不浄なる土地1
この人は意地悪だ。
上高井 翠はそう思ってみていた。
彼女は総本山に入ってから、年齢や階級が同じことから篠田と組む事が多かった。
総本山は階級に厳しく、年齢よりも与えられた階級によって目上の者となる。
その階級は総本山に入って直ぐに与えられるものだ。
一番低い階級は《刻〈C〉》になるのだが、囲いの出来る者は、その者の能力が関係なしに刻より一つ上の《分〈B〉》が与えられる。そこからはその者の能力次第で階級が上がっていく。
つまり、Cクラスは囲いが出来ない事務などの人たちや、Bクラスの人が不祥事で降ちた階級となり、事実上はBクラスが囲い師にとって最低クラスになる。
そして囲いで浄霊する時はチームで挑む。
チームには役割が有り、まずは《貼り手》と呼ばれる者が、囲いを張るためのお札を地面に縫い付ける。これは階級の低い者が行う。
次に《囲い手》と呼ばれる者が囲いを発動させ、その囲いを《祓い手》と呼ばれる、チームのリーダーに《託し》囲いの中の悪霊を祓う。
《託す》とは、囲いは囲った者しか祓えないが、囲った後に、奥の手の言語の左手を《祓い手》に差し向けることにより、その囲いを《祓い手》が祓えるようになる。
大抵の場合、大きな浄霊以外は囲い手と祓い手は同じ者がするが、貼り手より階級が高い者だ。
そして今回の浄霊は、Bクラスの篠田と翠が貼り手を行い、チームリーダーのAクラスの辻岡 良介が囲い手と祓い手を務めた。
今回のリーダーの、二十代前半の辻岡の事を、翠はあまり好きに成れなかった。
何かにつけて、翠に自分の凄さを見せようとするし、自分より階級の低い者をバカにするからである。
その辻岡が依頼主に、今回の浄霊がいかに困難かを説明していた。
「このままでは、直ぐにでも悪霊が暴れ出し、大事になります!」
今回の依頼は大手ゼネコンで、土地を更地にしている時、動かせてはいけないと言われた石を動かしたのだ。それ以降、霊障が後を絶たないらしい。まあ、霊視すれば直ぐわかるが、よくある簡単な浄霊だ。
辻岡から少し離れたところで待っている、篠田は翠に話しかけた。
「どれぐらいだと思う?」
見極めの話である。翠は自信なさげに答えた。
「十二ぐらいかな」
「綺麗に囲えば九で行けるだろ」
「なるほど九ね。でも彼には九では無理ね」
そう言った翠の眼鏡越しの視線の先には辻岡がいた。なるほどと篠田は頷く。それありきで考えるなら納得は出来る。
「中々良い見極めだ。しかし、それならあいつは、十六と言うはずだぞ」
「十六? それはチョット盛り過ぎじゃない? 少しでも囲いをかじった者なら、それは行き過ぎって解るわよ」
周りに聞こえない様に小声で話す二人の元に、話を終えた辻岡がやってくる。そして二人に対して言った。
「十六囲いだ」
ほらなっと言った様に篠田は翠を見た。翠は呆れた様子で溜息を吐く。
その様子を見た辻岡は、篠田が自分の悪口を翠に言っていた思ったのだろう。態とみんなに聞こえるように大声を上げる。
「おい、針手! とっとと十六囲いの準備をしろ!」
「分かりました。俺は右から行く」
そう翠に伝える篠田に辻岡は首を振った。
「違う。篠田、お前が一人で行ってこい! 良いか、お前はみんなに才能があるって言われてるらしいが、俺から言わせれば所詮は針手だ。縫い針の針に手と書いての針手だ、忘れるな!」
「はい」
篠田は反抗もせず、素直に頷き、一人で囲いのお札を縫い付けに行く。
辻岡は気に入らない貼り手を、韻を踏んで針手と呼ぶ。それはことわざの、針を以て地を刺すから取ったものだ。
要するに、お前は何も成しえないと言っているのである。翠は眉間にしわを寄せて、目を吊り上げてムッとした。
自分が言われたわけでは無いが、見ていても気持ちのいいものでは無い。しかし、そんな翠に気付いていないのか、辻岡は自分の前髪を触りながら話しかけてくる。
「囲いはな、十六囲い辺りから急に難しくなる。俺は二十囲いぐらいまで行けるが、このレベルに成るには才能が絶対に必要だ」
その台詞から考えると、辻岡は自分が十六囲いを出来る所が見せたくて、ここまで多角な囲いを言ったのだろう。しかし、辻岡がそう言うのもわかった。
総本山に入ってから判ったのだが、囲い師の中でも、十六囲いが出来る者は以外と少ない。確かに、翠もまだ十六囲いは出来ないが、彼女は篠田や砂那を近くで見てきたのだ。
それは、いかに凄い環境だったのかと改めて思う。
この人はまだ解っていない、本当の才能と言う意味を。
翠はそう思いながらも、何も言わなかった。
そこに早々と篠田が帰ってくる。
「終わりました」
「よし!」
辻岡は気取った様に前を向き、工事関係者に注目を集めるように大きく左腕を上げる。
「今から、神聖な浄霊を始める! 囲い師の中でも出来る者が少ない、十六囲いと言う大技で、見事、困難な悪霊を祓って見せよう! しかと見届けよ!」
辻岡は大げさなほど、大きく左手で十六芒星を諳で描き、勢いよく左手を前にさし出す。
本来ならそこで左手と、地面に縫い付けたお札が反応して、十六囲いが発動するはずだが、その囲いが発動しない。
「……………」
辻岡はその姿のまま、しばらく動きを止めた。
しかし、いくら待てども囲いは発動しない。辻岡は念の為にもう一度、十六芒星を描いたが、再度囲いは発動しない。変化の無い状況に、周りで見ている者たちも少し騒めく。
辻岡は右頬をピクピクと痙攣させた。
「――――篠田っ! お前、ちゃんと縫い付けたのか!」
篠田は焦った表情を見せる。
「はい、ちゃんと十八枚を縫い付けたんですが」
その言葉に、みんなの前で恥をかいた辻岡は、さらに怒りの表情を見せた。
「違う、十六だ! 俺は十六囲いと言っただろ!」
「そうだったんですか。すいません、俺の見極めでは十八囲いだったので、十八枚貼り付けてしまいました」
そう言って篠田は焦りながら頭を下げる。
「お前は何をやっても出来ない奴だな! 今すぐ張り直してこい!」
辻岡が啖呵を切ったそこで、篠田は困った顔を見せた。
「しかし、これ以上時間をかけていては、辻岡さんの言った通り悪霊が暴れ出します」
どこで聞いていたのか、辻岡の依頼主に説明していた内容を心配な顔で言う。
篠田が何を考えているのかは解らないが、翠もその作戦に乗ることにした。
「そうですよね、早く囲わないと危険でよね。それに辻岡さんは二十囲いまで出来ると言っておられたから、問題は無いですよね?」
そこで辻岡の目が泳ぐ。
「確かにそうだが、今日は、その………」
口ごもる辻岡をみて、翠はやっと篠田がしている内容が解った。
なんという妙手なのだろうか。ホント、この人は意地悪だ。
翠はそう思った。
自分の前で二十囲いができると豪語していた辻岡は、本当は十六囲いまでしか出来ないのであろう。篠田もそれを知っていて、十八枚のお札を縫い付けたのだ。そして、この悪霊は辻岡の力量では十囲いか、十二囲いしか祓うことは出来ない。
要するに、十八枚お札を縫い付けたなら、囲いは角度が均等なものにしか発動しないので、十八囲いか、半分の九つ囲いしか囲えない。しかし単純に考えて、九つ囲いなら辻岡は悪霊を祓う霊力がなく、十八囲いなら囲う才能がない。
どちらにしても彼には祓えないのだ。
話ばかりで進まないお祓いに、周りは更にざわめきが大きくなり始める。これ以上、長引かせては不審に思うだろう。
ギリッと辻岡が歯を鳴らした。
「………今日は手首が優れ無い。俺は祓い手だけをするから、………篠田、お前が囲い手をやれ」
今しがたまで囲おうとしていたのに、急にそんな事を言い出す。
篠田は「解りました」と頷くと、前に出た。
翠はその様子を見ながら、次の篠田の行動を予想していた。
辻岡の出来無い十八囲いを見せるのか、それとも、辻岡の祓えない九つ囲いで、ついでに祓って見せるのか。どちれにしても辻岡の鼻を明かす事はできるだろう。
しかし篠田の答えは、そのどちらでもなかった。
篠田は左手で六芒星を描く。これにはさすがの翠も絶句だ。
彼はきっちり囲えば九でいけると言っていた。しかし、それよりも下の六つ囲い。
確かに六つ囲いでも、角度が均等になるので囲うことは出来るが、篠田本人でも祓えないような、あまりにも露骨な仕打ちに翠も少し焦る。
「では、お願いします」
「待て! お前はこんな見極めも出来ないのか! この悪霊相手に六つ囲いでいけると思うのか!」
「きっちり囲ったので行けますよ。どうぞ」
篠田は頑なに頷く。
「ふざけるな! お前は俺に恥をかかせたいだけだろ! 六つ囲いで祓えないのは子供だってわかる!」
「だから、出来るって。ほらっ」
篠田はここで敬語を止めて、そのまま意識を囲いの中心に持って行き、自分の左手を握りしめた。
囲いの中心に悪霊が吸い込まれ、お札が破れて飛んでいく。
「えっ、………嘘っ?!」
思わず翠は呟いた。
辻岡も口を広げた間抜けな顔で固まっている。
「なっ、だから言っただろ。きっちり囲ったから行けるって」
篠田は両手を軽く上げると、当たり前の様に話す。しかし、これは彼の実力があって出来ることなのだろう。
先ほど篠田が翠と話していた九つ囲いは、一般的な話で、自分の事とは言っていない。
「………」
未だ惚けている辻岡に対して、篠田は面倒臭そうに言った。
「辻岡さん、終ったから俺らはあと片付けに行きますよ。今日は用事が有るから早く帰りたいんです。依頼主に説明おねがいします」
そう言って篠田はその場を離れていく。ここまで明確な実力差を見せられた辻岡は、ムスッとしていたが一言も言い返さず、目線も合わさず、依頼主の方に歩いて行った。
翠は篠田のあとを追いかける。
結局、篠田はこの現場を一人で片付けてしまった。こういう事をするから、篠田は上の連中から嫌われる。しかし、仕事に呼ばれなくなる事はなかった。
なぜなら彼は、貼り手としての技術は大変優秀だからだ。それは篠田の信念にもあたる。
「相変わらず、すごいわね」
「あんなのは、誰だってできる」
篠田は囲いに使っていた、百均のステンレス串を拾いながら答えた。
「そう言うけど、あの悪霊は私なら、九つは囲わないと無理よ」
「それは、霊能力というよりは慣れだな。きっちり囲えば、上高井も六つ囲いで出来るさ」
そう言って彼は進んで行く。
この人は願望や可能性だけを口にはしない。口にするのは切なる現実。
『囲いとは?』と聞かれると、他の人は才能とか、霊力の高さだとか曖昧な答えを言う。その中で篠田は、囲いは正確な角度だと言った。
三百六十度の円を、正確に割っていく。
そして、篠田の言う通り、きっちりとした囲いの方が、同じ囲いでも強力である。
一度、翠は篠田と共にメジャーや大きな分度器を使い、正確に測ってから五つ囲いを張った事があった。その時にはそこまで変わるとは思わなかった。
それは、自分の張った五つ囲いが、八つ囲いに劣らないほどの、強力な囲いとなったからだ。
しかし現場で、メジャーで長さを測ったりなど、いちいちそんな事に時間をとっていられない。それこそ、悪霊が逃げてしまう。
だから、その正確な角度の囲いに近付く様に、篠田は他の者より真剣に、何度もお札を地面に刺し、それを身体に覚えさせていく。
何度も、何度も。
篠田の強力な囲いは、地面に刺すお札の正確さが成す業でなのある。
祓うことだけを重視した、見た目に騙されている、他の囲い師達には解らないであろうし、篠田の様にはなれないだろう。
この人は余り焦って走らないし、今もその足取りは、力が抜かれたような軽薄に感じる歩き方にも思える。だから他人には、この人が手を抜いている様に見えるのだろう。
確かに、ダラダラと歩くのはこの人の癖だ。しかし、誰もが解っていない。その意味を。
その歩幅は六十センチ。
正確な囲い張るために、篠田は必ずこの歩幅で歩き、長さを図る。走る事をしないのもそう言う理由だ。
そう、篠田はただ囲いの才能があるだけでない。彼は驚くほどの努力家なのである。
綺麗な囲いを張るために、歩幅まで計算して毎日を過ごす。ここまでの努力を他人は出来るのであろうか。翠の知る限り、総本山でもまず居ない。
まだまだ自分は彼の足元にも及ばない。でもいずれ、彼の隣に居るのは他の誰でもない、自分で在りたいと思う。
それが、今の翠の目標であり、願いだ。
たしかにそれは、総本山で高い階級を貰うよりも、困難な道のりなのは解っている。他人に自慢できるものでもないだろう。
それでも、翠には目指す価値はあった。
「あっ、そうだ。上高井、今日空いてるか?」
「またライブ? 音楽なら、今まで行ったバンド以外は行かないわよ」
翠は少しだけ困った様に顔をしかめながら答えた。彼の隣には立ちたいが、趣味までは共有したくない。
「いや、今日はお笑の方だ。良い若手を見つけたんだ」
篠田には変な趣味がある。
それはライブや舞台が異様に好きなのである。それも、音楽ライブや演劇の舞台、お笑いのライブに寄席と言った様に、何でも有りだ。
ただ、何でもと言っても有名な人のものは少なく、インディースや若手と言ったものを好み、時には全く芽の出る匂いがしない、素人がやっているのではと、疑うようなものまで見に行くことが有る。
ただ翠は、篠田がそんな新人のライブが好きな理由を何処となく解っっていた。
モチベーションを上げる意味も含まれているのだろう。篠田は自分と同じように努力している人間を見て、自分も努力を怠らないようにと戒めているのかも知れない。
しかし、一人で行くのは恥ずかしいのか、良く誘ってくる。
「………篠田さん、あなた、関西人はみんなお笑いが好きだと思っているでしょ?」
「違うのか? 俺はてっきり、関西人はお笑いとたこ焼きがあれば満足するって思ってたぞ」
篠田は愛嬌のある八重歯を覗かせる。それを見た翠は、思わずドキッとした。
ヤバイな、私はいつの間にか八重歯フェチに成っている。
「たこ焼きは反論しないけど、お笑いはあまり見ないわ」
「だったら、余計に見てみな。そいつら、まだまだ売れる気配は薄いけど、本気でお笑いしかないって思ってるぐらいの熱量あるぜ」
篠田の楽しそうな顔に、翠は呆れた顔をした。
「お笑いライブは興味ないけど、まだこっちに知り合いも少ないから付き合うわ。でも、私は演劇の方が良かったな」
「前に見た若手俳優のやつか。あれが良かったのは俳優でなく、脚本家が良かったんだ。でも、今回のお笑いもコントが多いから、演劇と良く似たもんだぞ」
そう言って篠田は再び笑う。
絶対にコントと演劇は似ていないと解りながらも、翠は否定はしなかった。あまり否定して誘われなくなるのも嫌だからである。
「しっかし、そんなにタコ焼きって良いものかな。絶対、もんじゃの方が美味いのに」
「私には、あの出来上がりが解らない所が許せないわ。いつ食べれば良いのか理解できないもの」
「いや、見りゃ分かるだろ。でも、出汁が効いてるところなんて、関西人の口に合うと思うけどなー」
そう言いながら、百均のステンレス串を拾おうとしたときに電話が鳴る。篠田は画面を見てから串を拾う手を止め、先に電話を取った。
「もしもし、ナインワードか、どうだ?」
そこで篠田は薄く唇を上げ、その会話に集中する。翠は篠田を横目に見ながら、彼の代わりに串を拾って行く。
篠田は翠に着いて行きながら不敵に笑う。
翠はその笑顔だけは好きに成れなかった。
彼は笑っているにも関わらず、その瞳は真剣で、いつもの軽薄なものとは違い、まるで研ぎ澄まされたナイフのような鋭さを放っていたからだ。
篠田が総本山以外にも、何かをしていることは解っていた。しかし、それを翠が聞いても教えてくれ無いだろうし、穏やかな内容ではないだろう。
そして、そこに自分も組み込まれているのも解っていた。
『時が来れば今から憑いてもらう式守神を、一度だけ俺の指示通りに出してくれ』
その台詞が頭に蘇る。
だが、翠は今は何も聞かない。いずれ時期が来れば分かるだろう。
「あぁ、解った。だったら明日、横浜でな」
篠田は翠が嫌いな不敵な笑顔のまま、電話を切った。