間章《昼休み》
間章 《昼休み》
お昼休みのチャイムが鳴ってすぐに、一年の教室の前に蒼がやってきた。
下級生の教室に勝手に入るのは悪いので、彼は、扉近くで集まってお弁当を食べようとしている、女子の集団に声を掛ける。
「ご飯を食べてるところ悪いが、ちょっと砂那を呼んでもらえないかな?」
話しかけられた女子生徒は、箸をつけたての肉団子を持ったまま首をかしげた。
「………砂那?」
入学してから、まだ日数が経っていないので、名前まで把握していないのだろう。特に砂那は、中学までは奈良に居て、こちらに知り合いはいないので無理もない話だ。
「あっ、えっと、折坂さんを呼んで貰えないかな?」
蒼が苗字を言い直すと、それで分かったのか、その女生徒は意味有りげに、何度か蒼と砂那を見てから箸を置くと、親切に砂那の前に行き話しかけてくれた。
教室の真ん中辺りの席で、ボーッと窓の外を眺めていた砂那は、その女生徒に話しかけられ、慌てて教室の入り口を見て、嬉しそうな笑顔を見せる。
「ありがと」
彼女はそう女生徒に礼を言うと、急いで蒼の元にやってきた。
「蒼、どうしたの?」
「あぁ、………ちょっと出れるか?」
その教室の空気が解ったのか、蒼は砂那を教室の外に誘う。砂那は素直に従った。
わざわざ呼びに行ってくれた女生徒に軽く会釈をして、注目されたまま二人は教室を出て行く。
入学して僅かで、先輩男子から呼び出される女子と言うだけでも注目を浴びるのに、名前で呼びあう二人。
誰もが変に勘ぐるのは、仕方のない話しだった。
「何かあったの?」
廊下を歩きながら、砂那は尋ねる。
「あぁ、ベネディクトさんから連絡が来てな。砂那は確かスマホを持ってたよな?」
「うん、蒼にも番号教えたでしょ?」
奈良に居たときは持っていなかったが、東京に来てから手に入れたのだ。蒼には初日に教えている。
「その事なんだが、そこにSNSとか、アプリは入れているか?」
「SNS?」
聞きなれない単語に、砂那は眉間にしわを寄せた。
「あー、やっぱり入って無かったか、どおりで出てこないはずだ。うちの事務所はそれで連絡を取ることが多いから、後でスマホに入れておいた方が良い………やり方わかるか?」
砂那は戸惑ったように首を振った。
彼女は携帯電話や、スマートフォンと言った物を持つのは初めてだ。最初は楽しくて色々といじったのだが、料金がかかることを恐れて、何もアプリは取っていない。
「それなら後で見てやる。とりあえず伝言で、急な依頼が入ったから今日は事務所に来てほしいらしい。行けるか?」
蒼達の事務所は、前もっての出勤日を決めているが、急な呼び出しがかかることもある。
その呼び出しに、原則として校内では禁じられている通話が使えないため、SNSで連絡を取ることは多い。
「うん、大丈夫」
「解った、それなら俺からベネディクトさんに連絡しておくよ。悪いな時間取らせて。要件はそれだけだから、教室戻って弁当………」
そこで蒼は有る事に気づき、言葉を止めた。
さきほど教室に居た砂那は、外を眺めていただけで食事を取ろうとはしていなかった。
「………昼飯、食べ終わったのか?」
そんなはずは無いと解りつつも、蒼は砂那に問いかける。
彼は四時間目の授業を終えて、直ぐに砂那の教室に来たのだ。彼女がもう食べ終わったということは無いだろう。
「えっ? えっと………、未だ………」
そう歯切れの悪い言葉を残し、顔を背ける。
半日授業は昨日までで、今日からお昼持参の初日である。
蒼はそんな彼女の表情と態度で、なんとなく解った。
「………ひょっとして、弁当、忘れたのか?」
蒼の聞いてきた言葉が合っていたのか、砂那は下を向き、顔を赤らめたまま頷いた。
「わたし、中学まで給食だったから、その、分からなくて」
そういう事は本人より、両親が気付くものと思うが、忙しいくて気が回らなかったのか、今まで祖母に預けていたから、そこまで気が回らなかったのか、砂那の両親は少し無責任に感じる。
「それなら、売店もあるぞ。案内しようか?」
「うんん、場所は知ってるよ」
砂那は今度も、戸惑ったように薄く頷く。
「だけど、うん、今日はもう良いかな」
そう言って何かを誤魔化す様に、蒼に笑いかけた。
中学で給食のでる所は、校内で買うものはほとんど無い。だから、学校に行くのに、現金を持ち歩かない。その癖で、彼女はいま、現金を持ってないのかも知れない。
しかも、こちらの学校には知り合いも居なく、お金を借りたり、相談する相手も居ないはずだ。
「もし、よかったら、パンぐらい奢っ………」
蒼は言いかけた台詞を途中で止めた。
短い付き合いではあるが、砂那の性格はある程度は把握している。ここで奢ると言っても、頑なに拒否するだろう。
砂那は蒼の言いかけた言葉が聞き取れなかったのか、顔を真っ赤にしたまま、蒼から一歩離れると小さく手を振った。
「じゃ、また後でね」
彼女は早目に切り上げようとする。
蒼にはいつも格好の悪い所ばかり見られている。だから、弁当も財布も持ってこなかったことを知られたくなかったのだ。
蒼はそんな彼女を呼び止めた。
「砂那、ちょっと待て。―――もし、時間が有るなら、スマホにSNSを入れるのを、昼休み中にしないか?」
「昼休み中って、今? ………別に構わないけど、スマホは教室に取りに行かないと」
「それなら、天気もいいし中庭でしよう。取って来てくれないか」
「わかった」
砂那は素直に頷き、教室に戻っていく。
どうせ、教室に居ても、昼ご飯も食べないし、話し相手もまだ居ない。それなら蒼といた方が楽しいだろう。
蒼は砂那を見送ってから、自分の教室に走って戻ると弁当を取出し、今度は売店に行って菓子パン二つを購入してから、中庭に急いだ。
先に中庭に着いて、ベンチに腰かけていた砂那は、息の荒い蒼を不思議に見ていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、遅くなって悪い。ちょっと弁当取りに行ってたから」
「時間はまだあるから、そんなに急がなくてもいいのに」
蒼は砂那の隣に腰を下ろすと、砂那からスマートフォンを受け取り、代わりに菓子パンを渡した。砂那は驚いた表情で蒼を見る。
「これ、どうしたの?」
「俺は昼飯がまだなんだ。一人で食べると味気ないから、悪いが付き合ってくれ」
「えっ、だけど………」
「俺が勝手につき合わさせているから、代金はいらない。とにかく始めるよ。スマホ、見るぞ」
断れないように、態とぶっきらぼうにそう言ってから、砂那のスマートフォンを操作する。
「………ありがとう」
砂那は小さくお礼をいってから、パンを大切そうに膝の上に置き、横から蒼が操作しているのを、珍しそうに覗き込んでいた。
「これで良しっと。一応、事務所のメンバーでグループも作っておいたから、みんなに見て欲しい時はこっちを使えば、一気にメッセージを送れる」
簡単に使い方を説明をしてから、砂那にスマートフォンを返し、二人で昼ご飯を食べた。
春先のいい天気と、事務所の話や学校の内容など尽きない話題に、砂那は終始ご機嫌だった。
そして、お昼ご飯も食べ終わり、雑談しながら二人は教室に向っている時、砂那はベネディクトに言われた台詞を思い出す。
こうして近くで良く見てみても、彼の右腕が使い魔の義手とは解らない。多分、この学校で知っている者は居ないだろう。
砂那は蒼の会話を聞きながら、そっと彼の人差し指を握った。
確かに体温が有るので温かい。しかし、感覚が無いのか、蒼は気付いていない様子で話を続けている。
今度は蒼の手の平を軽くつねってみた。それでも、彼が気付いた様子は無い。
その後も、蒼の話を聞きながら、強く握ったり爪を立てたりと、色々と試してみるが彼に変化は無い。
やはりベネディクトの言った通り、痛みを感じないらしい。
砂那は自分の教室の前に着くと、人差し指と親指の間のツボを刺激していた手を離し、なんとなく使い魔に痛みを与え続けていたことを悪く思い、最後はやさしく撫でてから、彼の手を離し手を振る。
「じゃ、また後でね。―――パンありがとう。おいしかったよ」
そう言って教室に入っていった。
蒼は自分の教室に向かいながら、不思議そうに右手を見る。
確かに、彼の右手は使い魔を義手にしているので感覚は無い。
しかし、触られている事は、使い魔と意思疎通しているので解るのだ。
最初は砂那が自分の右手を、色々と触ってくる意味が解らず、しばらく知らないふりをしていたが、ここまで来たら解る。
「………犯人は、ベネディクトさんだな」
ため息交じりに答えを出してから、今度からはちゃんと説明しておこうと心に誓う。
彼の右手の使い魔が、痛みを訴えていたからだ。
そう、彼に痛みは無いが、使い魔は痛かっただろう。
「悪かったな。今度からは止めるように言うから」
彼は、そう自分の右手に謝り教室を目指した。
砂那が自分の教室に帰って来たとき、教室はざわついていた。
『折坂さんって、以外と大胆だったんだ』
『今………手っ、手っ繋いで帰って来たよね』
『すっごく幸せそう。良いなー』
そんな、声にならない空気が漂う中、砂那は空気が読めないのか、すっごく幸せそうにニヤ付きながら、次の授業の準備をしていた。
誰かが言った訳でも無いのだが、このことが有って以降、砂那や蒼の知らない所で、二人は公認の仲になっていた。