間章《ダンディライオン》
間章 《ダンディライオン》
知る事と、知らずに過ぎること。どちらが幸せなんだろうか。
人間には、知りたいと思う願望がある。それは誰にでもあるし、俺にもある願望だ。しかし、それが悲劇ならどうだろうか。
知らずにいたら、その事によって悩むこともない。知らないまま過ごせば、幸せに過ごせる。
それを考えると、この問いかけはどちらとも言えないだろう。
そこに正解は無いかも知れない。
しかし、他人がどうであれ、俺はきっと、どんな辛い内容でも知りたいと思うだろう。
それは他人からすれば、自分の事を棚に上げてと思うかも知れない。
そんなことを考えながら、俺は、その部屋で立ち尽くしていた。
飾りっ気も無い、一Kの六畳しかないシンプルな部屋。
この部屋で休んでるはずの彼女は居ない。
主を失った部屋の中にある、床に脱ぎ捨てられた衣類や下着類。ベッドの布団やシーツは乱れたままだ。
引っ越しの時に使ったのであろう段ボールを、ゴミ箱代わりに使っているのか、ごみ袋をかぶせ、ゴミが山盛りになっている。
中身はレトルトの袋や、弁当の空き箱だ。
テレビのリモコンや飲み掛けのペットボトル、爪切りやヘアブラシ。そして、見覚えのある大き目のナイフ。そんな整理されてないテーブルの上で、独りで黙々とそれを食べている彼女を思い浮かべ、たまらなく許せなくなる。
こんな状況にした者も、それに気付かずにいた自分自身も。
そして、それを受け入れているあいつに対しても。
とんっ!
力を無くした様に軽く壁を叩くき、その壁にもたれかかり彼女を想った。
あいつは言っていたんだ。
家族とはいつも一緒に居て、楽しくて、笑って。そんなものだと。
「………」
キミの巡るこの環境。
キミはこの地に来て良かったのだろうか。
キミは本当に、喜んでいるのだろうか。
この地は、誰も、何もキミに与えない。
いったい、この街の景色は、キミの目にはどう映っているんだろうか。
そこで、俺は気付く。
カーテンの隙間から、街灯の明かりが差し込み、丁度スポットライトのようにそれを照らしだしていた。
あんなに情緒をたしなんでいたのに、その気配すらうかがえない、埃っぽくてゴチャゴチャとしている部屋の中で、唯一彼女らしいもの。
牛乳瓶を一輪挿しにして、春を感じるようにしている。
刺々しい葉と共に挿された、一輪のタンポポ。
「――――情緒、有るじゃねーか」
この街は、キミに何も与えなかった。
それなら、俺がキミに与えようと思う。
俺の出来ること全てを。
わずかな事しかできないし、長い時間もしてあげることが出来ないと思うが、俺がキミに与えるよ。
キミが望んだ、誰もが普通に手に出来る微かな願い。
誰もしないから、俺がする。
親族では無い、恋人でもない、赤の他人の俺がそれをするのは間違って要るのかも知れない。
本人も望んでいないかもしれない。
だから、これはタダの俺のエゴだ。
「だけど砂那、少しの間は俺のわがままに付き合ってもらうぞ」
俺は、その想いを胸に刻んで、そのまま振り返り、その部屋を後にした。
この物語にハッピーエンドは無いかもしれない。
だけどそれは、幸せを望むことが出来ないと言う訳ではないはずだ。
二回目のコールで砂那は電話に出た。しかし、しばらく咳き込んでまともな返事が出来なかった様だ。
「ゴホン、ゴホン、ゴホン………蒼」
「まったく、風邪を引いてるのに、何処に居るんだ?」
「もう、またこぐろね。ゴホン、えっと、木場か門前中町の方かな?」
風邪を引いいるのに外出している様子を、使い魔越しに見られたと勘違いした砂那は、自信なさげに居場所を言う。まだこの辺りの地理を把握していないのだろう、その返答は曖昧だ。
「其処からなら、俺の家の方が近いな」
「ゴホン、ゴホン、どうかしたの?」
「あぁ、ベネディクトさんから頼まれて渡したい物が有ってな、丁度良かった。風邪で辛いのは解っているが、帰り道だし、少しだけ俺のアパートに寄れないか?」
「うん、解ったわ」
二つ返事で答えてから、蒼の住所を聞き電話を切った。
蒼は、愛車のホーネットに跨ると、自分のボロアパートに急いだ。砂那が来る前に準備をしないといけない。
ボロアパートに着くと、彼は階段を駆け上がり、二階の一番手前の自分の部屋の鍵を開けた。
部屋に入ると、ヘルメットと鍵をいつもの所に置き、急いで鍋を取り出す。そこから砂那が来るまで彼の手は止まることは無かった。
しばらく経ち、砂那が蒼の部屋の呼び鈴を押すと直ぐに、蒼が玄関を開けて一言いった。
「お帰り」
「ぁ………っ」
東京に来てから久しぶりに聞く、忘れていた台詞に砂那はしばらく固まる。
「風邪を引いているのに無茶をして。疲れたろ、とにかく中に入れ」
「うん、……………ただいま」
お邪魔しますや、失礼しますではなく、そんな台詞を残し砂那は蒼の後に続いて部屋に入る。六畳一間の狭い部屋はいい匂いが立ち込めていた。
「今日は遅くなって、俺は今から晩飯だ。材料がなくて、卵粥とコンビニの漬物だけだけど砂那も食うか?」
明らかに病人メニューだが、砂那は怪しむことも無く頷く。昨夜から何も食べていないこともあり、空腹感を思いだしたのだ。
コートを脱いで小さな座卓前に座ると、蒼が二人分の卵粥を手盆で持ってきた。コンビニの漬物はパックのまま置かれる。そして、不揃いの二つのコップを持ってくると、ペットボトルのお茶を注いだ。
「熱いから、ゆっくり食えよ。………いただきます!」
両手を添えてそう言うと。蒼は熱そうにしながら卵粥を食べはじめる。
「………いっ、いただきます」
これもまた、久々に使う言葉を残し、砂那も卵粥を口に入れた。
おいしいし温かい。
出来立てなのだろうか。少し熱いが、関西風に出汁が効いていて砂那の口に合っていた。しかしそれだけではない。
「っ………ぅ」
砂那の目頭に涙が溜まり、声に出さないように、蒼に気付かれないように、彼から顔を背けた。
ご飯の温かさ以上に安心が出来た。今まで張っていた気が抜けたのかもしれない。
止まらない。
そう思いながら、砂那は何度も何度も指で拭う。
蒼はテレビを付けるとそれを見たままで、砂那のほうに目線を向けなかった。
「うん、急いで作ったにしては、いい味でよかった」
その台詞に対しても、砂那は美味しいとも何も返事が出来なかった。ただ、鼻をすするだけ。
蒼は行儀悪く、卵粥を食べてテレビを見ながらさらに話す。
「………なぁ、砂那」
砂那が返事を出来ないのを解っているのか、蒼はそのまま話を進めた。
「俺は一人暮らしで、一人でご飯を食べている事が多いけど、なんとも味気ないんだ」
それは砂那にも痛いほど解る。
「だからもし、砂那のご両親が忙しくて、一人でご飯を食べないといけない時が有るなら、晩御飯は俺が作るから、付き合ってくれないかな?」
返事をしたい。「うん」と言いたい。しかし、今は声が出せない。
砂那の肩は小刻みに震えて、涙が止まらなかった。
「朝は時間が無いから、大したものは出来ないが、弁当も作ってもいい。ほら、冷蔵庫が小さいから、晩御飯の材料の残り物を使えるとありがたいし」
無茶苦茶な理由をつける蒼の台詞が嬉しくって、砂那はできない返事の代わりに、顔に手を当てたまま、何度も何度も頷いた。それを視界の片隅に捉える事が出来たのか、今度は蒼が頷く。
「すまないな、俺のわがままに付き合わせて」
砂那は大粒の涙を流しながら、それでも声を漏らさないように歯を食いしばっていた。蒼にばかり頼ってはいけないと頭では解っている。
だけど、お帰りや、ただいまや、いただきますの、当たり前な言葉を言える場所が欲しくて。
会話のある、温かい食卓が欲しくて。
心配してくれる暖かさを離したくなくて。
そして、もっと一緒に居たくて。
しばらく涙が止まるのを待ち、ようやく涙が止まると、蒼に向いて笑いかける。泣いた後だし、きっとひどい顔だろう。それでも、精いっぱいの笑顔を見せたかった。
「蒼、――――ありがとう」
それからしばらく咳き込んで、体調を悪化した砂那は、蒼のベッドを占領する。
そして、眠りにつくまで、砂那は色々と話をしていた。
今日起こった出来事や、今までの浄霊の話。学校で初めて友達が出来たことなど、ささやかな日常を。
一人では出来ない、二人だからできる会話。
微かにだけ変わって行く、二人の日常。
それは、砂那の少しモノクロ調だった東京の生活に、色彩が入った瞬間だった。
何とも、無理矢理詰め込んだ感が漂い、すいません。
こんなにも時間が掛かったにも関わらず、今一つ盛り上がらない章でした。
一番の問題は雨花で、キャラが安定せず、書いては書き直しの繰り返しで、名前も三度変わりました。
何度、この章を止めようと思った事か。
しかし、雨花はどうしても出したかったので、この章は外せなかったのです。
今後も雨花には悩まされそうです。
さて、次の章だけ未定なので、なやみます。その後は、なんとなく、頭の中で出来てるのですが。どうしたものかと。一月後には間に合わせます。
あと、関係ないのですが、今日は私の誕生日です。励ましのメールなど、頂けたら感激なのですが、と、媚を売りながら。また次の後書きで。