傭兵仲間
北の塔を追い出されたリリアは何度も振り返って頬を膨らませていたが、魔法騎士隊の詰め所が見えてくると次第に早足になっていった。
お願い大作戦の成功をシェリーに自慢しなくてはとでも思っているのか、いまにもスキップしそうだ。
そのままの勢いで扉を抜けると武器庫、緊急時にはここの剣でも槍でもひっつかんで出ていく。
その奥の詰め所に飛び込むと号令がかかった。
「敬礼!」
シェリーの鋭い声に椅子に座っていた隊員たちが一斉に立ち上がり、右の拳を左胸に当てる。
幸い全員が正面を向いていた為、後ろから入ってきたリリアのあわてた姿は見られずに済んだが、とりあえず表情を戻して服装をただす。
話していい事といけない事、威厳を持って最小限の言葉、カレンの教えを心の中で反芻する。
音が漏れないように深呼吸をしてから歩きだす。
何か話をしていたであろうシェリーが正面から左に控える。
その前を通り正面に立つと全員の顔が見える。
話を聞きたくてうずうずしているのが分かるが、頬を緩めないように注意しながら皆をチェックする。
顎を引き背筋は伸びている。下した左腕に曲げた右手の角度。多少のブレはあるが目線は正面。服装に乱れもない。
これらを確認してシェリーに向けて軽くうなずく。
「直れ!」
一斉に右手が下される。
十一歳の彼等がここまで出来るようになったのは、ひとえにカレン教官の努力の賜物だろう。
さあ、皆の反応が楽しみだ。一呼吸おいてから話し出す。
「お助けしたお方は魔導師様では無かった」
務めて冷静に告げるが皆の姿勢は面白い様に崩れる。隣同士で顔を見合わせたり、後ろを向く者までいる。
「静かに!」
声を出した者はいなかったが、シェリーの声に姿勢が戻る。
「侯爵様の客人となられた。今後はカレン教官とともにあるだろう。以上だ」
「敬礼!」
シェリーの声を聞きながら隣の隊長室にむかう。思った通りの反応が快感だ。
身分をはっきりさせたのは失礼があってはならないからだが、同時に身を守る術でもある。
体に合わない大きい椅子に座り、そのあたりの念を押しているだろうシェリーが来るのを待っていると、「失礼します」と言いながらワゴンを押したメイドが入ってくる。
何処で見ているのか、いつものことながら優秀なメイドだ。
シェリーも入って来たが彼女の分は無い。
会議をしていると二人分出てくるのだが、その違いはいまだに不明だ。
「克なんとかって子だった」
「もう。ちゃんと聞いて下さらないと、なんとかでは分かりかねます」
メイドが出ていくや否や話し出したリリアに、シェリーはため息で返した。
「ははは、忘れた。でね、でね」
同じ十二歳とは思えない無邪気さもリリア様らしいのだが、しかたない、後でカレン教官に聞いておこう。
「日本とかいう国から来たんだって」
「日本ですか、何所かで聞いたような気がしますね」
「本当? お父様は初めて聞いたっておっしゃってたわよ」
「最近でしたよ、ちょっとお待ちください」
シェリーが人差し指を頭にあてるのは、思い出す時の癖だ。
「――ああ、たしか赤ちゃんのお披露目の時でした」
「サンデリーお兄様の?」
「そうです。たしか、サユーリ様が日本がどうとかおっしゃっておられました」
「もう、ちゃんと聞いてくれないと、どうとかでは分からないわ」
チャンスとばかりにお返しのリリアだ。
サンデリー・ベノムは五男で、サユーリという平民を嫁にして南の城に住んでいた。年が近い事もあってリリアとは仲が良く、副官のシェリーもよく同伴していた。
ただ、ベノムでは防護壁の南にいるだけで軟弱者扱いだし、平民との結婚を許されるなど、侯爵様からの期待は薄い。
「申し訳ございません。直接お聞きしたわけではなく、独り言だったものですから」
「まあいいわ、あれ?ちょっと待って、サユーリお姉さまも黒目黒髪よね」
「そう言われればそうですね。偶然でしょうか?」
「どうかな。こうなると、克君に日本の話をしてもらうようにお願いポーズを決めたのは正解だったわね。黒目黒髪の秘密があるかもよ」
「リリア様のお願いポーズは無敵ですからね」
「へへへ、でしょ」
得意げな表情もリリア様の魅力だと思いながらも、シェリーは冷静だった。
「私も興味がわいてきました。サンデリー様の方はおまかせするとして、克殿の時はご一緒させていただけませんか?」
「いいわよ。これはちょっと、面白くなってきたわね」
べつに黒目黒髪に興味があったわけではない。少年と二人っきりで話をするのはまずいと思っただけだが、それよりも言わなければならない事があった。
「あの、申しわけありませんでした」
「え? 何かあった?」
「戦時令が発令されたと聞きました。私が伝令を出してさえいれば……」
悔しそうに下唇をかむシェリー。
「ああ、それなら大丈夫。訓練になったから心配ないよ」
「訓練、ですか?」
あっけにとられるシェリー。
「そう、お父様がそう言ってた」
「それはまた剛毅な。でも、ほっとしました」
ホッと顔をゆめるシェリー。
「そうそう、心配ないって。――でも、カレン教官の御小言はあるかもね」
「そのくらいは覚悟しております」
悪戯っぽく笑うシェリー。
普段はほとんど表情を変えないシェリーも、リリアと二人の時は普通の女の子だった。
顔を見合わせて笑っていると再びメイドがやってきた。
なんと、噂のサンデリー様から、急な話だが一緒に夕食はどうかというお誘いだった。勿論、喜んでご招待に応じると返した。
元々大好きなサンデリーお兄さまとのお食事だし、話したい事は山ほどある。黒目黒髪についても聞き出してみせると大張り切りだ。
この後、リリアは奥の部屋で侯爵令嬢に変身するだろう。
湯あみをして髪を結い、ドレスに着替えて馬車に乗る。南の城にもリリアの部屋はあり、再び湯あみをして、髪は夜会用に結い直してもらいながらおやつを食べる。食事会といっても食べるのは一口か二口だけだからお腹がすく為だ。多くの服の中から今日着ていく服を選ぶ。急な話だったが、今からなら夕食会までには間に合うはずだ。
「午後の訓練は室内の方がよろしいでしょうか?」
「そうね、しばらくは自重しましょう」
「分かりました。ご健闘をお祈りいたします」
「まかせて」
シェリーはとっとと用事を済ませて退席したが、あまり期待はしていない。
サンデリー様の狙いは戦時令が出たいきさつだろうし、リリアは喜んで話しておしまいという展開だろう。
ほとんどの情報が渡るだろうが、一番の味方でもあるから良しとしよう。
もっとも敵がいるわけではないのだけど、それは魔法騎士隊の力が認められていないからだと思っている。
ギジナール山脈に入る時は一部隊百人の騎士が標準だが、魔法騎士隊なら七人で入れる。
今はまだ第一の滝までしか行けないけど、いずれは無視できない存在になる筈だ。
実力本位のベノム侯爵家でその実力が認められた時、その時の為に今出来る事をしておこうと思うシェリーだ。
そして、シェリーはこの夕食会がサユーリ夫人の考えた計画だろうとも推察していた。
事情は知らないはずだから偶然かも知れないが、狙いは正確だ。
さすがはサンデリー様の知恵袋と呼ばれるだけの事はある。
副官として大いに見習わねばと思う十二歳だった。
一方、カレンやガレントと共に北の塔を出た克は、眩しい光に目を細めながらもベノムの風景に見惚れていた。
「ほーっ、こりゃいい眺めだ。絶景かな、絶景かな」
二重扉を抜けると、かなりの高さでありながら広い階段が地上に伸び、そこから広大な牧草地がいっきにギジナール山脈まで広がっている。
反対側にはベノム侯爵の居城といくつかの建物、その奥に東西に伸びる防護壁がある。
更にその向こうにそびえるお城と城下町、そこからいく筋もの街道が伸びている。見渡す限りの大平原、低い丘はあるものの平らな大地がはるか彼方で空との境界線を引いていた。
「しばらくここで待て」
カレンがそう言って、一人で階段を下りてゆく。
克はガレントを見やり目線で何かと聞くものの、肩をすくめて分からないと返ってきた。
こうなれば待つしかないと階段に腰掛けた克とガレント、二人揃ってのんびり日向ぼっこだ。
「防護壁手前の城にベノム侯爵様がいて、左側が騎士隊の本部。右にリリア様のいる魔法騎士隊の詰め所と食料庫。そして、一番右が俺のいる守備隊の宿舎だ」
ガレントが指を差しながら説明を始めた。
「うん?騎士隊と魔法騎士隊があるのか?」
「ああ、リリア様の部隊は剣よりも魔法を使うからな」
「魔法ってなんだ?」
「魔力ってやつを使って、魔物を燃やして倒すのが魔法だ」
「燃やしちまうのか? そりゃまたすげえじゃねえか」
「そうさ。カレンもそうだが、リリア様もすごいんだ」
「なるほどな。女だてらに剣を持っているからおかしいと思ったら、妖術使いだったのか。で、魔物ってのは?」
「獣は分かるか?」
「ああ、狼とか、熊とかだろ」
「こっちとは名前は違うが、多分そんな奴の凶暴なのが魔物だ」
「手負いの獣ってとこか。そんなんがこの山にうじゃうじゃいるのか?」
「ああ、魔物の巣窟ギジナール山脈だ」
「へーっ、おっかねえ山だな」
なんとものんきな二人だが、話をしながらもカレンを目で追っていると、その先に多くの人がいた。
「あれは何してるんだ?」
「ああ、あれは傭兵が報酬をもらっているところだ」
「ふーん。なんか袋を担いでいるのが何人もいるぞ」
「出稼ぎ組だな。報酬の代わりに小麦をもらうんだ」
「小麦?」
「ああ。俺も傭兵だったから奴らの気持ちはよく分かる。小麦の大袋があれば飢饉の時なら村が救える。命を懸けるだけの値打ちはあるのさ」
「なるほどな。命を懸け、腕一本で稼ぐ仕事か。日本もバテレンも同じだな」
少し真面目な話をしていたガレントが目を細めた。
「カレンの奴、どうやら昔の仲間に会いに行くみたいだな。珍しい事もあるもんだ」
「仲間なのに会わないのか?」
「ああ、近くにいながら十年は会っていないはずさ」
「わけありか?」
「ああ、いろいろとな」
勢いで兄弟分となった二人だが、意外と相性がいいのかもしれない。
カレンが向かった先には女性ばかり五人の傭兵がいた。
全員が魔法を使い『マギ』というチーム名はかなり有名でもあった。
その中から一人が近づいてきた。
「十年ぶりか?ひさしいな、アウローラ」
「……」
左手に細身の盾を持ち、右肩から手の甲まで、右に特化した防具が特徴的だ。
左腰の剣はそのままだが、その右手に何気なく持っている兜にも危険な角が生えている。
「第一の滝付近の調査を依頼したい」
「……」
カレンと比べれば小柄で、童顔とも言えるかわいい顔に、鋭い目線と真一文字に結ばれた唇が付いている。
「報酬は銀貨一枚、期限は今日だ」
「ふざけないで」
口調はずいぶんと粗っぽい。
「うん?」
「その前に言う事があるでしょうが?」
「はて、何の話だ?」
「とぼけても無駄よ。戦時令が出て、真っ先にここに来たんだから」
「それで?」
「ドラゴンが下りてきたのに誰も攻撃しない。それどころか、北の塔に入れてしばらくすると解散ときた。相手がドラゴンなら、石壁がどれほど厚くとも役になど立つもんか。明り取りの窓は光を入れるものよ。魔晄があふれだす明り取りなんて初めて見たわ」
「ほう、そりゃあよかったな」
「ちゃかさないで。ドラゴンでも気を失っているなら報酬をもらう時間はあると思っていたが出てきた。いよいよ逃げようかという時、その太陽のごとき魔晄からあんたがやって来る。一体全体どうなってんのさ?」
「見たままだ」
「どういう意味よ?」
「ドラゴンのごとき魔力を持った奴がいるという事だ」
「……」
どうやらカレンの方が一枚上手のようだが、アウローラと呼ぶ少女は警戒を露わにしたままだ。
「調査対象は危険だ」
「危険?」
「ああ、危険を感じたら足を引け。知りたいのは危険があるか無いかだけだ。原因を調べる必要はない」
「侯爵自慢の調査隊は?」
「明日には大々的な調査が始まるだろうが、奴らは危険を感じ取れない。感じたとしても、逃げずに原因を調べる。だから全滅する」
カレンは怖い事をあっさりと口にするが、アウローラの方はそれに関しては納得しているようで何も言わない。
「私達でなくても傭兵などいくらでもいる。何を企んでいる?」
「危険を感じたら足を引けと言ったろ。お前達以外にその危険を感じられる奴がいるか? それに、お前達以外に逃げられる奴がいるとは思えないんでね」
「……」
理屈は通っているし、それだけの評価をしている事は認める。だが、何がそんなに危険なのか、説明になっていない事も確かなのだ。
「第一の滝はリリア様の訓練区域だ」
「だから?」
「初めからいたのなら、一緒に戻られたのを見たんだろう?」
「――まさか?」
「そのまさかだ。気を失っていたところを拾ってきたらしい」
「ちょっと待ってドラゴンよ。気を失っていたからってあの魔晄は分かるでしょうに」
「魔導師様だと思い込んだらしい」
「魔導師様って、どこをどう見たらそうなるのよ?」
「本人に聞いてみるか?」
「馬鹿言いなさいよ。こう言っちゃあなんだけど、おつむの方は大丈夫なんでしょうね?」
ずいぶんな言い草だが、カレンは反論しないで別の言い回しをした。
「十歳ぐらいで黒目黒髪だ」
「――まさか、本当に?」
「勿論魔導師様じゃないが、魔物独特の気配もない。癖は強いがタダの少年だ」
「危険は?」
「私が生きている限りは大丈夫だが、死んだらすぐにベノムを離れろ」
「今のリーダーは私よ。あんたの指図は受けない」
「元リーダーの遺言だ。従うかどうかは残された者が決めればいい」
「フン、王都なんて性に合わないわ」
「東の港町に行けばいい。海が見える高台に家でも建てな」
「何年前の話よ?」
「十年、かな。――第一の滝にドラゴンのごとき魔力を持つ奴がいた。その場所の調査だ。銀貨は一人一枚出す」
「百人ほど連れて行ってやる」
「危険を感じた時に逃げられる奴なら何人でも」
「侯爵の犬になっても嫌味な女ね」
「偶然とはいえ命の恩人だ。相手の身分が気に入らないからといって無視する奴には言われたくないな」
「傭兵の心を失った女には何を言っても無駄ってことね」
「いつまでも傭兵はやれない。引き際を誤れば死ぬだけだ」
にらみ合う二人の間には色々あったようだが、お互いに譲れないものもあるようだ。
「条件がある」
「聞こう」
「たいしたことじゃない。私が死んだら、あいつらの事を頼んどこうと思ってね」
「待て、一人で行くつもりか? それこそ無茶が過ぎるぞ」
「ふん、十年前の私じゃないわよ。第一の滝までなら道は整備されている。ガルルなんて、待ち伏せが完成する前に突き抜けてしまえばいいだけよ」
さすがのカレンも戸惑いを見せたが、誰が聞いても無茶だと言う事でも、それで生きているならそれがすべてだ。
危険の基準が違うだけの話で、だからこそ今のリーダーなのだろう。
「いいだろう。前払いだ」
キンという音と共にコインを親指ではじき、後ろを向いて歩きだした。
「隙あり、だな」
残されたその言葉でアウローラはハッとした。
投げられたコインを目で追った時間はわずかだが、カレンが後ろを向いた動作は見ていない。
つまり、その瞬間にカレンが攻撃していれば自分は倒れていたという事だ。
チッと舌打ちをしながら兜でコインを受けた。
「おもて」
遠ざかる後姿から再び声がした。
兜を覗き込むと、カサシン国王の横顔、『おもて』だった。




