無垢
「昔、この地に聖なる子供たちが舞い降りた。この地は、子供たちにとって楽園のようであった。彼らは大いに栄え、たくさんの子孫を残した。彼らは多くの素晴らしい遺産を我らに残してくれた……。我らは聖なる子供たちの子孫なのじゃ。しかし、人間たちは代を経るごとに愚かになり、祖先に感謝を示すどころか、欲に溺れて多くの罪を犯し続けた。十年前に始まった災害は、愚かな我々に対する罰じゃ。楽園は地獄に変わり――」
「もうそれ聞き飽きたよ、ジジイ!」
少年たちのうち一人が、我慢の限界だというように老人の座るイスを蹴った。老人は、自分の前の床にそれぞれだらしなく座った十人くらいの少年たちを見渡した。みんな老人の話など聞いていなかったようで、隣とひそひそ話したり、虚空を見ながら鼻をほじったり、寝ている子供も数人いた。
さっきイスを蹴った子供は老人の前に立っていて、唇を突き出してまだ文句を言いたげな顔だ。
「お前たち、なんと罪深い……。お前たちがいつまでたっても礼儀をわきまえないと言うから、こうして……」
「そんなのどーでもいいよ。な、シュウヤ?」
少年は、斜め後ろに座っている少年に呼びかけた。話しかけられた少年はぐっすり寝ていたが、話しかけられてぼんやりと顔を上げた。
「……ん?」
「お前たちは……。全員起きろ!起きるんじゃ!!」
老人がパンパンと手を叩く。しかしそれで目を覚ましたのはわずかに一人だけだった。
「こら!起きんか!!」
「ジジイの話がつまんなすぎたんだよ。あ、そうだ!」
少年は何かを思いついて、途端に目を輝かせた。
「巨大都市の話してよ!」
少年の口からその言葉が出ると、今まで夢見心地だったシュウヤを含め何人もの少年たちがサッと顔を上げた。寝ている子供を、隣に座る少年が揺り起こす。
「お前たち、本当に好きじゃのう……。それこそ聞き飽きとるんじゃないのか?」
「あれは別なんだよ!」
「ふむ……」
老人は少年たちを見渡した。今は全員の顔が期待に満ちている。どんな形であれ、自分の話を聞きたがっている様子を見ると老人はまんざらでもないようだった。
「よろしい。話すとしよう」
立っていた少年がササッと座った。老人の真ん前だ。
「フォート・ピオニール、通称巨大都市は、聖なる子供たちが最初に降り立った場所のすぐそばにあると言われておる。それは外から見ると立派な城塞のようで、中には楽園を作った神々の住まう都市があるとか。その城塞はなんびとたりとも通すことはない。神々の都市は理想郷で……」
「シュウヤ」
老人を含めた全員が声のした方を見た。部屋の入り口に掛けられた布がめくられていて、隙間から彼らと同じくらいの年頃の少女が一人、ひょこっと顔を出していた。
「どうしたのじゃ、クルミ?」
「あ、じじさま、こんにちは」
少女はちょっと頭を下げると、他の少年たちに紛れて座っているシュウヤに目を向けた。
「今日、ホームのお手伝い当番でしょ?そろそろ行かないと」
「えー……」
「どうせまたおんなじ話聞いてたんでしょ?」
老人はシュウヤに向かって頷いた。
「行ってきなさい」
シュウヤはしぶしぶと言った具合で立ち上がった。
「お前、また当番クルミと一緒かよ!ラブラブだー」
さっき老人に文句を言っていた少年がニヤニヤしながら言った。
「うるせ!」
シュウヤは立ち去りざまに少年に肘を食らわせた。
布をめくって小屋を出ると、そこには貧民街のようにみすぼらしい小屋やテントが立ち並んでいた。小屋の間の通りを歩く人たちは皆ぼろぼろの汚れたシャツか、もしくは少年たちやクルミのような荒い麻の洋服を身に着けている。地面は赤茶色の土。上を見上げると、同じような色の天井がずっと続いている。小屋の中から漏れる白熱電球の明かりが通りを照らし、等間隔に光のダマを作っていた。東京地下街、と住民たちは呼んでいたが、ここは街と言うにはあまりに広く、あまりに粗末な場所だった。
シュウヤとクルミはその通りに沿って歩き出した。二人の履くサンダルの底が地面に擦れて、じゃりじゃりと音を立てる。
「たく、ヒロキのやつ……」
「ふふ、仲良いよね」
クルミが笑った。笑うと、子供らしい健康的な顔に花が咲いたようになり、肩口で黒い髪がさらさらと揺れる。
「どこが!」
「えー、いっつも一緒に遊んでるじゃん」
「そんなことない」
「嘘だぁ」
クルミはそう言ってまた笑った。
二人は他よりも幾分か立派な石造りの建物に入っていった。入口はやっぱり布だ。
「こんにちはー」
「あらあいらっしゃい、シュウヤくんにクルミちゃん。今日は二人が当番ね?」
シュウヤが入り口で声をかけると、恰幅のいい女性がちょうど出てきていて二人を出迎えた。外の人たちと違って清潔そうな白い服を着ており、手には水の入ったたらいを持っている。
「おばさん、こんにちは」
「はいこんにちは、クルミちゃんはいつも礼儀正しいわねえ。さ、二人ともこっちにいらっしゃい」
二人は女性について建物の中を歩いた。時折部屋の入り口に掛けられた布が上がっていて中が見える。中には決まっていくつかのベッドと、ベッドと同じ数だけの人たちがいて、誰の背にもそれぞれ異なった翼がついていた。
ここは、感染者を集めて様子を看ている病院のようなものなのだ。
女性は、建物の奥にある台所に二人を連れてきた。彼女は入口で二人を待たせ、奥まで言って一枚のメモと麻の袋を取ってきた。袋の方は、女性が歩くたびにジャラジャラと音がする。
「はいこれ。お金は必要な分だけ入ってるけど、もし残ったらお駄賃ね」
「うん」
シュウヤは彼女からメモと袋を受け取った。女性はにこにこしながら言う。
「あなたたちが手伝ってくれるようになって本当に助かったわ。ここはいつでも人手不足だからねえ」
市場はホームからそう遠くないところにあった。商人たちは通りにシートをひいて、その上に品物を並べている。慢性的な品不足のせいで、お世辞にも活気があるとは言いにくい。シュウヤとクルミはそのうちの一軒で、大豆の袋を二つ買った。
「ホームの食事っていっつも同じなんだろ?つまんねえよな」
シュウヤは大豆の入った袋を持ち直しながら言った。クルミは右手に持ったもう一つの袋を見る。
「しょうがないよ。大豆だって十分貴重品でしょ」
「そうなんだけどさ。あーあ、誰かが地上から食べるもん持って来てくれればいいのにな」
クルミは驚いたようにシュウヤを見た。
「何言ってるの、地上は死の雨が降ってるんだよ?」
「いつだって降ってるわけじゃないだろ。それに、前は探索隊の人たちが地上に出てたじゃんか」
「今は違うでしょ?」
「そうなんだよなあ。なんでやめちゃったんだろ」
「それは……、」
クルミは上を見上げた。つられてシュウヤも上を向く。物心ついてからずっと変わらない、赤茶けた天井が広がっている。
「危ないからだよ」
クルミはそう言ったが、自分でも納得できていないのはシュウヤから見ても分かった。
「……地上には何でもあるのに」
クルミはシュウヤの言葉には答えず、二人はホームに向かって歩き出した。
「うん、ちゃんと揃ってるわね。ありがとう二人とも。またお願いね」
女性はお金の入っていた袋から僅かなお釣りを二人の手にあけ、ついでに一つずつ飴玉を乗せた。シュウヤとクルミはお釣りをポケットに入れ、飴玉の包装紙を開けようとしながら石造りの廊下を歩いた。
突然、黒い影がシュウヤの手元に飛びかかった。
「うわっ!?」
シュウヤは驚いて尻もちをつき、クルミは一歩出そうとしていた足をひっこめた。
二人が揃って見ると、一匹の黒猫が飴玉にじゃれついて暴れまわっていた。シュウヤは拍子抜けしたようにため息をついて立ち上がる。
「なんだ、クロかよ。なんでこんなとこにいんだ?」
シュウヤは屈みこんで、黒猫から飴玉を取り上げる。幸い、包装紙はまだ剝けていなかった。彼は包装紙を開くと飴玉を口の中に放り込んだ。
「にゃあーうう」
黒猫は緑色の目でシュウヤを見上げながら抗議の声を上げる。
「こんな所にいたらだめだよ。ほら、表に行こう?」
言いながらクルミは黒猫の脇に手を入れて抱き上げた。人に慣れているのか、黒猫はおとなしく抱き上げられている。
クロと呼ばれているこの猫は気付いたときには地下街に住みついていて、長くは生きられないだろうという人々の予想に反して、あちこちで食べ物を盗んで逞しく生き延びていた。
「ホームの食べ物は取っちゃダメだからね」
「にゃああ」
言い聞かせるクルミに対して、クロはわかっているとでも言わんばかりに返事をした。
向かいで食事をしていた男は、何か聞き間違いをしたというような表情で顔を上げた。
「……地上に行きたい?」
「そう!父さんは地上に行ったことあるんだろ?」
シュウヤはスプーンを持ったまま身を乗り出した。シュウヤの父親、イサミは困ったように肩をすくめた。
「そりゃ、父さんは地上で生まれたからなあ。でも地上なんてな、お前が思ってるようないいところじゃないぞ」
「そんなの行ってみなきゃわかんねえだろ」
「シュウヤ……知ってるだろ、お前の母さんはあの雨に打たれて死んだんだぞ」
「オレは死なない!」
イサミの目つきが険しくなったが、シュウヤの表情を見て何を言っても無駄だと悟ったらしい。彼は軽くため息をつくとスプーンを皿にひっかけて置いた。
「分かった、明日から日光浴の時間を増やしてやろう」
「……そういうことじゃない」
シュウヤはむっとして言った。
十年前までの東京は時代の最先端を行く発展都市だったらしい。彼らの研究で、人間は日光が無いと体調を崩すということがわかっていた。地下に移住した人々が落ち着いたころ、一日一回の日光浴が推奨されるようになった。地下街にいくつかある「窓」と呼ばれる穴の下に立って日光を浴びる。それだけだ。
シュウヤはそんなのじゃ満足できなかった。地上に立って、広い世界を見てみたいのだ。しかし地上に勝手に出ることはできない。「窓」の下は鉄の壁に覆われていて、大人にだけ渡される鍵でしか開けられない。「窓」にはまった大きなガラス戸の鍵、こちらは役所にしか無い。しかも子供が日光浴をする時は大人が見ていないといけないのだ。
「オレだって地上に行きたいんだ」
「シュウヤ、わかってくれ。地上は危険なんだ」
イサミは諭すように言った。シュウヤはぐっと押し黙って、スプーンを口に突っ込んだ。
「それは……しょうがないよ」
次の日、父親との話をしたシュウヤに、クルミは言った。
「クルミお前、しょうがないしょうがないって、自分に言い聞かせてるだけじゃないか。オレは、地上を見てみたいんだよ」
「そりゃ、私だって見てみたいけど……、そう思うだけではどうしようもないこともあるんだよ」
「なんだよクルミまで」
シュウヤは面白くなさそうに言った。
「シュウヤー!ドッヂしようぜー!」
二人が振り向くと、ボールを抱えた少年が他の数人と共に走って来ていた。少年はクルミに目を止めると言った。
「クルミもやる?」
「いいの?」
クルミは嬉しそうに頷いた。
「バリアー!」
「あっ!?ずりーぞシュウヤ!」
テントの間の少し開けたところで、子供たちの遊ぶ声が響く。クルミとシュウヤはたまたま同じチームになって、遊んでいるうちにさっきの緊張した雰囲気はどこかに行ってしまった。
「くそ、バリアー!」
「な、ずりーぞ!」
敵チームの少年が体の前で腕を交差させる。シュウヤはボールを投げた格好で文句を言った。
「そっちが先にやったんだろー!」
少年は言いながらボールを投げてきた。シュウヤは受け取ったボールを、少し離れて立っていたクルミに投げてよこした。
「クルミ、やっちまえ!」
「おっ、クルミがいくぞ!」
「よーし……」
仲間チームの声援が飛ぶ中、クルミは片手でスカートを膝までたくし上げた。クルミの運動神経はこの辺りの子供たち全員が認めるところだ。
「えいっ」
「おーい、お前らー!!」
「ぶっ」
遊んでいた全員が声のした方を向いたので、敵チームの一人がクルミの投げたボールをまともに受けて倒れた。
「あっ、ごめん!」
クルミは腹をさすりながら起きあがる少年に駆け寄った。シュウヤと他の全員は、それよりも走ってきたヒロキの方に注目していた。
「なんだヒロキ、おせーぞ。今からまざるか?」
シュウヤが話しかけるが、ヒロキはぜえぜえと息を切らして膝に手をついたままぶんぶんと首を振った。
「おい、よく聞けよ、オレ……」
ヒロキは肩で息をしながら顔を上げると、ニヤッと口角を上げた。
「父ちゃんの『鍵』盗ってきた」
シュウヤも、少年のもとに膝をついていたクルミも、他の少年たちも言葉を失った。
「……え?」




