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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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拳と雨と

 どうして悪いことはこうも続いて起こるのだろうか。シュウヤは目の前に立つ男を見ながらそう思った。

 よく見ると、相手の男――コナー・バスカヴィルの目も見開かれている。彼は一通り驚き終わると今度は苦虫を噛み潰したような表情になった。

「畜生、こんな時に……」

 地を這うような声で呟く。そこでシュウヤは初めて気が付いた。コナーは今、部下を連れていないどころか機械翼オートフェーダーさえ背負っていない。つまり、丸腰だ。

 とはいえそれはシュウヤも変わらない。ランじいに貰った剣はこんな時に限って隠れ家に置いてきてしまっているし、リーアに助けを求めようにも雨水を提供してくれるアラタやクルミはいない。

 しかし、相手も丸腰なら戦いやすいのは確かだろう……。

 シュウヤは身構えた。

 普段なら一目散に逃げているような状況だ。しかし、彼をこの先に行かせるわけには行かない。この先には何も知らない仲間がいるのだ。

「チッ、やる気かよ」

 コナーは顔をしかめると面倒そうに頭を掻きまわした。そのせいで申し訳程度に撫でつけてあった髪がいつも通りのぼさぼさに戻る。

 助けを呼ばれるのではと不安だったのだが、幸いそういう様子は無いようだった。理由はわからないが、ラッキーだ。

 シュウヤは、隠れ家につながる道の前に立ちふさがってコナーを睨みつけた。コナーはハッと鼻で笑う。

「その奥にお友達がいんのか?」

「……」

 シュウヤは答えない。

 コナーは猟犬のように鼻にしわを寄せながら唸るように言った。

「てめえらの友情なんざ知ったこっちゃねえんだよ……。砦まで来たからには、殺される準備があんだろうな?」

「……仲間に手を出すなら、オレはそれより先にお前を殺す」

 シュウヤの目はいつになく殺気立っていた。

 コナーはそれを珍しそうに観察してから身をかがめた。

「……いいや、俺の方が先だ」

 コナーが目の前にいた。

 シュウヤは何が起こったのかを理解する前に反射的に飛びずさった。シュウヤの頭があったところをコナーの骨ばった拳が突き抜ける。一瞬遅れて、爆風がシュウヤの耳を撫でていった。

「……」

 思わず逃げ腰になりながらシュウヤは目の前の男をまじまじと見た。

 ストレスが溜まったように舌打ちをする、がに股で猫背の男。隈の色濃い明らかに不健康そうなこの男が、どうやってあんなスピードとパワーを発揮できるのだろうか。

 コナーはシュウヤの表情に気が付くと、蔑むように言った。

「特別隊の隊長なめてんじゃねえよ」

 再び拳が空を切り裂く。シュウヤはのけ反るようにしてそれを避けた。

 かなわず回避。広場の壁に沿って走る。

 コナーは踵を軸に素早く回転すると、大股で一気にシュウヤとの距離を詰めた。

 一発目の拳を避ける。地面に手をつくと、そこに迫っていたのは軍隊用のブーツだった。

「ぐあっ……!!」

 咄嗟に頭をかばったものの、腕に走った衝撃で地面を転がる。

「何だてめえ、弱えじゃねえか」

 コナーは拍子抜けしたような声を出しながらゆっくりと歩いてくる。シュウヤは地面に手をついて立ち上がる。

 次の攻撃も突然だった。何の予備動作も無しに繰り出された右。シュウヤが間一髪で避けるとコナーの拳は黒い壁にぶつかって、ガイィィンと固い音を立てた。

 コナーは顔をしかめて右手を振る。

 しかしそれもつかの間、彼はすぐに攻撃の体勢に戻っていた。

 反撃の余地もない。シュウヤは黒い壁に飛びつくと、それを思い切り蹴って再び拳を避けた。

 しかしコナーはシュウヤが壁に飛びついた時点で彼が何をしようとしているのか分かったらしく、シュウヤが空中に出たタイミングで体を捻った。

「!?」

 空中だ、避けようがない。シュウヤはコナーの回し蹴りを脇腹にくらって壁に叩き付けられた。内臓に走る衝撃。肺から空気が全て押し出される。

 コナーはそのまま、シュウヤの首を絞めるように片手で壁に押し付けた。息ができず、シュウヤの顔が苦痛に歪む。

「……大口叩きやがって、このガキ」

 コナーが目を細める。

「そんなんで何かが守れるか」

「るっ……せえ!」

 シュウヤは体を巻き上げ、コナーの腕の付け根を両足で思い切り蹴飛ばした。

 コナーの手が緩む。その隙にシュウヤは壁との間から抜け出してコナーと距離を取った。

 力の差はもはや歴然としていた。

 軍人であり、実戦を考えて体を鍛え上げているコナーに対して、シュウヤは実際に戦うことなどほとんど考えてこなかった。比べようがないくらいに、無力だ。

 しかし周りに視線を巡らせても、剣の代わりに武器になりそうなものなど転がっているはずもなかった。

 コナーはつまらなそうに言った。

「おい、そろそろ化けの皮剥がしやがれ。一体何がしたいんだてめえは」

 彼は知らない。シュウヤが雨水を浴びないと『羽化』できないという事を。シュウヤは何とか戦える方法を探して頭を動かした。

「……チッ」

 コナーは返事をしないシュウヤにしびれを切らしたように舌打ちをして、またしても人間離れした速度で距離を詰めてきた。

「……!」

 その時、シュウヤには『見えた』。

 振り上げられたコナーの拳の辿たどってきた、そしてこれから辿る軌道が。ぼんやりとだが、確かに見える。

 流れるようにその軌道から身体をそらす。

 軌道の通りに動いてきたコナーの拳は、まるでわざと狙ったようにシュウヤの脇をすり抜けていった。

 コナーは一瞬目を見開くが、すぐに体勢を整えて今度は重力を無視したように宙に飛び上がった。

 今度ははっきりと見えた。空中で一回転して、踵落とし。

 シュウヤはクッションの役割を果たすように膝を少し曲げて、落ちてきたコナーの脚をがしっと掴んだ。ずしっとした衝撃がシュウヤの体を伝う。しかし、耐えられない程ではない。

「な……」

 コナーが焦ったような顔をするのがスローモーションのように見えた。

 シュウヤは膝をぐっと曲げてから、コナーの脚から伝わってきた衝撃を跳ね返すように投げ飛ばした。

 受け身の取れない体勢で投げ飛ばされたコナーはそれでも空中でめいっぱい体を捻り、猫か大道芸人のように両手で着地する。

 パッと跳んで体勢を整えたコナーは、信じられないようにシュウヤと自分の手を見ている。

「……はぁ……はぁ……」

 シュウヤはなぜか激しい疲れに襲われていた。無理矢理息を整えようと肩で息をつく。

 しかし、これなら戦える。逃げるだけではなく、カウンターでの攻撃も。これなら――

 ――ぽつり。

 額に冷たい感触があった。そこから、ピリリと弱い電流が走る。

 シュウヤが空を見上げると、雨は一瞬で本降りになった。ストーム級のスコールか。黒い地面を無数の雨粒が叩く。

 少し遠くで悪態をつく声が聞こえた。コナーだ。

 顔を上げると、彼は見たことのない小型の黒い機械を手に持っていた。そこから機械翼の防御形態に似た、しかし一回り小型の半球がコナーの頭の上に出現していた。昔話に聞いたことのある傘のようだ。きっとどこか屋内に逃げ込むまでのその場しのぎのようなものなのだろう。

 しかし彼はまだ戦うつもりのようだった。今までよりも凶悪な視線をシュウヤに突き刺している。

 そしてシュウヤの方は……、

『苦戦していたようですね』

「リーア」

 リーアは返事の代わりに黒い翼をほんの少し広げて見せた。

 巨大な黒鷲の翼が、黒に覆われた広場の色を一層濃くしていた。雨に濡れた羽毛は僅かに周囲の光を反射している。雨に濡れることで力を漲らせているようだった。

 コナーは『傘』を脇に挟んで持つ。あれで一応は両手が使えるようになるが、先ほどのようなアクロバティックな動きはもうできないだろう。『傘』からはみ出した途端に、感染して即死だ。

 対するシュウヤには翼がある。状況はさっきとは真逆になっていた。

 しかしシュウヤは手加減をする気は毛頭無かった。

 再びコナーの動きが『見える』。今度はさっきとは比べ物にならないくらい先の動きまで。さらに集中すると同時に余計な音が周囲から掻き消え、自分と相手の一挙手一投足から生じる微弱な音が耳に届いた。

 まだリーアの支配下にある翼が、背中にしっくりとなじんで感じられる。

 コナーのブーツが地面をこする音が聞こえる。相手は身をかがめて攻撃態勢に入っていた。これを外せば――彼は、死ぬだろう。

 シュウヤもふうっと息を吐いて体制を整えた。黒い翼がぶわりと大きく広がる。

 二人の間に今にも爆発しそうな緊張感が漂った、その時。

「あー!こんな所にいたですよ!」

 極限まで緊張していた二人は、ほぼ同時にその声の主に鋭い目を向けた。

 睨みつけるような視線を受けた声の主……白いヘルメットは怖気づいたような、あたふたとした声を上げる。

「オウ……ご、ごめんなさい……」

「……メノル?」

 防雨コートを着込んだメノルは、うんうんと大げさに頷いた。

 シュウヤは内心焦っていた。どうしてメノルがここにいるんだ。ここに出てきたらコナーに……。

 ちらりとコナーを見る。彼は今度こそ心底驚いた顔でシュウヤと白ヘルメットを交互に見ていた。

「エギル、てめ……、メノル・ライトの仲間……か……?」

 やばい。シュウヤはメノルの前にじりじりと移動しようとした。が、それよりも前にメノルが嬉しそうに両手を上げた。

「バスカヴィルさん!ようこそなのです!!」


 クルミとアラタは居心地悪そうに正座をして、視線をうろうろと彷徨わせていた。

 二人の日本人独特の座り方を見たメノルは、何だやっぱりニンジャなんじゃないですか、と拗ねたような声を出す。

 そしてその三人を挟んでシュウヤとコナーが、互いから一番離れて座っていた。

「あの……メノルさん、これは……」

 クルミは一触即発の空気に冷や汗を流しながら、出来る限り小さな声で訊いた。メノルは不思議そうな顔をして――気に入ったのか白ヘルメットを両手で抱えたままで――、当たり前の事実を言うように言った。

「待ち人です。コナー・バスカヴィルさんというます」

 よろしくお願いしますー、と言いながらへこりと頭を下げるメノルに、コナーは眉間にしわを寄せる。

「おい、これはどういうことだ。俺を騙しやがったのか」

 コナーは心底不機嫌そうな声を出した。そのまま他の三人の顔を見回す。クルミとアラタは表情を強張らせてビシッと背筋を伸ばし、シュウヤは何も言わず顔を背けた。

「俺一人で来たら投降する、って約束だろうが。せっかく信じて来てやったってのに何だ、この仕打ちは」

「申し訳ないです、騙しました」

 メノルは悪びれずに言った。コナーは開き直られるとは思っていなかったらしく、一層皺を深くして口を閉ざす。

「実はです。バスカヴィルさんは私たちの味方になって欲しいの人なのです」

「はあ!?」

 その言葉に、シュウヤがとうとう声を上げた。

「おいメノル、そいつは今の今までお前を殺そうとしてた奴だぞ!?いや、今もきっと殺す気だ」

「ああ、そうだな」

 コナーが憮然として言った。

「聞いたかよ!それをどうして……」

「落ち着いて欲しいのです」

 メノルは真剣な顔で両手を上げた。シュウヤはその迫力に押されて口をつぐむ。

「バスカヴィルさんがいないと、私の目的はできないです。大事な人。だから、お願いするのです」

 メノルは悲しげな表情で唇を噛んで、頭を下げた。

「お願いします。軍のしている事は、地球のためなんかじゃないのです」

 コナーの目が厳しくなる。

「どういうことだ」

「……」

 メノルは頭を上げた。シュウヤ、クルミ、アラタは何の話なのか分からずに顔を見合わせる。

「シュウヤさん達にも、聞いて欲しいです。この星のこと、雨のこと……」

 メノルの目が三人を捉える。

「この世界の、真相を」

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