魔法使いと物理学1
今回の物語に、異才発掘プロジェクトが出て来ますが、私個人としては、大変素晴らしいプロジェクトだと思います。
しかし、ストーリ上、雨花には暴言を吐かすことになりましたが、あくまでも、ストーリーの話で、これ以上素晴らしいプロジェクトは無いと思っています。
私は、異才発掘プロジェクトを支持しますし、それを否定する内容に批判します。
この物語は、あくまでも空想だと理解していただいたら光栄です。
『事なく終えたか?』
イヤホンマイク越しに、ベネディクトの声が聞こえる。
静香は川沿いの堤防の上のサイクリングロードを、蒼のロードバイクに乗って、前を走る砂那を見た。
相変わらずロードバイクのハンドルに慣ておらず、まっすぐになったフラットバーの部分を握り、たまによろめきながら走っている。
「はい。問題無いです」
『で、どうだ砂那は?』
静香は前を走る彼女に聞こえないように、声を落として話しだした。
「砂那は完璧ですよ。………囲いは早いし、料金の請求金額もすぐ覚えるし、私の出る幕が全く無いです」
そう言って口を尖らす。
静香は仕事の先輩として、いつも先輩風を吹かせてやろうと考えているのだが、実際は一緒に行くと砂那が全てをこなし、彼女は何もしていない。
しかも、自分で魔法や囲いを行う時より、早くて正確だ。
『だろうな』
ベネディクトは同意した。
小さな時から祓い屋に携わっていて、土台は出来ているはずだ。後はその他の細かい知識を補強すれば問題ないだろう。
「わわっ、っと、――――あっ、」
前の方から砂那の焦る声が聞こえたが、静香は電話に集中していた。
「今度からは、砂那が一人で行っても大丈夫ですよ」
静香はそう言ってから、信じられない物を見るように大声を上げた。
「ちょっ! 砂那っ!!」
『おい、どうした!?』
「砂那が、砂那が!」
要領を得ない静香の台詞に、ベネディクトは首をかしげる。
『砂那がどうした?』
現在、静香の前を走っていたはずの砂那は、すごいスピードで、川に向かって土手を走っていく。そして、ドボンっと大きな音を立て、ものの見事に川にはまった。
周りには見物人が増えていく。
「ベネディクトさん、やっぱり前言取り消しします。砂那一人では不安です」
『どうしてだ?』
「砂那は今、自転車ごと川に落ちました」
事務所で電話をしていたベネディクトが、急に大声で笑い出す。書類を制作していた蒼は、驚きの表情で顔を上げた。
「はぁ、はぁ、はぁ、………とにかく、無事なのか? そうか、周りの人が引き上げてくれたのか。怪我は無いんだな?」
大笑いを終えたベネディクトは、状況を確認している。
電話の内容は解らないが、ベネディクトは静香に連絡を取っていたはずだ。なにが起こったのであろうか。
「それなら、急いで帰ってきてくれ。家までは私が車で送ろう」
そう言って電話を終える。蒼は直ぐに尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「あぁ、砂那が川にはまってな」
少しだけ半笑いになったベネディクトの台詞を、蒼は意味の解らない単語を聞いたように、何度か瞬きをした。
「川にはまった? ………えっ? どうやって?」
「川の堤防沿いを走ってた時に、ハンドルを誤って転げて行ったらしい。全く、あいつは何やってんだか」
そう言ってから、再び笑い出す。
「笑い事じゃありませんよ! それで、砂那は無事なんですか?!」
「あぁ、ずぶ濡れだが怪我は無いらしい」
ベネディクトはそこで一度言葉を止めた。蒼は「良かった」と胸をなで下ろしているが、まだ忘れているのだろう、砂那が何に乗っていたのか。
ベネディクトは付け加えた。
「………ロードバイクの方もな」
そこで要約、蒼は思い出してか頭を抱えた。そう言われれば、砂那は蒼のロードバイクを乗って居た。
「あーっ、俺のビアンキ!」
「あのビアンキはクロモリだからな。そのままにしておいたら錆びてしまうぞ」
「ほんとですか?」
「ちょうどいい機会じゃないか。どうせ、一度もレストアしてないだろ。知り合いの自転車屋さんに連れて行ってやるから、してもらえ」
ベネディクトはそう言って、蒼を意味ありげに見ていた。
「それに、そろそろ、砂那も足を作らなきゃ行かんしな。………しかし、川に落ちるとは」
そう言って、ベネディクトほもう一度だけ笑った。
砂那はその日、ものの見事に風邪を引いたのだった。
三 魔法使いと物理学
初期設定から変えていない、スマートフォンから出る機械的な着信音を聞いて、砂那は睨むようにそれを見た。
頭痛がある時は、特に耳障りな音だ。
昨日、川にはまったのが原因なのか、朝から体調が悪いので学校も休み、ずっと寝ていたのだ。
「もしもし、折坂です」
鼻声のまま電話に出ると、聞き慣れない声が帰ってきた。
「あっ、あの………この前、お祓いしてくれたお姉さんですか?」
眠っていたこともあって、動かない頭でしばらく固まっていたが、二呼吸ほどして思い出した。
自分をお姉さんと呼ぶ年齢の者は、少し前の憑き物でお祓いした、坂下 清美の妹の麻美ぐらいしかいない。
「………麻美ちゃん?」
「そうです、麻美です」
砂那は眠っていた布団から上半身を起こした。
「どうかしたの?」
「えっとですね、少し相談があって………」
「言ってみて」
あれからも、まだ悪霊に悩まされているかも知れないので、砂那は聞いた。
「実は今晩、友達と肝試しに行くことになって、でも、私、怖くて………」
想像していた結果ではなく、砂那は安堵のため息を吐いた。
「怖かったら辞めなさい。そう言う軽率な行動が良くない事態を引き寄せるわよ」
「でも、今日は絶対に行かないといけないんです。だから、その、………ついて来て欲しくって」
仲間に誘われ断れなかったのだろうか。もし、断ったら姉の様にイジメにあうとでも思ったのかも知れない。
本当なら、この場で説教して辞めさせるのが祓い屋の役目なのだが、砂那は了承した。ここで麻美一人に説教するのではなく、皆に説教するために。
少し怖い思いをさせれば、今後、そう言った軽率な行動は控えてくれるだろう。
「わかったわ。場所はどこ?」
麻美から場所は聞き、砂那は着替える為にパジャマ代わりのワンピースを脱いだ。
熱が下がっていないのか、飾りっ気の無い白のショーツ一枚になると、少しだけ肌寒さを感じた。
クローゼットから服を出し、少し咳き込んでから、自分の体調は後回しにして、そのまま着替えを済まし、ロングコートを羽織ると部屋を後にした。
本日の業務を終え、帰ろうとヘルメットを持ったところで、ベネディクトがロッカーの仕切り板から顔をのぞかせた。
「蒼、ちょっと待ってくれ」
着替えの最中なのだろう、スポーツタイプのインナーが見えているが、本人は気にしている様子はない。
「すまないが届け物を頼まれてくれないか?」
「届け物ですか?」
ベネディクトはブラウスのボタンを留めながら仕切り板から出て来た。まだ第三ボタンしか留めてないので、胸元の谷間や、引き締まったおなかに形の良いへそが見えたので、蒼は慌てて目線を外す。
男として嬉しい状態ではあるが、目のやり場に困る。
「ちょっと、ベネディクトさん!」
静香から不満の声が上がるがそれも気にせず、ベネディクトはボタンを留めながら自分のデスクに行き、引き出しから茶封筒を取り出して、砂那の住所のメモ書きと共に蒼に渡した。
「これを砂那に渡してほしいんだ」
砂那は昨日、川にはまって以来、風邪を引き、学校も仕事も休んでいる。
受け取った茶封筒は小銭の重さもあり、蒼にはそれが何だか分かった。
「これって、給料ですか?」
ベネディクトは少しだけため息交じりに話す。
「そうだ。本来なら銀行振り込みになるのだが、アイツはまだ自分の口座を開設していないんだ。だから手渡しになったのだが、見ての通り休んでるのでな。頼めるか?」
蒼は茶封筒を受け取った状態のまま、しばらく動きを止めた。
別に届けることに関しては抵抗は無い。しかし、砂那にとっては初任給だ。他人から渡されるより、上司のベネディクトからもらった方が嬉しいだろう。
「別にかまいませんが、これ、ベネディクトさんから渡たしてあげたほうが良くないですか?」
「私から渡してやりたかったが、今日は席を外せない。砂那に急ぎの用があってはいけないのでな」
「両親と暮らしているし、そんなに急がないと思うのですが?」
二人の会話に興味を引かれたのか、静香も加わってきた。
「あれ? 砂那の実家って奈良じゃ無かったの?」
蒼は頷き答えた。
「あぁ、両親がこっちにいるんだ。………総本山の折坂さんだよ」
「砂那って、あの折坂なの?!」
静香は驚きの声を上げる。
父親の未国 博康が総本山で働いているので、彼女は折坂 善一郎が総本山で五本の指に入る実力者だと知っていた。
「それですごいんだ。でも、それならどうして、砂那は今までこっちに来なかったんだろ?」
「元々、身体が弱かったらしく、親から離れて暮らしていたみたいだ。今は認められてこっちに来たんだろ」
ベネディクトはその会話を聞きながら、意味ありげに蒼を眺めていたが、何かに納得したように頷いた。
「………蒼、お前は察しが良い。しかしだ、察することと、答えが常に同じとは限らないぞ」
「どういう意味ですか?」
「其処に行けば解る。とにかく頼むよ」
「………分かりました」
意味不審なベネディクトの言葉に蒼は首をかしげたが、そのまま茶封筒をポケットにしまうと、帰り支度を始めた。
どうせ行くのなら、見舞い品にデザートでも買って行こうと考えながら。
夜の八時を回ったころ、児童公園のブランコの前では、小学校高学年の女の子が三人集まっていた。
麻美はその子たちに近寄っていく。
「麻美、遅いよ」
「千佳ちゃん、ごめんなさい」
そこで千佳は、麻美の後ろについてきた、咳き込んでいる砂那に気付いて眉間にしわを寄せた。
「誰か連れて来たの? 知り合いの同学年の子?」
「違うの、このお姉さんは、この前に話していたお祓いのお姉さんで……………」
そこで麻美は言葉を止めた。年上だと思い、一応はお姉さんと呼んでいるが、実際の砂那の年齢は聞いたことがない。だから、外見で判断した。
「中学生だよ」
「高校生よ」
砂那が鼻声で訂正すると、千佳は渋った声を上げた。
「いらないって言ったじゃん」
友人たちとの遊びに、年上の人間に入られるのが嫌なのだろう。周りの子も嫌そうに口を閉ざす。
「だって、雨花ちゃんが絶対に、このお祓いのお姉さんを呼んでって言うから………」
「あんた、雨花を呼んだの?!」
「………私、来たら不味かった?」
千佳の驚きの声に答えように、後ろからトーンの低い声がかかる。みんなは慌ててその方向を振り向いた。
そこには遅いと言われた麻美たちからもさらに遅れて、小学校高学年ぐらいの少女やってくる。不機嫌そうに口をへの字にして、眉毛を釣り上げたまま。
彼女は今時の小学生では珍しくフアッションを気にしていないのか、野暮ったい黒枠の眼鏡を掛け、その眼鏡越しに鋭い目線を向けていた。
「別に不味く無いけど………」
誰かがそう言葉を濁す。
「まぁいいわ、私はみんなの方には関与しないから、そっちは好きにして。お姉さんが魔法使い?」
雨花は砂那を見てそう言った。
その言葉を聞いて、砂那は怪しそうに少しだけ目を細める。
日本で悪霊を祓う人と言えば、神主さんやお坊さんがメインで、その後に祓い屋の、囲い師や結び師などが連想されるのが一般的だ。海外の方でもそれと同じく、まず連想するのは神父さんやエクソシストなどで、最初に魔法使いと出てくる事はまずない。
なのに、その少女は砂那を魔法使いと呼んだ。
「あなたは、ゴホンゴホン、魔法使いを知っているの?」
砂那は咳を交わらせ、否定もせずに質問で返す。それに対して雨花は軽く首を振った。
「私じゃ無い。だけど話には聞いていたから、一度会ってみたかったの」
誰に聞いたのか質問しようとする砂那よりも早く、千佳が口を開いた。
砂那にばかり興味を示している彼女を気に入らなかったのだろうか、不機嫌そうな表情だ。
「雨花っ、あんた、飛び級かなんかで東大に行くの来週からじゃないの?」
「そう、週明けの月曜日からよ。でも、飛び級じゃない、異才発掘プロジェクトよ。だけど、このプロジェクトに参加していても在籍は小学校だから、あまり関係は無いわ」
「そんなこと言って、六年に成ってから全然小学校に来てないじゃん!」
千佳は不服そうに雨花を睨み、彼女は呆れたような重い溜め息をついた。
「最初の二日間行ったわ」
「そんなの来た事にならない! 嫌なら、とっとと小学校辞めれば?」
「残念ながら義務教育だから辞めれないの」
二人は言い争いを始める。そこに麻美が止めに入った。
「千佳ちゃん、喧嘩は辞めようよ。それに雨花ちゃんも誤解しないでね、今回は千佳ちゃんが………」
「麻美! 余計なことは言わないで良い! とにかく、みんな集まったんだから行こ!」
そう言って、千佳は顔を背けると自転車にまたがった。