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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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賢者と愚者

 黒い建物の最上階に位置する開拓軍の司令塔、開拓軍隊長執務室。その室内で、奇妙な会合が開かれていた。

 一方はもちろん開拓軍隊長にしてこの星一番の権力者、クレール・リュフワ。

 そしてもう片方は軍服も武器も身に着けず、元軍人を名乗る一般市民の男。

 クレールは困惑していた。まずこのプロフィールからしておかしい。見たところ退役にはまだ若いし、軍を辞めたにしても地球に送り返されるはずだ。それがどうしてここに、ルナの住人と同じようなぼろぼろの服を着て立っている?

 いや、そんなことは本当の問題ではない。

「どうやって、ここに入った?」

 クレールはイサミと名乗るその男を睨みつけながら言った。怒りや警戒より動揺の方が大きいせいで全く迫力が無いが、本人にはこれが精一杯だ。

 イサミはポケットからカードキーを取り出すと、クレールの前の机に置いた。

「これは……」

「正真正銘俺のものだ。もともと、」

 彼は入口をちらりと見やって、

「俺はさっき出て行った兵と同じ、連絡要員だ。使いっぱってとこだな。唯一いい点と言ったら、軍隊長の執務室に入れることぐらいだろう」

「馬鹿な……軍から抜けたのなら、そのカードはもう使えなくなっているはずだ」

「だから、敵の戦力を考えろと言ったんだ。こちらには情報操作のエキスパートが付いているぞ。消されたデータが少しでも残っていれば、カードキーを復旧させることだってできる」

 クレールは気が抜けたような顔をしていたが、すぐに気を取り直した。

「残念だったな、テロリスト。今、この砦は侵入者騒ぎで忙しい。それこそ連絡要員の兵がいくらでも出入りするぞ。私が助けを呼べないなんて思わないことだ」

「そうかい。じゃあ、待ってみたらどうだ?」

 クレールは待った。しかしどうした事か、さっきまでひっきりなしに部屋を出入りしていた連絡要員がぱたりと入って来なくなっていた。焦りの色を滲ませるクレールに、イサミは冷たい目を向ける。

「言っただろう、情報操作ではこちらの方が圧倒的に上だ。執務室の入り口をロックすることも、砦内の通信をすべて遮断する事もできる。そろそろ分かったんじゃないか?こちらの要求を聞いた方が賢いと」

 クレールは冷静になろうとしたが、無理な話だった。相手の要求を聞く以外の方法も思いつかない。クレールは苦々しげな声で訊いた。

「要求はなんだ。聞くだけ聞いてやる」

「こちらからの要求は三つだ。賢者の血の打ち上げを速やかに停止すること。砦の中の賢者たちを一人残らず外に逃がすこと。そして、開拓軍を解体することだ」

 クレールの目が見開かれる。しかし、無理な要求に悪態をつくのは後回しにしたらしい。

「で、その引き換えに貴様らは何をするんだ」

 イサミの顔が嫌悪に歪められた。

「勘違いをするな。これは取り引きではない。平等な対価などあるものか。そもそもこれが取り引きだとしたら、大きくお前の方に傾いている」

 氷よりも冷たい目を向けて、

「勝手な欲求で大勢の人生を捻じ曲げておいて、その上何かを要求するのか」

 クレールはイサミの迫力に気圧されながらも、なんとか一言だけ絞り出した。

「……貴様らの要求は、飲めない」

 執務室の中を冷たい霧のような沈黙が支配する。イサミはクレールの返答が分かっていたような顔をして、ポケットから小型の通信機を取り出した。

「言っていなかったが、実は二つ目の要求はお前が承諾しなくても俺たちだけで達成できるんだ」

 そう言って、通信機のボタンを三回続けて押した。

「……、何をした?」

 クレールは鼠のようなおどおどした目をあちこちに巡らせる。

 何もないじゃないか、と半ば安心しながら言おうとした、その時。

 ――ビイィィィィ……ン

 耳をつんざく高音が聞こえてきて、クレールはびくっと身をすくめた。

「何だこれは……、外か!?」

 バッと窓を振り返る。長く響いていた高音はだんだんと小さくなり、代わりに男性の声が聞こえてきた。

 ――皆さん、初めまして。僕はヨヘン・ライトと申します。

 開いた口が塞がらない。クレールは一向に動こうとしない頭で必死に今の状況を理解しようとした。

 窓の外から聞こえてきているということは、これは恐らく砦内の全域に向けた放送だ。どうしてそんなことをするのか。開拓軍に伝えたいことがあるならバジリカの中とか詰め所の中とか他にやり方がある。それを砦全域に向けて放送するとなれば、その対象は……

「賢者?」

「随分と時間がかかったな?」

 イサミが答える。そうこうしている間にも放送は続いていた。

 ――今、開拓軍は解体直前です。これで、あなたがたがこのような場所に閉じ込められることも無くなるでしょう……

「賢者が砦から逃げ出さないのは、逃げ出しても捕まるだけだと理解していたからだ。開拓軍が解体したなんていうのははったりだが、これで賢者がここに留まる理由も無くなったな」

 窓の外に、小さな白い光が舞い上がった。そのすぐ後に赤い光が続く。光は見る見るうちに空を埋め尽くし、我先にと砦の壁を飛び越えてはるか遠くに飛び去って行く。

「き……、さ、まあ!」

 クレールは顔を真っ赤にして立ち上がると、机の下に置いてあった黒い機械を乱暴に背負った。

「動くな!こんなことをして、許されると思うなよ!」

 イサミは自分の心臓を狙ったスクリーンシューターの揺れる銃口を、無感情に見下ろした。


「へえ、変わったこと思いつくね」

 軍服を羽織った少年――カトルは路地に反響する放送を聞きながら、言葉に反してつまらなそうに言った。

「ナンセンスだ。君たちは僕たちを苦しめたいのかい?」

 ねえ、と話を振られて、クルミは通信機を取り落とした。ブチッという音が鳴ったから、通信は切れてしまっただろう。

 クルミは仕方なく平静を装って返事をする。

「あなた達を救おうとしてるんだよ。苦しめようなんて思ってない」

「思ってなくても苦しめる結果になるよ。君たちは、開拓軍の恐ろしさを分かってないんだ」

 カトルはとげとげしい声で言う。クルミはちらりと彼の隣に立つ少女に目を向けた。

 シロップはカトルとクルミが話すのを、和気あいあいとした世間話を聞いているような表情で見ている。クルミは何度かカトルに見つからないようにこちらに来るよう合図を送ったが、彼女が気付いた様子は無かった。

「どうしたの、そんなにシロップが気になる?」

 とうとうカトルが首を傾げて訊いてきた。クルミは一瞬息を止めるが、すぐに落ち着いた声で返す。

「シロップちゃんを返して」

「なるほど、それが目的?」

 最初から分かっていただろうに、カトルは今初めて知ったような口調で言った。当のシロップは何を思ったか体をくねらせて恥じらっている。

「シロップの為、争わないで!嬉しいので!」

「え?うん……」

 クルミは一切状況を分かっていなさそうなシロップの様子に脱力しそうになって、

「いやそうじゃなくて、シロップちゃんが戻って来られるように今……」

「ん?なんで?」

 シロップはきょとんとして首を傾げた。

「なんでって……」

「なー、クルミ、カトルいーやつ!」

 シロップはカトルの両肩にぽんと手を置いた。クルミは今度こそ困惑する。

「ええ……でも、その子はシロップちゃんを誘拐したんだよ?シロップちゃんを無理矢理自分の後継者にするつもりかも知れないんだよ?」

 だから戻っておいで、そういうクルミに対して、シロップはようやく彼女の言わんとしていることを理解したらしい。見る見るうちに口をへの字にする。

「やだ!」

 カトルの背後に駆け込んだ。

「シロップちゃん……」

「や!カトルといるの!そんで、『羽化』するんだもん!」

「そういうことだよ」

 クルミはカトルの幼い顔がほんの少し笑いに歪むのを見た。

「どうして……、そんなに死にたがるの?後継者が出来たら、あなたは死んじゃうんでしょう?」

 カトルは全く動揺しなかった。ただわずかに目を細めて言った。

「死ねたらいいんだけどね。死なないよ、僕の意識はこの子の中で生き続ける。そして僕は新たな力を手に入れて、今度こそ……」

 しゃべり過ぎたと思ったのか、カトルは口をつぐんだ。

 しかし、分かった。愚者が賢者になるとき、新たな賢者が手に入れる翼は元の賢者と同じものとは限らない。そう、メノルが言っていたことがある。つまりカトルは今の能力に満足しておらず、シロップを後継者にすることでより強力な力を手に入れようとしているのだ。

「君が僕を止めるつもりなら、」

 クルミは顔を上げる。カトルはシロップを路地の脇に押しやると、クルミを睨みつけた。

「君を排除することも厭わない」

 次の瞬間、ぞわりとした寒気がクルミの背を駆け上がった。

 新しい力なんて、いらないじゃない。

 彼女の幼馴染の時には感じられなかった圧倒的な恐怖が脳内を支配する直前に、クルミの頭をそんなことがよぎった。

 両脇の建物を突き破り、カトルの背から巨大な翼が出現する。

 闇よりも黒い力の象徴――鷲の翼、エギルが。


「くそっ、通じねえ」

 シュウヤは通信機の発する呼び出し音を聞きながら歯噛みした。

 もっと早くにかけ直していればよかった。詰め所での戦闘が一段落してからクルミにかけ直したところ、全く通信が繋がらないのだった。

「うるせえ、通信ぐらい黙ってやれ」

 機械翼の燃料を補充していたコナーが、眉間にしわを寄せつつ近寄って来る。

「黙って通信できるわけないだろ」

「どうでもいいだろうが。なんだ、通じねえのか」

 コナーは通信機の画面を見る。ああ、と頷きながら、シュウヤはもう一度かけ直す。

 途中から鳴り出して今も鳴っている放送のおかげで、戦いは案外早く決着がついた。敵側に戦闘を放棄する兵が出だしたのだ。そうなればこちらのものだった。今までの苦戦はどこへやら、残りの軍はあまりにもあっけなく片付いた。簡単すぎるくらいだ。

「開拓軍ってのはこんなに人数が少ないもんだったのか」

「そんなわけ無えだろ。詰め所にいたのがこれだけってだけだ。そんなことよりそれはいいのか」

 それ、と言いながらコナーは空しい音を上げる通信機を指さした。シュウヤは通信機の画面を見る。

「クルミに何かあったのかもしれない……いや、あったんだ」

 言って、シュウヤは顔を上げた。

「オレ、ちょっとクルミの所に……」

「たっ、隊長!あれ!」

 シュウヤとコナーは同時に振り返った。シュウヤは目を剥く。ぼろぼろの廃墟と化した詰め所の上をこちらに向かって飛んでくるのは、黒い軍服を身につけた何百という軍勢だった。

「はあ……!?まだあんなに!?」

 どうしてこんな時に。シュウヤは通信機を見下ろした。まだ呼び出し音が鳴り続いている。

「おい、ガキ」

 コナーを振り向くと、彼はシュウヤのほうを見てはいなかった。下に隈のくっきりとついた目で黒い軍勢を見据えつつ、言った。

「てめえはそっちに行け」

「でも……」

「口答えしてんじゃねえ。てめえはそんなんだからガキなんだ。俺の隊を見くびってんじゃねえぞ」

 そう言うなり、コナーはすうっと深く息を吸った。

「おい、てめえら!まだ戦えるな!これは質問じゃねえ。戦いやがれ!敵が何人来ようと、何百、何千人来ようと変わらねえ!戦って勝つ、それだけだ!」

 コナーはそう言うと自分も弾丸のように飛び出していった。シュウヤを振り返ることもなく。

 シュウヤは彼の後ろ姿を見ると、通信機を握りしめ、彼とは反対の方向に走り出した。


「待って」

 シュウヤは走っていた足を止め――、顔を上げたところで息も止めた。

 瞬き。

 彼女の小さな動きだけで時間が止まったようにも感じる。ゆっくりと動く金色の睫毛の下から、深い瞳がシュウヤの目を覗き込んでいた。

「スー……?どうしてここに」

 ようやく息ができるようになったシュウヤは問う。彼女は隠れ家にいたはずじゃなかったのか。

「出てきたら危険だって言っただろ?」

「エギルはまだ使えないのね」

 スーは静かな声で言った。その一言でシュウヤはふっと現実に引き戻され、同時に慌てて通信機の画面を見下ろした。四角い小さな画面は今、クルミの持つ通信機の場所を小さな点で表示している。

「クルミのところに行かなくちゃいけないんだ」

「知ってるわ」

 ああそうだ、とシュウヤは思い出す。スーには何でも分かってるんだ。

 スーはゆっくりとシュウヤに向かって歩く。その途中で、金色だった翼が緩やかに溶け、透明なガラスのようになる。

「彼らの使う武器が打ち出しているのは、雨。つまり、賢者の血」

 スーの滑らかな冷たい手がシュウヤの頬に触れた。

「今ならできるはず……」

 瞬間、シュウヤは脳みそが鷲掴みにされたような衝撃を感じた。この感覚は二度目だが、一回目とは程度が違う。

「ぐ、う……ぁああ……」

 口からうめき声が漏れる。

 熱い。

 頭の中を掻き回されるような痛みと熱は次第に強まって行く。やがてそのピークを迎えると今度は緩やかに落ち着いていき……、

「あ」

 思考がシャットアウトされたように、全てが真っ白になった。

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