桜ドロップ3
砂那達が事務所に戻ると、先に仕事を終えた蒼が待ったいた。
「おつかれさま。うまくいったか?」
砂那は少しだけ疲れた顔を覗かせたが、笑顔になると「当り前じゃない」と頷いた。
「砂那、私はドラックストアー行ってくるから、未だ帰んないでよ」
そう言って帰って来た早々に静香は出かけようとする。帰り道にドラッグストアーが無かったせいだ。
「静香、もういいよ」
砂那は止めるが、静香が少しだけ困った顔を見せるので、渋々、赤いソファーに座る。
「直ぐ戻るから、ちゃんといてね」
砂那が頷くと、静香は慌てて事務所から飛び出して行った。
その様子に砂那はため息をつく。
蒼は砂那の横にやって来ると、屈んで砂那と目線を合わせてから言った。
「左腕、見ていいか?」
なぜ知っているのか解らないが、砂那は慌てて、左手をロングコートの袖の奥に引っ込める。彼にまだまだ未熟と思われてしまう。
蒼は、そんな砂那に首を振った。
「別に責める訳でも、非難する訳でもない。――――感謝しているんだ。静香を守ってくれたんだな」
「なんで解るの?」
ベネディクトには終わってから報告を入れたが、怪我のことは言っていないし、蒼に連絡をした訳ではない。そして、もちろん彼があの現場にいた訳ではない。
「最近は俺じゃなく、砂那にばっかり付いて歩いているからな」
少しだけ不満を漏らす蒼の台詞を聞いて、砂那はやっとわかった。
「こぐろか」
こぐろは蒼の使い魔である。最近はサブマスターの砂那に、よく付いて歩いているのだが、マスターが蒼なのは変わりない。
砂那は答えを出してから、解っているなら隠しても仕方ないので、自分の左腕を蒼に差し出した。
「ただのかすり傷よ」
それでも、一言だけ強がってみる。
蒼は、彼女の左腕に手を添えると、袖を捲って傷の状態を確かめた。
傷はもう、くっついて来ているし、血も止まっている。
「良かった。傷は浅そうだな。血も止まっているし、後は消毒してばい菌が入らないようにすればいいだろう」
そう胸をなで下ろしてから、砂那を真っ直ぐに見た。
「だけど、痛かったろ」
蒼の心配がその顔から解る。砂那は急に恥ずかしくなり、頬を赤らめて目線を外した。
「こんなの何でもない。危ない時に誰かを助けるのは当たり前のことよ」
砂那は照れ隠しの様に、わざとぶっきら棒な態度をとり、蒼から腕を離した。
「そうだな、………それでも砂那、静香を守ってくれて、ありがとう」
蒼は、砂那にお礼を言ってから立ち上がる。砂那は照れた様子で、横を向いたまま「うん」と頷いた。
「静香が帰って来るまで、事務所に居るんだろ? コーヒーを淹れるが、飲むか?」
「うん」
蒼は水と珈琲をセットすると、サイフォンに火を入れた。砂那はソファーの背もたれに体を預けながら、その様子を物珍しそうに見ていた。そして、何かに気付いた様に、ロングコートのポケットを探り、清美の妹の麻美から貰った飴を取り出す。
数は三つで、ピンク色をしている。
砂那は、それを一つ開けると、口に入れた。
飴は春に相応しい桜味で、甘くて、ほんの少しだけ塩っぱかった。
砂那はゆっくりと目を瞑る。
夕闇が訪れ、街は街灯の明かりに包まれていく。
事務所の窓の外は、誰もが家路を急いでいた。
遠くでは車のクラクションや、踏み切りの警告音、電車の通り過ぎる音が聞こえる。
そんな、いつもの日常。
誰もが急ぎ、けたたましい都会の真っただ中で、サイフォンのお湯が沸く音が空間を占め、珈琲のにおいが漂う。
何故か事務所の中だけ時間の歩みが遅く感じた。
「ねぇ、蒼………」
「んっ、なんだ?」
「今日は家族についていろいろ考えたよ」
「………家族?」
「うん、家族。………わたしはね、家族っていつも一緒に居て、楽しくて、笑って。そんなものだと思っていた」
砂那は再び振り向いて、背もたれに体を預けて蒼を見る。
「だけど、そこの家族は違っていた。………両親が離婚して、家族の事で情緒不安定に成ったり、その事を周りに知られて、いじめに遭ったり」
砂那は、さっき終わった依頼のことを言っているのだろう。しかし、蒼には何故か、それだけで無いような気がした。
「なのに、離れていく人は何とも思っていない………いえ、煩わしくさえ思ってるかもしれない。何だかやるせないね」
「世の中には、うまく行く家族だけではないさ。色々な事情から離れて行く家族もある」
解っていると、砂那は頷いた。
「それに、そんな事が有ったなら、その子はきっと将来、いい家族を作って行くんじゃないかな」
「そうね、そうだといいな」
蒼の意見に砂那はやさしく微笑んだ。
「ねぇ、蒼の家族はどんな感じなの?」
それは、期待を込めて砂那は聞いた。妹とも仲が良さそうだし、彼の家族はみんなで支えあって暮らしている。彼の家庭はそうあって欲しいと思って。
しかし、現実は大きく違った。
蒼は一呼吸だけ詰まったが、自分の右腕の時の様に、他人から伝わるよりも、自分から伝えようと思った。
出来るだけ暗くならないように、声のトーンを少し上げ、蒼は簡単に答える。
「俺の両親は、死んでいないんだ」
「………………えっ?」
数秒の間を開けて、砂那は驚きの声をあげた。
聞いてはいけない事だったのだろうか。
砂那は眉毛を下げて後悔している。しかし、彼はあっけらかんとした様子で話を進めた。
「六年前に亡くなっている。………だけど、肉親は姉さんが一人いる。それに、今は叔父さんの所に養子に入り、家族として迎えてもらっている。だから、本当は静香とは兄妹では無く、従兄妹にあたるんだ」
そう言えば奈良で、苗字が変わった事を聞いていた。そこで気付くべきだった。
砂那は体を背もたれから離し、謝った。
「ごめんなさい。嫌なことを聞いて」
「いや、俺もちゃんと話していなかったからな」
そう言うと、サイフォンの火を止め、珈琲が落ちるのを待ちながら続けた。
「叔父さんは良くしてくれるし、暖かく向かい入れてくれた。しかし、何もかも頼るのは悪いと思って、俺は高校に上がると同時に、叔父さんの家を出て、今は一人暮らしをしているんだ」
蒼は落ちてきた珈琲をカップに注ぐと、砂那の前に差し出した。それから、自分も彼女の正面のソファーに座る。
砂那の目線は蒼を追っていたが、彼女は何も言わなかった。
「幸い、ベネディクトさんにも拾ってもらえたし、家賃や生活費は何とか自分で稼いでるが、………結局は俺は、叔父さんが頑張ってくれたにもかかわらず、家族になる努力が出来なかったんだ。だから、偉そうなことは言えないけどな」
砂那は首を振った。
「仕方がないよ。いくら親戚でも、そんな急に家族には成れないよ。でも、お姉さんは一緒に暮らしていないの?」
そこで蒼は苦笑いした。
「姉は自由人だからな。両親の残してくれた保険金で、今は海外旅行中だ」
そう言って珈琲に口をつける。この台詞を信じるなら、蒼のお姉さんは豪快な人の様だ。
蒼はまだまだ続ける。
「それに、姉さんは養子を断り、春野を名乗ってるから、血の繋がった実の姉の方が、親戚になってしまい、ややこしくなってるがな」
そう言って笑った。
話が暗くなってきたので、笑い話を入れて来たのだろう。誰でも自分の話をするのは恥ずかしいものである。
砂那も軽く微笑み、蒼の入れてくれた珈琲に口をつけた。
家族とは、当たり前に有るものでなく、努力しないと、手に入らない者も多くいるのかもしれない。
それが、少しだけ寂しかった。
「………このコーヒー、おいしいね」
「だろ? 入れ方はベネディクトさんに教えてもらったんだ」
蒼は得意げに語る。そして、机の上に出している飴見て聞いた。
「砂那、飴買ってきたのか?」
「違うわ、東京に来てからの、わたしの最初の報酬よ。事務所に取り分を入れないから、ベネディクトさんには黙っててね」
砂那はそう言って、小さな舌を出す。
蒼は意味が解らず、頭をひねっていた。
多少、早く書くことが出来ました。このペースが続けばいいのですが、頑張ります。
次の次で、やっとこの物語に書きたかった事を書ける人物が登場します。
そこまで重要な人物ではないのですが。
では、次のあとがきで。