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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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脱出

 バタン、とドアが乱暴に開かれた。その後、コナー・バスカヴィルは開いたドアを面倒そうにノックする。

 開いた後にノックして何の意味があるのかと言えば、中に住んでいる人間を驚かすぐらいだ。しかしそれが彼の目的だった。

 残念ながらコナーの目的は果たされなかった。中に座っていたランじいは皺だらけの顔でじっとコナーを見据えていたのだ。もちろん驚いた様子などこれっぽっちも無い。

 シュウヤ、クルミ、アラタの三人は、大きな作業台の裏側で並んで息をひそめていた。曲がりなりにも刃物職人の小屋、隠れられるスペースはいくらでもある。

「何だ、爺さん一人か?窓から人影がいくつか見えた気がするんだが」

「一人だ」

 ランじいはしわがれた声でゆっくりと言った。表情の出ない顔と声色が幸いして、不自然には思われていないようだ。

 コナーは小屋の中を見回しているのか、一旦声が途切れた。アラタが不安そうにこちらに目を走らせるが、シュウヤは無言で動くなと伝える。一方クルミは身じろぎもせず、完全に気配をひそめていた。

「……そうか。この荷物の持ち主を探してる。見覚えはねえか」

 ガシャ、と荷物の中身がぶつかる音がする。シュウヤとアラタが今まで集めてきた生活用品などの入ったリュックは、どうやらもう見ることは無さそうだ。

「……無いな」

「よく思い出せ。最近、ここに地上からガキが三人来なかったか」

「来とらん」

 ランじいはきっぱりと返す。コナーは苛々とため息をついた。

 シュウヤはランじいに感謝していた。コナーは勘が鋭い。ここに長居すればするほど、シュウヤたちに気が付く確率は上がっていくだろう。さっきの少年と同じようにさっさと追い返すに越したことは無い。

「ん?」

 ふと、コナーが声を上げた。足音が近付いてくる。

 シュウヤたちは闇に溶け込もうとするように身を寄せ合った。

 作業台のすぐ上に誰かの気配を感じた。どうやらこちらに身を乗り出しているようだ。

「なんだ、刃物職人か何かか?」

 コナーは作業台の上から何かを手に取った。刃物を作るときの道具が乗っていたのだろう。

「そうだ」

「よく材料が手に入ったな」

「ここは地下じゃ、鉱業だけは事欠かん」

「……。見なかったことにしておくか」

 コナーはぼそりと呟くと作業台から離れていった。シュウヤたちは、止めていた息を音を立てずに吐いた。

 そのまま帰れ、帰れと心の中で念じる。

「おい爺さん、ここには区長がいるのか」

 遠ざかっていた足音が途中で止まって、コナーが言った。

「市長はいる」

「へえ。役所はどこにある?」

「そこの通りの奥だ。看板が出ているからわかる」

「そうか。助かった」

 彼がちゃんと礼を言うとは思わなかったのでシュウヤは意外に思った。足音がようやく小屋を出ていく。クルミとアラタが同時に安どのため息をついた、その時。

「こっちです!」

 外から、さっきの少年の声が聞こえてきた。誰かを連れてきたようだ。

 作業台の隙間からそろりと外を見たアラタの顔が、さあっと青ざめた。

「どうしたんだ?」

 シュウヤは小声で訊く。

「……市長だ」

 アラタは絶望的な声で言った。

 シュウヤは頭を抱えたくなった。これ以上悪くならないと思っていた状況がさらに悪化した。

「何者かしら」

 市長が鋭い声色でコナーに問いかけた。あのきつい目線でコナーの格好をじろじろと眺めまわしているのだろう。

「あんたが市長か?」

 コナーは質問に質問で返した。いささか意外そうな声だ。市長が女性だとは思っていなかったのかもしれない。

「質問に答えなさい。あなたは地上から来たのでしょう」

 市長は威圧的な口調で言った。

 シュウヤたちが息をひそめていると、ランじいが作業台を引っ張ってのぞき込んできた。

「逃げろ。裏口がある」

 ランじいは低い声で唸るように言った。三人は顔を見合わせると、ランじいの作った隙間から足音を立てずに抜け出した。

 裏口はカーテンの裏に隠れていて、最初そこにあるということに気付かなかった。シュウヤたちはカーテンの裏側に入る。

「ここを作ったのは誰だ?入口が壊されるまで、ここに地下居住区があるってことすら上は気付いてなかったが」

 シュウヤは足を止めた。

「シュウヤ?」

 既に裏口から外に抜け出したクルミが、立ち止まったシュウヤを振り返る。シュウヤは「先に行け」と手振りで伝えて耳を澄ました。

 市長はコナーの質問に戸惑っているようだ。

「上海地下市は元上海市民が力を合わせて作ったもの。軍事組織などは一切介入していないわ」

「なるほど。そうじゃないかとは思ったが」

 コナーはしばらく考えるように黙っていたが、ふと思い出したように言った。

「ところで、地上から来たガキどもを探してるんだが」

「シュウヤ、早く!」

 クルミとアラタに両腕を引っ張られて、シュウヤは裏口から小屋を出た。その勢いで、扉が音を立てて閉まる。外の話し声がぴたりと止んだ。

「やべ……」

「急いで!」

 クルミが焦ったように手招きした。シュウヤたちは彼女についてスラム街を走り抜ける。

 クルミは心配そうに後ろを振り返る。背後からは、裏口を見つけたコナーの悔しそうな声が聞こえてきていた。


 なんとか階段のあたりまで駆け戻って、シュウヤたちは息を整えた。

「ここからは注意しないとな」

「どうして?」

 クルミが首を傾げる。そう言えば、クルミはコナーに会うのはこれが初めてだった。

「部下がいるんだよ。すごくたくさんね。だから、コナーがここにいるってことは、部下たちが地上で待っている可能性も高いんだ」

 アラタが説明すると、クルミはごくりと唾を飲んだ。

 シュウヤも内心焦っていた。地上で待っている軍の人間があまりに多ければ、シュウヤたちは地下から抜け出すことができない。ここに閉じ込められることになってしまうのだ。

「とにかく、行って確認してみない事には始まらない。音を立てないように慎重に行くぞ」

 シュウヤが言うと、クルミとアラタは頷いた。

 そろりそろりと階段を上る。ただでさえ長い階段が、永遠に続くような気さえしてくる。

「見えた」

 シュウヤが囁くと、後ろに続く二人も息をひそめた。階段に張り付くようにして上の様子を探る。

 予想通り、地上には見覚えのある黒い軍服を着た男たちが何人も立っていた。もう少し奥に目を移すとテントがあった場所は綺麗に何もなくなっているのが見えた。

 そこで、シュウヤは自分のリュックに入っていた、雨について書かれた紙のことを思い出した。今思えば、あれも軍によって書かれたものなのだろう。あの紙も軍の施設から盗んだと思われたかもしれない。今更だが。

「どんな感じ?」

 クルミが器用に腹這いで階段をよじ登りながら訊いた。一体どういうテクニックなのか、衣擦れの音さえ聞こえない。

 シュウヤは階段の端に詰めて、クルミが隣に入れるようにした。彼女も首を伸ばしてそっと上を覗く。

「あの人たちが軍の?」

「ああ」

「多いね……」

「そうだな。でも、全員ではないみたいだ」

 五、六十人。せいぜい三分の一か、もう少し少ないだろう。前に軍と遭遇した時に第一小隊やら第三小隊やらと言っていたので、その隊のうちの一つかもしれない。

 クルミはこれで三分の一と聞いて唖然としている。

「どうするの?」

 話が聞こえていたらしいアラタが後ろから訊いてくる。

「軍がここから離れるまで、どこか安全な所に隠れておくしかないよな」

「安全な所って?」

 クルミのもっともな質問にシュウヤは首をひねった。自分で言った事だが、地下の他に安全な所なんて思いつかなかった。

「じゃあさ」

 アラタがクルミの隣によじ登ってきた。三人横に並ぶとかなり狭い。

「スーのところに行くっていうのは?」

 アラタは嬉しそうに言った。彼は前々からスーに会いたがっていたから、いい機会だと思ったのかもしれない。

 シュウヤは考え込んだ。確かにあそこはナイトメア級発生区域だ、いくら軍でもそうそう入って来ないかもしれない。

「でもなあ……」

「大丈夫だよ、クルミだってもう相当機械翼の扱いに慣れてきてるんだから」

「お前がダメだろ」

 シュウヤが指摘すると、アラタはうっと言葉に詰まった。

 クルミはがっくりと黙り込んだアラタの様子を見ていたが、うんと一人頷くと彼の肩に手を置いた。

「心配しないで。飛ばないといけなくなった時は、私がアラタくんを運ぶよ」

「え!?おま……力足りんのかよ」

「大丈夫!」

 クルミはやけに自信満々に言った。

「本当に大変な時は、火事場の馬鹿力っていう非常用エンジンがあるからね」

 クルミはそんなことをさらりと言ってのけると、余計に心配げな表情になったシュウヤに向かって真剣な口調で言った。

「シュウヤ。やるときは思い切ってやっちゃわないと、後で後悔するの。私は後悔したくない」

 シュウヤは彼女のきっぱりとした口調に目を瞬かせた。これが本当に、あのクルミなのだろうか。

 そして、頷く。

「わかった。もしもの時は、オレがアラタを抱えて飛ぼう」

「ううー……ごめんよお」

 アラタは申し訳なさそうな声を出した。

「謝るなら考えてくれ。あの人数の敵に見つからずにここを抜け出す方法はあるか?」

 アラタは首を傾げて、地上に首を伸ばした。注意深く周囲を観察しているようだ。

「幸い、こちらをずっと見ている人はいないみたいだ。きっと、コナー以外が地下から出てくるとは思ってないんだね。コナーが地下に入ってから時間も経ってるし、注意力も切れてきているところだろう。見られるか、よっぽど大きな音を立てない限りは見つからないと思うよ」

「音はいいけど、見られないようにするってところがなあ」

 クルミも頷く。

「じゃあ、古典的な方法で行こうか」

「古典的?」

 アラタのほうを見て、ぎょっとした。彼は前触れも無しに機械翼を起動させていたのだ。

「え?おい、何してんだよ、光が漏れるぞ!」

「一瞬だから大丈夫!」

 そう言って、アラタはスクリーンシューターを地上に向けて引っ張り上げた。

「まさか――」

 そのまさかだった。アラタは青白い光線を遠くに向けて思い切り放ったのだ。

 地上にいた大勢の目が一斉にそちらを向く。

「今だ!」

 三人はバッと勢いよく階段から飛び出して、スーのいる荒れ地に向かって全力で走った。

「不審に思われたかなあ!?」

「当たり前だろ、元々あいつらの武器だぞ!?」

「でも、うまくいったね!」

 クルミは走りながら言った。なぜか楽しそうだ。


 そのままの勢いで森に飛び込んで、三人はようやく息をついた。ここまで来れば、木に隠れて向こうから見えることも無いだろう。夜の闇もこちらに味方してくれる。

 息を整えてから、荒れ地に向かって歩く。

 黒い鎖を跨ぐ頃には、空の端がぼんやりと白み始めていた。

「アラタ、タンクの雨水、少し使ってもいいか」

「ああ、いいよ。翼を呼び出すんだね」

 シュウヤは機械翼のタンクに入った雨水を使ってリーアを呼び出した。背中に巨大な黒い翼が開く。

 クルミは相変わらず慣れないらしく、巨大な翼を驚きと恐れの入り混じった表情で見上げている。

『……おや?スーのところに行くんですか』

「俺の記憶を読んでいいぞ」

『失礼します』

 リーアはふむ、と呟いた。黒い翼がそれと同時にふわりと動く。

「行こうか」

 アラタが興味深そうに翼を見上げながらも先を促した。

 しばらく歩いて、三人はようやく瓦礫の山まで辿り着いた。スーは瓦礫の上に立っていた。まるで三人が来ることをあらかじめ分かっていたかのような静かな笑みを浮かべて。朝白みを背景に立つ彼女は、本物の天使のように絵になっていた。

「あの時の……」

 クルミがぽつりと呟いた。五年前、スーに助けられた時のことを覚えているのかもしれない。

 スーはシュウヤ、クルミ、アラタ、そしてシュウヤの背に広がる黒い翼を順に見ながら瓦礫の山を下りた。

「いらっしゃい」

 彼女の今までと変わらないはずの声色は、シュウヤを緊張で包んだ。

 ふわりと背中から姿を現した彼女の翼は淡い金色だった。

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