楽園追放
夢を見た。金色の天使の夢だ。
天使は美しい女性の姿をしていた。金色の翼と金色の髪。輝く翼を優雅に動かして、ゆっくりと星空の下を飛んでゆく。彼女は一度大きく羽ばたくと、ろうそくが消えるように暗闇に溶けて見えなくなった。
次の夢で、シュウヤは白い腕に抱えられて運ばれていた。周りにも白い服をまとった人が何人もいた。つるつるとした服の下から感じるぬくもりには覚えがある。それが何なのか思い出せないうちに、視界はまたゆっくりと闇に沈んでいった。
ふと気が付くと、シュウヤは木の天井を見つめていた。何度か瞬きして、それが自分の家の天井だということを思い出した。
「シュウヤ、起きたのか」
聞き慣れた声に、シュウヤは身を起こす。父親のイサミが枕元に座っていた。どうやら自分の家の布団に寝ていたようだ。シュウヤは肩からずり落ちた布団と父親の顔を見比べた。
「イサミさん、そろそろ入るぞ」
ふと声がした方に目を向けると、近所の大人たちがぞろぞろと家の中に入ってくるところだった。シュウヤはぽかんとしてイサミを見る。彼は大人たちに険しい顔を向けていた。
「もう少し待ってくれたっていいんじゃないのか」
先頭に立っていた男が肩をすくめる。
「その子供が目を覚ましたらすぐに連れて来いと言われてるんだ。わかってくれ」
「ほら、立て」
大人の一人がシュウヤを布団から引っ張り出した。シュウヤは自分の服が渇いた泥で汚れきっていることに気が付いた。
「しかし、その子は何もやっていないんだ」
「それを決めるのはあんたじゃねぇだろうよ」
シュウヤは大人たちに追い立てられるようにして家から出た。イサミも彼らの後から歩いて来ていた。
「あの……」
「そこに座れ」
シュウヤは半ば無理矢理床に座らされた。毎日のように老人に昔話を聞かされていたあの建物だ。そしてその老人は今、座っているシュウヤの目の前で、いつもの椅子に腰かけていた。
「じーさん。何がどうなってんだよ?」
老人はむう、と目を細めてシュウヤを見た。何か様子がおかしい。まるでシュウヤが誰かの仇ででもあるかのような……。
ふと気がついて、シュウヤは周りを見回した。彼の周りを取り囲む大人たちは皆、どこか気味が悪そうに遠巻きにシュウヤを見ている。イサミは先ほどの男に連れてこられて、今はシュウヤから少し離れたところに座らされていた。
「覚えていないとでもいうのか?昨晩の出来事を?」
「昨晩?」
「とぼけるつもりなら教えてやろう。シュウヤよ。お前は昨晩他の子供らと共に地上へと抜けだして、一人だけ生き残ったのじゃ」
「は?なにを……」
笑いかけたシュウヤの顔が強張った。老人の言葉がきっかけになって、いつの間にか蓋をされていた記憶が洪水のようにあふれだしたのだ。
地面に転がる黒猫の死体。耳をつんざくような誰かの悲鳴。次々と現れる翼、翼、翼。自分の背の翼。崖から落ちていく、クルミの笑顔。
「シュウヤ。シュウヤ、これ」
はっと我に返った。冷や汗がするりと背中を滑り落ちる。老人が、呆れた顔でシュウヤを見下ろしている。
「思い出したかの?」
「オレ……死んだはずじゃ……」
シュウヤはそう呟いてから、はっとして自分の背中を確認した。もちろん、翼なんて生えていない。老人はやれやれと首を振る。
「お前が生きていることはお前が一番よく知っているじゃろうに。昨日の夜、町の者が子供らがいないことに気付いての、町中探しても見つからんのでまさかと思って『窓』まで行ってみたら、門と『窓』の鍵が開いていた」
老人はじろりと、部屋の中の大人の一人を一瞥した。彼はばつが悪そうにぎこちなく目を逸らす。
「門番が自分の仕事をおろそかにしておったのじゃ。彼の処罰は後々決めることになっておる。ともかく、数年ぶりに探索隊が地上に出た。そこで子供らの亡骸と、お前を見つけたわけじゃ」
シュウヤは体中の力が抜けてしまいそうになるのを堪えた。
「あいつらは……」
「……子供らのことなら、数日後に葬儀が行われることになっておる。……実を言うとわしらは……」
老人は部屋の中に立っている大人たちを見渡してから、シュウヤに目線を戻した。
「お前が彼らを殺したのではないかと思っておる」
「……は……?」
老人が何を言っているのか理解できなかった。振り向くと、大人たちは敵意を宿した目線でシュウヤを見下ろしている。
「昨晩地上に出ようと子供らをたぶらかしたのはお前なのじゃろう?そうして雨が降るのを待って、自分だけは身を守った」
「違う」
全員が、今まで声を発しなかったイサミの方を向いた。イサミは努めて冷静に、静かな声で続けた。
「何の道具も持たない子供が、雨から身を守る方法なんて存在しない。それに、シュウヤは崖のふちに倒れていたんだ。自分だけ助かるつもりなら、どうしてあんなところにいた?崖から落ちそうな誰かを助けようとしたんじゃないのか?」
イサミはそう言って周りの大人たちを見回した。シュウヤは違和感を覚えて、ぽつりと呟いた。
「どうしてそんなこと知ってるんだ?崖のふちにいた、なんて」
イサミは言葉に詰まった。その反応で、シュウヤの考えは確信に変わった。
「父さん、探索隊だったのか。だから、あんなに地上に行くのを止めたのか」
シュウヤの周りの大人たちがざわめいた。シュウヤが地上に行きたがっていたということが、彼らの疑いを一層深めているらしい。
「イサミさん、あたしだって信じたいさ」
一人の女性がイサミに話しかけた。シュウヤは彼女に目を向ける。恰幅のいいその姿は、ホームで働いている顔見知りの女性だった。
「シュウヤくんはいつもよく働いてくれたよ。でも、一人だけ生き残ったってことはつまり……そうなんだろう?」
女性はちらりとシュウヤを見た。その目を見た途端、シュウヤはもう地下に自分の味方は父親しかいないことを悟った。
老人が重々しく言った。
「イサミ。お前のことを疑っているわけではない。子供のことじゃ、多少は責任があるかもしれんが、わしらはお前に恩を感じておるし、信じておる。しかし、この件に関しては、お前の言葉を鵜吞みにはできんのじゃ。親が子供をかばうのは当然の事じゃからな」
イサミは絶望を感じたように目を見開いた。
「そんな……、この子だってやっていないと言うはずだ!な、シュウヤ?」
しかしシュウヤは虚ろな目でイサミを見つめ返すだけで、なにも返事をしなかった。まるで心を地上に置き忘れてきたかのようだった。
「シュウヤ!」
「イサミよ。諦めてくれ」
老人はシュウヤを見下ろした。
「シュウヤ。お前の処遇は、地上追放と決まった」
イサミががばっと立ち上がるのが聞こえた。隣にいた男がそれを押さえようと肩を掴む。
「おい、座れ……」
「追放だと?死刑じゃないか!無実の子供を殺そうっていうのか!?」
「……死刑ではない、追放だ。あれを持って来い」
老人が合図を送ると、一人の男が白いものを持ってシュウヤのそばに歩いてきた。つるつるとした見覚えのあるそれは、折りたたまれた防雨コートと、探索隊用のヘルメットだった。白くて、顔中を覆うようになっているそれは、目のところにだけビニールが掛けられている。
「それを着て、地上に出るといい。もしかしたら生き残れるかもしれん」
シュウヤは男の手から白い衣装を受け取った。何の感慨も抱かなかった。
数分後、シュウヤはコートというよりは防護服が近い探索隊の衣装を着て、ヘルメットを手に持ち、またあの鉄の門の前に立っていた。後ろにはさっきの大人たちや野次馬が大勢群がっていて、その中に、暴れないように両腕をおさえられたイサミもいた。
「さあ、行きたまえ」
鉄の門が開いて、門の脇に立った老人がシュウヤを促した。シュウヤは言われたとおりに門をくぐる。
「待ってくれ、その子は――」
背後でイサミの声が聞こえた。
「その子はもしかしたら約束の子かも知れない!!それなら……」
「なに言ってんだこいつ」
「暴れるな」
男たちの声に続き、シュウヤの背中で門が閉まって、イサミの声は聞こえなくなった。
「窓」にかかった梯子は、昨日からそのままだった。昨日は地上への期待に胸を膨らませながら、この梯子を登ったのだ。それがひどく昔のことのように感じる。
老人と一緒に門をくぐった男の一人がシュウヤの手からヘルメットを取り上げ、頭にスポッとかぶせた。シュウヤの視界が悪くなる。
「登れ」
シュウヤは手探りで梯子を登って、「窓」を押し上げた。地上からの白い光が一層その明るさを増してシュウヤを照らす。
シュウヤは再び、地上の土を踏みしめていた。昨日はあんなに高揚したのに、今はなぜか暗い地下と変わらなく感じた。
「シュウヤ、残念じゃよ」
老人の言葉を最後に、「窓」はバタンと閉ざされた。
地上は地下と比べれば明るかったが、空はどんよりと重たい雲で覆われていた。
気が付くと、雨が降っていた。昨日のように風に飛ばされてくる雨ではなくて、雲からまっすぐに降ってくる重たい雨だ。
ヘルメットに掛かったビニールの上を雨粒が滑り落ちていく。雨の筋に移り込んだ景色が色を失っていた。
――お前が彼らを殺したのではないかと……。
「……その通りじゃねえか」
シュウヤの脳裏を、さまざまな思い出が走馬灯のように横切った。みんなと遊んで、ヒロキと憎まれ口をたたき合って、クルミが笑って……、そんななんでもない日常が。
「オレがあいつらを殺したんだ」
シュウヤはヘルメットに手をやった。ビニールの折れ目に溜まっていた雨水が流れ落ちる。
「ごめんな、みんな……」
ヘルメットがゴロンと地面に落ちた。
シュウヤの頭を、降りしきる雨が容赦なく叩く。雨のあたったところがじんじんと痺れ、首や髪を伝った雨水がシュウヤの服に染み込んでゆく。
あの焼けるような痛みは、来ない。
「……なんで……」
シュウヤは地面に膝をついて、崩れ落ちた。水だまりに手をついたので水がバシャっと跳ね上がり、髪の先からは雨の雫がパタパタと落ちた。
シュウヤは地面についた両手を握りしめ、絞り出すように叫んだ。
「なんで、死ねねえんだ……死ぬことも許されねえのかよ……っ!」
行きどころのない感情を叩きつけるように、握った拳で地面を殴った。
「なんで死ななかったんだよ!なんで生き残った!!オレは!こんなの……望んじゃいない!!」
シュウヤは小さく丸まるように地面に頭をつけた。
「……クルミ……」
ぽたぽたと落ちる涙の雫が、水たまりに波紋を作った。シュウヤは歯を食いしばった。
――シュウヤに、死んでほしくない。
ふと、クルミの声が聞こえた気がした。シュウヤは目を見開く。
――だいすきだよ。
シュウヤは顔を上げた。ひっきりなしに降り注ぐ雨は水たまりに飛び込んでは高い水しぶきを上げている。
「……オレは今、何をしようとした?」
上半身を起こす。雨を受けている頭はまだ痺れていたが、不思議と視界ははっきりしていた。
「死ねば逃げられるとでも思ったか?逃げようとしたのか?」
シュウヤは自分の手を見下ろした。べったりとついた茶色い泥を、雨水が洗い流してゆく。
みんなと過ごした日々は、もう戻ってこない。シュウヤは今地上に一人で、助けを求める人なんて誰もいない。でも、それがどうしたというのだ。死ぬ理由になるか?今自分が死んだら、自分一人が楽になるだけじゃないのか。
クルミは、それを望むだろうか。
シュウヤは自分の拳を強く握りしめた。
「オレが、あいつらの代わりに世界を見に行く」
ゆっくりと目を閉じる。再び開いた彼の目には、強い意志が燃えていた。
「生きてやる。この地上で。誰よりも長く生きて、世界のすべてをこの目で見てやる!!オレはっ!生きるぞこの野郎ぉぉぉおお!!」
咆哮とともに、彼の目元から、雨とも涙ともつかない雫がぼろぼろとこぼれ落ちていった。
シュウヤが地上に取り残された姉妹に出会う、ちょうど五年前のことだった。
過去の話はここまでです。次からは少し軽くなると思います。




