桜ドロップ2
少女は階段を使わずに、マンションの二階から手すりを乗り越え下に飛び降りた。
下はアスファルトで、しかも、靴も履いていない状態なので、普通の人間なら、かなりの痛みを伴ったと思うのだが、少女は何事も無かった様に走り逃げる。
砂那は顔をしかめた。
憑き物にとっては身体をいたわる必要はないので、無茶苦茶な行動をとる。しかし、それを何度もされると少女の身体はタダでは済まないだろう。
砂那は階段の中間踊場まで飛び、そこからさらに一階まで飛んで、少女を追った。
階段分は少女から引き離される。しかし、足の速さは砂那の方が多少は勝っている様だ。
少しずつ距離は詰めているが、このペースで長距離を走られるとまずい。相手は苦しさや、足の痛みなど気にせず走っていくので、いつ離されるかはわからない。
そこで砂那は、スマートフォンを取出し静香に連絡をいれた。
「はぁ、はぁ、はぁ、静香、聞こえる?」
『砂那? 今どこ? 彼女を追ってるの?』
「彼女は、さっきのマンションから大通りに向かってる。来るときに見かけた公園があったでしょ、そこに誘うわ。それで、彼女の名前を調べて欲しいの」
砂那の声に反応して、静香は直ぐに隣を走る神父に尋ねる。
『ありがとうございます。――――――砂那、彼女の名前は坂下 清美よ!』
「解った」
公園に近づき、砂那は前を走る清美に大声で呼び掛けた。
「坂下 清美さん、聞こえているでしょ! このまま悪霊に合わせても相手の思う壺よ! 何も良いことはない。あなたも手伝って、抵抗して!」
その言葉を聞いて、清美は砂那に振り向くとニヤっと嫌な笑い方をした。それは清美では無く悪霊の方が笑ったのだろう。
「うるせーよ! 何も知らねーガキが、神父のキャンディーでもしゃぶってな!」
それは汚い言葉で相手を責めてくる。典型的な悪霊だ。
「ちょっとタチが悪いわね。………こぐろ」
細かい内容は頭の中で指示して、自分はロングコートからダガーを取り出し、お札を刺す。
そして、公園の入り口に清美が差掛かると、黒髪でショートカットの、小学校低学年くらいの女の子が、突然、横道から出て来て彼女に体当たりをした。
普通の女の子が当たって来ても、そこまでの威力は無いはずだが、清美は跳ね飛ばされ、転がるように公園の中に入っていった。
砂那も公園に入り、清美の近くて立ち止まる。
「はぁ、はぁ、手荒な真似でごめんね。でも、ここまでよ」
夕暮れが街をそめて、辺りは暗くなり始めているので、公園に人影は無い。砂那にはもってこいの場所だ。
トン。
砂那はお札の付いたダガーを、自分の近くに一本刺した。
その様子に清美は立ち上がり、逃げるために砂那の反対側を見るが、先ほどぶつかって来た女の子が、道を塞ぐように立ちはだかっている。
清美がどう逃げようか戸惑っていると、静香と神父も公園にやってきた。
「砂那、大じょ………あれっ? こぐろ?」
静香はこぐろを見て驚きの声を上げている。
「なんで、みんな、みんな、邪魔ばっかり………」
逃げれないと解ったのか、清美はカッターナイフを砂那に向けると大声で叫んだ。
「何も知らないくせに、私の事、興味ないくせに、邪魔するな!!!」
それは悪霊と清美、どちらの言葉かはわかった。
「坂下 清美さん、それは違う。私達はキミの悩みを解決したくてここに来ている。もっとちゃんと話そう」
神父の言葉に耳を貸さず、清美は「嘘だ! 嘘だ!」と叫びながら、砂那に向かってカッターナイフを切りつける。
「砂那!」
静香が心配そうに彼女の名を叫ぶが、砂那は冷静にそれを避けた。
「解ってるんだから、あんたも私を笑ってるんでしょ? バカにしてるんでしょ? もう、うんざりよ!」
清美の攻撃のスピードは上がっていくが、砂那は踊るように大きく避ける。それも、ただ避けるだけでなく、相手を公園から出さないように、常に相手より外側にいる。そのさらに外側をこぐろが逃げないように監視していた。
「いつも私ばっかり! もう、ほっておいて! 何も聞きたないし、見たく無いの!」
「………どうして?」
カッターナイフを避けてから、砂那は本当に解らないように言う。
砂那は一歩、後ろに下がると、危険なことに相手から目を離し、手を広げると周りを見渡してから、清美に目線を戻した。
「――――周りを見てよ。舞ってる桜の花びらを夕日が染る風景なんて、中々、情緒有るじゃない?」
砂那の台詞を後押しするように、ちょうど風が起こり、一気に桜の花びらが舞う。
「………」
ほんの一瞬、瞬きするほどの時間だけ、清美の攻撃が止まった。
「世界にはまだまだ綺麗なものが有るのよ。それを見ないのは損してる!」
砂那はそう言い切ると、口の片隅を上げた。
そして、清美ではない悪霊の方に話しかける。
「だけど、あなたの方は………今から囲うから覚悟してね」
そう言って、ダガーを地面に突き刺す。
そこで、何かに気付いたのか、清美はさらに激しくカッターナイフを振るう。
砂那はそれを避ける。ものの見事に、かすりもせずに避ける。
砂那の素晴らしい動きに、思わず静香と神父は、手伝うことも忘れ見入っていた。
そして、次の攻撃を避けた瞬間、砂那は清美の背中を軽く押した。
清美は自らの攻撃の勢いのまま、足をもつれさせて地面にガムテープで縛られた両手を着く。
トン。
砂那は自分の真下にダガーを付き刺した。
清美が慌てて振り向いた瞬間、砂那は左手で十芒星を描き、十囲いを完成させる。
思わず静香はつぶやいていた。
「いつの間に?!」
「あっ、………あぁ」
何をされたのか解った悪霊は、砂那ではなく、とっさに神父を見る。彼はそれが解ると、目を閉じ、祈祷書に手を置き呟いた。
「汝の顔の汗に汗してパンを食べ、汝が地面に戻るまで、それ外に汝は塵のため塵に戻ることなかれ。アーメン」
その言葉が終わるのを待ってから、砂那は左手を握りしめた。
「還りなさい!」
左手には、薄い氷やガラスのような、卵大の物を握り潰す感覚があり、その瞬間に清美から何か黒い影が、流れるように囲いの中心に吸い込まれて行った。
それと同時に囲っているお札が破れ、囲いが消える。
清美はひざを折ると、ゆっくりその場に倒れこんだ。
砂那は清美に近づくと彼女を抱きかかえる。
「神父さん!」
神父は二人の元に走り寄る。
砂那は清美の拘束されていたガムテープをダガーで切り、彼女の腕を自由にしてあげた。神父は後ろを向き清美を背負うと、砂那に向かって頷く。
「シャドーマンでしたか」
砂那は解らないように首をかしげた。
「………まぁ、良いでしょう。ありがとうございます。おかげで助かりました」
その様子を、公園に来てから一歩も動く事なく見ていた静香は、一言だけ誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「――――砂那、かっこいい」
「静香、行くわよ」
砂那の呼び声で我に返った静香は、急いで彼女に近付いて砂那の体を見る。先ほどの血が気になったのだ。
そして、静香の思った通り、彼女の左手は血で汚れていた。
「砂那、怪我してる! やっぱり、あれ、あなたの血だったの!」
砂那は咄嗟に、傷付いている左手を隠した。蒼にでも知られたら、まだまだ未熟だと思われてしまう。
「たっ、大したことないわ。ただのかすり傷よ」
「私を庇ったとき、切られてたのね! ちょっと見せて」
「大丈夫だって」
砂那は嫌がり、一歩後ろに下がる。
「見せなさいよ!」
静香は、嫌がる砂那の袖を無理矢理に捲った。
腕の手首近くに、刃物による切り傷が付いていた。コートの厚みで切り傷は浅かったが、長く切れているところを見ると、薄着なら骨まで達してたかも知れない。
「まだ、血が止まってないじゃない!」
「ほっとけば、いずれ止まるよ」
「何言ってるの、ダメよ! この辺りに薬局かコンビニあったかな?」
「とにかく、坂下 清美さんの家に戻りましょう。絆創膏ぐらいなら持っています」
神父の意見に頷くと、静香は砂那の手を離し、小さく聞こえないほどの声で言った。
「もう!………でも、砂那、庇ってくれてありがとう」
この傷は、本来なら静香が負うはずの傷だった。
砂那はそんな静香に「いーよ」と笑顔を見せた。
坂下 清美のマンションに戻ると、神父は清美を彼女の部屋のベッドに寝かせて、砂那の手当をした。
「絆創膏だけでは厳しいですね。せめて包帯があればよかったのですが」
「いえ、助かります」
「帰ったらちゃんと処置はしてください。病院に行くのなら、治療費は出しますので」
「ただのかすり傷です。それより、どうしてこんな事になったのですか?」
砂那は神父に問いかけた。
よほど悪意のある、力ある悪霊なら、憑かれる方の理由も関係なしに憑かれるが、大抵の場合、心が弱っていたなど、憑かれる方にもそれなりに理由がある。
今回の悪霊は、ごく一般的な悪霊で、理由なく憑くほどの力は無かった。
神父は目線を動かし、母親を確認してから、彼女に聞こえないように小さな声で二人に状況を話した。
「彼女の両親は、離婚するのです」
砂那は何も言わず目を閉じた。
「父親の方に愛人がいたようで、長い間、別居が続き、正式に離婚が決まったのですが、その事によって彼女は学校でいじめに遭っていたようなのです」
そこで、神父は清美に目をやった。
「………しかし、私達に出来ることは、彼女の話を聞き、新しい解釈を与え、慰めてあげる事だけです。どう切り抜けるか、どう戦うかは、本人しかできません」
そこで、静香と砂那も何かに気付いた様に、清美を見た。
「ただ、苦しかったら逃げてもいい。嫌だったら、学校を休んでもいい」
「ぐすっ、………ひっ、」
誰かのすすり泣く声が聞こえる。
「しかし、どんな逃げ方をしても、自暴自棄にだけはなってはいけない。今だって、私以外にも、助けてくれる人はいるのだから。あなたの辛かった話を聞かせてください」
「うあああぁ――――――――、神父様、うあああぁ、ああああぁ」
枷が外れたように清美は泣きじゃくる。砂那は神父の邪魔にならないように立ち上がった。
「………静香」
「あっ、うん」
ここからのお説教は神父の仕事だ。邪魔をしてはいけないし、砂那達にもまだ仕事が残っている。
砂那達は部屋を出ると扉を閉め、清美の母親の元に向かった。
彼女の母親は、キッチンの椅子に腰かけて、テーブルに伏せて泣いている。
そんな彼女に砂那は話しかけた。
「清美さんの除霊は終わりました」
母親は涙を拭いて、顔を上げた。
「そうですか。ありがとうございます」
「それで、この部屋も浄霊を行います」
「えっ?」
「さっきの悪霊に呼ばれて、弱い悪霊ですが数体います」
砂那の言葉に母親は戸惑った。
「………そんな」
「それと、あなた以外にこの家にいる人はいませんか?」
「む、娘がもう一人………」
「それなら呼んでください。視てみますので」
母親は砂那の話に、急いで電話をかけた。
帰ってきたのは小学生くらいの清美の妹で、彼女のも弱い悪霊がついていた。
砂那は小さなガラス製の文鎮を取出し、それでお札を押さえ五つ囲で祓っていく。
「これで、全ての浄霊は終わりました」
「そうですか。ありがとうございます。………これで終わるのですね?」
落ち着きを取り戻した清美を部屋に残し、出てきた神父は、母親の問いかけに、ゆっくりと首を振った。
「終わりません。このままの状態でいても、いずれ、また、別の悪霊が憑くでしょう」
「えっ、どうしてですか? だったら、そうならないようにしてください!」
神父は再び首を振った。
「それは、どんな徳の高い祓い屋でも、私達でも不可能なんです」
母親は疑ったように砂那を見る。まるで、こんな年端もいかない少女が除霊したのが理由だと言いたげに。
そんな母親に神父は誤解を解く。
「彼女は関係ありません。人間は心が弱っている時は、誰でも助けお求めてしまいます。しかし、悪霊は利口なので、そこを突いてきます」
神父は母親を真っ直ぐに見た。
「だから、あなたが娘さんたちを守ってあげてください。彼女たちが悲しまないように。楽しくなるように。そうすれば悪霊は手出しできません。――――やり方は簡単です。あなたが笑えばいい」
母親はもう一度泣いていた。
これで砂那達に出来ることは終わった。
砂那は、まだ不安な顔を覗かせている、清美の妹の麻美に「何かあったら助けに来る」と自分の連絡先を教えていた。
それは、そんな境遇に会った家族への、ささやかな気遣いだったのかもしれない。
彼女はお礼に、自分のお菓子をくれた。
まだ、ベネディクトから報酬を貰っていない砂那にとって、それは東京に来て初めて得た、報酬であった。




