悪夢の予感
眠れなかった。昨日もほとんど寝ていないし、さすがに今日は寝ないといけないとは思うのだが、思っただけで寝られるはずもなく。
少し離れたところで寝ているアラタの幸せそうな寝息が聞こえてきた。
あの後、日が沈み始めたころに帰ってきたシュウヤはクルミとアラタの質問攻めにあった。
クルミは本気で心配してくれていたが、アラタは目を輝かせていて恐らくシュウヤの心配はしていなかったと思う。
そんなアラタも、シュウヤが手に持っていたものを手渡すと口を閉ざした。それは、あの後スーに渡された機械翼だった。
アラタはシュウヤの顔と機械翼を見比べた。きっと、スーからそれを受け取ったときはシュウヤも似たような反応をしていたのだろう。彼女は瓦礫の上にあらかじめ置いてあったらしいそれを、お土産を渡すような気軽さで渡してきたのだ。
「一つ足りないかと思って」
と当然のように言ってきたスーはむしろ理由を聞かれたことに驚いていたようで、どうしてそれを持っているのかが訊きたかった、などとは言い直せなかった。
アラタとシュウヤとの違いは、それをもらった後に喜んだかどうかだった。
本当はクルミにあげずに持っていたかったのだろう。新しい機械翼を手にしたアラタは飛び上がるほどに喜んで、明日スーにお礼を言いに行くと言い張った。
一体何がどうなっているのだ。
シュウヤはもぞりと寝袋の中で身じろぐ。その背中には当然ながら黒い翼は無い。
あまりに眠れないので、シュウヤは起きあがってテントから抜け出した。
空は晴れて、今日も数えきれないほどの流れ星が頭上を流れている。シュウヤはテントの外に置いてあるバケツから雨水をすくうと、背中に無造作にかけた。
間髪入れずに背中に黒い翼が現れる。慣れてきているのだろうか。
『どうかしましたか?』
頭の中に、リーアの声が聞こえた。
『……ああ、なるほど。子守唄を歌ってほしいのですね?』
「違えよ」
ふわりと得意げに開いた翼が、ゆるゆると閉じていく。歌いたかったのだろうか。
「大した用事は無いんだ。……悪い、勝手に呼びだして」
『いいえ、いいんですよ。私も話し相手がいなくて退屈していたところです』
何となく、リーアがそう言うのではないかと思っていた。「羽化」に慣れて彼女の気持ちが読めるようになってきているのかもしれない。
『しかし「羽化」しないと話ができないとは、なんとも不便ですね』
「切り替えが効いて便利じゃないか?」
『普通は効かないものなんですけどね』
リーアが納得いかなそうな声を出した。シュウヤはテントから少し離れた木の根元に腰かけた。翼が緩やかに広がって、木に背中を預けやすい形になる。
「おう、ありがとう」
『どういたしまして』
「この間とか、それより前に空を飛んだ時とかも、こうやって力を貸してくれたのか?」
シュウヤが訊くと、返事までの間に少し時間が空く。
『……すみません、身に覚えがないのですが』
「そうなのか?この間なんて、翼広げてクルミを雨から守ってくれたじゃないか」
『それは、あなたが自分でやったのではないですか?』
「自分で?」
支配する、とはスーも言っていた。しかし今のところ、このエギルと云うらしい黒い翼は完全にリーアの意思で動いている。シュウヤが入り込む余地は無いように思えた。
『私はやろうと思えばあなたから体の主導権を奪い取ることができます。今は体と翼で住み分けをしていますが、自分の意思が及ぶ領域を拡大することは容易なのです。あなたにも、同じことができるはずです』
「そう言われてもなあ……」
『必要なのは気合いですよ。最後は力ずくです』
シュウヤは失笑した。丁寧な口調で意外と物騒なことを言う。
「気合いか」
シュウヤはふんっとへそに力を入れてみたが、やはりそれだけでは何も起きなかった。
「だめだな」
『だめですね。気合いが足りません』
シュウヤは更に何度か試してみたが、どれも無駄に終わった。
彼は諦めて再び木に背中を預ける。
「雨って何なんだろうな」
シュウヤは夜空を見上げながら何とはなしに呟いた。
『雨は雨でしょう』
「でも、十五年前までは雨に当たっても死ぬことは無かったんだろ?」
『……ああ、そう、ですね』
リーアが変に口ごもったのでシュウヤはちらりと黒い翼を振り向いた。
「どうした?」
『いいえ。……雨のことですが、スーに聞いてみるといいかもしれません』
「スーが何か知ってるのか?」
『何もかも。隠していなければ、教えてくれるはずです』
スーが全てを知っていると聞いても、シュウヤは不思議には思わなかった。
「なあ、リー……」
『静かに』
リーアが突然声を潜めたので、シュウヤは反射的に口をつぐんだ。が、少ししてからリーアの声は外に聞こえないことに気が付いた。
『誰か来ます』
しかし彼女は声を潜めたままに言った。
言われてみると、確かに地下に続く階段のあたりから物音が聞こえてきた。階段を上ってくる足音のようにも聞こえる。
「リーア」
シュウヤは小声で呼びかける。リーアは彼の言いたいことがわかったらしく、それ以上何も聞かずに静かに翼を畳んだ。
黒い翼はシュウヤの背から音もなく消える。
足音は少しずつ大きくなってくる。まるで足音を隠そうとするようなすり足のそれは、かえってシュウヤの警戒を強めさせた。
階段から何者かが姿を現す。シュウヤは息をひそめて目を凝らした。
「……クルミ?」
シュウヤは気が抜けたような声を上げて肩の力を抜いた。
階段から地上に出てきたクルミはそっと左右を見回してシュウヤの姿を捉えると、一瞬目を丸くしてから近付いてきた。
「シュウヤ?何してるの?」
「ちょっと眠れなくて……って、それはこっちの台詞だろ」
「ごめんね、こんな夜中に押しかけて」
申し訳なさそうに身を縮めるクルミに、それ以上何も訊けなくなってしまった。
「とりあえず、こっち来いよ。寒いだろ?」
そう言ってシュウヤはクルミをテントまで引っ張っていった。
クルミをテントの外に待たせておいて、シュウヤは何かよくわからない寝言を言っているアラタを叩き起こした。
「魚雷!?……って、シュウヤか」
「何の夢見てんだよ」
「どうしたの?」
シュウヤがテントの外を指さしたので、アラタはもぞもぞと寝袋を抜け出して外に出た。
その間に、シュウヤは自分の荷物から比較的綺麗な上着を引っ張り出す。
「んん?え、どういうこと?」
テントを出るとアラタが難しい顔をしていた。
「どうしたんだ」
シュウヤはクルミに上着を手渡しながら二人を見比べる。クルミは上着を受け取ると、よほど寒かったのかいそいそとそれを着込んだ。
日本ではまだ暑さの残る時期だが、この辺りだともう日本の秋並みに寒い。夜だと地下よりも地上の方が冷えるのだ。
「ありがと」
クルミはそう言って上着のファスナーを顎のあたりまで閉めた。
「クルミ、家出して来たんだって」
アラタが焦ったような口調で言う。
「家出?」
「い、家出っていうか……、その……、うん」
クルミは他の言い方を探していたようだったが、結局おずおずと頷いた。
「なんで」
シュウヤが効くと、クルミは言いにくそうに少し目線を下にずらした。
「地下にはそもそも私の居場所なんて無かったし……。ほら、あそこの人たちが地上のものを恐れてるの、知ってるでしょ?」
そう言ってから、今度は照れ臭そうに微笑んだ。
「私も、シュウヤたちと一緒に行きたいなって思ったの」
ダメかな、とクルミはこちらの様子を伺いながら言った。
ダメなわけがない。クルミをあそこに一人で置いて行きたくない、と思っていたところだったし、今ならスーに貰った機械翼もあるから雨についての心配も無い。
しかし、アラタは気がかりな唸り声を上げた。
「そのこと、ランじいには言ったのかい?」
シュウヤがクルミに目を向けると、彼女は気まずそうに目を逸らした。言っていないらしい。
「地上に行くなんて言ったら、止められちゃうかな、って思って」
「もしかしてまだ、毎日地上に来てること言ってない?」
「……うん」
クルミはばつが悪そうに頷いた。
きっと、言わなくてはいけないということを分かってはいるのだろう。なにしろ誰も味方がいない地下で五年間も支えてくれた恩人だ。
しかしこの機会を逃したら永遠に地下で生きていかないといけなくなるかもしれない。上海地下市の様子を一度見たシュウヤには、その焦りは何となくわかった。
「……よし、俺が行こう」
「へ?」
クルミは目をぱちくりとさせた。
シュウヤは気にも留めずにアラタに目を向ける。
「一緒に来てくれるか?オレだけだと説得できるかどうか自信がない」
「いいよー」
アラタは軽く答えた。
「待って、いいよ、そこまでしてくれなくても……」
眉を八の字にして言う彼女は、シュウヤたちにこれ以上迷惑をかけたくないと思っているようだった。
「何言ってるんだ、助けてくれた人を心配させたいのか?大丈夫、アラタは口がうまいから絶対に説得できるって」
「ちょっと、プレッシャーかけないでよ……」
アラタが情けない声で言った。
クルミは迷ったような目でシュウヤを見上げていたが、やがてぐっと手を握りしめて頷いた。
「わかった。ありがとう。私も行くよ」
シュウヤは少し驚いたが、すぐに力強く頷いた。
「…………」
シュウヤ、クルミ、アラタは横に並んで正座していた。念のためにクルミとアラタは機械翼を背負って来たので、二人とも座りにくそうだ。
三人の前には、先ほどから一言も発さないランじいが腕を組んで座っていた。
最初に会った時から無口な人物なのだろうということは予想がついていたが、表情まで全く表に出てこないので今何を考えているのかも皆目見当がつかない。
「あの、つまり……」
「しーっ」
説明を重ねようとしたアラタは、隣に座っていたクルミに止められた。
「ランじい、今考えてるから、話しかけたら気が散っちゃうよ」
「あ、そうなんだ……」
クルミには分かるらしい。
シュウヤはクルミの言った通りに何も言わずにランじいの様子を伺っていた。今の状況についてはアラタが大体説明した。できる限りの説得もした。加えてクルミが無意識のうちに捨て犬のようなお願い光線も飛ばしている。あとは待つだけだ……。
ランじいはほんの少し視線を動かしてクルミの脇につけている脇差を見た。
その動作だけで、シュウヤの頭にふと別の考えが浮かんだ。
ランじいは、クルミが連日地上に出ていることを知っていたのではないか、と。
「……地上が好きか」
ランじいが突然口を開いた。シュウヤは少ししてからそれがクルミに向けたものだと気付いたが、クルミは最初から分かっていたらしく淀みなく答えた。
「地上が好きだから行くんじゃないの。シュウヤたちと地上を旅したいって思ったから」
「なら、その小僧が好きか」
「なん……っ!?」
クルミは不意打ちを食らって顔を真っ赤にした。答えようとしているようだがうまく言葉にならず、口をもごもごさせて何か口走っている。
その様子を見たランじいの表情が、ほんの少し緩んだ気がした。
「誰だ、あんた!」
外から、怯えたような子供の声が聞こえてきた。
三人はバッと窓の外を見る。ランじいも遅れて外を見た。
そこには、隣に住んでいる子供たちの中で一番年上らしき少年が他の子供たちをかばうようにして立っていた。
彼らの前には一人の男が立っている。その片手には大きな荷物を抱えていた。
「この荷物の持ち主を探してる。知ってんだろ?地上にテント張ってるガキどもだ」
「知らねーよ!あんた、地上から来たのか?だったら地上に帰れよ!」
少年は威嚇するように歯をむき出して言った。
アラタがこそりと囁く。
「ねえ、テントってもしかして……」
「……ああ、多分オレたちのだ」
小声で答えながら、シュウヤは嫌な予感を抑えきれずにいた。それにこの男の声としゃべり方には、聞き覚えがあった。
「ちっ……一体何軒まわりゃいいんだよ……」
苦々しげに舌打ちをしながら振り向いた男の顔が、街灯に照らし出された。
そして、嫌な予感は現実になる。
「クルミ、隠れろ」
シュウヤはきょとんとしているクルミの頭を窓枠の下に引っ張り下ろした。アラタはシュウヤに言われる前から、外から見えないように窓枠の下に縮こまっている。
「どうしたの?」
クルミは小声で訊いてきた。シュウヤは外の気配に気を配りながら小声で返す。
「コナー・バスカヴィル。……オレたちが今一番会いたくない男だ」




