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雨の感染者  作者: 遠藤蓮霧
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プロローグ:少女たちの夢

初投稿です。よろしくお願いします。

「雨が降ってきたよ」


  カタカタと音をたてる窓に手をかけ、外を見ていた少女はそう言って振り向いた。


「……そっか、やだね。また人が死ぬんだ」


  薄暗がりの中で、もう一人の少女が呟いた。


  サー……。

  空からかかったレースのカーテンのように、細かな雨粒が地面を打つ。うっすらと雲のかかった太陽は時折姿を現しては白い光で雨粒を照らしていた。

  窓辺に立った少女は窓枠に肘を置いてもたれかかった。

「そんなの、あたしたちが気にすることじゃないよ」

  彼女は口の端に笑みを浮かべると、皮肉めいた口調で言った。

「それに、もう地上に人間なんて、あたしたちしかいないんじゃない?」

「二人だけか、なんだかロマンチックだね」

  暗がりからもくすくすと笑い声が返ってきた。窓辺の少女は、彼女の様子にほっとしたように自然な笑みを浮かべる。

「……せっかく翼があるんだから、空ぐらい飛んでみたかったなあ」

  ふっと静かになった声の調子に、窓辺の少女は口をつぐんだ。

「……それは……」


 ガガッ、ガガガッ!!


  何か言いかけた少女はびくっと身を縮めた。もう一人の少女も何も言わずに息をひそめているようだ。

  二人が見守る中、錆びきった引き戸がところどころつっかえながらゆっくりと横に開いて、暗がりに光の帯を投げ込んだ。

「――うげぇ、びっしょびしょだ。どこか、干すと……こ……」

  そこまで言って、声の主は建物の中にいるのが自分だけではないことに気が付いた。肌に張り付いた服を脱ごうと手をかけたまま、幽霊でも見たように両目を見開いている。

「え……女の子?」

「誰よあんた!」

  窓際で放心していた少女ははっと我に返って、傍らに置いてあった竹ぼうきを手に取った。

  剣でも構えているような気迫と姿勢に、入口に立っていた少年は思わず両手を上げる。

「誰!」

「お……オレはシュウヤ」

  少女はほうきを構えたまま少年を観察した。少女たちと同じ日本人らしい顔立ちと黒い髪で、身長は高くも低くもない。年齢も彼女たちと大差ないだろう。むしろ普通すぎて拍子抜けするくらいだ。しかし問題はそんな事ではない。彼がずぶ濡れでここに立っている、それこそが一番「普通じゃない」のだ。

「あんた何者よ!」

「え?いや何者って言われても」

「答えなさい!そこから一歩でもマヤに近づいたら許さないから!!」

「お姉ちゃん」

  少年を睨みつけていた少女は、その静かな声を聞いて一旦言葉を止めた。

「入れてあげようよ、あそこじゃ寒そう」


  シュウヤは煤けた床にあぐらをかいた。そうしている間にも腕を組んだ少女の鋭い目線が刺さってきて、正直かなり居心地が悪い。

  建物の中は外から見た印象と大して変わらず、全体的に薄暗くて埃っぽい。空き倉庫とか、そんなところだろう。奥についた換気用の窓のそばに先ほどの少女が立っている。黒い髪の毛を顎の下あたりでバッサリと切り落としていて、意志の強そうな目はシュウヤに対する敵意で余計にきつく細められている。

  もう一人はその隣に置かれたベッドで上体を起こしていた。さっきお姉ちゃんと言ったところからして、窓辺で今もシュウヤを睨んでいる少女の妹なのだろう。雪のように白い肌。黒い睫毛にふちどられた目はどこか夢を見ているようで、姉に似た黒髪を背中まで伸ばしている。

  ふと、シュウヤは彼女の背中に揺れる白いものに気が付いた。ふわりふわりと呼吸に合わせて上下に揺れるそれは、少女の背中から生えていた。

  絵本に書いてある天使のような、白く優雅な、「翼」。

「感染者……」

  シュウヤのつぶやきに、窓辺に立っていた少女がすぐさま反応してキッと睨みつけた。

「あ、悪い、そんなつもりじゃ」

「いいの、ほんとの事でしょ?」

  翼を持つ少女は少し寂しそうに睫毛を伏せた。

「……『羽化』してからどのくらいだ?」

「五年くらいかな。これのせいでお姉ちゃんに迷惑かけちゃってるの」

「そんな、あたしは……」

  そこまで言った少女の言葉を、シュウヤが遮った。

「なあ、君たち名前は?」

  突然明るくなったシュウヤの口調に、少女は不機嫌そうに眉を寄せた。

「なによ急に。あんたなんかに教えるわけないでしょ」

「私はマヤ。お姉ちゃんはミヤっていうの」

「へえ!いい名前だな」

  自分抜きで話を進めだした二人に対し、ミヤは口をパクパクと開けたり閉じたりした。

「ちょ……っと、マヤ!」

「だって、もうずっと他の人と話してないもの。いいでしょ?それに、シュウヤ君がどうやってここまで来たのかも気になるな」

「あ」

  やっと思い出したようにミヤは床に座るシュウヤを振り向いた。彼は濡れきった麻のシャツをどうにか乾かそうと裾のほうを絞っている。

「そうよ、どうやってここまで来たの!?ってかそれ、絞るのやめて。お願いだから」

「ん?あ、そうか。悪いことしたな」

  シュウヤは床にできた雨水の水だまりをシャツの袖で吸い取った。埃が混じった水が、元々薄汚れていた布をじんわりと茶色く染める。

「あ、服が……」

「いいのいいの」

  申し訳なさそうに言うマヤに、彼は笑ってみせた。

「ここに来たのは、雨が降って来たからだよ。別に深い理由は無い、倉庫があったから入っただけだ」

「そんな事を聞きたいんじゃないの。ほ・う・ほ・う!!」

  ぽかんとしているシュウヤを見て、ミヤは煩わしげに窓の外を指さした。

「雨が降ってる!あんたびしょ濡れじゃない!そんなのありえないでしょ!!普通の人は雨を浴びたら――」

  ミヤは、くっと息をのんで、叫ぶように言った。


「死んじゃうんだから!!」


  サー……。

  静かな雨音のみが倉庫の中を支配していた。妹のマヤが心配そうに見つめる中、ミヤは目の端に浮かんだ涙を乱暴に拭った。

「あれは『死の雨』なの。浴びたら、不治の病に感染して、そのうち『羽化』して、……死んじゃうの。そう決まってるの」

  ミヤは涙の溜まった目で精一杯シュウヤを睨みつけた。

「あたし見たんだから。お父さんも、お母さんも、『死の雨』に当たって死んだ。なのに、なんであんたは生きてんのよ」

「オレは……」

  シュウヤは言葉に詰まった。

  もちろん知っている。あの雨が「死の雨」と呼ばれていることも。十五年前、突然地上の人々が大量に死にだした。その原因が雨だとわかった時にはもう、半分以上の人間が死に至っていた。残った僅かな人々は地下に穴を掘り、そこに移住するようになった。世界にどのくらいの数の地下居住区があるかわからないが、シュウヤは幼いころその一つに住んでいたのだ。

  十五年の月日が経っても、その病気の正体は分からなかった。雨を少しでも浴びた人はすぐにその病にかかり、長時間浴びていればそのまま「羽化」して死に至る。「羽化」こそがその病を奇病と呼ばせるにふさわしい特徴だった。背中から、姿かたちは人それぞれだが、鳥のような翼が生えてくるのだ。……そう、ちょうどマヤのように。

  「羽化」すれば、もう死は近い。

「……何とか言いなさいよ」

  ミヤが震える声で言った。大切な人が、自分の元を離れていく。シュウヤには、彼女の気持ちが少しだけわかる気がした。

「でも、ごめん、オレにも分からないんだ。もうとっくに感染してるはずなのに、なぜか『羽化』しない。そういう体質なのかも、としか……」

  ミヤは膝の力が抜けたようにぺたんと座り込んだ。

「なにそれ……。不公平だよ……」


「外?んー、荒れきってるっていうか、人も生き物も全然いないな。君たちを見た時は驚いた」

「へえ、そうなんだ。お姉ちゃんが、たまに外に食べ物を取りに行ってくれるんだけど、外の話なんて全然してくれないの」

「え、外に出てんのか?危ねえなあ」

  倉庫の床に焚いた焚火の前で、シュウヤとマヤが楽しそうに話している。マヤは久しぶりにベッドから出てうれしそうだ。雨はすっかりやんで、窓の外は暗くなっている。

  ミヤはそんな二人をちらちら見ながらもどかしげにしていた。

「ねえマヤ、ホントにそんなやつをここに泊めるの?」

「だってシュウヤ君、寝るところがないんだよ?それより、お姉ちゃんも一緒に聞こうよ。お話面白いよ」

「いや……いい……」

  ミヤはため息をついた。ずっと、窓の外を見て夢を見るようにぼんやりしていただけだった妹が、この少年が来てからこんなに楽しそうに笑っている。それだけで彼女はシュウヤを歓迎してもいいような気分になってきていた。しかしさっきまで彼を責めるようなことを言っていた手前、素直に歓迎なんてできなかった。それに大事な妹と初対面の男を一つ屋根の下で寝かせること自体に抵抗がある。

「さっきみたいなギブリ級だったら、この辺りではよく降るよ」

「ギブリ級?何だそりゃ」

  二人の会話がふとミヤの耳に入った。

「知らないの?」

  思わず口を挟む。シュウヤは、いや知らない、と首を振った。

「見せてあげるよ」

  ミヤは少しだけ得意げに言って、腰を上げた。

  彼女が持って来たのは一枚の紙きれだ。挿絵付きで、標準言語で記されている。

「外に行ったときに拾ったの。これによると、雨は階級分けされてて――」

  ミヤは紙に目を落とした。

「一番弱いのが『精霊の悪戯』と呼ばれるギブリ級。その上が『敗者の涙』ストーム級。一番激しいのが『最高神の鉄槌』カラミティ級。他にも『不可侵』って呼ばれてるナイトメア級とか、枠にはまらないスコールとかあるみたい」

「うわ、覚えらんねえ……」

  ミヤが話すのを見ていたマヤが、くすっと笑いながらシュウヤに耳打ちした。

「お姉ちゃんも最初は全然覚えられなかったんだよ」

「あ、ちょっと、余計なこと言わないでよ」

  仲良さげに話す姉妹を見て、シュウヤはよしっと膝を叩いた。

「決めた!」

「え、何よいきなり」

「明日、君たちをここから一番近い地下居住区に連れてく」

  二人はそっくりな顔で目を瞬かせた。彼女たちは顔を見合わせて、ミヤが言った。

「あんたもしかして、バカなの?」

「なんで?」

「できるわけないじゃないそんな事……。あんたはいいだろうけど、雨が降ってきたらあたしたちはひとたまりもないんだから。あたしは走れても、マヤはもう……」

  ミヤはそこまで言いかけてから目をさまよわせ、口を閉ざした。きつかった目元が今は力を失っている。

「できるんだよ!」

  ミヤとマヤは顔を上げた。シュウヤはあくまで明るくニッと笑ってみせた。

「オレは防雨コートを持ってるんだ。使ってないけど。大人の男用だから、二人なら二人羽織りの要領で

 ギリギリ入る。二人入ると前が見えなくなるから、オレが手を引いて居住区の入り口まで連れてってやるよ」

「はあ……」

  マヤは実感がわかないようで、ちらりとミヤのほうを見た。ミヤだって同じ気持ちだ。それで本当にうまくいくのか?今まで「死の雨」を恐れてずっとこの中で過ごしてきたのだ。マヤなんてまだ赤ん坊の頃からここにいる。マヤは五年前、好奇心から外に出て感染し、「羽化」した。ミヤが駆けつけなければもうここにはいなかったろう。外には出られない。その事実は、二人の心に深く刻み込まれた真実だった。それが、もしかしたら出られるかもしれない?安全な地下で、他の人たちと普通の生活を送れるかもしれない?

  ミヤはシュウヤを見た。何も考えていなさそうなやつだとは思ったが、今度の発言も特に何も考えずにしたものなのだろうか。

「なんだよ?もしコートに入らなかったら、一人ずつでも連れてくぞ」

「……お姉ちゃん……」

  ミヤはマヤを見た。マヤの目が輝いていた。

「……っ」

「ねえ、出られるの?私たち、ここから……」

  その言葉を聞いて、ミヤは覚悟を決めた。

「わかった。……あの紙、あげるよ」

「え、いいのか?大事にしてたんだろ」

「いいの。もういらないから」

  ミヤは顔をくしゃっとして笑った。

「……シュウヤ、あんたの考えなしに賭けるよ。あたしたちを連れてって」

  シュウヤは彼女の言葉に、力強く頷いた。

「おう、任せろ!!」

  しかし、その約束は叶わなかった。


  真夜中の事だった。シュウヤはミヤの叫び声で目を覚ました。

「マヤ!マヤ!!しっかりして!」

  彼はがばっと床から身を起こした。固い床のせいで背中が凝り固まっていて、起きあがるときにぐきっと音を立てた。

「どうした?」

  マヤのベッドの脇にいたミヤが、シュウヤが起きていることに気が付くと彼の方に振り向いた。顔は悲痛と恐怖に歪められ、無数の涙が頬をつたっていた。

  シュウヤは急いで立ち上がるとマヤの枕元まで走った。そこで見たものに、シュウヤは息をのんだ。

  マヤは苦しそうに身をよじって荒い息を繰り返していた。青白い額には玉の汗が浮かび、背中の翼は痙攣を起こしたようにピクピクと動いている。

「どうしよう、マヤが!マヤが死んじゃう!」

  ミヤが泣きながらシュウヤに縋りついた。シュウヤは唇を噛むと、彼女の肩に手を掴んだ。

「落ち着け。オレがこれから地下居住区まで走って医者を呼んでくる。ミヤはここで、マヤを看てろ」

「でもそれじゃ……!」

「落ち着け、お前マヤの姉ちゃんだろ!!」

  ミヤはびくりと肩を震わせた。少し落ち着いたようだった。倉庫の中にはマヤの苦しげな呼吸だけが響いている。

  ミヤは少しずつ冷静になったのか、ゆっくりと唇を噛んだ。

「どうしてそこまでしてくれるの。今日、会ったばっかりなのに」

  ミヤは、ベッドに横たわるマヤを見ながら言った。シュウヤはきっぱりとした口調で言った。

「もう誰も死なせたくない」

「…………あんた、やっぱりバカだね」

  ミヤはシュウヤの顔を見上げた。何か、決心がついたようだった。

「あたしも行く」

「何言ってんだ、外は雨が……」

「ここで待ってるなんてできない。あたしがマヤを助けるの」

  ミヤは外に目を向けた。肩に乗ったシュウヤの手を強引に払う。

「待っ……」

  ミヤはシュウヤの脇をすり抜けて、出口に向かって走った。シュウヤは彼女の手を掴もうとした。しかし、彼女の手はシュウヤの手が届く寸前のところをすり抜けていった。シュウヤは彼女を止めようと走り出した。

「……お姉ちゃん……?」

  ベッドのほうから弱弱しい声が聞こえた。

  ミヤは出口の扉を飛び出すと、息を切らしてシュウヤを振り向いた。

「はやく!!マヤを助けに――」

  ミヤは息をのんだ。全身に鋭い電流のようなしびれが走ったのだ。彼女は目を見開いたまま、がくっと膝をついた。

「ミヤ!戻れえええ!!!!」

  ――ッザアアアアア…………。

  激しい雨粒たちが、倒れゆくミヤの頭に、肩に、背中に、容赦なく叩き付ける。彼女の背中から、純白の、この世のものとは思えない美しい翼が姿を現した。それはふわりと広がって小さく震えた。

  彼女の倒れる音は、激しい雨音によってかき消されてしまった。シュウヤはただその場に立ち尽くすしかなかった。さっきまでシュウヤを見て、話していた彼女は、地面に倒れ伏してもう動かない。動かない。

「お……姉ちゃん……」

  シュウヤははっと我に返った。ベッドにいたはずのマヤが、ふらふらとシュウヤの脇を通り過ぎていく。

「私、も……」

「やめろ……行くな……」

  シュウヤはすくんだ足を無理矢理動かして彼女の後を追った。しかし彼女の体は、出口にたどり着く前にふぅっと床に倒れた。

「マヤ?」

  シュウヤは彼女のもとに駆け寄ってその体を抱き起こす。マヤはもう、呼吸さえうまく出来ていないようだった。彼女は力の入らない腕を持ち上げて、シュウヤの腕を掴んだ。

「シュウヤ……くん……。お願い、私を……お姉ちゃんの、所に……」

  マヤの腕が、するっと床に落ちた。光を失った目の端から、涙が一粒滑り落ちた。

「…………」

  シュウヤはマヤの肩をしっかりと抱えると、彼女の瞼をそっと閉じた。


  空が白み始めるころ、一人の少年が雨の中を出発した。彼が後にした小さな倉庫の前には、天使の羽を持った姉妹が、寄り添うようにして横たわっていた。

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