始まりの賢者
目を開けると真っ暗な空間だった。身体が動かない。せめて周りを見ようと首を動かしてみるも、視界が真っ暗なせいで何も見えない。
「あ、あ」
よかった、声は出る。
小さく声を出してみて、リーアはとりあえず息をついた。
落ち着いたところで、状況を確認する。体が動かないのは何かしらの方法で押さえつけられているかららしい。縄……でなはい。もっと硬質なものだ。
全身がどのような恰好になっているのかはもぞもぞと体を動かしてみて把握したが、右腕だけ感覚が無い。さっきから動かそうとしているものの、動いているかどうかも判別できなかった。
何度か試してから、疲れてやめた。どうにも効果が無さそうだ。
そもそもどうしてこういうことになったのか、その原因を知るべくリーアは直前の記憶を掘り起こす。
……確か、友人の所を訪れようと思って砦の中を歩いていたはずだ。いつもの道を、つまりあの細い路地を通って行った、はず。
それ以上は思い出すのを諦めた。ただでさえ果てしない記憶を持つ賢者の時間感覚は曖昧なのだ。砦の中の毎日同じような生活で、昨日と今日の出来事を区別するのは非常に厄介な事だった。とにかく、ここに来るまでに特に変わった出来事が無かったことだけは確かだ。あればさすがに覚えている。
「あれ?起きたのか」
意外そうな声が、突然入口の方から聞こえた。
それが入口の方だと思ったのは、彼の――恐らく男であろう――声が聞こえてきた方向から直線の光が差し込んできていたからだ。
果たして、リーアの予想は正しかった。細かった光は次の瞬間一気に開かれ、その眩しさに思わず目をつぶる。閉じられた瞼の向こうで、その場がさらに明るくなる気配がした。
「――リーア!」
聞き慣れた声に思わずバッと顔を上げ目を開けて、自分の失策に気付く。
暗闇に慣れてしまったせいで馬鹿になった目が今度は明るさになれるのを待ってから、リーアはもう一度顔を上げた。
まず、自分の視点が予想以上に低かったことに驚く。すり鉢状の大きな部屋の、リーアは一番底にいるらしかった。
首が痛くなるくらいに顔を上げて、ようやく先の二人に目が届く。黒と白。黒い軍服の柔らかな顔つきをした男と、賢者用の白いワンピースを身に着けた金髪の女性。
「スー?」
「ごめんなさい、私のせいで」
必死な顔をしているスーだが、リーアは内心困惑していた。
もちろんリーアは賢者だから、スー・ルークビルトの事を知っている。なんなら、リーアの方が若干長く生きているのでいわゆる前世から知っている。しかしリーアには彼女と何ら深い関わりは無いし、前世だってそれは変わらない。強いて言うなら友達の友達は友達くらいのゆるい認識だ。当然会って早々謝られるような差し迫った事情なんて持ち合わせてはいなかった。
話の流れからすると今の状況がそれのはずだが……。
リーアは改めて自分の体を見下ろし、初めて今自分がどういった状況にあるのかを知った。
手足は黒い金属でできたいくつもの輪で固定され、両手を広げたまま跪いたような形になっている。絡まったように繋げられた何重ものコードがリーアの背後に伸びていた。そしてさっきから感覚のない右腕にはひときわ太い重そうな輪がはめられている。
「?」
違和感を感じて小さく首を傾げる。輪は肘の少し先辺りについているのだが、その先に手首や手が無い。賢者の冷静な頭脳が、その腕は途中で切断されていると結論を出した。
「手荒な真似であることは謝ろう。……本当は僕もそんな事はしたくなかったんだが」
黙ってリーアを見ていた男がようやく口を開く。
「あなたは?」
「僕はこの実験室の管理を任されている者だ。もう一つ言うとここは開拓軍のもので、バジリカの内部に位置している」
彼女らしくもない不安そうな表情を浮かべるスーをちらりと見つつ、もう一つだけ確認の質問。
「これは今、何をされているのですか?力が出ませんが」
「それは感覚でわかるんじゃないかな。血を抜いているんだ。一つだけちょっと違うのが、右腕についているだろ?」
なるほど、賢者の血が目的か。血が抜かれているのは彼の言う通り何となく感覚で分かっていたが。彼らの目的を考えるのは、とりあえず後にしておこう。リーアは今度こそスーに目を向けた。
「スー。あなたのせいというのはどういう事ですか?」
「軍が自己回復力の高い能力を探していたの。訊かれたときにあなたのことを話してしまって……」
スーはそこまで言って顔を伏せた。賢者の間では軍に逆らうのは愚策とされているし、彼女もこんな事になるとは思わなかったのだろう。見たところ相当大きな部屋だ。かなりの大事であることは見当がつく。
「そうですか。状況は分かりました」
リーアは落ち着いていた。なにかの迷惑ごとに巻き込まれているのは確かだが、そもそも何もすることが無いまま砦の中に住んでいただけなので、実験室に閉じ込められたところで大した怒りも湧いてこない。せめて切断された腕が痛んでいるとかならもう少し危機感もあったのかもしれないが、今の状況にあってリーアはまだ傍観者のような平淡な気分でいた。
スーは顔を上げたが、まだ申し訳なさそうに視線をうろうろさせている。リーアはそういう彼女の一面を初めて見て意外な気がした。
「回りくどい言い方をしても賢者には意味が無いんだろうから、端的に言う」
再び男が口を開いた。
「君には血液を提供してもらいたい。いや、してもらう。だから、君がここから再び外に出られる機会があるかは僕にも分からない」
「そうですか」
予想していた事だ。
「頼みがあるわ」
男は唐突に言ったスーに目を向けた。彼女はさっきとは打って変わって何を考えているのか分からないような謎めいた表情で、きっぱりと言った。
「私がリーアにいつでも会えるようにしてほしい」
「……」
男は何も言わずに続きを促した。
「彼女が捕まったのは私の責任。謝罪をして、せめて話し相手になりたい」
「自己満足の罪滅ぼしか」
初めて攻撃的になった男の口調にスーは何も返さず、ただ彼の返事を待っていた。
男はすんなりと折れた。
「いいだろう。もう君にはここの存在が知れている。無関係というわけでもない。君がここを訪れた時は入口を開けるように言っておこう」
「ありがとう」
男は苦笑いのような表情を見せる。彼女が今ここにいるのも、似たような問答の結果なのかもしれない。
「断りにくいんだよ。君たち、ただでさえ双子みたいだろう?引き離すのは気が引ける」
そう言って彼はスーとリーアを見比べる。リーアが改めてスーに目を向けると、彼女も同じようにリーアを見ていた。リーアにはあまり似ているようには感じられなかった。
リーア・ラッグがバジリカの一室に閉じ込められてから五年の歳月が経過した。
動く事もできず窓もない部屋でさぞ退屈だろうと思っていたのだが、ここ五年は思った以上に早く過ぎていった。それというのも、
「おはよう」
毎日訪れてくれる彼女のおかげだった。
リーアは顔を上げ、パシュゥという扉の開く音と共に入ってきた金髪の女性に目を向けた。
「一日ぶりですね。今は朝ですか?」
「ええ、と言ってもそろそろ昼だけれど」
スーはすり鉢の底まで下りてくると、リーアの隣に座る。いつもこの場所に来るのは、リーアの首が痛くならないように配慮してくれているらしい。一見して近寄りにくい印象の彼女だが、意外と気が回るのだ。
そしてお人好しである。
ほとんど関わりの無かった相手を五年も毎日欠かさずに訪れ続けるなんて、相当のお人好しでないとできないだろう。初めは警戒交じりだったリーアも、今では彼女が来るのを一日待ち続けるようになっていた。
「最近はどうですか?」
リーアのこの言葉で、いつも会話は始まる。
「変わり無いわ。朝は強い雨が降るみたい」
スーはそう言って少しだけ濡れた毛先を弄った。リーアの「最近はどう」は雨の事を指す。五年前にリーアの血を含んでいるらしい雨が降り始めてから、この話は毎日話題に上っていた。
「そう、ですか」
自分がここにいる以上あの雨が止むことは無いと分かってはいるのだが、つい期待してしまう。自分のせいで大勢の人間が命を落としているようなものなのだ。人間は自分たちの生活を奪った元凶であるとはいえ、罪悪感は拭えない。まあ、これだけひっきりなしに血を抜かれているからには相当量のストックができているだろうと思われる。自分がもしいなくなっても雨が止むことは無いかも知れない。
ネガティブな方向に考えが進んで小さくうなだれるリーアに対し、スーは珍しく怒ったような口調で言った。
「あなたが人間の死を気に病む事なんて無いわ。人間は人間じゃない」
「手厳しいですね」
リーアは薄く笑った。これもスーなりの気遣いだとわかっている。彼女だって人間が開拓軍のような連中ばかりでないことは分かっているのだ。
「違う話をしましょう。昨日、カトルが力に目覚めたのよ」
スーは座り直してからそう言った。話を変えるために振られた話題だが、予想以上にリーアの興味を引く。
「それはいい知らせですね」
カトルはリーアたちの中で最も年齢の低い賢者だ。普通ならすぐに発現する能力、つまり翼がかなり長いこと出て来なかったので、皆心配がっていたのだ。
「そうでしょう。あなたもここから出たら会ってみるといいわ」
微笑む彼女の顔を見ながら、リーアは改めて思った。
スーは優しすぎる、と。
リーアは優しすぎる。
スー・ルークビルトは常々そう思っていた。軍に捕まってもその原因になった相手を責めもしないし、それどころか自分の血によって死んだ人間の命に責任を感じたりする。
本当は彼女だって分かっているはずなのだ。人間に皆殺しにされて、賢者の後継者になるべき愚者はもうどこを探しても残っていない。つまり賢者の血を降らせたからって誰かが賢者化することはあり得ない。それを開拓軍の人間は知らないのだ。人間が賢者になることなんて無いと、そんな簡単な事さえわからない愚かな種族。
そしてそれが意味することは一つ。リーアがここから外へ出られることは、人間が諦めない限り絶対に無いということだ。
リーアはそれを分かったうえであんな風に振舞っているのだから救えない。スーを心配させまいと思っているのだとしたらとんでもないお人好しだ。でも、スーはそんな彼女が気に入っていた。
最初はそれこそ罪悪感だけで通っていたが、今となっては彼女の元を訪れるのは毎日の楽しみになっていた。
リーアが軍に捕まって、血液を搾取され続けて十年が経った。その日は突然やってくる。
スーがリーアを訪ねたのは夕方だった。部屋に入ってすぐ、リーアの様子がおかしいと思った。いつもなら待っていたように入口を見て出迎えてくれるリーアが、今日はスーが来たことに気付かなかったのだ。
「リーア、どうしたの」
小走りで駆け寄ると、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「ああ、来ていたのですね」
「元気が無いわ」
「そう見えますか?」
やはり様子が変だ。心配げな表情を浮かべるスーに、リーアは不意に声をひそめた。
「お願いがあります。あなたの力で、この場の音が外へ聞こえないようにしてください。人間に聞かれたくありません」
スーは一も二も無く頷いて、自分の翼を発動させる。透明な羽根がふわりと広がり、二人以外にはその場の音が聞こえなくなった。ルークビルトの能力は幻覚を見せる事。幻視だけでなく幻聴も可能だ。
「聞いてください。今、どうにも身に覚えのある感覚がしています。この体になった時と同じような感覚です」
スーはすぐに理解し、そして理解した自分の頭を疑った。
「嘘。愚者はもう存在しないはずよ」
「私もそう思っていました。でもこの感じは間違えようがありません。もしかしたら残っていたのかもしれませんね」
最後の愚者が。そう呟くリーアはどこか他人事のようだった。
「何故喜ばないの?あなたの意識は新たな体に移るのよ。ここからようやく出られるわ」
「そう、なのですが。それは違う賢者が犠牲になることを意味しませんか?」
スーは絶句し――強い憤りを感じた。
「そんなことを気にしてどうなるの。どうにもならないわ!あなたが助かるなら、それでいいじゃない!どうしてあなたはいつもそうやって……!」
言ってしまってからスーは声を荒げてしまった事を後悔した。が、リーアは小さく笑うだけだった。
「私はそんなふうには思えないんです。……すみません」
次の瞬間、リーアの体が淡く光り出した。彼女の背から金色の翼が飛び出し、彼女を縛っていた巨大な機械はばらばらと砕け散る。右腕が抜けると同時に、それは一瞬にして再生した。
「私は違う身体に移るでしょう。あと数日で新しい愚者も生まれます。また、惨事が起こる」
膝をついていた彼女はスーを見上げると、十年ぶりに立ち上がる。
「今までありがとうございました。さようなら……また会いましょう」
短い言葉。しかしその言葉の中に幾万の感情が込められていることは分かっていた。リーアは最後に笑って小さく頭を下げると、茫然と見守るスーの前ではらはらと崩れるように姿を消した。
「……リーア、」
スーは小さく呟いて口を結ぶ。
氷のような透明な翼がゆっくりと溶け、金色の輝きを放ちだした。
監視カメラに残った映像は、賢者リーア・ラッグが拘束から逃れ、スー・ルークビルトを殺して逃走するという衝撃的なものだった。開拓軍はすぐに特別隊にリーア・ラッグの追跡を命令。彼女が見つかるまではストックの血液を使い、賢者の血の搾取は中断されることになった。
他の賢者が拘束されるようなことには、ついにならなかったのだ。




