魔法使いと物理学2
千佳が先頭を走り、他の友人も後ろを着いていく。
砂那は蒼にロードバイクを返したので、本日はレンタルサイクルを借りて、みんなの後ろの方にいた。そのさらに後ろを追いかけるようにして、雨花が一人で着いてくる。
しばらく黙って自転車を走らせていたが、砂那は魔法使いを知っている雨花が気になり、前を走る麻美に声をかけた。
「ねぇ、麻美ちゃん、ゴホン、ゴホン………彼女は何なの?」
砂那は再び咳を交じわらせながら、少しだけ目線を後ろにやって雨花を見る。彼女は口をへの字にしたまま自転車でついて来ていた。
「雨花ちゃん? 彼女は新庄 雨花ちゃんって言って、お父さんが大学の先生をしていて、それで、雨花ちゃんもすごく賢くって、今度、東大に行くの」
「えっ? 東大って、東京大学の事?」
そう言えば、先ほどの話でもそんな会話が出ていた。
「うん、東京大学。小学校の勉強じゃつまんないって、最近は学校に来てなかったの」
「へーっ、凄いわね」
砂那は素直に感心する。
小学生で大学に行くだけでもすごいのに、その日本の大学の中でトップの東大である。砂那が数年後に進学を考えても、絶対に選択肢に上がらない大学だ。
「――――別に凄くないわ。私はみんなより、ほんの少しだけ理解力が有っただけよ」
こちらの話し声が聞こえたのか、後ろから雨花が話に加わる。砂那は自転車のスピードを緩めると彼女に近付いた。
「だけど、小学生で東大でしょ。ゴホン、ゴホン、凄いことよ」
その意見を聞いて、雨花は態とらしいぐらいのため息を吐くと、今まで何百回と説明した台詞のように答えた。
「勉強が出来るから行くわけじゃないの。異才発掘プロジェクトをネットで調べればよく分かるわ。………要するに、一つの事だけに特化して、社会に溶け込めないハミ出し者が行く所よ」
雨花はどこか皮肉のようにそう言う。
その台詞からして、彼女はそのプロジェクトに参加するのを拒んでいるようにも思えた。天才には天才の悩みが有るのだろうか。
「わたしはそのプロジェクトは解らないけど、どんなことでも、一つの事を伸ばせることは凄い才能よ」
「だから凄くないの! 大体ね、みんなも私の様な邪魔者が居ない方が………」
雨花がムキになったように言い返そうとするが、前を走っている千佳たちが自転車を停めたのでそのまま口を閉じた。
停まった所は交差点を渡った広場で、ここが目的地らしい。
砂那は自転車から降りると、近くに立っている看板を見た。
「………庭園?」
そこは大きな池を囲うように整えられた、都会の真ん中でも草木を楽しめる有料の庭園だった。しかし、こんな場所で肝試しをするのだろうか。
砂那は庭園に目をやる。庭園の中は街灯が少なく、木々も茂っているので暗がりになっているものの、やはり綺麗に整備されていて風通しも良く澱んだ空気もない。
普通に考えれば、こんな場所には霊は寄り付かないし、肝試しをするような場所ではないのだが………。
「………」
しかし砂那は、この場所に着いてからは口を閉ざし、用心深く辺りを見渡していた。
一見して悪霊が寄り付かない様な庭園なのだが、何かが違う。
それに、ここから少し離れた、左方向の川向の大きな建物も気なった。距離は有るのだが、あの建物も砂那の感じた違和感に関係があるのだろうか。
彼女はしばらくその建物を眺めてから、ふたたび目線を戻して、今度は正面の木々の生い茂っている場所を見て片目を細めた。
「さぁ、行くわよ」
そんな砂那には気にせず、千佳が先頭に立ち、みんなを連れてその庭園に向かっていく。
庭園は閉園時間が過ぎていたので門は閉まっているのだが、どこからか忍び込めるのか、懐中電灯を取り出すと、入り口から外れた草むらに進んでいった。
砂那はそのまま色々な場所に目線を向けていたが、麻美が不安な表情でこちらを伺うので慌てて彼女たちの後を追う。その後をさらに雨花が着いて来た。
雨花は千佳達とは距離を置くように、常に砂那の後ろに着いてくる。さきほども千佳と口喧嘩をしていたし、彼女達とは仲が悪いのだろうか。
庭園の中は入れないように柵がしてあるのだが、千佳がその柵の一本を横に押すと、下のネジが取れているのか、子供なら何とか通り抜けれるような隙間が出来た。彼女たちはそこから庭園の中に侵入していく。砂那もコートを脱いで手に持つと皆にならって入っていった。小柄な体型なので助かったが、彼女がもし標準的な高校生の体型なら色々とつっかえていただろう。
柵を抜けたそこはトイレ脇で、大きな柳の木が出迎えてくれた。
暗がりで見る柳は不気味と思うのだが、あまりにも立派で整えられた柳に砂那は思わず見惚れる。
園内の中は、芝生は短く切りそろえられ、樹々も他の樹木と被らないように、絶妙な配置に植えられている。桜の季節は終わっていたが、目の前に生えている花菖蒲などは後一月ほどで花をつけるだろう。
今度は明るいときに来ようと思いながら、砂那はコートを羽織ってから、先ほど外から見ていた辺りに顔を向け、さらに目を細めた。
この場所には霊を感じないが、目線をやった方向に違和感がある。手は無意識にダガーを探っていた。
「こっちよ」
最後に雨花がやって来るのを待って、千佳は砂那が目線を向けていた方向へと歩き出す。
しばらくはその花菖蒲の生えている畔を歩いていくが、違和感のある場所に近付くにつれ、砂那の目線が厳しくなっていった。
そして大きな池に出たとき、砂那は驚いたように目を見開く。
「………これは」
そこには、砂那の予想を遥かに超える霊が居た。まるで奈良で結びの結界が切れた時のように、多くの霊たちがその場所で彷徨っている。
今までの場所には霊が居なかったのに、この場所ではそれとは一転して、急に増えていた。しかも普通の霊に紛れて悪霊も多い。
確かに霊は水辺に集まりやすいが、こんなに一気に増えることは無い。
砂那はみんなを連れて、これ以上進むのは危険と判断した。
自分一人なら、数が多くてもこの程度の霊に問題はないが、五人を守りながらになると少し荷が重い。そして何より、理由が解っていない。
砂那がみんなを止めようと口を開きかけた時に、彼女より先に雨花が声を上げた。
「ねっ千佳、ここって幽霊が出るって噂の、おまじないの石仏群?」
「そうだけど何?」
千佳は歩きながらも、嫌そうに眉間にしわを寄て雨花に目を向ける。しかし、彼女達に声をかけた当の本人は千佳達を見ていなかった。
雨花はずっと砂那を見ていた。
「それってさ、軽い気持ちなら止めておいた方が良いんじゃない?」
その態度を腹ただしく思ったのか、千佳は少し馬鹿にしたように、顎を突き出した生意気な顔をした。
「何よ、ここに来て怖くなったの? 嫌なら着いてこなくてもいいわよ!」
「そうじゃ無くて―――」
そこで言葉を切ってから、ようやく雨花は千佳達を見る。
「―――その噂は本当で、多分、幽霊が出るわよ」
その眼鏡越しの瞳は真剣で、冗談を言っている様には思えない。その台詞に、前を歩いている全員が思わず足を止めた。
「なっ、何でそんな事が解るのよ!」
戸惑いながらも、強気に言い返す千佳に対して、雨花は再びチラッと砂那を見る。
「今まで気を抜いていた魔法使いのお姉さんが、庭園に入る辺りから表情が変わったわ。何か有るのよここ。――――そうよね、魔法使いのお姉さん」
その言葉にみんなは恐々と砂那に注目する。砂那は雨花の観察力に感心してから素直に頷いた。
「彼女の言うとおりよ。わたしも止めようと思っていたところ」
その台詞に千佳は、さらに強気に砂那に食って掛かる。
「いい加減なことを言わないで! 頼んでもいないのに勝手に付いて来たくせに、あなた、本当に霊感とかあるの?」
「一応ね。………あの木の所、人影が見える?」
砂那はこれから進む、池の畔の道沿いに生えている木々の間を指差した。みんなは息を殺して砂那が指差した方向を見る。
言われてみれば木々の間に、人の形をした影の様なものが二つ見える。
「あっ、あんなのただの木の影でしょ!」
「良く見て。………木の影だとしたら、どうして動いているの?」
確かに一つはこちらに手招きしている様に動いていて、もう一つは逆上がりをしている様に、くるっ、くるっと何度も回転している。しかし、現在は風も吹いていないので枝が勝手に動くはずも無いし、あれがもし人間だとしても、柵の中には逆上がりをする児童公園のような鉄棒は無い。
どちらに考えてもおかしいのだ。
砂那の言った意味が理解できたのか、千佳は「ひっ!」っと短い悲鳴を上げると、みんなで一つにかたまった。
「あれは悪い霊。しかも、一つは手招きして、わたし達の事を呼んでるから、霊感の無い子でも今は見えやすいはずよ」
砂那の台詞でみんなが悲鳴を上がる中、雨花だけは嬉しそうに、薄く口元を緩めていた。
「本当だ、私にも見える。これはどういった作用だろう」
砂那の話はまだ続く。
「それに、見えないでしょうけど、ここには普通の霊も多く居るわ。悪霊でなくても憑かれることはあるから、これ以上は進まない方が身の為よ」
「駄目よ! 今日行かないと、もう時間が無い………」
「………何の時間?」
砂那の問いかけに千佳は答えず、チラッと雨花を見ただけで口を閉ざした。どうやらこれは、ただの肝試しではないようだ。
これ以上は千佳に聞いても教えてくれそうにないので、砂那は雨花にたずねる。
「ねぇ、新庄さん、さっき言っていた、おまじないの石仏群ってなに?」
「新庄は止めてくれない。男名みたいで嫌いなの。雨花でいいわ」
今はそんな事を言っている場合ではないのに、天才ならではの感性の違いなのか、小学生ながらに肝が据わっているのか、雨花は随分と余裕が有る。
「………わかった。だったらわたしも魔法使いのお姉さんは止めてね。砂那でかまわないから」
雨花は解ったと頷くと話し出した。
「私たちの小学校で流行っている噂話よ。この庭園の中に石仏群が有って、新月の夜にそこに行ってお願いをすれば、願いが叶うって言われてるの。だけど、そこに着くまでに何人もの子が幽霊を見ていて、幽霊が出るって噂も絶えない場所よ」
「そうだったの」
本日はその新月で月が見えない。雨花の話から考えるに、彼女たちがやろうとしているのは肝試しではなく、お願いに行くようである。
千佳達は砂那と雨花の話を聞かず、みんなで集まり相談している。
「ねぇ、どうする?」
「どうするって、行くでしょ!」
「だっ、だけど幽霊が居るよ………」
「心配ないよ、みんなで行ったら大丈夫よ!」
千佳は行く気でいるが、他のみんなは不安な顔を覗かせていた。幽霊が出ると言う噂話ぐらいならまだ我慢できるが、はっきりと霊が見た後でその場所に行くのは怖いだろう。
そこで麻美は砂那を見て付け加えた。
「でも、ほら、お祓いのお姉さんが居たら大丈夫ですよね?」
「ここは霊の数が多すぎるの、保証は出来ないわ」
砂那の言葉を聞き、周りの子達は顔を青ざめ口を閉ざす。特に麻美は憑かれた姉まで見ている。口ではそれ以上はなにも言わなかったが、顔を強張らせていた。
「わかった! それなら私一人で行ってくるから、みんなはここで待ってて!」
「千佳ちゃん………」
「私が言いだしっぺだし――――私はこのままじゃ絶対に嫌なんだもん!」
まるで駄々っ子のようにそう言って、千佳は一人で前を向く。しかし、その言葉とは裏腹に、恐怖で足が竦むのか、立ち止まったまま動けない。その様子を見ていた砂那は彼女に声をかけた。
「千佳さん、それって、わたしが代わりにそのおまじないの石仏群まで行ったら駄目かな?」
「えっ?」
「この状況で、あなた達を行かせるのは危険だわ。だけど、あなた達の願いは、わたしがお願いしてくる。それなら良い?」
千佳は悩んだように下を向く。周りの子たちは千佳の意見に従う気なのか、静かに彼女を見守っていた。千佳は下を向いたまま目線だけで再び雨花を見た。
雨花は相変わらず、愛想の無いへ文字口で千佳を見ている。
少し前までそんな表情は見せなかったのに。
そう考えると、鼻の奥が痛くなったように感じ、胸が圧迫される。千佳は目頭に溜まった涙をぬぐった。
本当は自分で行きたいのだが、恐怖で足が動かない。
千佳は涙ながらに頷いた。今まで強がっていた分、一度気持ちに負けてしまうと涙が止まらない。
砂那がそんな彼女に近付くと、千佳は今までと打って変わって、弱々しい声で話し出した。砂那は何度か頷いて、一度だけ雨花に目線をやる。そして千佳は最後に頭を下げた。
「………お願いできますか?」
「任せて!」
砂那は力強く答える。そして、残りの子たちにも願い事を聞こうとするが、誰も願い事は言わなかった。
彼女たちの願い事も千佳と同じだったのだ。
「それじゃ行ってくるから、あなた達はさっきの自転車の所で待ってて。――――こぐろ、みんなを送ってくれる」
砂那の呼び声で、彼女の後ろから仔猫が現れる。
いきなり現れた仔猫にみんなは驚いたが、雨花だけは目を細めて近付いた。
「この子はわたしの使い魔で、霊が寄ってきても守ってくれるわ………雨花、悪いけど離してあげて」
雨花はこぐろの首筋を掴むと、おなかを見ていた。こぐろは猫の習性でなされるがままだったが、彼女が離すと慌てて離れる。
雨花は「普通の猫みたいね」と感想を漏らしていた。
「こぐろ、みんなをお願いね」
砂那の声に答えるようにこぐろは一つ鳴くと、先導するように歩いていく。千佳たちはこぐろの後ろに着いて行くが、雨花だけはその場所に留まったまま動かなかった。
千佳は不安そうに後ろを見る。
「………雨花、戻らないの?」
「うん。私は憑かれても構わない覚悟はあるからね。こんな機会をみすみす逃さないわよ」
そう言って、自信ありげに口の隅を上げた。元々このために彼女は来たのだから。
その台詞を聞いてもまだ不安げにしている千佳に、砂那はため息交じりに頷いて見せる。
「まぁ、一人ぐらいなら何とかなるから心配しないで」
砂那は、千佳の願いを聞く前なら、雨花が何を言おうが連れて行かなかっただろう。しかし今は、彼女と二人で話もしてみたかった。
「だけど雨花、絶対な安全は無いわよ。覚悟してね」
「わかったわ」
お互いに口元を緩めたまま、みんなを見送ると、霊の多い池の畔に目を向けた。