黒の基地
黒い壁を叩いてみると、カツカツという音がした。指の平で触るとつるつるして滑らかだ。
シュウヤは入口の方に目を向けた。アラタとシロップは相変わらず大きな扉を開けようと二人がかりで奮闘している。
「開きそうか?」
「む……りっぽい……」
アラタがぐぐぐ……と踏ん張りながら答えた。シュウヤは同じく顔を真っ赤にしているシロップに目を向けた。
「シロップ、そろそろ代われ。オレとアラタでやった方が効率いいだろ?」
「やーだー!!」
彼女はもうムキになっているらしく扉を力任せに押しながら叫んだ。
アラタは取っ手から手を放して肩で息をついた。
「鍵、掛かってるんだよ。開かないって……」
「どうする?もう壊しちまうか?」
シュウヤは腰のホルダーから新しいサバイバルナイフを抜いた。アラタがわたわたとそれを押しとどめる。
「いやいやまずいって!器物破損だよ!」
「何だ今更。今まで散々空き巣まがいのことしてきたじゃねえか。どうせ誰も迷惑しねえんだ、器物破損も大して変わらねえだろ」
「そうだー!壊しちゃえー!」
とうとう諦めたらしいシロップが頬を膨らませて同調する。
「そうだよなー?よし、やろう」
シュウヤは言うなりナイフの刃を扉の隙間に無理矢理差し込んだ。
やってみて、改めてその金属の固さに気付いた。アラタやシロップと出会う前からあらゆる扉をこじ開けてきたシュウヤでさえ、経験したことのない固さだ。
「くそ……」
「やっぱり無理じゃないかい?」
アラタが聞いて来るが、シュウヤはナイフにさらに力を込めながら首を振った。
「こういうのはなあ……コツがあるんだよ!」
おらあ!という掛け声と共に扉がバターンと開いた。同時に二人分の歓声が上がる。
「おお、さすが!伊達に五年間サバイバルしてないね!」
「強盗団に入れるね!」
「おい、今の褒めてねえだろ」
軽口をたたきながら三人は建物の中に入った。
結論から言うと、その建物は確かに図書館だった。ただし、「図書館」という言葉から想像する規模をはるかに超越した。
「おおー!」
「おおー!?」
シロップは能天気な、アラタは信じられなさそうな声を上げながら中に入っていく。シュウヤはぽかんとしてその建物の中を見回した。
アラタの小屋なんて比ではない。一階から三階まで吹き抜けになったホールから、目に入るのは全て本、本、本。迷路のように入り組んだ本棚の壁が所狭しと立ち並んでおり、どこまで本棚が続いているのかここからでは見当もつかない。
「なんだこれ……夢か……夢なのか……」
アラタは何かつぶやきながらフラフラと迷路の奥の方に入り込んでいく。シロップは面白がってそれについて行った。
シュウヤは苦笑してもう一度ぐるりと本棚を見た。
「ん?これ……」
手近な本棚に手を伸ばそうとしたシュウヤはなにかに気付いて手を止める。
「全部旧言語じゃねえか……。あれ?隣もだ」
そう口走って、彼はとんでもないことに気が付いた。
「まさかここの本、全部……禁書か!?」
禁書。それは旧言語で書かれた本のことだ。その名の通り手にすることは禁じられていて、シュウヤも本物を見るのはアラタの小屋にあったものが初めてだった。そもそも世界中が標準言語で統一された現代、旧言語なんて読める人はそういない。禁書に囲まれて育ったアラタは当然レアケースだ。禁じなくとも読もうとする人なんていないだろう。そう思っていたのだが。
「何のためにこんな……」
シュウヤは恐る恐るさっきの本棚から一冊抜き出して、中をのぞいてみた。
「んー……」
パラパラとめくる。
「読めねえな」
「シュウヤー!!」
声のした方に目を向けると、シロップがピンクの目をキラキラと輝かせ、一冊の本を掲げて走ってきた。
「見てこれ!ピーコ!」
「ピーコ?」
シュウヤは山形地下街で見たカラフルな小鳥を思い出す。シロップが指さすページに目を向けると、確かにそこにはあの鳥の絵が描かれていた。周りにはいろいろな動物の絵が描かれている。図鑑だろうか。
「シロップ、まさか旧言語が読めるのか?」
「読めないよー?」
「あ、そう」
シロップは図鑑を片手で抱えてシュウヤのズボンを引っ張った。
「アラタに聞きに行く!」
「ああ、鳥の説明か?そうだな」
シュウヤは持っていた本を棚に戻して彼女の後に続いた。
アラタは本の山に埋もれて見えなくなっていた。わかめのようにぼさぼさした髪の先が、辛うじて山のてっぺんからのぞいている。
「うわー、この短時間でよくここまで埋もれたな」
「本の虫のカリスマだね!」
シュウヤとシロップが山の一角を切り崩すと、中の小さな空間で縮こまっていたアラタが突然の光に驚いて顔を上げた。
「目悪くなるぞ」
「シュウヤ!シロップ!聞いてくれ!」
アラタが勢い良く立ち上がったので残りの山がバサバサと崩れ落ちた。
「うわ、なんだよ」
「これ!ここの本!気象に関することが書いてあるんだ!雨のことがわかるかもしれない!」
アラタは興奮した様子で本棚の一角を指さした。アラタがごっそりと抜き出したせいで、その辺りの本棚はスカスカだった。
「そ、そうか……、よかったな」
「うん!今のところあまり収穫は無いけど、流れ星のことはわかったよ!宇宙にあるごみや小さな隕石が地球の大気圏に突入して燃えたものが流れ星なんだって。昔は珍しかったらしいから、きっとなにか宇宙規模の異変が起きているんだよ!」
「お前、宇宙好きだな……」
アラタがいつになく生き生きとしている。シュウヤは、彼が宇宙人の存在について熱く語っていた時のことを思い出した。
「アラター!これ読んでー!」
シロップがアラタの手に図鑑を押し付けた。アラタはふっと現実に戻ってきたようにその図鑑に目を落とした。
「ん?これ、絶滅種の図鑑だね。これがどうしたの?」
「ぜつめつしゅ?」
シュウヤはシロップの後ろから図鑑を覗き込んだ。
「へえ、あの鳥絶滅危惧種か何かだったのか?」
アラタは目をぱちくりとしてシュウヤとシロップを交互に見た。
「あの鳥、って……君たち、ゴクラクインコを見たの?」
「極楽?まあ、見たけど」
「ピーコだよ!」
「この鳥、数百年前に絶滅してるんだよ」
シュウヤとシロップは目を見合わせた。
「何言ってんだお前……」
「本当だ。ゴクラクインコのことなら、おじいちゃんのコレクションの中にも記載があった。本当にこの鳥を見たのかい?」
シュウヤはもう一度その絵をよく見た。長い尾羽根と目の周りの黄緑色の輪が特徴的だ。
「間違いないな」
「シュウヤが見間違ってもシロップは間違えないもん!」
「だよね……」
「だよねって何だ」
アラタはシュウヤの文句にも耳を貸さず難しい顔をして首をひねっていた。
それから三日、アラタは図書館に籠り続けた。シュウヤは建物群の扉をこじ開けて中を見て回った。「宿舎」と書いてあった建物の中には二段ベッドが二つずつおさまった部屋が大量にあって、二日目からは三人でそこに泊まった。「厨房」には調理道具だけでなくクラッカーや缶詰のような保存食が大量に備蓄されていた。これ幸いとシュウヤは自分のリュックに詰められるだけ詰めたが、アラタは初めてそれを見た時「レーション?」と呟いて首をかしげた。
「本当によくわかんねえ施設だな」
シュウヤは二段ベッドの一段目に体を投げ出して、上の段の裏側を眺めながら呟いた。結局、黒い金属の正体も分かっていない。
「シュウヤー!いくぞ!」
部屋の扉を勢いよく開いて、シロップが飛び込んできた。シュウヤはベッドから身を起こす。
「今日は図書館に行かなくていいのか?」
「飽きた!」
シロップはなぜか胸を張りながら答えた。
シュウヤは肩の力が抜けるのを感じた。ずっと一人だった五年間とは違う。シロップやアラタといると、こんな世界も明るく見えてくるから不思議だ。
二人は宿舎を出て、まだ入っていない最後の建物に足を運んだ。ほかのどの建物よりも背が低く、どの建物よりも仰々しいのがここ、「 」。何も書かれていない看板を見た時、シュウヤはこの建物は最後にしようと決めた。
「入るぞ」
「おーう!」
シロップの掛け声を背に、シュウヤは扉をこじ開けた。
目に飛び込んできたのは、建物の中一面にずらりと並んだ大きな黒い機械だった。灰色の棚のようなものに、同じような黒い機械が見渡す限りにぶら下げられて整然と並んでいる。
「これは……建物と同じ材質か?」
手を触れてみると、確かに建物の壁と同じように滑らかだ。機械は縦に長い形をしていて、太いパイプやら小さなプロペラやらがむき出しになっている。表面にはシュウヤたちの乗ってきたおんぼろの車についているような丸いメーターと、変な形のランプらしきものが並んでついていた。
「よくわかんねえとは思ってたけど、ここまでくるとお手上げだな。考える方が損だ」
シュウヤはむしろ達観したような面持ちで腰に手を当てた。
「おー!」
奥の方からシロップの声が聞こえたので行ってみると、彼女は自分の背ほどもあるその機械を棚から取り外して、吊るのに使われていたベルトで体に括り付けようとしていた。
「おい、危ねえぞ。なんか変な電波とか出てたらどうする」
「出てないよー、たぶん」
「多分じゃねえか」
シュウヤはシロップの背から黒い機械を引っ張って剥がした。思った以上に軽い。やはりこの黒い金属はシュウヤの知っている類の物ではなさそうだ。
「とりあえず、この中見て回るか」
「むー……」
シロップはシュウヤの持つ機械を未練がましく見ていたが、シュウヤはそれを元の場所に吊るしなおした。
建物の中には、機械の並んでいた広間の他に三つの小さな部屋があった。一つは機械の修理に使うのだろうか、いくつかの作業机と工具類の並んだ部屋。一つは機械の部品と思われる金属が箱に入って並べられた倉庫。もう一つは巨大なタンクが中央に置かれた部屋で、そこだけ鍵が二重に掛けられていた。
「何が入ってんだ、このタンク?」
「なんも音しないねー」
シロップがタンクに耳をつける。
タンクの周りには大仰なバルブとホースのようなものが無数についていて、そのバルブは一つ一つが鍵付きだ。ここまで念入りに封をされると、逆に何が入っているのか気になってくる。シュウヤはタンクの、やはり黒い金属でできた側面を叩いてみた。
「おっ!ちゃぷちゃぷいってる!」
「え?」
シュウヤはシロップに倣ってタンクに耳をつけてみた。確かに何か液体が揺れるような音がする。
「液体か。建物内の配置からいって、あの機械の燃料、か?」
シュウヤはガソリンのようなものを想像する。その割には、この部屋はガソリンのあの独特の匂いがしないが。
「なぞですねー」
「そうだなー……」
「あ、みて出口!」
唐突にシロップが指をさす。シュウヤがその指の方向を見ると、確かに入ってきたのとは違う扉が部屋の反対側についていた。
「タンクが大きすぎて見えなかったな」
「あけてー!」
シロップは扉をバシバシ叩く。シュウヤは少し刃の欠けてきたナイフを取り出した。
「ふん!」
「あいたー!」
シロップは開いた扉の隙間から飛び出していった。シュウヤはため息をつきながらナイフをホルダーに戻した。ここに来てから三日、扉をこじ開け続けて、開けるのにかかる時間がどんどん短くなってきている。喜ぶべきことなのかよくわからない。このままだとシロップの言う通り強盗にでもなりそうだ。いや、今のままでもなろうと思えばなれるんじゃないだろうか。
「ひっ……!」
突然扉の外から聞こえた声に、全身が総毛立った。
外にはシロップがいる。シュウヤは扉を開け放って飛び出した。
扉を出ると、そこは建物の外だった。この扉は裏口だったらしい。草一本生えていない茶色の地面が広がっている。シュウヤは素早く目を動かしてシロップの姿を探した。
彼女は建物の角で、死角になった何かを見下ろして怯えたように立ち尽くしていた。
「どうした!」
シュウヤはシロップに駆け寄ってソレを見た。
「……っ!」
汚れて散らばった無数の羽根。不自然な方向に折れ曲がった二対の翼と、黒い機械の破片。一方は茶色、もう一方は血のような赤……。
シュウヤは体がゆっくりと冷えていくのを感じていた。
そこにあったのは、折り重なるように倒れた二人の感染者の死体だった。




