365年の孤独
――ガンッッ
シュウヤに掴まれて思わぬ方向に力がかかったので、大穴に落ちそうになっていたシロップの体は、落ちる代わりに穴の側面に激突した。
「大丈夫か!?」
シュウヤが穴を覗き込むと、こちらを見上げているピンクの目にぶつかった。
一瞬、その頼りなさげな姿が幼馴染の姿に重なった。シュウヤが助けられなかった彼女に。
あの時と違うのは、シュウヤに相手を助ける力があるということだ。
「引き上げるから両手で捕まれ!」
シュウヤはうっかり沈んでいきそうな考えを振り払うように言った。しかし、シロップはぽかんとした表情でシュウヤの手からぶら下がったまま、動こうとしない。
「おい?」
「なんで助けた?」
シュウヤは言葉を失った。シロップは本気で不思議そうな顔で、穴の上にいるシュウヤを見上げている。
「なんで……って、お前が落ちそうだったからだろ」
「落ちても大丈夫」
「死ぬんじゃないのか」
「死ぬよ?でも死んでも大丈夫だもん」
「死んでも大丈夫とか、言うな!」
シロップはびくっと身を縮めた。シュウヤは思ったよりも大きな声が出たことに自分でも驚いて、少し息を落ち着かせてから言った。
「いいから掴まれ」
「やだ」
「駄々こねるなよ――」
「すごいって言ってよ」
呟くようにこぼれた言葉は、今まで話していた女の子とは別人のような、縋るような響きを含んでいた。
シュウヤは一瞬戸惑ったが、シロップの片手を掴んで強引に穴の外に引っ張り上げた。
「ちょ……」
「聞いてくれ、シロップ」
シュウヤは彼女の片手を掴んだままその目をまっすぐに見た。
「死んでも生き返るっていうのが本当なのはわかった。でも、それでもオレはお前に死んでほしくないんだ。オレは、死が、大っ嫌いだからだ」
一言一言噛みしめるように言った。シロップは戸惑いと怯えの中間のような表情をしている。
「だから、お前の力をすごいとは言えない」
シロップは顔をくしゃっと歪めると、シュウヤの手を振りほどいて駆けだした。
「シロップ!?」
声をかけた時には、小さな後ろ姿はテント群に吸い込まれて見えなくなっていた。
「え、なんで……」
アラタはうろたえていた。目の前には白髪交じりの男が、険しい顔で眉間にしわを寄せている。
「どうして、シロップは一緒に地上には行けないんですか?」
この男、この地下居住区の区長は、シュウヤがシロップと同じで雨の影響を受けないという話をした途端にそう言いだしたのだ。アラタはそこまでの話でシロップと共に地上に行けると半ば確信していたのにもかかわらず、だ。
同じ部屋の中に立っている女性も、口は出さないまでも不可解な表情で区長を見た。
区長は疲れた表情で眉間をほぐしながら言う。
「そんな存在が二人もそろって地上に出たら危険だろう」
アラタは区長の言っている意味がわからなくて首をかしげた。シロップもシュウヤも雨を気にしなくていい人間だ。二人で地上に出ようと危険など無いのではないだろうか。
女性もこれは理解ができなかったらしく、遠慮がちに口を挟んだ。
「区長、それはどういう……」
区長ははっとして誤魔化すように首を振った。
「いや、今のは、忘れてくれ」
アラタはまだ追求しようとしたが、区長が口元をきつく結ぶのを見て、これ以上は聞き出せそうにないと思い開きかけた口を閉じた。
「とにかく、地上に行くなら来た時と同じように、二人で行ってくれ。……いや、待て……」
区長はなにかを思い出したように空中に視線をさまよわせた。
「今のは無しだ。君たちだけで行くにしても、二週間待つんだ」
「そんな、どうしてですか!?」
「私の口からは言えない」
アラタは更にわけがわからなくなった。「私の口からは」?まるで誰かにそれを言うことを禁じられているような口ぶりじゃないか。禁じたのは誰だ?区長はここの最高権力者じゃないのか?
「これ以上の質問は受け付けられない」
「でも……」
何か区長を納得させられるような材料は無いか。そう考えて、アラタはふと思いついた。
「そうだ、シロップはもともと地上から来たはずです。その彼女が地上に戻りたいと言うなら、あなたに止める権限は無いんじゃないですか?」
実際には、シロップ本人はシュウヤと行くことを望んでいないようだが。
アラタは小さな噓がばれないように決然とした態度で区長を見た。しかし、相手はひるんだ様子も見せずに言い放った。
「地下に住み着いた時点で彼女はここの住人だ。彼女自身がどう思っていようと、その行動を止める権利は私にある」
アラタは茫然としたまま、女性と一緒に区長室からつまみ出された。
役所の前で、アラタはすっかり腹を立てて腕を組む。
「酷くないですか、あの区長!なんか怪しいし!」
「まあ、シロップの意思はどうでもいいっていう態度はどうかと思ったけど」
「ですよね!?」
「でも、シロップは地上に行きたいとは思ってないんだろう?」
見通すような笑みで言われて、アラタは言い返せなくなってしまった。
「だったら、わざわざ区長に反抗する気は起きないよ。二週間待てっていうのは、まあ、残念だったね」
「どうしてあんなにシュウヤを嫌がるのかなあ」
アラタが呟いて首をひねる。
「シュウヤくんとはまだあまり話していないけど……どんな子なんだい?」
女性に訊かれて、アラタは顎に手を当てた。
「うーん、僕もまだ会ってから二日しか経ってないんです」
「え、そうなのかい?ずいぶん親しそうに見えたけど」
「僕が最初から馴れ馴れしくしてたからですかね」
アラタは軽く笑った。
「そうだなあ、僕がこの二日間で見たシュウヤは、自分の意思と目標をしっかり持っていて、それでいて僕のような初めて会った人間をすくい上げようとするようなお人好しです」
女性もくすくすと笑う。
「ずいぶん高評価だね」
「僕、シュウヤみたいな強い人間になりたいって思ったんです。なのに、どうしてシロップには嫌われるのか」
「シロップが人を嫌う時、その原因は決まって一つだよ」
「え?」
アラタは女性を見上げた。彼女は悪戯っぽく笑って人差し指を立てた。
「『すごい』の一言が聞けなかったからさ」
アラタはぽかんと口を開けた。
「そんな感じのことは言ってましたけど……まさかそれだけで?」
「シロップにはそれで大問題なんだよ。……あの子が初めて山形地下街に来た時、恥ずかしいことに、あたしたちみんなあの子のことを警戒しててね。人間は自分の理解の及ばないものを怖がるっていうだろう?」
女性は冗談めかして言ったが、その目には後悔の色が色濃く見て取れた。
「そのせいで、あの子には随分と寂しい思いをさせちゃったんだけどさ。でもある日、シロップが事故に遭ってね。死んだ……んだろうね、あの子の言葉で言うと。それで再び起きあがったあの子に、たまたま居合わせた子供が目を輝かせて言ったのさ。『すごい』って」
女性はシロップのことを思い出しているのか、優しい笑顔を浮かべた。
「それから、あの子はここらの子供たちとみんな友達になったよ。大人たちもシロップの力を褒めたから、すぐに心を開いてくれた。『すごい』はあの子の中では、自分を認めてくれる人の目印なんだろうね」
アラタは何も言わなかった。ただ、女性が罪を告白するように話すのを黙って聞いていた。
「自分を認めてくれない人といると、また寂しい思いをすると思ってるんだよ。……あたしたちがあの子につけた傷は、決して治らないものなのかもしれない」
アラタは、シロップが自分と別れてからの三年間のうちにそんな思いをしたのかと思うとやりきれなくなっていた。しかし、女性を責める気にもなれなかった。シロップの力を初めて見て受け入れられる人なんてそういない。そう考えれば、今こうして自分のことを思ってくれる人がいるシロップは幸せなんじゃないだろうか。
「あの子の望みなら、できる限り叶えてやりたいと思ってるよ。だからあの子が地上に行きたいというのなら、あたし達は止めない。……ここの住民の総意だ」
「ピピッ、ピチュチュ」
うずくまっている少女の銀色の頭に止まった鳥が、あっちこっちを向きながらさえずっている。シュウヤは、そこから少し離れたところで上がった息を整えていた。
今まで、シロップを見つけるために地下居住区の中を走り回っていた。どこに行っても見つからず、彼女と遊んでいた子供たちに行きそうな場所を聞いても「大穴のところ」という答えしか返ってこなかった。念のためともう一度穴のそばに戻ってきたら、頭の上にカラフルな鳥を乗せて膝を抱えていたのだ。
「犯人は現場に戻るってか?」
シロップがパッと顔を上げた。頭の上に乗っていた鳥は非難がましく鳴きながら一度飛び上がり、また頭の上に着地した。
「その鳥、なんだ?地下に鳥なんていたのか」
シロップはじとっと見てくるだけで答える気配はない。手のひらに乗りそうなその鳥は長い尾と極彩色の羽根を持っていて、目の周りに黄緑の輪があるのがおもちゃのようだった。
その鳥はシュウヤが近付いて来るのを見てバサッとシロップの頭から羽ばたいた。
「あ、ピーコ!」
鳥はパタパタと羽根を動かして大穴の奥へ消えて行った。シロップはシュウヤを睨みつける。
「わ、悪い」
「ピーコは他の人がいるとお家に帰っちゃうの!」
「ごめん」
そう言いながらシュウヤはシロップの隣に腰を下ろした。シロップは座ったまま露骨に距離を置く。
「子供たちに会って、話した」
シロップは無視を貫くつもりらしく、反応しない。シュウヤは気にせず続けた。
「シロップ、お前人気者なんだな。みんな、お前のことをすごいすごいって言ってたぞ」
「…………」
シロップがちらりとシュウヤを見た。
「さっきはオレが悪かった。お前のこと知らずに、酷い言い方したな。ごめん」
「まったくだ!」
シロップはそっぽを向いたまま言った。
シュウヤは彼女の背中に向かって静かに語りかけた。
「ここの人たちがお前の力をすごいって言うのは、確かにお前のことを認めている証拠だと思うし、子供たちがお前のことを好いているのもよくわかった。でも、オレにはお前が無理しているように見えるんだ」
シロップはシュウヤを振り向いた。よくわかっていない表情だ。
「お前は平気そうな顔をしてるけど、死ぬほどの痛みや苦しみを毎回経験してるんだろ?お前自身は苦しんでるんだろ?」
「でも!」
シロップはシュウヤの言葉を遮るように、身を乗り出しながら言った。
「大丈夫だよ!死んだらすごいって言ってもらえるもん!」
「死なないシロップはすごくないのか?」
シロップは目を見開いた。唇が少し震えている。
……やっぱりだ。この子は、認められているのは自分の力だけだと思っている。力のない自分には価値がないと。
「お前はすごいよ」
シロップは虚を突かれたようにシュウヤの顔を見た。シュウヤは柔らかく微笑んだ。
「オレ、地下に住んでたことがあったんだ。でも、雨に当たっても平気だって知れた途端にそこを追い出された。それが若干トラウマになったりしてたんだけど……、つまりさ、オレからしたら、力を持っていても関係ないみたいにみんなと打ち解けられるシロップが眩しく見えるんだ。すげーな、って思ったよ」
見開かれていたシロップの目から、涙がほろりと一粒零れ落ちた。
シロップは自分でもそれに驚いたらしく慌てて拭おうとするが、涙はぽろぽろと次々に落ちていく。
「だから、お前は、すごいと言われるために自分を殺さなくていいんだ」
限界だった。シロップはぐっと顔を歪めると、シュウヤの腹に飛び込んでしがみついた。
「ぐっ」
シュウヤは衝撃で転びそうになるのを堪えた。
彼は自分のシャツに頭を押し付けてくぐもった声で泣く少女の背を、ゆっくり叩いてやった。
「あの……本当に大丈夫なんですか?」
アラタは不安げな顔で振り向いた。「窓」を覆う鉄の壁の前には女性とその夫を含む十人余りが集まっていて、扉の前に立ったシュウヤ、シロップ、防雨コートを着たアラタの三人を取り囲んでいる。
女性はその不安を笑い飛ばすように言った。
「だーいじょうぶ、たまたま扉の鍵が開いててたまたま『窓』に梯子がかかってて、壊れた窓からあんたたちが勝手に出てっちゃうだけの話なんだから」
「そうそう、地上の品と交換で注文された物もたまたま早く用意できたしね」
そう言って、商会の頭である女性の夫はにこやかに笑いながら、アラタの手に木箱を押し付けた。ずっしりと重い。頼んだものは本当にすべて用意できたらしい。
「ありがとうございます、こんなに良くしていただいて」
「いいんだよ、シロップが今日行きたいって言うんだから」
女性はそう言って笑った。
そう、あの後シュウヤがシロップを連れて帰って来たのだ。シロップはシュウヤのシャツの裾を掴んでいて、その目は少し腫れていた。一体何があったのかと聞いてもシロップが頑なに教えてくれない。それから彼女は唐突に、今すぐ地上に行くと言い出したのだ。
あんなに嫌がっていたから意外だったし、本当はここで夜を越してから行くつもりだったのだが、区長の様子を考えるとあまり長居するのも得策ではないという結論に至った。地下街の人たちも手伝ってくれた。そんなこんなで、三人は今ここにいる。
先頭に立っていたシュウヤが扉を開いた。「窓」から落ちる星の光で、鉄の壁の中は少し明るくなっている。
シロップは目を輝かせて真っ先に梯子をよじ登った。シュウヤとアラタが木箱を運びながらその後に続くと、扉の外にいた人たちは「窓」の下まで出てきてくれた。
三人は「窓」の下を覗き込む。そこでは、みんなが名残惜しそうに手を振っていた。
「……ずっ」
「シロップ、泣いてる?」
アラタが言うと、シロップは目元をごしごしと擦った。
「泣いてない」
山形地下街の人々に別れを告げて、三人は無数の流れ星の下を歩きだした。




