1-2:邂逅と驚愕
美紀からの電話。もしくは美紀のスマホを使った誰かからの電話。後者ならいったい誰だ。これが夢だとしたら展開はまったく読めない。だが現状俺一人では事態は変わらないので、これを取らないという手はない。とりあえず切れてしまう前に出なければ。俺は覚悟を決めて通話を押した。
「……もしもし?」
「颯汰なの?! ほんとに?! どうしてここにいるの?! 今どこなの?!」
開口一番に捲し立ててきた。あぁ、この声は間違いなく美紀だ。聞き慣れた心地の好い、鈴の音のような透明感のあるこの声を、俺はまた聞くことができたんだ。
「颯汰泣いてるの? どうしたの? 声聴かせて?」
どうやら泣いていたらしい。美紀の声を聞いて急に力が抜けたせいか。脆いな、最近の俺。
「あぁ、俺だ。大丈夫なんでもない。それよりどうしてお前がここに?」
「それは私の台詞だよ! 学校で気が付いたら皆いなくなってるし、家に帰っても誰もいないし。探し歩いてやっと見つけた人は……その人は……。」
そうか、美紀は自分が眠り病に侵された事を知らないんだ。それに他にも人がいるのか。これは大きな進展だ。しかし、やっと見つけた人にしては反応が……泣いている?
この話題はまずい。それより、今のこいつを一人にしていてはダメな気がする。まずは会うことを優先にして、話はその後だ。
「美紀、今どこにいるんだ? とりあえず合流しないか?」
「あ……うん。そうだよね。私も会いたい。ここの移動手段ってほとんど使えないし、颯汰が今いる場所を教えて? 私が行くから。」
「俺は自宅にいるが……って、お前何言ってんだ? 移動手段がないのはお互い様だろ。俺が行くから場所を教えろよ。」
電話の向こうで少し笑っているようだ。俺おかしなこと言ったか?
「ううん。いいの! 今向かうから待ってて!」
美紀がそう言った直後、物凄い風の音が聞こえた。バイクか? いや美紀がバイクに乗っているなんて話は聞いたことがない。まさか自転車? と、異常な速度で自転車を漕いでいる姿を想像して笑ってしまった。
「お前、何使って移動してるんだ? すげー風の音なんだが。」
「私自身だよ! 私が移動してるの!」
あはは、と笑いながらそう言うが、テンションについていけない。そういえば今朝もそんな感じだったな。楽しそうで何よりだが、意味がわからない。
「ま、まぁ待ってるけどさ。どれくらいで着く?」
「もう着くよ! リビングの窓開けておいて!」
いや、玄関から入ってこいよ。と、心でつっこんだ俺は常識人のはずだ。もう着くってことは、結構近場にいたんだな。リビングは、さっき窓開けてそのままだったはずだ。などと考えながら俺が窓の方に目を向けた時、天使が舞い降りてきた。
「……は?」
俺はきっと、間抜けな顔をしていただろう。この目で見ているものが信じられない。だけどその美しさに、瞬きさえ忘れた。
その天使は美紀だった。
「お……お前、それ。」
ゆっくりと降りてくる美紀の背中には、左右に二枚の白い翼がある。上空から現れたことで月夜に照らされ、光輝くその姿はまさしく天使だった。ふわりと優雅に着地すると同時、その翼が端の方から霧散するように消えていく。集中していたのか、ふうっと息を吐いた後、こちらに歩み寄ってくる。
「おまたせ颯汰。どう? 驚いた?」
悪戯が成功した子供のように笑い、俺に問いかけるが理解が追い付いてこない。
「やっぱここは夢なのか……。」
「どうなんだろ? 確かに夢みたいではあるけど。夢とはまた違う場所なんじゃないかな……って私は思う。」
まただ。何かを思い出して俯いている。こいつが眠りについてから何があったんだ。どう話したらそこに触れずに済むかはわからないが、美紀が眠りにつく直前の事から順に話すしかないか。後は表情や仕草から読み取るしかない。
「とりあえずさ、学校での事から順に話そうぜ?お互いわからないことがありそうだしな。」
ーーそうして俺たちはゆっくりと話し始めた。美紀が眠り病にかかったこと。救急車で運ばれたこと。みちるに会って俺の意識がそこで途絶えたこと。そして、俺が気が付いてからこれまでの事ー
「私が眠り病にかかった? じゃあ今ここにいる私はやっぱり夢? ううん。夢にしては……。あれ? それならさ、ここにいるってことは颯汰も眠り病にかかったって事なの?」
「……そういう事か。」
俺は目を見開いて驚愕した。美紀が自分で気付かなかったように、俺もまたそうだったのか。ということは、あの場に居合わせたみちるは、きっと今泣いているだろうな、と胸がチクリと痛んだ。
「ここってさ、どこなんだろうね?」
ふいに美紀がそう切り出した。
「さっき見せたけど、私飛べるでしょ? 結構な範囲を見て回ったけど、現実の世界とほとんど違いがないと思うの。ううん、まったく同じって言えるかな。私の記憶にある場所とか、記憶にある通りなのよね。」
確かに俺が見ていた光景も現実と同じように思えた。現実の裏側みたいなものだろうか。
「よくわからんけど、とりあえず眠る前の現実をあっち、裏側であるこの世界をこっちと呼んでおくか。混乱しそうだ。」
「うん、わかった。」
「んでさ、お前……こっち来てから何があった?」
唐突過ぎた。相変わらず下手くそだなと思いながら、上手く言えない自分を殴りたかった。
「っ……!!」
美紀が肩を一瞬跳ね上げて俯いてしまった。やはりこっちに来てから何かあったんだ。俺は心で舌打ちし、視線を逸らした。問いかけておいてなんだが、聞いて良いのかもわからず、俺も美紀も無言のままの状態がしばらく続いた。
やがて、すすり泣くような声が聞こえ、そちらに目を向けようとしたところで、俺は急に抱きつかれた。
「み、美紀? どうした?」
抱きつかれた俺は情けないことに、両手をさまよわせたまま、動揺していた。
「颯汰……。颯汰!」
美紀は俺の名を呼びながら大声で泣き出した。かけるべき言葉を探したが、俺は美紀の両肩に優しく手を乗せ、そのまま少しだけ引き寄せただ待つことにした。
しばらく泣いた後、美紀は落ち着きを取り戻した。涙を拭い、覚悟を決めたように頬を両手で叩き、俺に核心を話し出した。
「私ね、こっちに来てから、人を探して歩いていたの、そこで出会った人がいたんだけど……。」
この出会った人というのが問題か……と、俺は震えながら語る美紀を見て唇を噛んだ。
「えっとね。その人に……襲われたの。」
呟くように吐かれたその言葉を聞いた途端、俺は自分の頭が沸騰するのがわかった。呼吸が荒くなり、視界がぐらついた。そんなことを言わせてしまった自分に怒りを覚え、そしてそのクソ野郎には怒りなんてものじゃ表現し尽くせないほどの感情を覚えた。
「お、落ち着いて聞いて?ごめんね。誤解させちゃったみたいだけど、大丈夫だったの。」
時が止まった。溜まっていた何かが決壊するように、急速に力が抜けていく。
「え、あ、そうなのか。……あぁ、よかった。クソッ。本当に……よかった。」
俺は美紀を抱き締めていた。襲われたという事実は決して覆らないが、それでも……、それでも最悪な事態は回避出来たんだ。よかった。そんな俺を宥めるように、抱き締められた美紀が俺の背中に手を回し、優しく撫でていた。
「ごめんね颯汰。泣かないで。」
「泣いてねえ。」
この状況下で俺を気遣う美紀に対し、そんな一言しか返せなかった。
「こうしてると、どっちが女の子かわからないね。可愛いなーあいこちゃんは。」
「うっせ。可愛いとか言うんじゃねーよ。それにあいこでもねぇ。」
恥ずかしさのあまり、俺は抱き締められていた腕の中から慌てて逃げた。そんな俺の様子に慈しむような笑みを浮かべながら、一呼吸おいて美紀は再度語りだした。
「私さ、その時に怖くて、逃げたくて、だけど助けなんて誰もいなくて、屋上まで追い詰められて……。でね? あんまり言いたくないんだけど……。」
「飛び降りたんだ、私。」