水希《魂まで結べる結び師》6
蒼の霧ヶ峰の鬼の太い腕が、大蛇の顔を捕らえた。
確かに相手は大きな蛇だが、こちらも蒼の胴回りもある太い腕だ。物理的に考えれば蛇を跳ね飛ばせただろうが、大蛇は何事も無かったように進みを止めない。
大蛇も霧ヶ峰の鬼の太い腕も霊体である。だからそこに物理的な効力はなく、あくまでも有るのは霊力の強さだけだ。
何度か攻撃した後に、これでは埒が明かないと感じた蒼は、後ろに跳び距離を開けた。大蛇は舌を出し入れしながら、ゆっくりと近づいてくる。
こちらの一番高い霊力を持つものは霧ヶ峰の鬼の腕だが、それでは抑えきれないほど大蛇の霊力は高い。
蒼は今度は霧ヶ峰の鬼の腕を前に出し、腕をゆっくりと振る。辺りには夜霧が現れ彼の姿を隠し、視界の悪かった光の少ない森をさらに見えなくした。
大蛇はその場で止まる。
霊に視界は関係ないのだが、その霧は特殊なのか蒼の霊力も気配も途絶えた。
そして、大蛇の真後ろから現れた蒼が、大蛇のしっぽを掴み投げ飛ばそうと力を入れるが、大蛇はピクリとも動かず、持ち上げる事が出来ない。
大蛇は大きな口をあけると蒼に迫るが、彼は再び霧に紛れた。
大蛇は再び動きを止める。
それは彼を警戒した訳だからではない。こんな弱い霊力は警戒するほどではない。
ただ、面白くないかった。
いままでこの姿を見て、恐れなかった者はいない。しかし、この妙な技を使う男は、これほど明確な霊力の差があるにも係わらず、心の中に恐れがない。いや、それどころか、まだどこか余裕を持っている。
《甘味だ。甘味が欲しい。お前の大切なものは何だ?》
頭の中に現れる、自分ではない思考。
その時、イヤホンマイクから声が聞こえた。
『ベネディクトさん、使い魔で相手の場所は解りますか?』
蒼はベネディクトが答える前に声を上げた。
「砂那………」
しかし、そこからの台詞が続かない。彼女は間違っていない。このまま二人を護っているだけでは反撃にあうだろう。それを回避するならこっちから攻めるしかない。
また無茶をして。
しかし、それをさせているのは、この霊体を祓うことの出来ない自分だ。
無事であってほしい。
そう願い「しまった」と顔をしかめた。
霧で隠れているというのに、どこで見つかったのか、蒼の目の前に大蛇が現れ、笑ったように目頭を下げ口角を上げた。
「待て、やめろ!」
理由のわかった蒼が慌てる。
《甘味、甘味よのう》
その思考と共に現れた映像は、制服を着て少し見上げて笑顔を作る、砂那の姿だった。
《この魂が欲しい》
砂那がD.I.Jを追うため、森の中に入って行ったあと、水希のそばには大型の黒豹が現れ、彼女たちに背を向け座った。
最初は警戒した水希も、その様子からして砂那の仲間と解ったのか、警戒を解き桂の様子を見る。
傷口からの出血は止まってきたが、依然と気を抜けない状態だろう。
その時、再び頭の中に自分ではない思考と、映像が現れた。
その姿は………。
「折坂!」
《この魂が欲しい》
思考が少ないので、生贄が桂から砂那に変わったのか、どちらも生贄になったのかは解らない。しかし、彼女もD.I.Jの標的に加わってしまった。
だが水希は、今は桂から手を離すわけにはいかない。
「ごめん、折坂」
水希は自分は護られたのにも係わらず、砂那に身の危険を伝えることが出来ずに謝るしか無かった。
先に走り出したこぐろがD.I.Jの姿を捉えるが、彼は砂那を待つようにその場に棒立ちで動かない。
理由を知らない砂那は、すぐにD.I.Jとの距離を詰めた。
砂那もD.I.Jの姿を確認すると立ち止まり、二人は対峙する。
彼女はキツイ釣り目で睨みつけた。
「あなた、自分のしてる事の意味、わかってるの!」
砂那の怒りの言葉に対して、D.I.Jは軽く肩を上げた。
「この国の人間は甘いのさ、皆んな自分は死なないと思ってやがる。だから仕事が楽なんだよ」
「楽っ?」
砂那のこめかみが一度だけピックッと動く。それも気にせず、D.I.Jはさらに続けた。
「人間ってのはな、他の国では自分の意思とは関係なく、簡単に死ぬんだよ。何百、何千とな。だから、死なない様に努力するんだ。こんなに平和ボケしてるのは、この国ぐらいだ」
「だからと言って、殺していい理由にはならないわよ。誰もが天寿を全うしたいと思ってる。平和ボケしていようが、それはどこの国でも同じはずよ。悪い事では無いわ!」
「だから何だ? 言っただろ、自分の意思とは関係ないと。要するに弱いから死ぬんだ。お前も、自分は死なないと思って、俺を追っかけてきたんだろ?」
D.I.Jの意見に、砂那はゆっくりと目線の下げた。
「そんな考えしか出来ないの? わたし達の様な職業はね、死んだ後のことを請け負ってる。だから、わかる! 命って、他人がポンポン奪えるような、そんなに軽い物ではない! それが解らないあなたは――――」
そして、顔を上げて睨みつける。
「――――情緒の欠片すらも無い!」
砂那は右手を前に差し出した。
しかし、その手にはいつものダガーが握られていない。
D.I.Jは右手の銃口を砂那に向ける。握られているのは智也に渡したような小さな銃だが、この距離なら外さない。
「無くて結構だ!」
銃声と同時に、砂那の後ろから彼女の式守神、八禍津刀比売が現れ、左手の剣を地面に突き刺し、盾代わりに銃弾を弾いた。
しかし、大きな剣を盾代わりにしたことにより、これで彼女の視界は遮られる。
こういう所がまだまだ甘い。自分は銃弾を弾けると甘く考えた証拠だ、命の取り合いならまるで素人。
「それが平和ボケだと言ってるんだ! たかだが祓い屋風情が、俺をどうこう出来ると思っていたのか?」
そう言って、砂那の右側に走り込み、彼女のこめかみを狙ったD.I.Jは、引き金を引くよりも早く、砂那の持っていた大きな剣で袈裟に切りつけられた。
「なっ?!」
「思ってる!」
今の今まで武器は持っていなかったはずだ。なのに、剣に彼女の体が隠れた瞬間に、彼女の両手には、本人の身長ほどもある大きな剣が握られたいた。そんな大きな剣を隠す場所なんてないのに。
D.I.Jは後ろに吹き飛ばされ倒れこんだ後、驚きの表情で砂那を見た。砂那は倒れたD.I.Jを上から見下ろし、右手に持った大剣の剣先を相手に向けて言った。
「――――だから、覚悟しなさい!」
頭の中の、その映像を見た途端、蒼の中で枷が外れた。
「――――おまえっ!」
大蛇も少しだけ戸惑う。
ここからは甘味しか味わうことが無いと思っていたのに、目の前の男から甘味を味わえたのは一瞬。そこからは、鋭いほどの怒りが感じ取れた。
それもまた一興か。甘味ほどではないが、この味も悪くない。
しかし、と考える。
さきほどから、何故、ここまで霊力の差を解りながらも、この男は恐怖や絶望を感じないのであろうか?
蒼は顔を向け、大蛇を鋭く睨む。
いつの間にか霧は晴れていた。
「甘味って、そう言う事かよ。要は俺の恐怖心や絶望を喰らいたいのか!」
この大蛇にとって、恐怖を味わうことは何より喜びなのだろう。しかし、そこから考えれば、この強力な霊体が小物に見える。
蒼は大蛇と化した老婆を見て、一つの答えを出した。
「そうか、おまえは………姥ヶ池の大蛇を喰ったんだな!」
強力な神様はそんなものを欲しがらない。質の悪い神様が生贄を欲しがる理由も、自分の力に箔をつける傲慢さからだろう。
しかし、この大蛇が欲しがっているのは、自分への畏怖。そこから読み取れるのは、この霊は名のない霊体の集合で、ただの悪霊だ。多分、大蛇も取り込まれたのだろう。
この大蛇は式守神ではなく、ただの悪霊の塊だった。こんなのが憑いたところで式守神の様な働きをしてくれるはずもない。
ひょっとすると、この契約自体も勘違いで、この大蛇はただ他人の恐怖を喰らいたいと言っているのを、生贄を差し出せと思ったのかもしれない。
しかし、もう、蒼にとってそんな事はどうでも良い。
歯を鳴らせ、鋭い眼光で言った。
「アンインストール!」
霧ヶ峰の鬼の腕が消える。
こいつは、あいつを狙った。
それがたまらなく許せなかった。
「そんなに甘味が欲しいのか。だったら、くれてやる! 嫌と言うほど味わえ!」
そう言って短くなった右腕を左手で触る。
「ダウンロード! アンナ!!」
蒼の右腕に、微かに光るだけの、普通の腕が現れた。
桂と水希を助けに来たベネディクトは、水希から聞き、スマートフォンで砂那が生贄に選ばれたことを知らせたが、戦闘中なのかそれに対しての返答は無かった。彼女は桂を黒豹のウィギンズの背中に乗せ、軽バンまで運ばせる。
出血量や撃たれた場所を考えれば、あまり動かさない方が良かったのだが、森の中では救急隊が見つけにくいので道まで移動しょうとしてるのだ。
そして、運んでいる途中にその感覚に襲われた。
心の底からくるような嫌悪感や恐怖感。
「っち、右腕のない少年め、使いやがったか」
ベネディクトはそう悪態を吐くが、今回の霊体は強力すぎて、彼の通常の持ち手では厳しかったのだろう。
「とっとと決めろよ。でないと大事に成るぞ」
黒豹のウィギンズに運ばれる、桂のお腹を押さえている水希も、その感覚に顔を真っ青にしてベネディクトと同じ方向を見つめる。
「これって………」
この感覚は、少し前に篠田に連れて行かれた横浜で味わったのと、全く同じ感覚だ。いや、あの時は黒い囲いが有ったので、ここまでの恐怖を感じなかった。
しかし、ダイレクトに感じるこの感覚は、先ほどにD.I.Jと対峙して、死を感じたそれ以上の恐怖を感じる。
「気にするな、すぐに終わる」
この腕を出したのだ、もう結果は見えている。しかし、D.I.Jに知られる事になったのは少しまずいかも知れない。あとで釘を刺さなくては。
軽バンに戻ったベネディクトは車の椅子を倒し、後ろをフラットにしてからその場に桂を寝かせた。
応急処置が良かったのか、血が止まり生きてはいたが、意識は朦朧としている様だった。
「そいつの銃は私が預かっておくが、その傷が銃痕なのは隠せないだろう。必ず警察の尋問が有るから考えておけよ」
そう言って、鍵の束を取り出し、空間を開けてその中にトカレフを入れる。
「ありがとうございます」
「救急隊が早く来てくれると良いのだが」
そう言うとベネディクトは再び森を見て、八咫烏のヴォクレールに指示を出した。
砂那の大剣に切られ倒れ込んだD.I.Jは、自分の体に傷が無いことが解ると立ち上がり、再び銃口を向けようとした。しかし、うまく力が入らず片膝をつく。
砂那は、そんな彼の右腕を大剣で切りつけ、腕の握力を奪い、銃を跳ね飛ばす。
やられた、これはナインワードの九字切りと同じ攻撃で、霊体を直接攻撃されたのだろう。肉体の痛みはないが疲労感が大きい。
そして、砂那の後ろの式守神の腕の、右手と後ろの手の一本が剣を持っていないことから、その剣が式守神の剣だと解った。
これは砂那が、蒼の根本的衝動の話を聞き、思いついた技である。
言うなれば部分召喚だ。
霊体は重さもないので、そんな大きな剣でも重さに関係なく振り回すことが出来る。しかも、奈良で戦ったナインワードの様な敵に対しても、本体を消して剣だけを出せば、式守神へのダメージを最小限に抑えたまま攻撃できる。
しかし、そんな理屈がD.I.Jに解った所でもう遅い。
最後の銃も落し、これで彼が抵抗する手段は失った。
完全に侮っていた。
これは彼の怠慢が引き起こした甘さ。まさか、こんな平和ボケした国で、自分が負けるはずは無いという過信から起こったことだ。
それはまるで、先ほど言った自分の台詞が、そのまま返ってきたことに成る。
ギリッとD.I.Jは歯を鳴らす。
負けも負け、しかも、これ以上ないほどの格好のつかない負け方だ。
ここがこんな田舎ではなく街の中なら、彼はサタデーナイトスペシャルをばら撒き、もっと手下を増やしていたのだが、場所も悪かった。
「クソガキが!」
最後に悪態をついた。
逃げるにも身体が思うように動かない。唯一の救いは、この国では殺されることがないと言う事だろう。他の国なら殺されている。
「八禍津刀比売ありがとう」
砂那は左手の大剣を消すと、ロングコートからダガーを取り出し、器用に片手でお札を挿す。そして、それを地面に挿していき、十囲いを作ろうとした。
その時である。
イヤホンマイクから蒼の、式守神の腕を出す声を聴き、ぞくっと背筋が凍った。
『ダウンロード! アンナ!!』
奈良では五十囲いの中で、霧ヶ峰の鬼を追い詰めた腕。それを囲いのない所で初めて感じた感想は、横浜で感じた恐怖その物だった。
それは、この世界にあるどんな理とも違うように感じた。
身体ではない、魂が感じるような恐怖。
魂の終わり。
砂那は手を止め、蒼の居るであろう方向を見る。
「………これが、アンナなの………」
それが式守神の腕かどうかは解らない、しかし、こんな物がまっとうな神の腕とは思えなかった。
D.I.Jも驚きの表情でその方向を見ているが、砂那が注意を切らしたことを思い出し、最後の気力を振り絞り駆けだす。
砂那が慌てたときには、彼は闇の中に消えていた。
今回出てきたのが、砂那の最終形態です。
この作品を作るにあたって、砂那の最初のイメージは、自分の身長ほどある大剣を振り回す少女です。
うーん、確かに前作のラズベリーブルーといい大振りな剣が大好きですいません。
でも、ファランクスさんの小説に影響を受け、最初はダガーを使わせていたのです。
ファランクスの小説は、最近更新がないので残念です。
続きが読みたいものですね。
さて、後二話でダンディライオンは終わる予定です。
長引いたらすいません。
では、ラストスパートで、頑張ります。