1-3:報告と動揺
美紀が飛び降りた。
いや、目の前で本人の口から聞いているので、無事なのはもちろんわかっている。それでも飛び降りるほどに追い詰められたのだ。その心情は計り知れない。
「その時は本当に死んだ方がマシだと思ったの。だけど、飛んだ瞬間に死にたくないって思っちゃったのよね。だってあの場から逃げたかっただけで、まだ生きるのが嫌だとかそういうところまでの覚悟はなかったし。」
確かにそうだ。美紀は、その時の逃げる手段に死しか選べない状況だっただけだ。再度そのクソ野郎に殺意が芽生える。
「そうしたらね、大きな翼が見えたの。まさか自分の背中から生えてるとは思わなかったけど。疑問も何も捨て置いて、私はそのまま空へ逃げたわ。」
そこで俺から電話があったというわけか。
「その後は家に閉じ籠って、捜索する時は空からだけにしたの。気付くにしても私が先だし、安全だしね。何人かは人も見つけたのよ?怖くて話しかけたりできなかったけど……。」
いや。……なんかおかしいだろ。え?
「ちょっとまて。」
「え?」
突然の俺の言葉に、美紀が目を丸くしてパチパチさせている。可愛い、が今はそこじゃない。
「お前は最初、人を探し歩いてたんだよな? 学校、自宅、その後どれだけ回ったかは知らないが。」
「う、うん。そうよ? 知り合いの家はほとんど回ったかな。颯汰の家もね。」
「そして……その、翼を得てからも、家を拠点にお前は人を探し回ったり、あっちとの記憶の違いを確認するために飛び回ったりしていたんだよな?」
「うん。それであってるわよ? 何か問題あった?」
おかしい。明らかにおかしい。
「ひとつ確認していいか?」
「ええ。ど、どうぞ?」
「美紀。お前こっちに来てからどれくらい時間が経ってる?」
「今日で4日目よ? 日数はちゃんと記憶してたから間違いないけど。それが何かあるの?」
事も無げにそう言った。
4日目……? 美紀が眠り病に侵されたのは数時間前だぞ……。
「お前が眠り病に侵されてから、俺が同じく眠り病に侵されるまで、おおよそだが、4~5時間くらいなんだ。」
「えっ? まだそれしか経ってないの?」
「あぁ、おそらく、二つの世界では時間の流れが違うってことだろうな。」
「違うと……どうなるの?」
「色々と想像でしかないが、仮にあっちに戻れるとして、俺たちがこっちで1年かけてやっと戻るとするだろ?」
「そうしたら、えっと……あっちでは15日くらいしか経ってないってことね?」
「そう、つまり15日で俺たちは高校三年生の歳になってるってことだ。時間をかければかけるほど、簡単に言えば肉体と精神の成長の差が24倍違うってことだ。まあ1年以内とかで戻れれば特に問題はないけどな。本体への負担も15日程度ならそこまで不都合はないだろう。」
「あまり考えたくない……かな。あはは……。」
そもそも帰れるかもわからないけどな。その言葉を俺は呑み込んだ。
「時間は惜しいが、とりあえずは情報が欲しいな。俺たちはあまりにもこっちの事を知らなすぎる。」
俺はそういって立ち上がると、リビングに置かれたメモ用紙とペンに手を伸ばした。
「なんでもいいから気が付いたことを書いていこう。そこから何かわかるかもしれない。」
「そ、そうね。颯汰がいてくれて良かったわ。」
考えが及んでいなかったのか、美紀は青褪めている。
「仕方ないさ、複数の人間で話し合わないと、この時間の概念には気付かなかったはずだ。ひとつ情報が増えたって前向きに考えようぜ。」
未だ緊張している美紀に笑顔を向けて頭を撫でてやった。
「私の方がお姉ちゃんの設定なのに……。」
美紀は不満そうにそう言うが、顔がにやけていた。そういうとこが妹みたいだっつーの。しかも設定って自分で言ってりゃ世話ねーだろうに。
「はいはい。じゃあ先に俺が気付いたらことから書くぞー。」
「ちょっと! 適当に流さないでよ!」
どうやらやっと、俺たちはいつもの雰囲気に戻れた気がした。
その後、話し合ってまとめた結果、次のようなことがわかった。
・時間の差は24倍である。
・身体能力が高い。(走っても息切れしない等)
・特殊な能力がある。(美紀の翼)
・眠り病に侵された者がこっちにいる可能性が高い。
・精神的におかしくなることも十分あり得るので、知らない人間との接触は気を付ける。
・地形や建造物などの変化はないと思われる。
・不在の店に置いてある食べ物や飲み物は普通に摂取できる。
・電気、ガス、水道等も普通に使える。
・単独行動は禁止
・おやつは300円まで。(バナナは含まない)
・おそらく浩一くんもこっちに来ている。
・こっちの世界の範囲は少なくとも東京都全域程度に及ぶ。
「よし、とりあえずはこんなとこか……って待て。なんだこのおやつの件は。」
「てへっ」
じと目で睨み付ける。てへっなんてリアルで言ってる人間初めて見たぞ……可愛いじゃねーか。ありがとうごさいます。
「とりあえずだ。早めに浩一を探したいな。あいつの眠り病の時期を考えると、既にかなりの日数が経ってるはずだ。」
「電話してみたらどう? 私の時みたいに。」
「そうだな、今かけてみよう。」
俺はスマホを操作し浩一に電話をかけたが、留守電に繋がったので俺たちもこっちにいることを伝えるのと、折り返しを求めておいた。
「後は返事を待つだけだが、念のため明日またかけてみるよ。」
「そうね。ねえ颯汰、これからどうするの?」
そういえば考えてなかったな。もう22時半過ぎか。
「飯でも作って食べるかー。んで風呂入って寝よう。さすがに疲れたわ。」
「じゃあお姉ちゃんが作ってあげよう!」
そんな楽しげな雰囲気で俺たちはご飯を食べて、交代でシャワーを浴びた。読者サービスはなしだ。悪いな。その後、軽く談笑してほどよく眠くなってきたころ。
そこで事件は起こった。
「ねえ颯汰。私どこで寝たらいいの?まさか帰れとか言わないわよね……?」
盲点だった……。さすがにこの非常時に帰らせるという選択肢はないが、ないのか? ないな。幼馴染みとはいえ、ひとつ屋根の下で一夜を明かすというのは、健全な男子高校生としてはまずいのではないかと。ガキのころとは違うのである。いろいろと……な。
「じゃ、じゃあ美紀は姉貴の部屋使えよ。何度も入ったことあるし勝手はわかるだろ?」
「そりゃあるけどさ。」
美紀さん? なんで不満そうなんですかね? これ以上ない名案だったはずだ。
いやだってさ? ねえ? それはさすがにまずいですよね? 奥さん。奥さんって誰だよ。
「あいこちゃんはどこで寝るのかなー?」
「ど、どこって、そりゃ自分の部屋で寝るだろ? だって俺の部屋だもの。間違ってないよね?」
完全に挙動不審である。自分の部屋で寝る。ただそれだけのことを、こんなに動揺しながら言う日がくるとは思ってもみなかったが、このあとの展開は読める。はっきりいってまずい。
「ふーん。じゃあ私」「だ、だめだ!」
食いぎみに止めた。あぶねえええぇ。何が危ないってこいつの思考があぶねぇよ。なんでこんなナチュラルに男の子の部屋で寝ようとしてやがんだ! 『青き清浄なる世界のために』とか言っちゃう人なの? 殺されちゃうの? 俺。
「だってずっと一人で怖かったんだもん。それで、やっと会えたんだもん。」
「ヤダモンかお前は。」
「それに単独行動は禁止にしたよね? 颯汰。」
謀られた!! さっきメモ用紙に書いているとき、安全のためにって美紀がペンを奪ってまで書いていたのはこのためか……。
「それとこれとは」「約束したよね?颯汰。」
食いぎみに止められた……。しかもこいつ、翼まで出して、まるで女神みたいな笑顔を浮かべて諭そうとしてきやがる。俺の知ってる女神はそんな計画的な犯行しねぇよ……。
美紀が一歩も引かないため、最終的にベッドを譲り、俺はみちるの布団を部屋に持ち込み、それを使うことにした。
いや、ホントに説得しましたよ? 実は一歩も引かないどころか女神の微笑みの段階で俺が負けたとかないんだからね。
負けて悔いなし。
そんな言葉で、今日一日を締める俺だった。
シリアス長かったので少しホッとしています。
ある程度キャラが増えたらマッタリした話も挟みたいところですね。