不可侵
クルミはスーの金色の翼、ラッグを見てほうっとため息をついた。一度この姿は見ているはずだが、何度見ても感動するのはシュウヤにもよくわかる。アラタも放心したように彼女を見ていた。
彼らは、これがスーの催眠だという事を知らない。
『……』
リーアは何も言わない。
「どうして本当の姿を見せないんだ?」
シュウヤが言うと、クルミとアラタは振り返って目をぱちくりさせた。
「見た目というのは人間にとって重要なものでしょう?だから、私もこの姿でいることが大事なの」
「……?」
相変わらず何を言っているのか分からなかった。この姿でいるのに何か理由があるらしい、という事しか。
アラタが本題を思い出したように言った。
「僕たち、軍に追われててしばらく見つからないところに身を隠さないといけないんだ。ここに居させてもらえないかな?」
スーは軽く首を傾げた。
「雨が降るわよ」
「ナイトメア級のことなら大丈夫です。スーさんがくれたこの機械、私、結構うまく使えるんですよ」
クルミが誇らしげに言った。
スーは、そう、とだけ言うと瓦礫の山を見上げた。
「どれくらい保つか分からないけど……、いいわ」
「ここに居てもいいのかい!?」
スーはこっくりと頷いた。三人はほっと息をつく。
「それだけ?」
「え?」
安心かけていた三人に向かって、スーは唐突に訊いた。彼女の目がシュウヤをまっすぐ射貫く。
「訊きたいことがあるのでしょう」
また心を読んだのだろうか。
いや、とシュウヤは思い直した。スーは、自分の力は催眠と記憶の読み取りだと言っていた。ならば、これもシュウヤの記憶を読み取った結果なのだろう。
シュウヤは考えて、思い当たった。リーアが言っていたのだ、スーなら雨の秘密を知っていると。次に彼女に会ったらすぐにでも聞くつもりでいたのだが、色々あって忘れてしまっていた。
「雨について知りたい」
スーの目が細くなる。その反応を見て、シュウヤは確信した。彼女は全てを知っている。
「雨について?どういうこと?」
クルミが不安げに訊いてきた。
スーは、彼女をちらりと見て、それからシュウヤの翼に、リーアに目を向けた。
次の瞬間、シュウヤは激しい頭痛に襲われた。
ふらりとよろめく足をなんとか踏ん張りながら、シュウヤはこれがスーに軍の基地で出会った時と同じものだという事に気付いた。
(リーア、いる?)
『なんですか?』
(私が言ってもいいの?)
『……ええ、構わないから、こうしてあなたに聞くように彼に伝えたのです』
シュウヤは自分の頭の中で行われる二人のやり取りを痛みに耐えながら聞いていた。
(そう)
「あっ……あれ!」
外から聞こえてきたアラタの声とともに、ふっと頭痛が引いた。
シュウヤが顔を上げると、スーは無表情で彼の頭の向こうを見ていた。
「シュウヤ、どうしよう……」
慌てたようなクルミの声に呼ばれて振り返った。
荒れ地のずっと奥から、黒い波のようなものが近付いてくる。近付くにつれて、クルミほどに目がよくないシュウヤでもそれがはっきりと見えた。
それは、機械翼を展開させてこちらに迫ってくる黒い軍隊だった。
「そんな!どうしてこんなに早く!?」
アラタが混乱したような声を上げる。
「逃げてくるときに見られたか……?」
『スーに逃げるよう言ってください!』
リーアが焦ったような声を出した。
『彼らは賢者を連れ去ろうとするでしょう。スーが見つかったらただごとでは済みません。そうなる前に早く!』
彼女の声に鬼気迫るものを感じて、シュウヤは急いでスーを振り向いた。しかし、その時にはもう、スーは翼をはためかせて空中に飛び上がっていた。まるで自分を見つけてもらおうとしているかのように。
彼女の姿を見て、近付いて来ていた軍はどよめいた。その中から一人の兵が一気にスピードを増して近付いてくる。隈の目立つその目は殺気立ち、視線だけで人が殺せそうだ。
「くそっ……」
シュウヤはコナーとスーの間に立ちはだかった。
「クルミ!その脇差、貸してくれ!」
「え!?うん!」
クルミは急いで脇差を腰から外すと、シュウヤに放ってよこした。シュウヤはそれを抜き放って鞘を後ろに捨てる。
「防御形態になってろよ!」
クルミとアラタが青い球体に包まれるのとほぼ同時に、コナーはスクリーンシューターを引き上げた。
狙いはシュウヤではなく、頭上のスー。
「!!」
一瞬思考が止まった。その間に、背中の翼が大きく羽ばたいて飛び上がり、スーの前に割り込んだ。
シュウヤは目の前に迫った青い光を反射的に脇差で受ける。円筒形の光は刃先にぶつかって二つに割れ、右と左に逸れていった。
「ありがとな、リーア」
『気を付けてください』
リーアは苛立ったように返す。その正面で、コナーはもっと苛立った顔で舌打ちをした。
「邪魔すんじゃねえ、ガキ。今はてめえなんざに構ってる暇は無えんだよ」
しっしっと顔の前で手を振った。さっきまで地下でシュウヤたちを探していたのではなかったのか。
後ろから来ていた兵たちがようやくコナーに追いついてきた。
「遅えぞ、何してやがる。β陣形!」
コナーが号令をかけると、彼らは機械翼の駆動音を響かせてスーとシュウヤを取り囲むように広がった。コナーはシュウヤの正面まで青い光の翼を広げて浮き上がってきた。
その目は、シュウヤの後ろに飛ぶスーに向けられている。
「手間かけさせやがって……。ちょこまかちょこまかと逃げ回ってんじゃねえよ。今度こそ逃がさねえぞ、リーア・ラッグ!」
シュウヤは思わずスーを振り向いた。彼女の目が、シュウヤの喉までせり上がってきていた質問を黙殺する。
「そろそろ上とかマシューとかがうるせえんだよ。いい加減手間かけさせんじゃねえ」
コナーはそんなシュウヤの困惑など露ほども気にせず、疲れの混じった凶悪な目でスーを睨みつけた。どうやら、彼女がリーアだと思い込んでいるようだ。
シュウヤは、彼らがラッグを探していると言っていたことを思い出した。
『だから、スーはあんな姿を……』
リーアはぽつりと呟いた。
スーはシュウヤの肩に手を置くと、するりと彼の脇をすり抜けてコナーの前に出た。
「ちょ……」
「ようやく覚悟ができたってか?」
腕を組むコナーを前に、スーは顔色一つ変えずに言った。
「あなたがたから逃げきる覚悟なら、とうに出来ています」
口調がいつもと違う。スーは、明らかに自分からリーアのふりをしていた。
コナーはため息を一つつくと、片手を持ち上げた。
シュウヤたちを取り囲む兵たちの更に後ろから、他よりも一回り大きなスクリーンシューターを構えた兵たちが何人も飛び出してきた。
シュウヤがそれが何なのか頭を巡らす前に、スーにぐいっと引っ張られて勢いよく上昇した。そのシュウヤの足元すれすれを、スクリーンシューターの青白い光が通過していく。
『いや……あれは、スクリーンシューターではありませんね』
リーアが緊張した声色で言った。シュウヤが視線を下ろすと、そこには蜘蛛の巣のように絡まった青白く光る縄のようなものがあった。
「あれは……」
「私を捕獲するための道具」
スーが何の感情も無しにさらりと言った。
「捕獲って……」
見上げれば、何?とでもいうように落ち着き払っている。こんな状況には慣れきっているように見えた。一体いつからこうして逃げ回っているのだろうか。
「次!」
コナーの怒号が聞こえて、またしても青白い縄が飛んだ。
スーはシュウヤの体を空中で突き飛ばすと、彼とは反対の方向に飛んでいく。青白い縄は飛んで行く彼女の後を追うように次々と発射される。
『スー!!』
「うわっ!?」
黒い翼がぶわりと広がって、シュウヤの体を強引に引き上げる。
『スーの後を追いますよ!』
「ああ、分かった!」
答えてから、シュウヤはふと思いなおす。
「追ってどうすんだよ!」
『助けるんですよ、当然でしょう!』
いつもの様子からは考えられない程に、リーアは冷静さを失っていた。飛び方も乱暴で、翼が一回動くたびにシュウヤの体が上下に揺れる。
シュウヤは後ろを振り向いた。クルミとアラタは、地上に立ち尽くしてぽかんと上を見つめていた。しかしクルミは、シュウヤがスーを追いかけて飛び出したのを見て自分も機械翼を起動させる。
「クルミ!来るんじゃねえ!」
シュウヤが後ろを向いて叫ぶも、エギルの羽ばたく音や大量の機械翼の駆動音でかき消されてクルミには届かない。
クルミは自分のスクリーンシューターを引き上げ、先ほどからスーに向けて縄を放ち続けている兵の一人に向けて迷いなく引き金を引いた。
その兵は予期せぬ方向からの攻撃に反応しきれず、防御形態も展開できなかった。
青白い光線は彼の体に一切触れることなく、その武器だけを正確無比に撃ち抜いた。彼はバランスを失い地上に落ちる。
クルミはスクリーンシューターを次々に撃ち続け、その度にスーを狙う捕獲兵が減っていく。
「すげ……」
シュウヤは思わずつぶやいた。クルミにこんな才能があったとは、知らなかった。
前を飛んでいたスーも、突然縄が飛んでこなくなったので不思議そうに振り返った。
「振り返んな、今のうちに逃げろ!」
「くそっ!」
シュウヤの声と、コナーのスクリーンシューターを構える音が同時だった。
振り向くと、コナーの銃口は真っ直ぐクルミに向かっていた。シュウヤの背にぞっと冷たいものが走る。
「クルミ!!」
体中に力がみなぎるのを感じた。感覚が研ぎ澄まされていく。
その瞬間、シュウヤは自分の能力を支配していた。
黒い翼が自分の体の一部のように動く。シュウヤは風を切ってクルミの元へ急降下した。
その時。
――ビィーーッ、ビィーーッ、ビィーーッ……
本能に危険を訴えるような警告音が大音量で鳴り響いた。
引き金を今にも引こうとしていたコナーの指が緩む。彼は自分の背を振り返った。
警告音を発しているのは彼の機械翼だったのだ。
間髪入れずに、シュウヤの正面辺りにいた兵の機械翼が同じ警告音を発する。彼は困惑したように後ろに目を向けた。
警告音はすぐに辺り一帯に広がった。クルミやアラタの機械翼まで同じ音を発している。そしてすべての機械翼の警告灯が、真っ赤に光っていた。
「赤……これって……」
ふと、シュウヤは視界の端に不自然な動きを見た。そちらに目を向けると、黒い瓦礫の山がガタガタと振動していた。
――警告、定期発射を開始する。付近の開拓軍は速やかに上空に避難せよ。繰り返す――
まるで機械のような無機質な声が聞こえると同時に、スクリーンシューターを構えていた軍は散り散りになり、上に向かって弾丸のように飛び出した。
何が起こっているのか理解するよりも早く、シュウヤは本能で動いていた。
翼を縮めて空気抵抗を極限まで減らし、地上まで急降下。ヒュッと地上をかすめるように飛んでクルミとアラタを両脇に抱えると、軍の後を追って今度は垂直に急上昇する。
風を切る轟音が耳を叩いてもなお、瓦礫の山が発する地鳴りのような不穏な音は聞こえてきた。
――間もなく発射を開始する。発射まで、さん……、に……。
白い霧のような雲が近付いて来ている。シュウヤは抱える二人を落とさないように力を入れた。
――いち。
雲が目の前まで近付いたとき、こぶし大の光の球がヒュッとシュウヤたちを追い越した。
「雨の正体は、賢者の血よ」
光の球が雲に触れると同時に、脳を揺さぶるような凄まじい爆発音が鼓膜をビリビリと叩いた。
それと同時に、シュウヤは雲を突き抜ける。
「……え、何?」
ぎゅっと目をつぶっていたクルミは、目を開けると同時に周りをきょろきょろと見回した。足元には白い雲の層、頭上には照り付ける太陽。
そして周りには一歩先にここに来た兵たちが大勢浮いていて、未だに警告音があちこちで鳴り響いている。
問いかけるようにクルミが見上げてきたが、シュウヤは返事をするどころではなかった。
研ぎ澄まされた視線を360度巡らせる。
そこに、スーの姿は無かった。




