不浄なる土地3
砂那の二十四囲いと、ベネディクトのジョーヌの鍵で呼び出した黒豹のウィギンズが、素早くマンションの浄霊を終えると、二人は悪霊が寄り付か無いように、お札を貼ったり、まじないを掛けたりしていた。しかし、状況から考えると、これも気休め程度で効力は薄いだろう。
手早く仕事を終えた二人は、不動産屋の小太りの男と別れると、軽バンはそのままに、先ほど砂那が眺めていた、根本とされるその丘を登っていく。
住宅街は夕焼けに照らされ、薄暗くなり街灯の明かりが灯りだす。
齷齪働く一日が、終わりを迎えようとしていた。
丘の上に建っている住宅は一軒家が多く、高台からの見晴らしも素晴らしいもので、普通に考えれば人気が出そうな場所なのだが、暗くなって来たにも関わらず、家の明かりが点灯していない家が目立つ。
この辺りのそんな家は、全て空き家だ。
さらに登ると、丘の一番高くなっている頂上付近に建物が見えた。その瞬間、砂那の表情が強張る。
まだその建物が遠くて霊視が出来ないのだが、それでもはっきりと解った。
あそこが元凶だ。
その建物は、昔の武家屋敷を連想させる作りで、その周りを鬱蒼とした雑林が覆い茂っていた。その雑林は元々はこの屋敷の庭の木々だったものだろう。今では手付かずの荒れ放題で、林の様な状態になっている。
「………」
ベネディクトは異変を感じ取っている砂那の顔色を見たが、何も告げつに先に急ぐ。
二人はその屋敷にたどり着いた。
屋敷の周りの低い土塀からは、荒れ放題の木が塀の外まで枝を伸ばし、道に落ち葉を撒き散らしている。
開けっ放しの門から建物まで続く、緩やかな坂道のアプローチには、石畳を隠すほど草が覆い茂り、しばらく誰も住んでいない事を表していた。
砂那は確認するようにベネディクトを見る。彼女は一つ頷き、躊躇することなくその敷地に足を踏み入れた。
砂那も後を追って門を潜り、彼女の後を追うように屋敷に向かう。その最中、砂那は屋敷まで続く短いアプローチで何度も足を止めた。
自分の脚が重く感じる。
それは、この辺りには霊が居ないので、霊的な障害でも無いだろうし、疲れて立ち止まった訳でも無い。
身体がその屋敷に行くことを拒絶しているのだ。
砂那はそれを無視してベネディクトの後ろを追いつくと、その屋敷にたどり着いた。
屋敷は、囲い師により囲まれている。しかも多角で意味のある囲いでだ。
砂那は囲いの大きさや、お札とお札の角度からそれを読み取った。
「………これは、四十二囲い」
語呂の悪さから、多角な囲いが出来る囲い師からも忌み嫌われる囲い。しかし驚くことはそれとは別で、そんな多角な囲いなのい係わらず、囲いの中からあふれ出す禍々しさが遮断できていない。
普通はこれほど多角な囲いなら、霊力を完全に遮断するはずなのに、中にはそれ以上の凶物が有るのだろうか。ひょっとすると、危険な事を知らせるために、あえてその四十二囲いを使っているのかも知れない。
「砂那、この囲いを切れるか?」
ベネディクトの問いかけに、砂那は首を振った。
「いえ、無理です。奈良で八禍津刀比売が十六囲いを切りましたが、彼の囲いでは、多分それが切れる限界です」
砂那は地面に突き刺さった、百均の安いステンレス製の串を見ながらそう言った。
奈良で見ていたので良く分かる。その武器と無駄な肉を削いだ様な完璧な囲い。これ程の囲いを張る人物は篠田以外には思いつかない。
「そうか、だったら私が切るしか無いのだが、並の使い魔では無理か………」
そう言って、ベネディクトは顔を曇らせて頭を掻いた。
ベネディクトの持つ魔法や、並の使い魔では、これ程の多角な囲いは切ることが出来ない。
唯一、切る事の出来る使い魔が居ることは居るのだが、何かの拍子にベネディクトの束縛から解けると危険な使い魔だ。
彼女はため息を吐いた。
「まぁ、悩んでいても仕方が無いか。………砂那、私が強力な使い魔で囲いを切る。だが、こいつは危険な存在で外に出したく無い。だから囲いの中で切れる様に、この囲いより大きく囲ってくれるか。出来るだけ強力な、多角な囲いの方が良い。頼む」
「分かりました。こぐろ」
砂那は頷くと、こぐろと共に篠田の囲いをさらに大きく囲うように、屋敷の周りにお札を縫い付け、囲いを発動した。
その発動した囲いの中で、ベネディクトは驚きの表情を見せる。
「………これって、幾つ囲いなんだ?」
「七十です。竹串が七十本しか無かったので、これで大丈夫ですか?」
「七十って………」
すんなりと放つ砂那の台詞にベネディクトは言葉を失った。
奈良で見た五十囲いが、砂那の限界かと思っていたが、そうでは無かったらしい。
ここまでの多角な囲いが出来る者は、総本山でも少ないはずだ。しかも何度も練習を繰り返したのだろう、囲うスピードは早かった。
「これで十分だよ、全く………」
そう言ってから、心の中で苦笑いした。
本当に皮肉な事に、蒼の周りには才能の有る囲い師が多い。しかも、飛び抜けて高い者ばっかりだ。
ベネディクトは鍵の束を取り出すと、中から一番古い銀の鍵を選び、何もない空間に差し込み回した。
ガチャっと、鍵が解除される音がして、何もない空間が開く。
砂那はその光景を物珍しそうに見ていたが、その使い魔を見た瞬間にそれから一歩後退した。
全身の鳥肌が立ち、背中に寒気が走る。
何もない空間から現れたのは、人間の女性体。
それは黒いドレスで着飾り、顔を隠すヴェールを纏った優雅な服装をしていたが、そのヴェールの隙間から見える口元には、猿轡が噛まされ、体の正面では両腕が肘まで革の拘束具で縛られた状態で現れた。
正装のようなドレスに不釣り合いな拘束。まるで逃げ出さ無いように捕らえられているように見える。
そして、この屋敷にも負けず劣らずの凶々しさ。
ベネディクトは七十囲いで十分だと言ったが、砂那にはその程度の囲いでは絶対に手に負え無いと分かった。
最高の囲いだとされる、今は使える者がいない百八囲いですら、この使い魔を囲い留まらす事は不可能であろう。
それはベネディクトの使い魔で、こちらに危害が無いと頭では分かっているのだが、砂那の手は無意識にコートの中のダガーを探していた。
その様子を見ていたベネディクトは、分かっていると言いたげに頷く。
「心配するな、用が終われば直ぐに戻す。窮極の門の守護者、この囲いを切ってくれ」
窮極の門の守護者と呼ばれた使い魔は、猿轡を咥えたまま何かの言葉を放ったのだが、砂那には、その言葉が猿轡のせいで、どこの国の言葉かわからないし、何と言ったのか聞き取れ無かった。
しかし、その二、三言の短い言葉だけで、多角な四十二囲いはガラスが割れた様な音を立て、簡単に砕け消える。あれほど強力な篠田の多角な囲いを、ここまでいとも容易く崩してしまう使い魔と、それを従えるベネディクトに、砂那は戦慄を覚えた。
「ご苦労、もう戻れ」
ベネディクトの短い言葉で、窮極の門の守護者は素直に開いた空間の前に行く。しかし、空間の中に入る前に、ベネディクトを誘うように彼女に首を向けると開いた空間の中を指差した。ベネディクトは断る様に首を振る。
窮極の門の守護者は残念そうに肩をしなだれさせ、開いた空間の中に入っていく。ベネディクトは古い銀の鍵を回して、空間を閉じた。
「………今の使い魔、すごく霊力が高いですね」
空間が閉じてから砂那は額の汗をぬぐった。あんなにも背筋が凍る思いは久しぶりである。そのベネディクトはバツの悪そうに顔をしかめた。
「あぁ、あれはな、昔し姉と本気の喧嘩をしてた時に、何とか一泡吹かせようと手に入れた《外なる神》だ。こいつを手に入れるのに七百体の使い魔を失った」
彼女の話は何とも要領を得ないが、あれは強力な神様だと砂那は理解した。
そして、窮極の門の守護者が居なくなったことに安堵しようとしたが、今度は四十二囲いが無くなったことで、さらに強烈になった感覚に息を飲みこむ。
先ほどとは別な感覚の危険。
砂那はそれなりに、祓い屋として命の危険を感じた事もあった。
それは、憑き物や、霊力の強い悪霊などと戦った時で、身体や魂を傷つけられて死んでしまう命の危険だ。窮極の門の守護者もどちらかと言えば、こっちの身の危険に思う。
しかし、今感じている危険は、上手く説明できないが、一言でいえば《終わり》だ。
魂の終わり。
砂那はベネディクトの前なので平然を装っていたが、足の震えは止まらなかった。
「砂那、辛いなら帰ってもいいが?」
ベネディクトの台詞に砂那は彼女を見る。ベネディクトも平気そうな顔はしていたが、顔色は悪かった。
「………いえ、行ってみます」
こんな状況は初めての経験なので、せめて、こうなった理由が知りたかった。
「そうか、ならこっちだ」
そう言ってベネディクトは靴のまま玄関を上がり進んでいく。砂那も靴のまま後に続いた。
夕暮れの弱い光が、周りの荒れ放題の木々に遮られ、部屋の中は暗い。ベネディクトは自分のスマートフォンを取り出し、懐中電灯機能で照らしながら進んでいく。砂那もそれに習い、スマートフォンを取り出して辺りを照らす。
中は荒れ放題だった。
建物は中も武家屋敷の様な作りで、畳部屋が続いている。その中で争われたように、畳や襖は刃物や鈍器による傷跡が残され、タンスが倒され、床には生活用品は壊れたまま散乱している。所々にはドス黒い染み跡が付いており、激しい争いが行われた状況を示していた。
二人はさらに奥に進んでいき、その中で奥にある庭に隣接する、上段の間につながる、謁見の間にやってきてベネディクトは足を止めた。
そこで砂那は思わず息を飲みこむ。
この上段の間が、この辺りに起こっている、全ての元凶だとわかったからだ。
「ここまでお前を連れてきたのは、囲い師の意見を聞きたかったからなんだ。………砂那、これは何だ?」
「これは、八胞体囲いと思いますが………」
砂那は自信なさげに、そこで言葉を止めた。
《八胞体囲い》とは、普通の半球形の囲いでは無く、部屋の八隅にお札を刺して部屋そのものを四角に囲う、特殊な囲いだ。どちらかで言うと霊を祓う囲いでは無く、霊が入らないように守るための囲いである。
しかし、それはあくまでも一般的な八胞体囲いの話である。
砂那が自信なさげに成った理由は、この八胞体囲いは彼女の知っている囲いと違ったからだ。
上段の間の襖が開いているのにも係わらず、暗くて囲いの中の様子が見えなかった。
どんな囲いでも、囲いの中の霊視は出来なくなるが、中は見えるし音も聞こえる。しかし、なぜかこの囲いは暗くて、中を見る事が出来ない。
「こんな黒い囲いは見た事が無いです。………先ほど車の中でも話していた、総本山が手出し出来なかったのは、この囲いのせいですか?」
「その通りだ。この囲いはな、切れないんだ」
「切れない?」
いくら強力な囲いでも、それ以上の霊力や九字切りで切る事は出来るし、劣化もするものである。切りにくい事は有っても、切れない事はまず無い。
「九字切りの得意な者や、霊力の高い式守神でも無理だったらしい」
「先ほどのベネディクトさんの使い魔ならどうですか?」
強力な篠田の多角な囲いを、いとも容易く壊したのだ。この黒い八胞体囲いも壊せるかもしれない。しかし、ベネディクトはあっさりと首を振った。
「一度試したが、窮極の門の守護者に首を振られてしまった」
「………そうですか」
あれほど強力な使い魔ですら無理なのだ。なにかヒントはないかと、砂那は黒い八胞体囲いの、色々な所をスマートフォンの懐中電灯機能で照したり、隙間がないかと床に寝そべって片目を細めたりしていたが、諦めたように首を振って立ち上がった。
どこから光を当てても、暗くて中が見えないので解ることは無い。
「すいません。こんな囲いは見た事も聞いたこともありません。………これって、いったい誰が囲ったんですか?」
「それも解らないんだ。誰が囲ったのか、この囲いが何なのか。いや、そもそも、これが囲いかすら解らない」
砂那はその返答に頷きながら、一つの事が頭を過った。
『殺し合いが行おこなわれた。首謀者の男は未だに行方不明なので、理由は解っていないと報道されていたが………』
大きな事件を起こした人間を、ベネディクトは逃亡中では無く、行方不明だと言った。
砂那はわざと軽く問いかける。
「中も解らないのですか?」
「あぁ、その通りだ。正しくブラックボックスだな」
ベネディクトはそう軽口をたたいて両手を上げる。そんな態度から、なんとなくだが、砂那は彼女が嘘を付いてるような気がした。
ベネディクトはこの中に何が有るのかを知っている。
しかし、そこを知っていたどころで、黒い八胞体囲いの答えは出なかったのだろう。たとえ、この中にその首謀者が居るのを知っていたところで、この囲いが何なのかとは答えは出ない。
砂那はしばらく、黒い八胞体囲いを見つめていた。
最初から体力面で劣っていたので、囲いについては他人より勉強した心算だ。しかし、記憶のどこを辿っても、黒い八胞体囲いは出てこない。そして、霊視しても見えないので答えは出ない。
しかし、思わず直感の感覚を口に出す。
「――――意味が違う」
「…………………それは、どう言う意味だ?」
たっぷりと時間を空けてから、ベネディクトは砂那に問いかけた。しかし、呟いた本人にも意味が解らなかったのか、慌てて首を振った。
「すいません、口に出ただけで、深い意味は無いんです。ただ、この囲いが囲いに見えなくて」
「囲いに見えない? じゃー、何なんだ?」
ベネディクトは純粋に頭を傾ける。
砂那はもう一度その黒い八胞体囲いを見て、ある人物とその囲いを重ねた。
それは奈良で対峙した、白人の男性。それの意味している所は――――九字切り。
有りえないと首を振り、ベネディクトを見た。
「忘れてください、とっさに出た独り言です」
「………そうか」
ベネディクトは納得していないように頷いてから、ため息交えに答えた。
「まぁ、砂那が解らないなら、こんな場所にいつまでも居たくはないな。では、帰るするか。しかし、囲い師も知らないのなら、これは何なのだろうな?」
ベネディクトはそう言って帰るために振り返った。その答えのない問いかけに、砂那は目を細めるだけで、何も言わず、同じく帰るために後ろを振り向く。
『……………せいかぃ…………』
その瞬間、そう聞こえたように思え、慌ててベネディクトを見る。ベネディクトは不審な顔を砂那に向けた。
「なんだ?」
「………いえ、何でもないです」
「そうか………」
ベネディクトは何か言いたそうにしていたが、結局何も告げず先を急ぐ。砂那はもう一度だけその黒い八胞体囲いを見た。
その声は、明らかにベネディクトとは違う声だった。しかし、囲いの中から聞こえるはずは無い。
だって、この黒い八胞体囲いは、囲われてから四年が経っている。その間に食事も摂らずに、生きている者が居ることは有りえないから。
空耳だろう。
砂那はベネディクト後を着いて行きながらそう思った。