間章《蒼の情報屋》
間章 《蒼の情報屋》
久し振りの仕事の無い土曜日、砂那は暇を持て余していた。
まだ、遊びを約束するような友人はいていないし、一人でどこか行くにしても土地勘がない。
仕方なく、部屋でのんびりしている所を、蒼が会わせたい人がいると彼女を誘った。
相手は蒼の情報屋で、これから砂那も、そういった人物が必要になるかも知れないかららしい。
砂那は暇だったので二つ返事で了承した。
そして夕方近く、砂那が葛西の駅前で待っていると、蒼が愛車の黒いホーネットでやってきた。
彼は危険な事に、もう一つのヘルメットを左腕に掛けたまま、バイクで走って来たようだ。
フルフェイスのヘルメットを被っているので砂那は解らなかったが、彼女の方を向き、名前を呼ぶので気付く。
「砂那!」
「蒼?」
「悪いな、急に呼び出して」
「大丈夫、今日はする事無かったから」
本日はお祓いとは無縁なので、砂那はロングコートを着ていない。それは、こんなにも暑くなって来ているので、一般的では普通の事だが、蒼には逆に目新しく思えた。
「とりあえず、行こうか。これ、被ってみてくれ」
蒼はバイクに跨ったまま、左腕に持っていたヘルメットを渡す。砂那は言われるがままに、ヘルメットを被った。
「んっ」
どうだと言いたげに、砂那は顎をあげる。蒼は軽くヘルメットを揺さぶった。
「あー、やっぱり大っきかったか」
予備のヘルメットだが、体型の小さい砂那には大きかったようだ。これは砂那用を買わなくてはいけない。
「そうなの?」
「ヘルメットの中で頭が動くだろ。そのままでは危ないんだ。とにかく、今日は安全運転で走るから、そのままで行こう」
蒼はそう言って後ろに砂那を乗せる。
「しっかり、掴まっててくれ」
砂那は頷いて、ヘルメットがあって良かったと思った。
彼女はバイクの後ろに乗る、新しい体験への興奮と、蒼に体を密着させる恥ずかしさで、自分でも分かる程に、顔を真っ赤にさせていたからだ。
二人が向かった先は秋葉原で、蒼達がよく使う東西線では乗り換えが必要なので、本日はバイクで向かうことにしたのだ。
秋葉原に着くと、大通りから一本路地に入り、電気屋の裏手でバイクを止めた。
目の前には雑居ビルがあり、階段の壁は、アニメやゲームの女の子のポスターで埋め尽くされていた。
「バイクってすごいね。エンジンの震えが、まだ残っているよ」
「怖くなかったか?」
「うん、平気だった」
「あれ? 居てない。おかしいな」
待ち合わせたはずの、同級生の田嶋 基博が来ていない。
蒼はスマートフォンを取り出すと、SNSを確認する。砂那は珍しそうに、その階段を眺めていた。
「連絡は来てないし」
しばらく悩んでいたが、自分で見に行った方が早いと思ったのだろう。今度は遠くでビラを配るメイドに興味を持っている、砂那に向かって言った。
「砂那、悪いがちょっと見てくる、ここで待っててくれないか?」
「えっ、わたしも付いて行くよ」
知らない街で一人になるのは不安なので、砂那はそう言ったが、蒼は慌てた様に首を振った。
「いや、止めておけ。その、ここは、あまりいい店では無いんだ」
「?」
蒼の遠回しな言い方が分からないのか、砂那は眉毛をしかめた。
「大丈夫よ。ダガーは持ってないけど、八禍津刀比売が居るから」
砂那は何かを勘違いをしている様子である。
「いや、そう言う意味では無いんだ………その、この店は男性向けな店なんだ」
「男性向け? わたしが入ったら怒られる?」
「いや、怒られはしないと思うけど………」
「だったら、行ってみたい」
砂那は、階段に貼られている、可愛い絵を見ながら言った。蒼は一つだけため息を吐くと注意した。
「砂那が思っているような店ではないと思うぞ。その、途中で嫌になったら、階段の下で待っててくれよ」
「解った」
砂那は頷くと、蒼の後について行く。
秋葉原はアニメやゲームに関連する店が多いのは、知識として知っていたし、奈良にはこんな変わった店は存在しなかった。だから、好奇心として中を覗いてみたかったのだ。
「可愛いらしい絵ね」
そうポスターを見ながら呟いて、階段の中間踊場を曲がった時、「うっ、」と顔を真っ赤にして固まった。
「………だから、言ったろ」
蒼はそう呟く。
外から見える階段は、アニメやゲームのポスターでも、健全なものになっていたが、階段を曲がると一気に変わる。
そこからは完全に、何から何まで丸出しなポスターになっていた。
蒼はもう一度言った。
「悪いが、階段の下で待っててくれるか?」
砂那は、真っ赤になりながらも、自分から付いて行くと言ったことに、責任を感じたのだろうか、周りを見ないようにして「いえ、行く」と、頑固に蒼について行く。
しかし、見ないようにしていると言っても、どこもかしこも、壁一面はそんなポスターだし、ご丁寧に階段の蹴込み板にも、そんな絵が貼られている。
蒼にしても、そんな場所に砂那を連れて行くのは嫌だが、彼女が行きたいと言うなら断る事が出来なかった。
階段を上がると、防犯ゲートだけで扉のない店舗の入り口がある。
店内の棚には所狭しと、成人向けのパソコンゲームや関連雑誌が並んでいる。ショウケースにもフィギュアやグッズが並ぶ。
蒼が入口から覗くと、客と話していた店員のレジ係の男性が蒼に気付き、話しかけてきた。この男が田嶋らしい。
「来たか。悪いな、交代の先輩が遅れてるんだ。ちょっと、三十分ぐらい………」
そこで蒼の後ろの砂那に気づたのか、田嶋はギョッと驚きの表情を見せて、言葉を止める。砂那は珍しそうに、店内を眺めて小声で呟いた。
「うわ、あの人形、パンツ丸見えだ」
客の男も、砂那が居るのに気づいたのか、目線を外し、店の奥の方に姿を隠す。
「―――お前、こんな所に女連れてくるって、馬鹿か!」
当たり前の反応をされ、蒼は苦笑いだ。
「いや、一度見たいって言うから………」
「それでも、連れてきたら駄目だろ! 十八禁だ!」
「あっ、そうだった。砂那、やっぱり駄目だ、怒られる」
もちろんながら、蒼も未成年なので本来は入ってはいけない。しかし、同級生の田嶋は四月生まれで働いているから、その意識が薄れていた。
「とにかく、どっか店に入って待っててくれ。………そうだ、この店に行ってろ、今ポイント溜めてんだ、後ろに地図が載っているから」
そう言って田嶋は、蒼にポイントカードをわたす。受け取った蒼は砂那と共に、慌てて店舗の階段を降りていった。
「いきなりディープな体験だったわ」
店を出た砂那は、そう感想を残した。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
蒼と砂那は入口で固まった。
「あっ、お嬢様もご一緒ですね。お帰りなさいませ、お嬢様!」
田嶋に行けと言われた店舗の入口で、エプロンドレスを着たメイドが、微笑みながら挨拶をしてくれた。
「たっ、ただいま」
砂那は律儀に答え、二人は席に案内される。
店内は西洋のアンティーク風な、曲がったデザインのテーブルやイスが使われており、落ち着いた雰囲気となっていた。
戸惑いながらも席に着いたが、メニューを見る分には普通のカフェの値段だ。
二人はおすすめに載っているケーキセットを頼み、それが来るまでしばらく待った。
「すごいね、本物のメイドさん、初めて見たよ」
「俺も初めて入った。………普通の値段でよかった」
そう言って安堵の溜息をつく。せこく思われるかもしれないが、一人暮らしをしている蒼には死活問題だ。
それから、何かを思い出してか、メイドを見てから砂那を見た。
「どうしたの?」
「あぁ、そう言われりゃ、砂那は本当のお嬢様だなっと思ってな」
「わたし、お嬢様?」
「実家に家政婦さん居ただろ。普通の家なら居ないからな」
「好美さんの事? そうね。なんだか昔から居るから、家政婦さんって意識がなかったわ」
そう言って少しだけ奈良の想いに耽る。
そこにケーキと飲み物が運ばれ、メイドが砂那に話しかけてきた。
「お嬢様て、メイド服とかに興味有ります?」
メイドはそう言って自分のスカートを引っ張ってみせた。
「えっ? えぇ、可愛らしいですね」
お世辞も込めてだろうが、砂那は頷いた。
「それなら、高校生になったら、うちで働きませんか?」
その台詞を聞いて、またかと砂那は苦笑いする。
「………すいません、もう、高校生です」
「えっ!?」
メイドは地声で驚いてから、咳を一つしてごまかせた。
「失礼いたしました。それなら、直ぐにでも働いてみませんか? お嬢様、すっごく可愛いし、釣り目のロリメイドって、絶対人気出ますよ」
「ろっ、………ありがとう。でも、もう、ほかで働いているので」
この辺りの場所では、それは褒め言葉になるのだろうか。それでも、可愛いと言われれば、たとえお世辞でも嬉しいものだ。砂那は少し照れながらも、丁寧に断った。
メイドは本当に残念そうに眉をしかめる。
「ここまでの逸材なのに残念。気が変わったらいつでも言ってください」
それから、蒼を見て頭を下げた。
「すいません、彼氏さんの前で人気が出るとか。でも彼女、可愛いですからね」
もう、どこから否定したらいいのか解らなくなり、とりあえず頷いておいた。
「では、ごゆっくりお過ごしください」
メイドの迫力に押されてか、二人はしばらく無言でそのメイドを見送ったが、溜め息をつくとケーキにフォークを付き刺した。秋葉原は慣れない事ばかりで疲れる。
唯一の救いは、運ばれてきたケーキの味は良かったことだった。
ケーキを食べ終わる頃に、やっと田嶋がやってきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
「あぁ、ただいま。連れが居るんだ失礼するよ」
慣れた感じで店内に入ってくる。そして蒼の隣に腰かけた。
「悪いな待たせて」
「ここがメイド喫茶ならそう言っておいてくれよ。戸惑うだろ」
「そう言ったら行かないだろ?」
単純に答える田嶋の台詞に、確かにそうだと、蒼は納得した。
それから、田嶋は砂那に自己紹介した。
「俺は、未国の同級生の田嶋 基博、よろしくな」
「折坂 砂那です」
「折坂ちゃんね、覚えておくよ。キミは確か、同じ高校だったな。何となく噂は聞いているよ」
砂那は少し悩む。噂をされるような事はしてい無いのだが。
「それで、態々俺のバイトが終わる時間丁度に、秋葉原までやってきて、用件は何だ?」
薄々では解っているが、あえて蒼に尋ねる。
蒼は長い無駄な時間が終わり、やっと本題にたどり着いた。
「すまないが、彼女に砂那を紹介してくれないか?」
田嶋は少し真剣な目で蒼を見ていたが、砂那に目を向けてから、もう一度蒼に目を戻し、重くため息を吐いた。
「別に構わないが、………基盤を譲るみたいで、あまり関心はしないな」
「そんなんじゃない。勘違いしないでくれ」
二人のやり取りが砂那には解らなかったが、口は挟まないでおいた。
「まぁ、俺が検索することではないがな。ちょっと待ってな」
田嶋はそう言うと、スマートフォンを取り出し、アプリを開く。
砂那は不思議そうに田嶋を見ていたが、砂那の方からは画面は見えない。
田嶋は見やすいように、スマートフォンをテーブルに置いてくれた。
「これはな、MMOと言ってな、オンラインゲームだ」
「オンラインゲーム?」
「あぁ、みんなで協力してボスを倒したり、レアアイテムを集めたりするんだ」
田嶋は丁寧に説明してくれるが、砂那は意味が解らずにいた。
情報屋の田嶋は紹介して貰ったのだが、そこから話は進まず、彼は急にゲームを始める。いったい何が有るのだろうか。
「居るかな? おっ、居た居た。今から連絡取るけど、向こうが拒否したら紹介は出来ない。構わないな」
蒼はそれで良いと頷く。
「紹介って、未だ誰かに会うの? 田嶋さんが蒼の情報屋さんでしょ?」
砂那の問いかけに、田嶋は「残念」と首を振った。
「俺は窓口なんだ」
「窓口?」
そこで蒼は頷く。
「あぁ、俺の情報屋は有る事件に遭遇してから人を避けている。だから、田嶋を介してしか連絡を取れない。まぁ、急いでいる時にはあまり役に立たない情報屋なんだ」
「他のやり方もある。このゲームのアプリを取って、彼女のギルドに入れば俺抜きで連絡は取れる。ただし、彼女がゲームにインするまで待たなくちゃならないから、時間が掛かるのは同じだがな」
砂那は専門用語の飛び交う内容に、ややこしそうに眉毛を下げた。とてもじゃないが付いていけそうにない。それが解った田嶋は頷く。
「彼女がOKを出したら、ゲームのアプリを取って、彼女に直接連絡が出来るようにしておいてやるよ。解らなかったら、俺に連絡をくれれば、俺から連絡を取って情報を流す。それでいいか?」
要は、欲しい情報は田嶋に連絡すれば、探してくれるのだろう。そんな時間のかかる内容が役に立つのか解らないが、とりあえず砂那は頷いた。
「よし、それなら、少し待ってな」
砂那が頷くのを見てから、田嶋はゲームを操作する。どうやらゲームの中で手紙のやり取りをしている様である。
「……………返信が来た」
田嶋は送られてきた文章を読んでから、砂那を見た。
「彼女からOKが出た、まず、彼女の名前を教える。――――彼女はクッキー=ベルだ」
「クッキー=ベル? 外国人?」
「ゲームのアカウント名だよ。だけど教えれる名前はこれだけだ。今から彼女にキミの個人情報を送る。質問に正確に答えてくれ」
田嶋はメイドにメモ用紙とペンを借りると、砂那に渡した。そして蒼を見る。
「ここからは、個人情報も入る。いくら親しくても聞いたらいけないだろう。未国はちょっとメイドさんとでもチェキしてきてくれ」
「チェキってなんだ?」
蒼は解らないように眉毛をしかめた。
「五百円で写真が撮れるんだよ」
「いらねーよ。横を向いておくから、手短に済ましてくれ」
「未国が居ても構わないかな?」
田嶋は砂那に尋ねる。別に蒼に対して隠していることも無いので砂那は頷いた。
「じゃ、始めるけど、これからの質問に疑問を持って、答えたくない内容が有れば言ってくれ。そこで話は無かったことにするから」
砂那はその台詞に顔を曇らせた。
相手はゲームのアカウント名しか教えてくれず、こちらは言われるがままに答える。しかも、答えるのが嫌ならそこで終わり。
あまりにも一方的な言い分に、少し鋭くした瞳を田嶋に向ける。しかしそこには、先ほどのような蒼の同級生の田嶋はいなかった。
有無を言わせぬような、砂那よりも真剣な目をした、一人の情報屋の窓口をしている人間が、黙ったまま返答を待っていた。
この内容は、一方的に聞こえるかもしれないが、いざ仕事を行うと、情報屋の方が遥かにリスクを背負う。
それは、情報の中には危険な情報も存在し、情報を売った相手が、自分の名前を出せば、こちらも危険な目に合うからだ。最悪には、逆に情報屋を売る人物も出てくる。
だから、これは抑制力の為でもあるし、砂那を信頼できるかどうかの探りでもある。
しかし、田嶋はその理由すら言わなかった。
それを言わずして、こちらの言い分を聞いてくれる人にしか、こちらの命は預けられない。
それが解っているのか、蒼も口を挟んでこなかった。
「………わかったわ」
砂那は言わずとしたことが解ったのか、鋭い目線を残したまま頷いた。
「順番に書いて行ってくれ。名前、年齢、現在の住所、電話番号、家族構成、恋人の有無…………」
田嶋の質問にたいして、彼女が個人情報を紙に書いていく。蒼は砂那が書いている内容を見ないように横を向いた。
しばらくして書き終わった砂那は、紙を田嶋に渡した。田嶋はそれをゲームの中で伝える。
「よし、契約は成立だ。料金は物によって違うから、その度に言う。その他の細かい事は後々連絡する。とりあえず、先にゲームのアプリ取っておくか。スマホ借りれるか」
砂那はスマホを田嶋に渡し、田嶋は砂那のスマホにゲームアプリを取り入れ、キャラクターを作ったり、情報屋と連絡が取れるように設定してから砂那に返した。
「ゲームは面白いから、進めてもいいぞ。イベントもあるからたまには顔を出してくれ。まぁ、未国は全然やってないがな」
「うん、ちょっとやってみるよ。凄くきれーだね、このゲーム」
砂那は熱心にスマートフォンの画面を覗き込んでいる。
「それと、俺のバイトしている店は十八歳になるまで来ないようにしてくれ。十八歳になったら、いくらでも面白いゲームを紹介するよ。結構泣ける名作は有るから」
「うん、解ったわ」
砂那は元気よく答え、妙な事を教えるなと、蒼は田嶋を睨んだ。
次の話で、ようやくこの章の要が出てきます。
うん、長かったね。
まあ、かぶってるとは言わずに読んでください。
作者が一緒なので仕方ないですよ。