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兄弟分とあねさん

 ベノム侯爵と親衛兵士達が北の塔を去り、四人が残された。

 騒動の責任を取らなくてすんだカレンが深く礼を取りながら見送り、事情を知らない牢番がそれを不思議そうに見ている。

 リリアは目を輝かせながら牢の中に視線を送っていたが、その少年はよろめいたかと思うとペタリと座り込んでしまった。

「こわーっ。なんちゅうオッサンだ、殺されるかと思った」

 緊張が解けて力が抜けたのだろうが、何ともしまりのない声は先ほどとは別人のようだ。

 そして、その声に三人の視線が集まった。

 牢番は、侯爵様をおっさん呼ばわりした事を怒るかと思いきや苦笑いだし、カレンもやれやれといった表情を見せた。

 それぞれに緊張していたのだろう、ホッとした空気が漂っていた。


「大丈夫ですか?」

「あっ、こりゃリリア御嬢さん。ご挨拶が遅れました、克と呼んでおくんなせい。此度は誠にありがとうござんした」

 唯一緊張のなかったリリアだが、その心配そうな声に少年はその場で正座をした。

「気にしないで、騎士として当然のことをしたまでですから。それよりお願いがあるのですが」

「へい、この克に出来る事でしたら何なりと」

 リリアの大きな瞳はマリンブルー、窓から差し込む光が金の髪を煌めかせ、白いマントに包まれた戦装束が凛々しい。そんな彼女のお願いに、克少年はかしこまって答えた。

「あなたのお国、えっと」

「日本でござんすか?」

「そう、その日本のね、お話をしてほしいの」

「はあ、そりゃ構いませんが」

「良かった」

 天使のような笑顔、その前で両手を組み、すがるような瞳で訴えかけてくる。

 リリア得意のお願いポーズが決まったのだが……。

 克少年は何とも奇妙なお願いに小首をかしげ、その表情より腰に差した剣の方が気になったのか、バテレンのお嬢様てのは勇ましいもんだなと、小声で呟くのだった。


「ゴホン」

 カレンがわざとらしい咳をして注意を促した。

 侯爵令嬢としては少し慎みが足らなかったようだ。

「リリア様、隊長として隊員の動揺を鎮める必要がありましょう。 今日の所はこれくらいになさいませ」

「――はい」

 反抗するかと思いきや、いつになくしおらしいのは少年の前だからだろう。

 喜んでいいのか悪いのか、ため息が癖になりそうなカレンだ。


 リリアが出て三人になるとカレンが口を開いた。

「一つお聞きしたいのですが、貴方は、何者、いやその、日本というお国で何をなさっておいででしたか?」

 いきなりの質問だが、気持ちは分かる。

 侯爵のにらみを耐えたばかりか堂々と渡り合った。とても尋常な人とは思えないというのに、まだ子供ときている。本当に人なのかと聞きたかったところだろう。

「聞いてなかったのか?ただの渡世人だ」

「渡世人とは?」

「ヤクザなばくち打ちだ」

「ヤクザ、ですか?」

 聞きなれない言葉の連続に困惑するカレンをよそに、よっこらしょと言いながら克少年は胡坐をかいた。

「おいちょかぶ知ってっか?三枚の札を引いて一の位の数字の高い方が勝ちというやつだ」

「いいえ」

「まあ聞け。例えば八と九とくれば足して七だ。普通はこれで勝負なんだが、無理してでももう一枚引く。で、三が来てドボンだ。こんな無茶をやる奴を、八九三でヤクザだ。分かったか?」

 分かったかと言われても、こんな説明で分かるわけがない。

 むしろ、聞けば聞くほど分からなくなる。


「ところで、いい加減出てきていただきたいのだが、牢屋がお好きな訳でもありますまい」

「そうしたいのはやまやまなんだが、どうやら腰が抜けたようで力が入らん」

 聞くのはいったんあきらめ、とりあえず外に出ようと思うカレンだったが、ささやかな意趣返しを含んだ言葉にも笑いが返って来るだけだ。

「訳の分からんお人だ。 さっきの迫力はどこに行ったんだか」

 そう言いながら鉄格子をくぐると、少年の前に背を向けてしゃがみ込んだ。

「いや、さすがにそれはちょっと」

「何、子供は遠慮するものではありません」

「そうではなくてだな。 いやー、まいったな」

 おんぶをしてやろうというのに、少年はすげなく断る。

「では、ひっつかんで担いでいきますよ」

「いやいや、それでも勘弁してくれ」

 かなり強引に言ってみたが、それでもうんとは言わない。

「恥ずかしいと?」

「ああ、そうだ。 日本にいる兄弟分たちにな、腰を抜かした挙句に女におぶされたと知られたら大笑いされちまうからな」

 恥ずかしい事を認めるとは思っていなかったので少し驚いたが、カレンも引く気はない。

「そんなこと黙っていれば分からないではありませんか」

「それがな、酒を飲むだろ。すると、つい言っちまうんだな、これが」

 頭を掻きながら苦笑いをする克少年、年頃の少年にありがちなわがままだと言ってしまえばそれまでだが、どうも勝手が違うと、もてあましぎみのカレンだった。


 そんな二人の所へ牢番までやって来て、片膝をつくと右の拳を左胸に当てた。

「おお、牢番の。世話になったな」

「いえ、ガレントと申します。貴族様とは存じませず、大変失礼な事を。申しございませんでした」

 先ほどとは打って変わって神妙なガレントだ。

「気にするなってことよ。それに、俺は貴族様じゃねえぞ」

「しかし、苗字をお持ちでは?」

「ああ、これか。日本じゃ俺みたいな渡世人でも苗字を名乗れるんだ」

「そうでございましたか」

「だから、かたっ苦しいのは抜きにしようや。きまりが悪くってしょうがねえやな」

「はあ」

 貴族でなかった事にはほっとしたが、侯爵様の客人という立場は変わらない。

「そんなことより、しばらく厄介になるから、またよろしくたのまぁ」

「はっ、よろしくお願いします」

 ガレントもどういう態度でいいのか迷っているようだ。

 克少年は苦笑いだが、カレンには気になる事があったようだ。

「ガレントも私も平民なんです」

「うん?」

「共に侯爵様に拾われて、こうしていられるんです」

「どうりで」 

「はい?」

「いや、熱い奴だと思ってな」

「はあ。まあそれはいいのですが、侯爵様も克殿を貴族だと思われたに違いないのです」

「なるほど、で?」

「ですから、ここにいる間は貴族として行動していただいた方がよろしいかと思われます」

「なるほどな。つまり、侯爵様が間違ったとは言えんというわけだな」

「そのとおりにございます」

「よく分かった。―― だが、断る」

「は?」

「ことわると言ったんだ」

 ようやく話が通じるようになったと思ったらこれだ。いいかげん頭が痛くなってきたカレンだったが、ここは我慢と思い直した。

「あの、理由をお聞きしても?」

「俺は渡世人に過ぎない。そんな俺が、貴族様の名をかたって威張り散らすなんてことは出来んという事だ」

「もしかして、それも兄弟分様に笑われるからとか?」

「いいや、もっと悪い。そんな筋の通らねえことをしたら、俺は俺が許せなくなっちまう。どうしてもってんなら、このままここを出ていく。恩返しが出来ないのは不本意だが、こればっかりはしょうがねえ」

 そう言って腰を上げようとする少年を慌ててカレンが止めた。

「ちょ、ちょっとお待ちください。それでは、貴方様をお預かりした私の立つ瀬がございません」

「すまねえな。女人に迷惑をかけるつもりはなかったんだが、許してくんな」

「なんとかします。何とかしますから、今しばらく」

 カレンは立ち上がった少年の手をつかんで離さない。腰は大丈夫なのかという余裕もない。

「じゃ、その口調を何とかしろ。本当に気持ちが悪いんだ」

「分かりました。いや、分かった。これでいいか?」

「ああ、ずっといいや。だが、約束は守れよ」

「わかった」

 ようやく座り直した少年だったが、カレンの冷汗は止まらない。

 何とかする方法なぞ浮かんではいなかったが、それどころではなかった。

 貴族であろうがなかろうが、年寄りだろうが子供だろうでがどうでもいい。肝心なのはドラゴンに匹敵する力があるという事だ。

 敵に回す事は論外、味方に付けることが最良だが、最低でもここにとどめなければならない。だからこそ侯爵様も客人扱いにしたはずだ。

 だとすれば、それを自分のせいで台無しにするわけにはいかなかった。どんなことをしてでも引き止めなければならなかったのだ。

 しかし、どう考えてもこの少年の考えは分からない。

 筋が通らないと言うが、別に貴族だと宣伝しろと言っているわけではない。相手が勝手に勘違いするならこっちに責任はないはずだ。

 それに、威張らない貴族だって大勢いる、それではいけないのかとも聞きたいところだ。

 だが、今は無理だ。

 この状況で聞き返すと取り返しがつかない事になりそうな気がする。


 カレンが言いたい言葉を飲み込むと牢内に変な沈黙が漂ったが、そんな空気を気にしないガレントがほうけた顔をしていた。

 赤嵐が手玉に取らるところなんて初めて見たのだ。赤い雪でも降るんじゃないかと明り取りの窓を見上げたほどだ。

 こんな時に助け舟を出せるガレントではないが、気になる事を思い出した。

「そう言えばあの挨拶みたいな、あれは、なんていったんだ?」

「ああ、バテレンには無いのか。あれは『仁義をきる』と書いて『あいさつ』と読む。まあ、自己紹介だな」

 くだけた口調に気を良くしたのか、ガレントに向き直ると軽い調子で答えた。

「あれでか?」

「ああ、生まれは信州で、家業の宿屋を嫌って家出した。清水港の親分に惚れて子分になり、金比羅大神宮に代参した。その帰りに京の町で酒を飲み、気が付いたら此処だったって話だ」

「何でそう言わないんだ?」

「仁義をきるのは礼儀ってもんだ。そういう決まりなんだよ」

「あの、変な格好もか?」

「変とはご挨拶だな。あれにも立派な意味があるんだぜ」

「あれにか?」

 克少年はちょいと腕をくみ、うーんとうなってから話し始めた。

「まずは聞くんだが、剣を抜く時、左手で鞘を持ち右手で抜くわな?」

「まあ、普通はそうだな」

「右手に鞘を持ち、後ろに持って行けば剣は抜きにくい。ここまでいいな」

「ああ」

「更に、右足が前でなきゃ剣は抜けん。勿論、切りつける時もだ」

「ああ」

「そこでだ、剣を鞘ごと右手に持って後ろに引き、左足が前で左の掌を見せ、すきを窺っていない事を示す為に視線をはずして下を向く。『こちらさんには恨み遺恨はございません。お手向かいは致しません』とまあ、これを言葉では無く形で見せるとああなるんだ。分かったか?」

「へーっ。なるほど、頭いいんだな」

「ばかいえ。おりゃ、馬鹿だの阿呆だのと言われた事はあるが、頭がいいなんて言われたのは初めてだぞ」

「ははは」

「それより俺も気になる事があるんだが」

「おう、なんだ?」

 何だか二人で意気投合したようで、ホッとした表情のカレンは見守りに徹するようだ。

 少年が気になったのは十人の親衛兵士たちだ。

 おそろいの鎧武者とは大したもんだと切り出し、何人くらい子分がいるのかと聞いたまでは良かったが、それが間違いの元だった。

 しまったと思った時にはすでに遅く、ガレント得意の侯爵自慢が始まってしまった。

 二百年前、初代のベノム侯爵に仕えていた十人の猛将たち、通称デスリーテン。

 彼等の活躍ぶりが見ていたように語られ、その名前を引き継ぐ子孫たちが東と西に分かれ十の地区を分割統治している事。

 ベノム侯爵にはリリアの上に五人の息子たちがいて、下の子は体が弱いので防護壁の南にいるが、残りの四人が各領地で作りだす武勇伝の数々。

 ようやく総兵数二万人が出てきたと思ったら、魔物の大侵攻を食い止めた大事件などが延々と語られていった。


「ちょっと待て、ガレント」

 いつ果てるともない自慢話を止めたのはカレンだった。

「おい大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」

「あ、ああ、たぶん」

「たぶんて、どうした?」

 見ると、あれほど元気だった少年の顔からすっかり血の気が失せている。

 二人が心配そうにのぞき込むと、なんだかすがるように見返してくる。

「なあ、カレン?」

「なんだ?」

「ちょっと、その、確認、なんだが」

「うん」

「貴族てのは、その、武装するのか?というか、武装しているのはみんな貴族か?」

「ああ、武器や防具は高いからな、貴族でなけりゃ買えん。傭兵でもフル装備は半分くらいなもんだ」

「ははは」

 急に元気がなくなったうえに、情けない声で笑われてもこっちが困る。

 ともかく、努めて優しくし聞き返すしかない。

「だからどうした?」

「侯爵様は貴族なんだな?」

「当然だな」

「王様ってのも?」

「ああ、貴族の頂点に立つお方だ」

「やっぱり」

「だから、それがどうしたんだ?」

 まったく、一人で落ち込まないでほしい。

 こっちは、何が問題なのかさっぱり分からないのだ。

「日本じゃ、貴族は剣を持たねんだ」

「は?」

「いや、それはいいんだ。問題はだ」

「うん」

「王様ってのが、日本じゃ徳川の将軍様だ。そして、侯爵様ってのが、大名になる」

「国が違うと、色々あるって事だな」

「そんなのんきな話じゃなくてだな、つまり、なんだ」

「なんだ?」

「つまり、ベノム侯爵様のことをだな、どこぞの大親分だと思い込んでいたんだが、親分どころか大名様、殿さまだってことだ」

「日本じゃ、殿さまというんだな」

「そうだ」

「それで?」

「いや、つまり……だから……なあ、カレン?」

「なんだ?」

「俺、何で殺されなかったんだ?」

「はぁ?」

「相手は殿さまだろ。はっきり覚えちゃいないんだが、ずいぶん失礼なこと言った、様な――気がする」

「…………」

 さすがにこれには言葉を失った。

 とっさに思いついたにのは、お前はバカかという言葉だったが、さすがにこれは飲み込んだ。

 ともかく、理性を総動員して言葉を探した。

「おまえ、まさかとは思うが、今ごろ気が付いたのか?というか、今さらそれを言うか?」

「ははは」

「ったく、どうしようもないやつだな」

 まったく、あきれてものが言えないとはこの事だ。

 いくら国が違うといっても、これだけの牢獄などそう有る物ではないはずだし、大親分がどういう人かは知らないが、ドラゴンにさえ真っ向勝負を挑む人などいないはずだ。

「面目ない。なあ、カレン」

「なんだ?」

 何とも情けない少年になり果てたが、もはや気遣うのもばかばかしくなってきた。

「おりゃ、何が苦手って、おかみほど苦手なものはねえんだ」

「だから?」

「だからさ、よろしくたのまぁ」

「任された以上、途中で投げ出したりはせんから安心しろ」

 まったく、リリア様の子守りをするだけでももてあましているというのに、二人になった。頭がズキズキと痛むのは絶対に気のせいではない。

「すまねえ。カレンのあねさんと呼ばせてもらうぜ」

「好きにしろ、もういいだろ。いいかげんここを出るぞ」

「お、おう」

 カレンの口調が乱暴になるのも無理はない。

 克少年の腕を取り無理やり立ち上がらせると、カレンはさっさと鉄格子をくぐった。

 とにもかくにも、これでようやく北の塔から出られる。そう思っていると、後ろで声がした。

「なあ?俺は何て呼んでくれるんだ?」

「兄弟、ガレントは兄弟だ」

 克少年が即答した。

「おお、それいいな。俺もおめえみたいな弟が欲しかったんだ」

「俺が弟分かよ。でもまあ、この体じゃ仕方ねえか。いいぜ、そう言う事にしといてやる」

 こめかみを押さえるカレンの後に何とも能天気な二人が続き、三人がようやく二重扉を抜けると、そこには眩しい太陽とベノムが待っていた。


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