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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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宿題

「そう、それは良かったわね」

 スーは相変わらず読みにくい表情で言った。

「あいつが機械翼オートフェーダーをあんなにうまく使いこなすとは思わなかった。オレもアラタも全然だったからな」

「あなたが使えないのは仕方ない」

 スーはちらりとシュウヤに目を向けると、瓦礫の上に立ち上がった。

 夕日が沈みかけて、そろそろ夕暮れも近い。

 クルミは少し前に地下へ帰って行った。機械翼を使い続けたので燃料がきれてしまったのだ。

 する事のなくなったシュウヤはまたぶらぶら歩いて、気付けばまたあの鎖の前に立っていた。

 シュウヤはスーを見上げる。

 何か思い出しているのか、謎めいた表情で沈んでゆく太陽を見つめるスーは、真っ白な肌が夕焼け色に染まってまるで絵画のようだった。

「なに?」

 ふと、彼女が見下ろしてくる。いや、と曖昧にはぐらかして、シュウヤは彼女に倣って夕日を眺めた。

「ちょっと意外だった。もうとっくにどこか他の所へ行ってるかと」

 ここに来て、相変わらず瓦礫の上に座っているスーを見つけた時、確かに意外に思ったのだ。しかし同時に、ここまで来たのはスーに会うためだったという確信もあった。

 スーは茶化すような薄い笑みを浮かべた。

「あなたの目には、私はそんなにせわしなく映ってるの?」

「そんなの、聞かなくたって君ならわかるんじゃないのか」

「そんなに簡単に力は使わないわ」

 彼女の「簡単」の基準がわからない。シュウヤが何も言わずにいると、スーは夕日に目を戻した。

 頭のてっぺんだけを地平線から覗かせていた太陽は、最後の赤い光をまき散らして地面の下に姿を隠した。

 空の端にオレンジと黄色の光がゆっくりと吸い込まれてゆく。

「あなたの仲間は」

 スーは唐突に言った。

「空を飛べると思う」

 シュウヤには一瞬、彼女の言葉が何を指したものなのか分からなかった。

 彼女と話しているとこういうことがよくある。スーの中ではごく自然につながっている話らしいのだが、シュウヤにはどうも慣れない。

「アラタのことか?」

「そう」

 ひねり出した答えはどうやら当たっていたらしい。スーは夕日が沈んだ後の空をまだ見つめている。

「あいつは、自分でできないって言ってたぞ。運動神経が無いせいだって」

「あの機械を使えない人間なんて、いないわ」

「そうなのか」

 返事をしてしまってから、シュウヤは思い当たって言い直した。

「いや、それは無い。オレにはどう頑張っても使えなそうだった」

 機械翼を試した時のことを思い出す。明らかに異常をきたしているぶちぶちと途切れた光は、空を飛ぶために体を預けるには明らかに頼りないものだった。

 スーは不思議そうにシュウヤを見た。

「それはそう。あなたや私は特別でしょう?機械の翼なんて、私たちには必要ない」

「まあ、そうだなあ……君みたいに使いこなせたらな」

 スーはその言葉を聞くと、何の前触れもなく瓦礫の山から飛び降りた。

 シュウヤは一瞬肝を冷やした。スーが立っていた場所は彼女の身長よりも高かったのだ。

 スーはシュウヤの前で振り返ると、微笑んだ。

「翼の使い方、教えてあげる」


 彼女の金色の翼は夕闇の中でぼんやりと光を発して見えた。

 思わずその美しさに目が吸い寄せられる。

「翼はあなたの体の一部じゃない」

 スーが静かに言った。

「授かったもの。リーアが死んだから、あなたは兄弟」

「リーア?」

 スーは少しの間口をつぐんだ。

「何でもないわ」

 その声にどこか残念そうな響きが混じっていたのをシュウヤは聞き逃さなかったが、聞かなかったことにしておいた。

 それより前の彼女の言葉を思い出して、シュウヤはふと首をかしげた。

「体の一部じゃないなら、どうやって動かせばいいんだ?」

 それには返事をせず、スーは瓦礫の山の一部に近付いて、溜まっていた雨水を両手ですくった。

 そして、それをシュウヤの頭から浴びせかけた。

「うわ、冷たっ!?」

「エギルを出して」

「へ?」

 シュウヤは目に入った髪を払いながら間抜けな声を上げた。

 エギル?というのは、何回か聞いたことがあるが。

「なんだっけ、それ?」

「しっかりして。あなたの名前はシュウヤ・エギルでしょう」

 スーに当然のように言われると、なんだかそんな気がしてきてしまうが、自分の名前は「シュウヤ」であってそれ以上の何者でもない。

 シュウヤが納得のいかない顔をしているとスーはもう一度雨水をかけてきた。

「なんだよ!?」

「雨に濡れたほうが、あなたは翼を出しやすいはず」

 エギルとは、翼のことか。

 納得はしたが、どうやって翼を出すのか見当もつかない。今まで何度か動かしたことはあったが、どうやっていたのかは全くもって思い出せなかった。

「翼を出すのにコツはいらないわ。出そうと思えば出る」

 そう言いながらスーはまたしても水をかける。もはや何かの儀式のようだ。

 シュウヤだって出したいのはやまやまだ。本当に出そうと思うだけでいいのならもうとっくにできているはずである。

 その時、頭から伝って来た雨水が背中を滑り落ちた。びりっと鋭い痛みが走る。

「……っ!」

「そう」

 スーが満足そうな声を出す。

 何が、と腑に落ちない声を上げて、ふと違和感を感じた。

「……、え、うお!?」

 驚いて飛びずさったら、それも一緒についてきた。

 シュウヤの背中に、巨大な黒い翼が出現していた。

 重さも、感覚も何もない。実際、目で確認するまでそこにあることにすら気付かなかった。

 スーの翼よりも遥かに大きい、威圧感そのもののような黒い翼。自分の背から生えているというのに自分でひるみそうだ。スーの翼のような優雅さはかけらもなく、代わりに荒々しい力強さを感じる。

「それがエギル。力の象徴」

 力の象徴、という言葉がとてもしっくりと来た。同時に恐ろしさも感じる。

 自分の背にあるそれが、翼の形をした凶器に見えたのだ。

「その感覚は間違ってない」

「……今、心読んだか?」

「心は読んだ」

 スーはさらりと言って、金色の翼を緩やかに広げた。

 彼女の不思議な表情は、ぼんやりと輝く金色を背景にすると余計に神秘的に映った。

「あなたはそれを支配しないといけない」


 スーは宿題を出してきた。それは、翼と対話すること、だった。

 ヒントが欲しいと言っても、取り合ってはくれなかった。シュウヤは今、途方に暮れている。

「どうしたの?」

 携帯コンロを挟んだ向かいで缶詰をつついていたアラタが、あまり動いていないシュウヤの箸を見ながら言った。

「どうやったら『翼と対話』できると思う?」

 アラタは何を言ってるんだという顔で一瞬箸をおろし、また何事も無かったように食事を再開した。聞かなかったことにしたらしい。

「今日は早く寝ようね」

「いや、本気で悩んでんだけど」

「寝ようね」

 有無を言わせぬ声色に、シュウヤは渋々ながらも黙って食事を終わらせた。

「……おい、翼」

 寝袋に入って空を見ながら、小声で言ってみる。

 もちろん返事は帰ってこない。馬鹿正直に声をかけてみたことが恥ずかしくなるくらいだ。

 シュウヤは誤魔化そうと、う、うんと咳払いをして寝返りをうった。

「シュウヤ」

「悪い」

 アラタの呆れたような声に即座に謝る。しばらくシロップと一緒にいたからか、アラタの保護者力が上がっている気がする。

 シュウヤは今度は心の中で呼んでみることにした。

(おい、翼、……エギル?)

 呼び方を変えても何も起こらない。

 シュウヤは小さくため息をついた。対話なんて言っても、手がかりが少な過ぎて、なにから始めたらいいのかさえ分からない。

 そもそも対話なんてできるのだろうか。「羽化」した人なら今まで大勢見た。しかし翼と話したことのある人は聞いたことが無い。

 スーは自分の尺度をシュウヤに当てはめているのだ。そしてスーは……多分、人間ではない。

 シュウヤは彼女のことを思い出す。

 初めて会ったのは、あの黒い基地。いや、もっと前だ。

 懸命に頭を動かして、ようやく思い出した。そうだ、始めて地上に出た夜、崖の上で見たのが最初だ。

 あまりに現実味のない体験だったから今まで忘れていた。しかし断言できる。あれは間違いなくスーだった。

 スーの正体について考えているうちに、シュウヤは眠りについていた。


『……やっと見つけました。半分人間なだけでこんなに手間取るものですか?』

『……もしもし?もしもし』

『……なんだ、せっかく見つけたのに一方通行ですか』

『……今度はどうしたものか……』


 次の朝、いつも通り朝早くに目を覚ましたシュウヤは何となくすっきりしない気分だった。

 何か夢を見ていた気がするのだが、はっきり思い出せない。

 何度か思い出そうとしてみても効果が無いとわかると、シュウヤは首をひねりつつも寝袋から身を起こした。

 ぽつぽつという雨音が聞こえる。

 昨日、雨のせいで叩き起こされた反省を生かして、シュウヤたちは簡単なテントを作ってその下で寝ていた。聞こえるのはテントの屋根を雨粒が打つ音だ。

 昨日よりも雨足が弱い。

 ストームというのは旧言語で嵐という意味だとアラタが言っていたが、これでは嵐とは程遠い。

 まるで誰かが泣いているようだ、と、普段なら絶対に思わないようなことがふと頭をよぎった。

 雨音を聞きながら寝袋を畳んで、シュウヤは宿題のことを思い出した。

 宿題と言うからには、次に会うまでにできていないといけないのではないだろうか。


「……?」

 クルミは小さく二回瞬きをした。

 雨が止んで地上にやってきた彼女に昨日のアラタと同じ質問をしてみたのだが、明らかに返事に困っている。

 それはそうだ、実際に翼を持っているシュウヤでさえわからないのだ。

 とりあえず聞き流そうとしないだけクルミは優しい。

「えっと……?」

「いや、いいんだ、忘れてくれ」

 クルミはシュウヤの様子を見て冗談を言っている様子ではないと思ったのか、考える様子で顎に手を当てた。

「どうして、翼と話したいの?」

「俺もよくわからないんだけどさ、宿題を出されたんだ」

「宿題?誰から?」

 シュウヤは説明に困った。

 スーのことをどう説明すればいいのか分からない。前は天使、などと思っていたが、今となってはどうもそれも違う気がしてきている。

 初めてスーを見た時クルミも隣にいたが、確か彼女は見逃してしまっていたはずだ。

 シュウヤは眉間にしわを寄せながらできるだけシンプルに言い換えた。

「この近くに住んでる、女の子だ。翼の扱いがすごくうまいから、教えてもらってる」

 そんなところだろう。

「女の子?」

 クルミは思わぬところに食いついてきた。

 シュウヤは首を傾げながら答える。

「ああ、オレたちより年上に見えるけどな」

 実際はどのくらい年上かわからないが。

 シュウヤの答えを聞いて、クルミは少し落ち込んだような顔でふぅんと言った。

「え?そんな子がいるの?」

 テントの外にいたアラタが突然顔を突っ込んでくる。昨日はさらりと聞き流していたが、急に興味が出てきたようだ。

「まあつまり、その宿題が解けないんだ。どうすればいいと思う?」

 アラタはテントの中に入ってきて、クルミはうーんと唸りながら空中を見つめる。

「何か刺激が必要なのかも。翼を出す方法は、教えてもらった?」

 クルミの言葉に、シュウヤは頷いた。

「ああ。雨水が背中についた状態で翼を出そうと思えば、自然に出てくるらしい」

「それだ!」

 アラタは突然そう言うと、一旦外に出て赤いバケツを持って来た。

「翼と話したいなら、翼が無いと意味がないよ。幸い予備の燃料用に雨水は取っておいてあるし、いくらでも『羽化』できるよ!」

 彼は喜々としてバケツを掲げた。雨水が入っているのにそんなに不用心に持って平気なのだろうか。

 しかし確かにそうだ。シュウヤは思った。どうして思いつかなかったのだろう。

「やってみる」

 三人は外に出て、シュウヤはバケツを片手に持った。

「いくぞ」

 シュウヤが目を向けると二人は神妙に頷いた。

 バケツの中の水を背中にかける。びりっと鋭い痛みが走った。

 それとほとんど同時に、バサッという音と緩やかな風が耳元を撫でる。

 背中にエギルが揺れているのをちらりと確認すると、シュウヤは目を閉じた。

(エギル……返事してくれ……)

 静けさがその場を覆った。何も起こらない。これでも駄目か、とシュウヤが落胆しかけたその時、

『あ、繋がった』

 どこか驚いたような声が、シュウヤの脳内に響いた。

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