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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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道は一つに

「シュウヤ?」

 クルミの心配げな声でふと我に返った。

 彼女はシュウヤの右脇に抱えられたまま、シュウヤを不安げな表情で見ていた。その表情を見て、少し頭が冷える。

 今の状況を思い出して自分の左脇を見ると、アラタは気を失って沈黙していた。

 相変わらず耳障りな警告音は鳴り続けている。赤い警告灯。ナイトメア級が今、足元の雲の下で発生しているのだ。

 上から見た雲は来た時よりもだいぶ厚みを増して、あちこちで小さな雷を起こしていた。しばらくは下に戻れないだろう。

 そこまで観察してから、シュウヤは正面に目を戻した。

 雲の上に避難してきたのはシュウヤたちだけではない。黒に身を包んだ兵たちはまだ混乱の真っただ中にいた。

「おい、ラッグはどこに行った!」

「各隊、人数を確認しろ!」

「補給班はどこだ!燃料は!」

 慌ただしい喧騒を横目に、クルミは手を伸ばしてアラタの頭をちょいちょいと突いた。

「アラタくん、起きて」

「んんー……?」

 アラタが起きたのを確認すると、クルミはシュウヤの腕から離れて機械翼(オートフェーダー)を起動した。

 低い駆動音とともに、一瞬落ちた彼女の体が浮き上がる。アラタは彼女に倣って機械翼を起動したが、ほんの少し浮き上がったもののすぐに落ちてしまう。シュウヤは彼の襟首を辛うじて捕まえた。

「おい、落ち着きやがれ」

 コナーの凄みのある声に、騒がしかった兵たちはぴたりとその動きを止めた。

「てめえらはそうやって獲物を二度も逃がすつもりか?」

 隊長の言葉を受けて、兵たちの視線が一斉にシュウヤたちの方に向く。三人は身を強張らせた。

「あくまで『ラッグを連れ戻す』ことが目的ではあるが……今まで見かけなかったところを見るにこのガキ、マシューが言っていた『約束の子』じゃねえのか。何か知らねえが、連れ帰って文句を言われることもねえだろうよ」

 コナーがスクリーンシューターをシュウヤに向けると、わずかに残っていた捕獲兵が前に出てきて銃口を向ける。

 シュウヤはじりっと後退した。

「逃げ場は無えぞ。その下はナイトメア級の豪雨だ。あの周りがどうして荒れ地だったかわかるか?」

 やれ、とコナーが合図を送った、その時。

「隊長!!」

「……チッ」

 コナーは声のした方に煩わしそうな目を向けた。

 彼と黒服の軍の背後から、彼らの半分くらいの人数の兵たちが飛んできていた。

 コナーのそばにいた兵の何人かはこれで補給が受けられると歓声を上げたが、コナーの剣呑な目つきで黙らされた。

「隊長、只今戻りました!」

「……メイフィールドか。てめえら空気読みやがれ。タイミングってもんを考えろ」

「えっ……すみません」

 メイフィールドと呼ばれた兵は突然怒られたことに狼狽えて視線をシュウヤとコナーの間に泳がせた。

 彼には見覚えがある。初めて軍に会った時にも居た男だ。確か、『ライトの娘』を殺すためにどこかに行っていたはずだ。

「出直せ。見ての通り忙しい」

「しかし、隊長、その、迎撃に失敗しまして……」

 メイフィールドの言葉に、コナーの目が見開かれた。

「おい、もう一度言ってみやがれ」

「もっ、申し訳ありません!見たことも無い固さでして!」

 メイフィールドは両目をつぶってやけくそのように言い放った。

「くそ……。……指令は指令だ。砦までの間にどうにかするぞ。メノル・ライトの着陸地点を教えろ」

 コナーは長い溜息をつきながらぼさぼさの髪をぐしゃぐしゃと掻きまわした。何がどうなっているのかはっきりとは分からないが、今、彼の注意は完全にシュウヤたちから逸れている。

 シュウヤはそっとクルミに手を伸ばしてその腕を掴んだ。彼女はシュウヤを見上げると静かに頷く。

 一瞬で最高速度まで加速する。シュウヤたちは取り囲んでいた捕獲兵たちを一気に引き離した。

「……っ!待て!!」

「放っておけ!」

「しかし……」

 背後をちらりと振り返ると、誰も追ってくる様子は無かった。どうやらシュウヤたちよりも『ライトの娘』とやらの方が彼らにとって重要らしい。

 シュウヤはしばらく飛んだあたりで速度を緩め、クルミの腕を離した。彼女は危なげなく機械翼を駆って付いて来る。

「なんとか撒けたね。メノル・ライトに感謝だ」

 アラタはシュウヤに掴まれたまま後ろを振り返って、名前しか知らない相手に感謝した。シュウヤも小さく息をつく。

「うおわぁ!?」

「わっ!」

 途端、翼の動きが止まってシュウヤの体が落下する。

「危ない!」

 クルミが咄嗟にシュウヤの腕を掴んだ。しかし彼女の力は男二人分の体重を支えるには足りず、ずるずると下に落ちていく。

『……あっ』

 シュウヤの頭に寝起きのようなゆるい声が響くと同時に、黒い翼が羽ばたくのを再開した。シュウヤたちの体は緩やかに元の高度を取り戻す。

 シュウヤは安堵の吐息をついた。

「ありがとな、クルミ、……リーア」

「ううん、無事でよかった」

 クルミは微笑んだ。頭の中には随分久しぶりな気のする声がした。

『まだ、気が抜けると支配も解けてしまうようですね』


 眼下の雲は次第に薄くなり、雷も収まってきた。リーアが翼を操って地面に近付くので、シュウヤはタイミングを見計らって着陸する。その後から緩やかに下降してきたクルミも続いた。

 アラタはシュウヤに地面に降ろされるとようやく生きた心地がしたような深いため息をついて、言った。

「これからどうするんだい?どうやら軍はメノル・ライトを追いかけて行ったらしいけど」

 シュウヤは頷く。確かに、これからどうするのかをまず決めないといけない。

 もちろん雨の正体とかスーの行方とか、考え出したらきりが無いが、生活するための品々は軍に持って行かれてしまったのだ。ゆっくり考え込んでいる暇はない。一刻も早く行動を起こさなくては。

「私、ランじいに頼んでみるよ」

「いいのか?」

 クルミは頷いた。アラタもうーんと唸りながら賛成する。

「それがいいかも知れない。町からも離れてしまったし、この辺りで僕たちが頼れる人はランじいくらいしかいないよ。……なんとかお願いしてみよう」

 果たして、無口な刃物職人は二つ返事で了承してくれた。

「ありがとうございます!」

「いい」

 ランじいは言葉少なにそう言って、店の奥へ頼まれたものを取りに行った。

 シュウヤは彼には一生頭が上がりそうにない。恐らくクルミもそう感じているのだろう、何度も頭を下げていた。

 少しして、彼はパンパンに物の詰まった袋を手に戻ってきた。それを作業机の上に置いたと思うと、店内を見回して分厚い刀を一つ手に取ると荷物の上に置いた。

「これは……?」

「持って行け」

 ランじいの目がクルミの脇差に向いた。

 シュウヤが借りた時に抜いた鞘を取りに戻れなかったので、今はシンプルに刃先に布が巻いてある。

「小僧が使ったのだろう。刃が少しこぼれている。あれは、力任せに使う剣ではないからな」

 シュウヤは目を瞬かせた。確かにあの刀は刃こぼれしてしまっているが、布が巻いてある以上それは外からではわからないはずだ。

 驚いている様子のシュウヤを見て、ランじいは微かな笑い声を上げた。

「刃こぼれくらいは、見ずともわかる」

 そう言って、彼はクルミから脇差を取り上げ、シュウヤに新しい刀を押し付ける。シュウヤはそれを反射的に受け取った。

「……クルミを守れ」

 ランじいはそれだけを言うと、店の奥に引っ込んでいってしまった。

 シュウヤは自分の手にある刀を見つめる。クルミの持っていた脇差よりも、ずっと重たかった。彼はそれを腰にしっかりと取り付けた。

 三人は店の奥に一礼すると、小屋を後にした。


 市長に見つからないよう、三人は上海地下市を足早に通り抜ける。

 クルミは時々ちらりと後ろを振り返っていた。いい思い出は無いそうだが、やはり五年間過ごした場所、離れるとなると寂しさもあるのだろう。

 階段の前まで辿り着いて、また後ろを眺めるクルミに、シュウヤは声をかけた。

「クルミ、本当にいいのか?」

 クルミはシュウヤを驚いたように振り返ると、くすりと笑った。

「びっくりした。シュウヤ、ずいぶん紳士になったんだね」

 五年前に地下を抜け出した時のことを言っているのだと気付いて、シュウヤは若干顔をそむける。

「そりゃ……五年も経てば多少大人にもなる」

 クルミはおかしそうな顔をして、地下市に背を向けた。

「大丈夫。ただ、私が暮らした場所を覚えておこうと思っただけ」

 未練はないよ、と彼女は言った。

「行こう」

 地下を出るときは彼女が先頭だった。その背中を見ながら、シュウヤは五年前のクルミの気持ちを想像していた。

 地上に出て、三人は辺りを見渡す。木や草はあるが、今くぐってきた壊れた鉄板以外には人工物らしきものが全く見当たらない。

「とりあえず、今後の方針を立てないとね。当面の食糧は手に入ったけど、これで食い繋げるのもそう長くないだろうし」

 アラタが地面に座った。文字通り腰を据えて話し合う構えだ。シュウヤとクルミもそれに倣った。

「町にさえ着ければな」

「町って言っても、どの方向に行くかでいろいろ変わってくるだろう?」

「今まではどこに向かってたの?」

「今まで……は……意味もなく西に向かってたな」

 シュウヤは飛び跳ねるシロップの姿を思い出しながら言った。

「途中でスーに会って、そこからはクルミのいる地下居住区を目指してきたんだ」

「そっか。シロップちゃん?は、一人で西に行っちゃったんだよね?」

「ああそうだ、シロップを追いかけなくちゃ!」

 アラタがふと思い出したようにポンと手を打った。

「そう遠くには行ってないはずだし!他に目標になりそうなことも無いんだろう?」


「いや、目標ならある」

 シュウヤがきっぱりと言ったので、クルミとアラタの目が同時に彼に向いた。

「軍の本部を突き止めることだ」

 アラタが首を傾げる。

「どうして本部を突き止めるんだい?」

「今朝、スーが言ってたこと、二人には聞こえてたか?()()()()()()()()()()

 二人は同時に口をつぐんだ。

「あれ、夢じゃなかったんだ……」

「……ああ、それに二人とも見ただろ?あのよくわからない機械がナイトメア級を引き起こすところを。あれだけに限らず、血なんかが空から自然に降ってくるわけがない。この二つが示すことは……」

 三人は顔を見合わせた。

「死の雨は、人の手によって引き起こされている」

 その場に深刻な空気が漂う。

「あのがれきみたいな機械、『開拓軍』と言っていた。十中八九あの軍のことだ。つまり、軍は死の雨に密接に関わっているという事だ」

「だから、軍の本部に行くのか」

 そこでクルミが当然の疑問を発した。

「軍の本部って、どこにあるの?」

「それは、僕も考えていたところだよ」

「ああそれなら、俺の考えが正しければ……。アラタ、水使わせてくれ」

「え?うん」

 アラタが機械翼の燃料タンクを開く。もはや慣れた手順を経て、シュウヤの背から巨大な黒い翼が発生した。

 シュウヤは声に出して話しかける。

「リーア、この質問を聞いたら、入れ替わってくれ。お前は軍の本部の場所を知っているか?」

「シュウヤ、何を……」

「ええ、知っています」

 クルミとアラタは、突然変わったシュウヤの雰囲気とその答えに驚いた。

「もしかして、リーアさん……?」

「はい。シュウヤの体を使わせてもらっています」

「本部がどこだかわかるの?」

「もちろん」

 シュウヤは彼らしからぬ謎めいた笑みを浮かべた。

「私はそこに捕らえられていましたからね。当然場所も知っていますよ」

「捕らえ……?」

「こちらの話です」

 彼、いや彼女はそう言うと、何かを読み取るように目を閉じた。シュウヤの記憶を読んでいるのかもしれない。

「ここは……ふむ、大陸中央ですかね。ならば、彼らの本部は」

 彼女は納得したように一つ頷いた。

「西ですね」

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