水希《魂まで結べる結び師》5
銃声が間近に聞こえる。
それは近付いている証拠でもあるし、桂が攻撃を受けていることも意味していた。
「けーいっ!!」
水希は、相手に自分の居場所が見つかるのもお構いなしに、大声で叫んでから銃声の方向に走る。
自分の認識が甘かった。
たとえ、生贄の話が出ても、みんなも断ると思っていた。しかし、実際に起きたのは、桂の命の奪い合い。最初に桂が反撃して逃げなかったら、もうすでに彼はこの世に居なかっただろう。
彼を巻き込んだのは自分だ。
桂は式守神なんて欲しがっていなかった。彼はそんな力を必要としていなかった。しかし、水希が必要としているから、桂は付き合ってくれたのだ。
二人は恋人同士では無い。昔から知っている、幼馴染という間柄だ。
水希と桂の二人は、お互いに親に捨てられ児童養護施設で育った。
その施設で霊感の有った二人は、自然と一緒に居ることが多かった。
そして、そこの施設で起こった事件をきっかけに、霊力の高い水希を、結び師の大方 狃三郎が養子として引き取りたいと言い出したのだ。
結び師の大方 狃三郎は、結び師を総括する《本庁》に所属し、自伝を出版するなど、祓い屋としても幅広い活動をしていた。
しかし、順風満帆に見える狃三郎にも悩みがあった。彼の跡取りの息子、大方 慣志郎が子宝に恵まれない事だ。
結婚は早かったものの、三十半ば過ぎても子供が出来ない息子に、狃三郎は焦りを隠せなかった。
跡取りが出来ないと、大方家は息子の代で閉ざされてしまう。
そこで、狃三郎は水希を息子の子として、養子に取ったのだ。
水希は最初は困惑していたものの、彼女も家族が欲しくて必死だったのだろう。結びを覚えれば自分の居場所が出来ると解ると、彼女は同世代の子と遊ぶこともせず、結びの基本を覚え、応用を覚えて行った。
元々才能が有ったのか、覚える速さは異様で、水希はどんどんと結びの技術を覚えて行った。
狃三郎は、彼女はいずれは結び師の本庁にも行けると確信したし、水希も大方家の跡継ぎとしての覚悟が出てきて、何もかも上手く行っている筈だった。しかし、一つの出来事で、全てが一気に変わってしまう。
それは、義父の慣志郎に子供が出来たことだ。
両親からすれば、跡取りは自分の本当の子に継がせたいだろう。しかし、今更ながら水希も児童養護施設に帰れない。
彼女は必要だった者から、一気に邪魔者に変わったしまった。
水希は自ら、大方家の人達と距離を開け、寮のある高校を選び、連絡も取らないようにしていた。
こうして水希は、自分の目標も居場所も同時に失ったのだ。しかし、彼女はあきらめなかった。
大方家の名前が無くても、式守神を手に入れ、自分の力だけで本庁に入り、一人で結び師として生きていこうと考えたのだ。
今度こそは、本当の自分の居場所を手に入れるために。
桂はその手伝いをしたにすぎない。なのに、命を狙われたのは彼だ。
だから、何としてでも助けないと。
水希はそう思い、草むらから飛び出した。
砂那の言った通りだった。もう、彼の近くまで来ていたのだ。
「桂っ!」
水希の声に反応して、二人の目が合う。
良かった、間に合った。
水希は安堵で顔を緩めてから、心配をかけたことを責めようと一歩彼に近寄った時、桂が叫んだ。
「水希来るな! 逃げろ!!」
ドンっと、大きな音が真横で聞こえた。
水希は音に驚いて、思わず足を止める。
桂はお腹を押さえると前かがみになり、ひざを折り倒れ込んだ。水希には、その姿がスローモーションのように映った。
「………えっ?」
解っている。
頭では解っているのだが、何が起こったのか理解できない。目の前の光景が、まるで信じられない。
水希は目を泳がせてから、その大きな音がした、草や木の枝で死角に成っていた方向に顔を向ける。
そこには両手に銃を構えたD.I.Jが、右手の銃を下すところだった。
それを見てから、やっと気づく。
桂に近いなら、D.I.Jにも近いはずだ。
水希は彼のそばに駆け寄った。
こんなのは嘘だ。こんな事が起こるはずもない。
大丈夫、銃弾がかすっただけだ。
そう思うが、血の匂いが漂う彼の近くで、足が震えて立ち尽くした。
暗くてよく見えなかったのだが、桂は右腕と左足を撃たれており、今しがた腹を撃ち抜かれ倒れている。血は止まることなく、服やズボンが真っ赤に染まっていく。
こんなにも傷を負っていたのだ。
「けっ、桂………」
「………みっ、水希」
最後の力を振り絞るように、桂が水希に顔を向ける。
まだ息が有ることが解った水希は、力が抜けたようにしゃがみ込み彼に手を伸ばすが、どうしていいのか解らず、震えながらその手を止めた。
だめだ、そんな予感は消さなくては。
まだ、生きてる。助かる。
無理やりそう思うが、理解した身体の震えは消えなかった。
彼はもう、助からない。
「………俺は、もう、だめだろう」
覚悟をしたように彼は呟く。
「何を言ってるの! まだ、私は………」
「だから………お前が俺に、止めを刺せ!」
「………」
水希は顔を伏せた。その桂の言っている意味が解る。
こんな傷ついて、あと僅かな時間となっても、私のことを考えてくれている。
私が、止めを刺せば、式守神は私に憑いてくれる。
「ぃやー! あぁぁぁぁーっ!!!」
水希は何もかもを手放して大声で叫んだ。
何も要らなかった。
もし此処に、すごく徳の高い神様が居て、「お前の人生がこれから、一片の幸せも必要ないのなら、彼を助けてやろう」と言うなら、寸秒もたらず頷くであろう。
それ以上に、代わりに私の命が欲しいならくれてやる!
しかし、そんなことは起こらないのが解って、大粒の涙を流した。
変えることの出来無い未来に向けて。
桂は自分より一つ上だ。だから、長い人生の中で、彼の方が先に亡くなる覚悟は出来ていた。でも、それは何十年と共に過ごした後の話だ。
「嫌ーっ! 嫌! 嫌! 桂っ! 私を一人にしないで!!!」
「だったら、お前も一緒に送ってやろうか?」
真横に声を聞いた。
涙にかすむ視界に現れたのは拳銃だ。
これが私の終わりの風景か。
興奮して、混乱して、すがる気持ちの頭で感じたのはそんな台詞だった。
桂に止めを刺してから、D.I.Jは私の頭を打ち抜く。
良かった。
彼と共に逝けるなら、それでも良い。それがせめてもの慈悲。
桂は最後の力を振り絞り、左手のトカレフを振り上げようとするが、何もかも遅かった。
腕が上がらない。
そして、D.I.Jの銃口が自分の額を狙い、指が引き金を絞る。
間に合わない。だけど、せめて水希だけは。
桂は、水希の前に出ようとした。
自分が盾になるしか彼女を護る方法が無い。しかし、立ち上がることが出来ない。足も体も言うことが聞かなかった。
この二人の力、覚悟、経験すべてがD.I.Jより劣っていた。
だから、桂は水希を見た。
その姿を脳裏に焼き付けて逝くために。
「逃げろ………」
せめて、それぐらいは叶っても罰は当たらないだろう。
最後の、命をかけた願いだ。
ドンッ!
そして、最後の音が聞こえた。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
D.I.Jは後ろの飛び退き、砂那は肩で息をしている。
桂の目の前には、怒りを表す様な表情をした、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れる。そして、その左手に握られた剣が、D.I.Jの拳銃を貫き破壊していた。
「っち!」
短く舌打ちして左手の銃を砂那に合わせる。その左手を少女の姿をしたこぐろが、猫のような尖った爪で引っ掻いた。
手加減なしの容赦のない攻撃に、D.I.Jの左手の甲の肉はえぐれ、痛みで左手の銃を落とす。
「っつ! このガキっ!!」
D.I.Jはこぐろを蹴りつけようとするが、こぐろは猫の姿に戻り、素早く砂那の前に飛び退く。両方の銃を奪われたD.I.Jは、傷口を押さえ森の奥に身を隠した。
砂那は二人に目を向けると、桂がゆっくりと目を閉じていく所だった。
水希はどうすることも出来ず、ただ横で泣くだけだ。
このままでは彼は助からない。
「水希! 何をしてるの! 早く、早く彼を結んで!」
それは、とっさに思いついた事だった。
「結ぶ?」
「このままでは、その人は助からない。だから魂が身体から出れないように結び、傷口を押さえるの!」
《結び》とは、霊力を込めた紐で霊を縛り、その紐を死後の世界と結んで、送り還す手法である。
しかし、結びはそれだけでは無い。
奈良の宇陀市の結びのように、自然に生えている木を使い、大きく紐で霊を囲えば、囲いのような結界にもなるし、結び方を変えれば、霊を器に閉じ込めることも、人と人を結ぶ縁結びにもなる。
だから結びは、形に囚われる囲いより柔軟性があり、色々な作用が望めるが、それゆえに奥が深く難しい。
その方法で助かるかどうかは解らないが、生存率は少しでも上がるだろう。
「出来る?」
砂那が心配そうにたずねた。水希が魂を身体に閉じ込めるほどの熟練者であればいいが、出来なければ砂那が囲うしかない。しかし囲えば、傷口の治療が出来ず、いずれにしても桂は助からないだろう。
水希も理解したのか、瞳に光を取り戻し、紐を取り出すと目を細めて桂を見る。
彼の胸元にうっすらと白いものが見えた。
出て行こうとしている。
させない!!
水希は目を大きく開けると、それと身体を素早く巻き繋げていく。これは、結び師の中でも出来るものが少ない高度な技だろう。
そして、結び終わると、手足を止血のために縛り、縛れないお腹の傷口を手で押さえた。
「桂! 絶対死なせないから!」
その間にも、銃を奪ったはずのD.I.Jからの攻撃は有るが、砂那の式守神、八禍津刀比売が左手の剣と、背中の六本の剣を盾代わりにして全てを弾く。
砂那はスマートフォンを取り出すと、通話を追加して、グループ通話で電話を掛けた。相手はすぐに出る。
「ベネディクトさん!」
『砂那、どうだ』
「不味いです。布施 桂さんがかなりの傷を負ってます!」
『解った、救急車を呼ぶ。先にヴォクレールを飛ばしているから、場所を特定する為に、空に向かって合図をくれ』
砂那は通話をそのままに、スマートフォンの懐中電灯機能で空を照らす。
『確認出来た。私ももう着く!』
砂那はスマートフォンをロングコートに直すと、桂の傷口を押さえる水希に向かって言った。
「わたしの上司のベネディクトさんが助けに来るから、もう少しだけ待って!」
「うん。桂、もう直ぐだよ。頑張って!」
水希は桂に話し掛けるが、彼は返事が無い。応急処置は適切だが、状態は良くないだろう。
砂那は暗い森の中に目をやった。
先ほどから、八禍津刀比売の剣により銃弾をはじいているが、未だにD.I.Jからの攻撃は続いている。しかも単調で、同じ場所からだ。
それが、どうもおかしい。
こちらは銃弾が弾けるのが解った筈なのに、自分の居場所を曝すような攻撃。
そう思った矢先、前から鳴る銃声に対して、八禍津刀比売が左腕を伸ばし、今まで攻撃を受けていた反対方向に剣を挿す。
剣は銃弾を弾いた。
「逆から?!」
それは、どうやったのか解らない。しかし、相手が魔法使いなら砂那の知らない何かが有るのだろう。このまま八禍津刀比売に護っていてもらっても、確実な安全ではないと考えた砂那は、イヤホンマイクに話しかける。
「ベネディクトさん、使い魔で相手の場所は解りますか?」
『砂那………』
ベネディクトより早く、心配したように蒼が声をかけるが、そこで言葉を詰まらせた。
彼の言いたいことは解るし、その方法が正しいから、言葉に詰まったのだ。そしてベネディクトも同じ意見だったのか、声のトーンを落とした。
『砂那、約束しろ。もし、危なくなったら、クライアントを見捨てて逃げると。そうしか教えられん』
「解ってます。無茶はしません」
二人にたいして、即座に砂那は答える。
しかし、その約束を守らないのは二人とも解っていた。約束を守る気があるなら、今から敵の前に出る必要はない。
『その言葉、信じるぞ。………真後ろ百五十メートルだ!』
前から銃声が聞こえたのに、後ろにいる。すぐに砂那は走り出した。
「止めて、折坂! D.I.Jは危険よ!」
それは重々承知だ。だからこそベネディクトが来るまで時間を稼がなくては。
「また後でね、それまで二人とも生き延びてね!」
それだけを伝え、砂那は森の中を駆けていく。