1-1:不安と期待
ふと、自分が目を開けたことに驚いた。いつ目を閉じてたんだ俺……。倒れていたのか? 顔を上げて見渡すと、先ほどまでいた場所で間違いないようだが、そこにみちるの姿はない。
「姉貴?」
声の届くところにはいないようだ。あらためて起き上がって見渡してみると妙な事に気が付く。人がいない? こちら側は土手だし、たまたま人がいないこともあるかもしれないが、川の向こう側は商店街だぞ? 何かあったのだろうか。
じっとしていても仕方がないのでとりあえず歩き始め、焦る気持ちから少しずつ速度を上げながら橋を渡る。賑やかであろうはずの商店街の前までやって来たところで、俺は絶句した。
「っ!? マジかよ。」
そこには確かに、商店街らしい様々な店が並んでいた。だが、営業中の店がたくさんある中で、そこに在るべきはずの人間だけがいなかった。不安に駆られ、居ても立ってもいられずに俺は自宅へと走り出した。
「くそっ! 姉貴!!」
思ったより早く辿り着いた俺は、玄関の鍵を開けて中へ飛び込んだ。全ての部屋を回った後、舌打ちする。やはり家にはいない。走っている最中、いやもっと前からから不安だった。俺が川辺で起き上がってからここまで、誰とも会っていないのだから。
頭を抱えて考える。何があったんだ。いや、それよりこう考えるべきなのか? 誰かがいないんじゃない。俺しかいないんだと。つまりは俺に異常があるって事なんじゃないのか?
そういえば、俺はなんであの商店街から走って来れたんだ? 一度も休まずに。家に着いた後も息切れさえしていない。運動部に所属もしていない俺は、お世辞にも体力があるとは言えないのだが。
可能性としては、これは夢なんじゃないか? 俺は暫定的にそう判断することにした。
しかし、夢の中で夢から覚めたいと考えるのもなんか変だなと思いながらも、少しだけ気持ちが軽くなった俺は、一度深く息を吐いた。本当にどーやったら目覚めるんだろうな。早く起きろよ俺。
目覚めるまで何をするか。誰もいないとなると一人でいるしかないわけだが。その暇を持て余した思考が、無意識にスマホを取り出す動作へと繋がった。
「電話か。誰かに繋がったりしねーかな。」
スマホに表示された時間は20時を少し過ぎたところだ。この時間、みちるは普段なら家にいるはずだ。今まで一緒にいた俺がいなくなったんだ。まだ外にいる可能性もあるが、それならそれで俺からの連絡を意識してるはず。俺はアドレス帳からみちるを探し、通話を押した。
その後、何度かかけてみるが数回の呼び出し音の後、全て留守電に繋がる。この状況で姉貴が電話に出ないのは考えにくい。これは夢である確率が上がったかな?
「こうなりゃ登録したやつら全員にかけてやるか。誰か出るのか?」
アドレス帳の最初のページを開き、当然のように並ぶ【愛子】の家族のすぐ下に目を向けた時、鼓動が高鳴ったのを感じた。
潤賀美紀。
それは、受け入れられない現実から目を逸らすための行動だったのかもしれない。俺は目を閉じて深くため息を吐いた。突っ伏したまま動かなくなった美紀の姿が浮かぶ。守りたかった。浩一が眠り病に侵され、心の拠り所が大きく美紀へ傾いていた。それを掬い取られたんだ。眠り病に……。
眠り病?
まさか、あり得ないことだが美紀は今、眠ったままだ。つまり夢を見ているかもしれない。もしも……俺の見ているこの妙な夢と繋がっていて連絡が取れたりしたら。まして俺が見てる夢なら繋がる可能性もあるのではないか?
「はは。まあ、どうせ全員にかけようって思っていたわけだしな。」
誰に言い訳をしているんだまったく。ふうっともう一度ため息を吐く。緊張を誤魔化すようなその行動に少し苦笑いした俺は、汗ばんだ手で美紀の電話番号を表示し通話を押した。
どれくらい鳴っただろう。留守電に繋がればそこで諦めもつくのだが、どうやら設定していないようだ。もう少し、もう少し、と鳴らしていたが反応はない。ワンコール毎に期待しては裏切られる。そんなシーソーゲームは俺の昂った思考を冷ましていき、スマホを持つ左手がそれに合わせるように徐々に下がっていく。視界に美紀の名前を捉えたところで、俺は電話を切った。
「出るわけねーか。しかしまぁ、繋がる直前に夢から覚める、みたいな可能性も考えてたんだけど覚めねーな。」
少し苛立っていたのかもしれない。スマホをソファーへと投げつけた俺はリビングの窓を開け、喧騒のない町を眺めて爪を噛んでいた。独りか。ああ、本当に独りなんだな。
「いい加減に覚めてくれんかな。心が折れちゃうぜ俺。」
今日一日でどれだけたくさんの不安があっただろう。そしてどれだけ期待して、どれだけ裏切られたのだろう。そんな泣き言が口から漏れる程度には、もう心が折れていた。
「浩一……、美紀……、姉貴……。」
それは自己による行動を諦めたような呟きだった。だが、そんな俺を叱咤するかのように突然スマホが鳴り出した。
「なっ?!」
驚きのあまり、振り返った拍子に膝をぶつけてしまったが、俺は痛みも忘れて慌ててソファーへと駆け寄りスマホを取り上げる。
表示された文字を見て、俺は自分が震えている事に気付いた。それは何度目の期待なのか。もう裏切られるのはごめんだ。だが、今までと違い確かなことがある。
それは、この誰もいないと思った世界に誰かがいて、そして俺に電話をかけてきたということだ。またそんな期待をしてしまう自分を嘲笑ったが、その警戒も仕方がないものだった。
落とした視線の先、そのスマホの画面にはーー
潤賀美紀と表示されていたのだから。