仁義(あいさつ)をきる
北の塔は二階建てだが、天井が高い為に倍くらいの高さがある。
屋上には見張り塔まであるが、魔物を飼い馴らす事に失敗して以来使われていなかった。
少年の為にベッド代わりの板が搬入されていた。布団代わりの敷物二枚は親切というものだろう。
「あーっ!」
やる事が無くて横になっていた少年だったが、またまた大きな声を出して起き上がると、慌てて上着を脱いだ。
なにやら肩ごしに背中を見ようとしているようだが、当然右も左も背中は見えない。
「牢番、牢番来てくれ」
「またか?今度は何だ?」
もはやあきらめ顔の牢番がのっそりとやってきた。
「背中、背中を見てくれ」
鉄格子まで来た少年が背中を見せる。
「どうだ?」
「どうだって、何が?」
「だからモンモンだよ」
「モンモン?」
「入れ墨だよ。あー、絵だ、絵が描いてあるだろ?」
「絵?そんなもん無いぞ」
子供にしては引き締まった背中には、細いながらも二本の背筋がきれいに並び、肩甲骨についた筋肉は力強さを証明している。
ほーっと感心した声を漏らした牢番だったが、背中自体は綺麗なものだ。
「そう、か。傷も怪我も無くなっているからもしやと思ったが、やっぱり」
「ああ、ラクガキなんぞされとらんから心配すんな」
がっくりと膝をつく少年を励まし、牢番は元の所に戻っていった。
「まいった、痛かったんだよな。墨はいいんだ、まだ我慢できた。問題は朱だ。あまりの痛さに涙がちょちょぎれたってのに、それが全部パーとはな、とほほ……」
訳の分からないことを呟く少年の耳にカランカランという音が飛び込んできた。
顔を上げ、鉄格子にくっつけてみたがよく見えない。
これは二重扉の外側が開いた合図で、牢番が来訪者と話す声は聞こえてくる。
内扉も開けられた。
ガチャガチャという音と共に兵士達が入ってくると、少年は瞬時に警戒した顔に変わり、ベッドに戻って上着を羽織った。
どっかりと胡坐をかき、片手を膝に置いて鉄格子の方を睨む。
大人なら貫禄ありそうだが何ともやんちゃな感じだ。
入ってきた親衛兵士は十人、そろいの鎧兜に身を固め腰には長剣がある。その後に愛用の槍を持ったベノム侯爵、リリア、カレンの順だ。
鉄格子の向こうが兵士で埋まり、それをじっと見ていた少年の目と、中央にいるベノム侯爵の目が合った。
巌の様な体から発する威圧感と鋭い眼光だが、それを受けても少年はひるまない。
それどころか、睨み返す姿に牢番があわてた。
「侯爵様だ、控えろ」
これがただの叱責ならば少年は動かなかったかも知れない。
しかし、その中に心配している気配があれば話は別だろう。
少年はゆっくりと立ち上がると、腰を折った。
左足を半歩前、左手をその上に出して掌を見せ、右手は拳を握り腰の後ろに引いた。
「お控えなすっておくんなせい」
少年とは思えない低く重い声だ、驚くなという方が無理だろう。
頭を下げて視線を外しているから反抗する意志は無いと思われるが、警戒はとけない。
そして、何の真似かと問う前に少年の口が更に開いた。
「さっそくのお控え有難うござんす。向いましたる親分さんとは、初の御見でござんす。手前生国と発っしまするは遠州にござんす。森の湧水産湯に使い、家業の宿屋ですねかじり。親に逆らい家を出て、あてなくさまよう旅がらす。流れ流れて清水の港、男が惚れた男だて。親分子分の杯受けて、その日暮らしのばくち打ち。遊びほうけた、いく年月。脱いだ草鞋もその足で、再び履いたは代参の、金比羅山へのお使いを、済ませた帰りに京の街。祇園の灯についひかれ、杯取ったが運の尽き。気が付きゃ三面石の壁、頼りの正面鉄格子。何がどうしてどうなった、訳も分からず途方に暮れた。性は直海、名は克也。人よんで千切りの克とはっしやす。以後、お見知りおきを、お願い奉りやす」
時が止まったかのように誰も動かない、声を出す者もいない。
少年らしくない重い声と、その内容がよく分からないのも問題だ。挨拶らしいのは分かるのだが、もう一回言ってくれとは言えそうもない雰囲気だ。どう反応していいのか分からないと言った方が正しいかもしれない。
そんな中、後ろでクスリと笑い声が漏れた。リリアだ。
一二歳の彼女に内容が分かったとは思えない。何がどうしてどうなったという言葉が笑いを誘ったか。
あるいは、宿屋の手伝いで毎日野菜を切っていて、そこでついたあだ名が千切りの克。それが嫌で飛び出したのに、強そうもないあだ名だけはそのままなのがおかしかったのかもしれない。
ともあれ、カレンに肘でつつかれ、表情は戻したものの目は笑ったままだ。
そのカレンは、魔物独特のいやな気配のない事に安堵はしたが、ただの少年では無いと感じていた。
千切りとは千人切りの事だろう。千とは大げさだろうが、子供にそんなあだ名が付くのは異常だ。
どんな大人に育てられればこんな子に育つのか、そう思えただけカレンの思考は柔軟だったのかもしれないが、ベノム侯爵はさらにその上を行った。
「扉を開けよ」
その声に、当然のごとく周りは反対したが、その巨体はビクともしない。
ひとにらみで周りを静めると、こともあろうにそばの者に槍を預け、腰をかがめて鉄格子をくぐった。
魔物の気配が感じられなかったからだろうが、得体のしれない少年と文字通り牢屋の中で相対すことになった。
「克也とか言ったな、初めて聞く挨拶だったが礼は尽くされているとみた。ならば名乗り返すが礼儀という物であろう。儂はカサシン国王より侯爵の地位をいただき、この地を預かるハンベル・ベノムという、覚えておくがよかろう」
侯爵が囚人に、しかも子供に挨拶をするというのは聞いた事がない。しかも、ハンベルの名を出すという事は相手を認めるという事で、混乱に拍車をかけた。
「侯爵様、おん自らのご仁義、ありがとうにござんす」
しかし、当の少年はかしこまってはいるものの、返答は当然のごとくに受け取っているようだ。
「顔を上げよ、聞きたい事がある」
「へい、何でござんしょ?」
何とも軽い返事に関係ないはずの牢番がオロオロし、親衛兵士達から殺気が噴き出る。
身長にして倍ほどもあるベノム侯爵様を前にしても、少年は平然と顔を上げた。
見下す青い瞳に警戒の色が浮かぶも、少年は気にしたそぶりも見せない。
「お前はギジナールの山中で倒れていたと聞く。あんなところで何をしておった?」
「山ん中で倒れていたとは穏やかじゃござんせんが、実はあっしにもさっぱりでして。昨日酒を飲んだまでは覚えておりやすが、気が付いたら此処でした。牢番に聞くとここはカサシン王国というじゃあござんせんか。あっしは昨日まで、たしかに日本という国におりやした。何がどうなっているのか、こっちが聞きたいほどなんでござんす」
「日本、とは聞いたことがない名だが?」
「カサシンというお国も聞いた事がござんせん。おそらく、バテレンと呼ばれているお国のどこかとは思いやすが、これまた定かではござんせん」
「ふむ」
困ったような少年の表情と声に嘘は感じられないが、信じられるかと問われれば否と答えるしかない内容だ。
しかもその物言いは、緊張しているのがばかばかしいくらいにあっけらかんとしたものだ。
「記憶にはござんせんが、牢に入れられるほどの悪さをした事は申し訳なく思っておりやす。ご勘弁下さいまし」
「いや、山中で倒れているのを助けたと聞いてな、怪しいことこの上ないゆえ、とりあえず牢に入れたまでじゃ、他意は無い」
「そりゃ、ホッとしやした。ところで、あっしはどなたに助けられたんでござんしょ?」
「娘のリリアじゃ、あそこの」
鉄格子の向こうで、リリアが小さく手を振った。
「なるほど、お礼申し上げやす。つきましては、一つお願いがございやす」
「うん?」
「山で気を失っていたとあれば、獣の餌となるは必定。どうやらあっしはリリア御嬢さんに返しきれない御恩を受けたようにござんす。このまま、この恩をほっぽって日本に帰れば、恩知らずと親分に叱られましょう。どうか、恩返しのまねごとが出来るまで、厩の隅で結構にござんす、しばらく御厄介にならせておくんなさいませ」
「騎士として当然のことをしたまで、気に病む事は無い。部屋を用意しよう、ゆっくりしていくがいい」
リリアが小さくガッツポーズをし、再びカレンの肘が動いた。
「部屋などともったいない。あっしはちんけな渡世人、厩で十分にござんす」
「子供が遠慮などするものではない。それに、縁あって訪ねてきた客人を厩に泊めたと知れれば儂が笑われるわ」
「おそれいりやす」
豪快に笑うベノム侯爵にリリア以外が困惑の表情を浮かべた。
客人ともなればこの少年に対する対応も変えなければならないからだ。
だが、その表情も一瞬の事、侯爵様の意志こそが正義であり法律だ。
そのように対応する、それだけだ。
「カレン」
「はっ」
「面倒を見てやれ」
「はっ」
そう言い残して牢の扉をくぐり、そのまま塔の扉をも抜けてゆくベノム侯爵だったが、内心は驚いていた。
殺気を込めた威圧を受けても動じず、誰も気が付いていない様だったが会話の主導権さえ取ってみせた。
魔物の気配が無かった事で気が緩んでいたとはいえ、ただの子供ではない。魔導師様とまでは言えないが、すくなくとも見た目通りでないことは確かだ。
「ドラゴンに匹敵する魔晄を持った少年か、面白い奴が来たもんだ」
笑みさえ浮かべながら呟く侯爵もまた、変人だと思われている事を知らない。
このようなあやしいとしか言いいようのない少年を面白いと思えるところからして普通ではないが、五人の息子たちにむかって、龍種と呼ばれる危険極まりない魔物を討伐した者を跡取りにすると言う人だ。
まあ、それを思えばこれくらいは普通の事なのかもしれない。
「戦時令の訓練は終了とする。本番に備えて問題点を洗い出し、改善しておけ」
「は、はっ」
とどめとばかりに、戦時令を平気で訓練だと決めつけたベノム侯爵の後を、親衛兵士達があわてて追いかけていった。




