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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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ルナ

 メノルの父親は有名な科学者だった。それに憧れて、メノルと二歳上の兄、ヨヘンは父親の研究所に入り浸って書物を読みふけったり他の研究員たちと話したりして育った。メノルが八歳になるころには、二人はすでに神童として世界中の人に知られていた。

 しかしその父親が、ある日突然研究所を辞めた。

 休日も関係なく研究所に通っていた父親がその日は昼間から書斎のソファーに座っているのを見て、メノルは言いしれない不安を感じていた。

 妹の表情を見たヨヘンは、とうとう父親に近付いて訊いた。

「何かあったの?」

 ヨヘンは家族思いの温厚な少年で、メノルの自慢の兄だった。彼に話しかけられて、父親は二人に顔を向ける。

「あの研究所は……明日にも潰れる」

 父親は嘘も冗談も言わない男だった。

 メノルとヨヘンは顔を見合わせる。父親はそんな二人を見て、向かいの椅子に座るように促した。二人は素直に並んで腰かけた。

「お父さん達の研究成果を許可なく使って、人体実験をした人たちがいるんだよ。……大勢の人たちが死んだ」

 メノルは言葉を失った。

「訴えればいいよ。どうして研究所が潰れることになるのさ」

 ヨヘンが思いのほか冷たい口調で言った。正義感の強い彼は、父親を利用した誰かに腹を立てているのかもしれない。

「訴えても、捻じ伏せられるだけだ。それに、今回の事件はすぐにマスコミにも知れ渡るだろう。彼らに騒ぎ立てられたら、研究所は無事じゃいられない」

 マスコミの力はここ数百年の間強大になり続けた。特にパーソナルバンドが開発され、ネットの情報網と個人の意識とが簡単に接続できるようになってからは劇的だった。どんな小さな記事でも、内容によっては瞬く間に世界中に広まってしまうのだ。情報の網目からは逃れられない。

 しかしメノルは、そんなことよりも『捻じ伏せられる』という父親の言葉が気になっていた。

「お父さん、まさかその、お父さんたちの研究を悪用した人たちって……」

 父親はまいったというように肩をすくめた。

「メノルは勘が鋭いな。……そう、人体実験をしていた、いや、しているのは、世界連合なんだよ」

 世界連合。それは世界中の国々を跨いだ条約を作るときに召集される政治組織だ。主に宇宙でのことなど、一つの国や企業が独断で決められないときにこの世界連合という組織が出てくる。そして、父親が務めているのは世界連合直属の研究所だった。

 つまり、父親の研究所は親組織に利用されていたのだ。

「そんな……」

「……なにがあったか、詳しく教えてよ」

 絶句するメノルの隣で、ヨヘンは冷静に言った。しかしそういう彼の声もわずかに震えている。

 父親はしばらく青く染まる窓の外を見ていたが、覚悟を決めたように頷いた。

 世界連合直属である父親の仕事の内容はいつも極秘で、メノルもヨヘンも教えてもらったことは無かった。しかし研究所を辞めた今、父親には全てを二人に打ち明ける用意があるらしかった。幼いながらも聡く賢い自分の子供たちを信用していたということもあるだろう。

「三百六十年前に、新しい星が見つかったのは知っているね?当時の人々は、その星に生き物がいるという事を知って狂喜乱舞した」

「うん」

 二人は頷いた。もちろん知っている。小学校で習う前から、父親の書物を読んで知っていた。

「そしてその五年後、世界連合に指名された大勢の公務員がその星へと飛び立った。彼らの後継者たちは今もそこに住んで調査や環境整備に努めている。そうだね?」

 その通りだ。教科書によると、新世界と呼ばれることもあるその星には原住生物が住んでいて、世界連合の公務員たちは原住生物たちと協力して人類が移住できる環境を整えているんだとか。

「しかし、本当の歴史は違うんだ。新世界が見つかったのはそれよりずっと前、四百年ほど前の事。世界連合がそんなに早く人員を派遣できたのは、前もってその星の存在を知っていたからだ。というよりも、それが最初ではなかったから、というのが適切かな。新世界に初めて人類が降り立ったのは、星が見つかったまさにその年。三百六十年前のことなんだ」

 ヨヘンは眉をひそめる。

「どうしてそんな嘘を?」

「それはもちろん、人体実験を行うためだよ」

 父親はふっと肩を落として笑った。

「とはいえ、今回の人体実験とは違うものだ。彼らは新世界の環境を整えて、人が住めるかどうか試してみたかったんだ。そこで、実際に人類が初めて新世界に降り立ったと言われる三百五十五年前、大勢の孤児を連れて行った。いなくなっても誰も気づかないような子供たち。自分たちが見知らぬ星にいることにすら気付かない子供たちだよ。結果は……成功だった。孤児たちは急ごしらえのその土地にすっかり馴染み、この星にいるときと変わらないような生活を始めた。もちろん、病院や学校、その他の必要な施設は公務員たちが用意していたものだったけど、その運営権もやがて孤児たちに移った。この星を模した小さな新世界で、彼らは三百五十五年の間数を増やしながら暮らし続けていたんだ」

「でも、原住生物は?」

 メノルが素朴な疑問を発する。原住生物の姿を見たら、さすがに孤児たちも違和感を感じるのではないだろうか。

 父親はメノルの疑問を聞いた途端、苦虫を噛み潰したような表情になった。

「……ここからはお父さんも昨日聞かされたことなんだが……、公務員たちは三百六十年前に初めて新世界に着いたとき、環境整備の一環として原住生物たちを虐殺しているんだ」

「虐殺!?」

 原住生物との協力はどこに行ったんだ。全くの正反対ではないか。

「まあ、驚くのも無理はないね。少しこの原住生物たちの話をしようか。新世界には二つの種族が住んでいた」

「二つだけ?」

「ああ、二つだけ。彼らは食事も必要としないし、二種類しか必要なかったんだろうね」

 そういって、父親は話を続ける。

「その二種類は独特の言語をしゃべる知的生命体で、当時の公務員たちは彼らをこう名付けた。『賢者ザ・ワイズ』と『愚者ザ・フール』……。どちらも人間からは考えられないような特徴を持っている」

 メノルは目をぱちくりとした。なんだ、その名前は。ヨヘンも似たような腑に落ちない顔をしていたが、父親は構わずに話した。

「まず賢者だが、この種族は不死身だ」

「え」

 いきなりとんでもないことを言われた気がする。父親は薄く笑う。

「本当さ。いくら傷ついてもしばらくすれば元通りになるし、成体で生まれてそこから成長することが無い。つまり、寿命という概念が存在しないんだ」

 確かに、とんでもない性質だ。

「同じように成長しない種族でも、愚者は死ぬ。まあ百回までなら生き返ることができるけどね。この違いが、恐らく名前の由来だろう。しかし、賢者と愚者の最大の違いは他にある。賢者には、翼があるんだ。翼には多くの種類があって、その種類によってそれぞれ強大な能力を有する。筋力が著しく上昇したり、誰かの記憶を操作できるようになったり、いわゆる魔法のようなまねができる賢者もいる」

 メノルは胸が躍るのを感じていた。そんな種族がいるのか。是非とも実際に見て、調べてみたい。内なる好奇心が騒ぐ。

 ヨヘンはそんなメノルを横目に見て苦笑しながら、続きを促した。

「それで?」

「ああ、しかし賢者が死ぬ方法が一つだけ存在する。それは、最も波長の合う愚者に、自分の血を浴びせることだ。血を浴びた愚者は、その賢者の記憶をすべて受け継いで賢者となる。一方の賢者はそこで力尽き、同時に新世界のどこかで新しい愚者が誕生するんだ。まあ他にも二体の愚者が契約を結ぶことによって、自分たちの命と引き換えに二人の新しい愚者を生み出す方法もあるんだが……、基本的には最初に言った方法が、賢者と愚者が生まれる流れだ」

「うん……?」

 メノルは思いっきり首を傾げた。ちょっと頭に入って来なかった。ヨヘンに助けを求めるように見ると、彼は少し考えてから言う。

「愚者は賢者になり、賢者が死んで愚者が生まれる。新世界の生き物の命は循環してるってことだよ」

「おお」

 だから、『二種類しか必要ない』か。変わった生態系だ。

「それで、それとお父さんの研究がどう関係してるの?」

「ああ、これも昨日知ったんだが、お父さんのしていた研究のことを世界連合は『新人類化』と呼んでいるらしい」

 その胡散臭い響きにメノルは顔をしかめた。

「なあに、それ?」

「愚者の体構造は、人間のそれとそっくりでね。人間に賢者の血を浴びせて、人間を賢者化しようっていう試みだよ。……実際に聞くと嫌悪感を覚えるような内容だけど、理論上の問題としてこの議題を渡されたとき、お父さんはこの問題に夢中になってしまった。何年もかけてなかなかいいところまで解析したんだ……もう既に新世界に愚者が存在しないことも知らずに、ね」

「愚者がいない?」

「さっき、原住生物の虐殺、って言ったよね。これがまさにそうだ。世界連合の公務員たちは、新しく開発された特殊合金で作った武器を持って、愚者たちを殺して回っていたんだ。一人当たり百回ずつ。新世界から愚者は消え失せた。孤児たちが移住するよりも前にね。世界連合が指名した公務員たちは狙撃や銃撃戦の凄腕ばかりだった。彼らの事を、世界連合は『開拓軍』と呼んでいるらしい。愚者を殺し終わった開拓軍は今度は『開拓者の砦(フォート・ピオニール)』と呼ばれる監獄都市に賢者たちを閉じ込めた。無限の記憶を持つ賢者たちは、開拓軍の実験動物に成り下がってしまったのさ」

「酷い……」

 メノルは呟いた。これが同じ人間のしたことだというのか。不老不死の夢は、こんなにも人を狂わせるものなのか。

 父親は悲しそうに言った。

「これが真実だ。世界連合は五年前、お父さんたちの研究途中のデータを使って、新人類化計画を実行に移した。どうやらフォート・ピオニールの中に傷が一瞬で治る能力を持った賢者がいたらしい。開拓軍はその賢者から血を大量に搾取して空に打ち上げたんだ。これが世界連合の行った人体実験だ。実験対象は、新世界の住人全て。賢者の血は雨に混じって地上に降り注ぎ……、それに当たった全ての人を死に至らしめた。実験は失敗だった。人間たちが完全に賢者化することはなく、背中から未完成の翼を生やして死んでいった。新世界では『死の雨』と呼ばれる現象だ」

 メノルは口元を覆い、ヨヘンは放心したように父親の顔を見つめた。しかし残酷なその話はまだ終わらなかった。

「世界連合はしかし、実験がいつか成功することを確信していた。覚えているかい?賢者の血を浴びて賢者化するのは、愚者の中でも『波長の合った』個体だけだという事を。開拓軍はその波長の合った人間が、約束の子が現れるのを待ち続けたんだ。結局、この五年間でそんな人間は現れなかったわけだが」

 父親はそこまで言って目を伏せた。

「こんなことを知ってしまった以上世界連合はお父さんたちを放ってはおかないだろう。五年が経つことによってあの星がまた近付いて来ているから、他の観測所も異変に気付く。お父さんは研究を続けられないし、……続けたいとも思わない」

 それが父親の話のすべてだった。

 彼はどこかに隠れて暮らすつもりだとも言った。しかし、メノルがそれで納得する訳はなかった。

「止めないの?」

 父親が顔を上げる。

「今も、新世界では大勢の人たちが苦しんでいるんでしょう?お父さん、開拓軍を止めたいって思わないの?」

 父親は自嘲気味に笑う。

「お父さんはそんな力は持っていないよ。一人でどうにかできる事じゃないんだ」

「一人じゃないよ」

 メノルは椅子からガタンと立ち上がった。その隣で、ヨヘンも静かに立ち上がる。

「私たちも協力する。協力できる!お父さん、私たちを頼ってよ!」

 父親は二人を見比べて困っているようだった。しかし、二人の決意が折れることは無かった。


 それから十年。

 十年の間に地球はずいぶん変わった。もう世界連合に味方をする者は誰もいない。誰もが彼らの行いを非難し、止めようとしていた。しかし権力の前には誰も立ち向かえるものはいないように見えた。

「見つけた……!」

 そんな時、人里離れた小さな研究所で、十八歳になったメノル・ライトは喜びの声を上げた。

 ようやく見つけた。開拓軍を内側から突き壊すことができるかもしれない人物。唯一、世界連合ではなく『地球』そのものに忠誠を誓うと公言している人物を。

「コナー・バスカヴィル、特別隊長……」

「こっちもできたよ」

 少し離れたところから、兄の低い声が聞こえてくる。十歳だった少年はニ十歳の立派な科学者になっていた。

「わあ!」

 メノルは歓声を上げた。

 見たことも無いような完璧なボディ。素材から丁寧に作った、ヨヘン特製の小型宇宙船だ。

「私、手作りの宇宙船で初めて宇宙に行った人間だね」

「本当にいいのか?メノル……」

 ヨヘンは心配そうに訊いた。恐らく、彼女が一人で新世界に行くというのが心配なんだろう。しかし、メノルは胸を張って答えた。

「当然!言葉だってちゃんと勉強したし、必ず開拓軍をひっくり返して見せるんだから」

「本当は私が行ければよかったんだが……」

「お父さん!」

 奥から現れた父親は、もう宇宙船に乗れるような年齢はとっくに過ぎていた。

「大丈夫。お父さんは見てて」

 メノルは力強く言った。

 空が再び青く染まる。五年前、十年前、そして十五年前と同じ光だ。

「行ってきます」

 小さくつぶやいて、メノルは地球を飛び立った。

 新世界へと。人を狂わせる青き星……ルナへと。

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