらは丸腰、防御手段も無い。おまけにここは敵の本拠地だ。

「分かったか。貴様こそ援軍が来ないうちに謝っておくんだな!」

 クレールがそう言うと同時に、背後の扉がガタンと音を立てる。

 ――ガタン、ガンッ、ガンッ

 続いて扉を破ろうとするような乱暴な音。それが聞こえた途端、クレールの脂肪のたまった顔が勝ち誇った表情に歪められた。

「来るといったろう、援軍が!」

 イサミは視界の端にクレールの姿を捉えたまま、ちらりと後ろを見た。扉は少しずつ歪み、いまにも壊れそうだ。

「確かに、援軍が来たらしい」

 冷静な彼の声に、クレールは一層笑みを大きくする。

 その直後、扉はひときわ大きな悲鳴を上げて派手に内側に倒れ込んだ。


 強力になった武器を相手に、カトルは焦りの表情を見せていた。今まで見せなかったその表情にシュウヤは確かな手ごたえを感じる。これならあるいは、いけるかも知れない。

「ふっ!」

 翼を勢い良く動かすと同時に、全力の一撃。これがとうとうカトルの右翼に直撃した。

「……!」

 ぐらり、カトルの体勢が崩れ、回転しながら地面へと落ちてゆく。シュウヤは翼をぐっと体に近付けてそれを追いかけた。

 カトルが地面に直撃し、ガラガラと黒い瓦礫が崩れる。シュウヤはその直前で翼を広げて勢いを殺すと、ゆっくりとその側に降り立った。

 すぐにカトルが瓦礫の下から顔を出す。しかしその顔は痛みに歪み、翼は傷つき血が出ていた。翼の傷は見ている間にもほんの僅かずつじわじわと回復しているのがわかった。

 シュウヤが近付くと、じとりと睨みつけてくる。

「僕を痛めつけたいなら、そうすればいい。君は仲間の賢者を苦しめたいんだろ?」

 まるで子供のような物言いに、シュウヤの足が止まった。

「そんなわけ無いだろ。お前がオレの仲間に手を出すのを止めようとしているだけだ」

「なら、僕は僕の仲間を守ろうとしているだけだ。手を出すなよ」

 彼はそう言って瓦礫の中から顔を歪めながら自分の体を引っ張り上げた。羽織っていた軍服は金属の欠片で切れてボロボロになっている。

「いや……手を出すなと言うのも違うね。君はもう手を出した」

 カトルは怒りのこもった目でシュウヤを見た。ピンと来ていないシュウヤの顔を見て、苦々しげに付け加える。

「軍に逆らった挙句、賢者を砦から逃がしただろ!」

「え、ああ」

 勢いに飲まれて頷いたものの、すぐに言いなおす。

「いや、確かにしたが、あれはお前たちのために」

「なるもんか。軍に捕まって、また抵抗できなくなるほどに痛めつけられるだけだよ。あのままが一番だったのに、余計な真似を」

 暗い目をして軍服の裾を握りしめる様子は、やはり子供のようには見えなかった。

「カトル、お前は……」

「馴れ馴れしく呼ぶな、人間」

 カトルの目がシュウヤを睨みつける。その時、遠くからシロップとクルミが走ってきた。

「カトル!シュウヤ!すごいな!!」

「シュウヤ、大丈夫!?」

 まだ来るな、とシュウヤが言うよりも先に、カトルは傷ついた翼を駆ってシロップのそばに飛んで行った。

「お?どしたの?」

「シロップ、事情が変わった」

 シロップは口角を持ち上げたままカトルの話を聞く。

 嫌な予感がした。シュウヤは閉じかけていた翼を大きく広げると、全速力でクルミの前まで飛ぶ。風圧で前髪が舞い上がって、クルミは目を瞬かせた。

「シュウヤ?」

「オレの後ろにいろ」

 言葉少なにそう告げてカトルたちに目を戻す。シロップが飛び跳ねるように全身で頷いたところだった。

「いいよ!」

 シロップは何の前触れもなくカトルの右翼の傷口に触れて、

「くう……っう」

 彼女が痛みに瞑目すると同時にカトルの体が光を放ちだした。

 一瞬だった。カトルは最後にシュウヤを目の端に捉えると塵のように崩れて消え去ってしまった。

「シロップちゃん」

 翼の後ろから駆け出そうとするクルミをとどめる。

 静寂。

 シロップは黒い瓦礫の上に立って頭を抱えている。フラフラとよろめいたかと思うとその場に膝をついた。

「シュウヤ、シロップちゃんが……」

 心配げな声を上げるクルミに、シュウヤは小さく首を振った。

「あれはもう、オレたちの知ってるシロップじゃない」

「え?」

 シロップの動きがふと止まった。直後、彼女の体に変化が起こりだす。

 短かった銀色の髪が肩まで伸びて、小さな体が一回り大きくなる。そしてその背から、髪と同じ銀色の球体が膨らみだし、弾けた。

 ふわりと広がる銀色の翼。羽毛が数枚はらはらと落ち、光を跳ね返して輝いた。

 銀髪の賢者は立ち上がる。

 ピンク色の瞳にあの子供っぽい光は残っていなかった。

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