リリアの初陣
カサシン王国の北の果て、前人未到の大森林を抱えるギジナール山脈にも春は訪れる。
山脈を更に重ねたその奥は夏でも白い雪化粧をしているが、新緑の生命力は一気に山へと駆け上る。
雪の下を流れていたせせらぎは雪解け水を満面にたたえ、春を待ちかねた小鳥たちが森をにぎやかに変えてゆく。
東の水平線から太陽が顔を出す頃、ベノムの厩舎からリリア達が出てきた。
今迄教官として同行していたカレンの姿はない。
今日からは七人だけで偵察任務に就くが、リリアと副隊長のシェリーが一二歳、残る五人が十一歳という若さだ。
当然、腰に差した剣は細く、槍や盾もない。
更によく見れば、鞍には小さな縄梯子が付けられ、体を安定させる為の鐙もある。
最も近い一ノ滝までとはいえ、よくいる犬型の魔物ガルルだけとは限らない。
だからこそ魔物の巣窟とまで言われているというのに、おそろいの皮鎧に身を固めた彼女たちは、七つの白いマントを春風になびかせながら、何のためらいも見せずに川横の山道に乗り入れていった。
坂の勾配が急になると左側の川音も大きくなる。
右側にはうっそうとした森が広がり、魔物が潜む危険を知らしめている。
ガルルは黒っぽい灰色で見つけにくいうえに、包囲網を敷いた形で待ち伏せをする。
これがガルルの厄介なところだが、魔力を持つリリア達なら話は別だ。
ガルルの放つ魔晄が草木の間から漏れてくる。
待ち伏せをしたガルルは均等に広がった魔晄となり、かえって目立つくらいだ。
「前方に魔晄多数」
前衛の少年が片手を上げながら報告する。
若干興奮気味だが、しっかりと仕事をこなしている。
「停止。 周囲警戒」
シェリーが、同じように片手を上げながら、落ち着いた声で号令をかける。
指揮は副隊長が行う。
隊長の仕事は全体を見る事、撤退の時期を決断する事だと、耳にタコが出来るほど言われてきた。
そのうるさい鬼教官はいないが、いないとなると妙に心細いものだ。
周りに魔晄なしの報告が届く中、リリアも緊張の面持ちで前方を見やった。
均等に広がった魔晄、今迄の経験からガルルで間違いないと思われる。
「十歩前へ、扇陣形」
少し開けた場所で陣形を組む。
リリアとシェリーが並び、その前に五人が扇状に展開した。
ガルルは、獲物が動かないと分かると包囲してくる。
少しでも戦いやすい場所で待ち構えるリリア達は、動き出したガルルに合わせて微妙に立ち位置を変えてゆく。
「分かりますか?」
ガルルの包囲が完成したころシェリ―が聞いてくるが、リリアは首を横に振った。
カレンはこの時点でリーダーガルルを見つけ出し、これをしとめる事で戸惑うガルルを殲滅していたが、二人にはまだその違いが分からないようだ。
「リーダーガルルが分からないので全個体を撃つ、外れてもあせるな、ファイア攻撃用意」
それでもやるしかない、シェリーの声が響く。
「撃て!」
常人には見えない魔晄の帯が瞬時にガルルに向かう。
当たったガルルは燃え上がり、外れた帯は草木を焼く。
第二波第三波と攻撃が続き、炎に弱いガルルは燃え尽きて魔石を残し、朝露に濡れた草木が残り火を消す。
全てのガルルを倒しても、彼女たちは動かない。
脅威が無いことを確認するまで動かないのが鉄則だ。
生き残りがいるかもしれない。 獣は光らないから見落としているかもしれない。 ともかく、動く物が無い事を確かめているのだ。
「魔石回収、消火も忘れるな」
いつしか途絶えていた小鳥たちのさえずりが聞こえ出し、ようやくシェリーが指示を出す。
無事に魔石を回収すると、念のために魔法で周辺に水をかけ、再び隊列を組み直す。
リリアを見やると、ほほえみながらうなずいた。
合格といったところだろう、彼女は笑顔で出発の号令をかけた。
森に入って早々の戦闘だったが、その後魔物の襲撃は無かった。
リリアはほっとした表情で空を見上げると、透き通るような青い空にはぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
目的地である一ノ滝まであとわずか、このままでいて欲しいと思いながら視線を戻す際、異常に気が付いた。
「停止!」
リリアの突然の声に皆が驚いて止まる。
「周囲警戒」
すかさずシェリーが指示を出しながらリリアを見やると、前方を睨みつけている。
一ノ滝の方だが木々が邪魔で見えない。
再びリリアの方を窺うと、視線はもっと上だ。
「あっ」
思わず声が出た。 梢の向こうが明るいのだ。
濃い雲が立ち込めているならまだしも、太陽は既に朝日とは言えない高さにある。
それなのに、その明るさに負けない光がある。
皆もそれに気が付きザワザワと騒ぎ出す。
「周囲警戒!」
指示を出しながら思考をめぐらし、副官として言うべき言葉をさがす。
「何かは分かりませんが、明るすぎます。 戻って調査隊を出していただきましょうか?」
「……」
努めて冷静に話したつもりだったが、リリアは答えない。
こうなれば黙って言葉を待つのみだ。
みんなも不安そうに、周囲を警戒しつつもリリアを窺う。
「あの光、シェリーは何色に見える?」
唐突にリリアが切り出す。
「そうですね、周辺しか分かりませんが、あえて申し上げれば黄金色でしょうか」
「やっぱり……」
「あの、それがなにか?」
リリアが再び考え込むが、どうやら引き返す気はないようだ。
ならば、次に出来る事。
「数人、偵察を出しますか?」
「うーん、離れるのは危険ね。 前衛を少し前に出して、ゆっくり進みましょう」
「分かりました」
異常があった場合はすぐに引き返して指示を仰ぐ。
それが分かっていてなお行くというなら、最善を尽くすまでだ。
「隊列変更、前がかり。 前衛はすこし先行、異常があればすぐに引き返せ。 周囲の警戒も怠るな。 いくぞ、前進!」
全員を前に出し、シェリーが殿となる。
リリアの安全が第一で、何かあればリリアが逃げ切るまで食い止める。
最善と思われる陣形で一ノ滝を目指す。
やがて光が露わになってくる。
何かが光っているのは分かるのだが、眩しすぎて見えないほどだ。
そして、とうとう前衛が止まってしまった。
進むことをためらわせるほどの光、全員の視線がリリアに集まるなか、シェリーは撤退を打診すべきかどうか迷っていた。
リリアの判断に従うのは当然であり不満など無い。
だが、あの光に人を惑わせる力があったとしたら……。
ここまでが限界だと思いながらリリアの言葉を待った。
「あれが、魔光かどうか確かめたい」
リリアが説明を始めたが、聞かされた方はまさかという思いで魔晄の方を見やった。
「魔晄は、体がぼんやりと光るものではないのでしょうか?」
「普通はね」
みんなの思いを代表したシェリーだったが、返ってきたのは一言だ。
とても高い魔力を持つと魔晄が体の外側まであふれるのだが、リリア以外は知らなかったらしい。
リリアも見たのは初めてだろうが、自信満々の口調はそれを感じさせない。
「大陸統一に貢献した魔導師様は知っていると思うけど、見る人によっては真昼の太陽のごとくに眩しく、黄金の光だったとあるの」
伯爵令嬢として教育を受けてきたリリアだからどこかの文献にあったのだろうが、当然全員の目が光に向けられた。
そして、それは黄金色だった。
「ま、まさか、魔導師様が復活された、と?」
「分からない。 生まれ変わりかもしれないし、それ以外かもしれない」
珍しくシェリーが言葉に詰まった。
それはそうだろう、魔導師様はおとぎ話に出て来る人だ。
二百年前の独立戦争がカサシン王国のはじまりとすれば、魔導師様が活躍したのは千年も前だ。 文献など無く、吟遊詩人が語り継いでいるにすぎない。
しかも、真偽のほどは定かではないが、黒目黒髪で十代前半の子供だったと言われている。
リリアが興味を持つには十分すぎる理由だろうが、信じろと言われても困るのだ。
「魔晄だとしたら、近づけば消えるはず」
「黒目黒髪だったら?」
「お話します」
「なっ……」
確信を持つかのように話すリリアに、茫然としていても会話を成立させたシェリーだったが、当たり前のようにお話しすると返されて言葉を失った。
しばしの沈黙が生まれ、その隙にリリアが馬を進めよとしたが、さすがにシェリーが復活した。
「お待ちください。 魔導師様かどうか、私が見てまいります。 それからにしてください」
意を決してシェリーが馬を進めると、あれほど眩しかった光が消えた。
しかし、この光が魔晄であったことに驚く暇はなかった。
はたしてそこには十代前半と思われる黒髪の少年が倒れていたのだ。
警戒する事も忘れてすばやく馬を下り、瞼に触れて黒目であることを確認したシェリーを咎める者はいないだろう。
振り返ると、待機している筈のリリアはじめ全員がそこにいた。
リリアの問いかける瞳が見えた。
「く、黒目です」
興奮してかすれた声で答えるシェリー、両手を口にあてて声を殺すリリア。
しかし、歓喜はその瞳を大きく開かせたり細めたりと大忙しだ。
シェリーと二人だけだったら踊り出していたかもしれない。
だが、今は任務中で隊長だ。 侯爵令嬢としての立場も加わる。
「お助けいたしましょう」
喜ぶのは帰ってからのお楽しみとばかり、極めて冷静に言葉を選ぶリリアだった。
しかし、リリアの興奮はみんなにも伝わっていた。
魔導師様を救った英雄になったかもしれないのだから無理もない。
冷静だと自負するシェリーとて例外ではなく、事の顛末を伝える伝令を出し忘れてしまった。
その結果、リリア達を心配して山の方を見ていたカレンが、山から下りてくる巨大な魔晄を発見するという事態となったのだ。
傭兵時代の経験が魔晄の巨大さからドラゴンクラスと判断し、ベノム侯爵の執務室に駆け込んだ。
その後は、さすがは最前線で活躍するベノム侯爵だった。
真偽を確認するのは後だとばかり、すぐさま戦時令が発動され、集まるだけの兵をかき集めるよう指示が飛んだのだ。
三重の槍襖の後ろには歩兵、そこに時間と共に増え続ける傭兵たちが加わる。
その後ろに弓隊が並び、両脇には騎馬隊が控える。
最後尾には親衛兵士達に囲まれたベノム侯爵という布陣だ。
最もシンプルで、なおかつ最も強力なこの陣は、敵をひきつけ、弓矢で勢いをそぎ、槍で侵攻を止め、歩兵が襲いかかる。
だが、それすらもおとりで、本命は両脇から馬上槍を持ってせまる騎馬隊だ。
馬ごと体当たりするその破壊力は、全ての敵をなぎ倒すと言われている。
無論、ドラゴンだとしたら倒せないだろう。
だが、相撃ち覚悟で突っ込めば驚いて山に戻る可能性はある。
最悪、領民が逃げるまでの足止めでも構わない。
ドラゴンと戦って死ねるなら将軍公爵として本望だ。
緊張の極みにある兵達をよそに、ニヤリと笑みを浮かべるベノム侯爵だったが、そんな中にトコトコとリリア達が帰ってきたのだ。
侯爵でさえあっけにとられたのだから、他の兵達は何が何だかさっぱり分からない。
ともかく構えていた槍を立て、弓矢を仕舞って、リリア達の為に花道を作った。
おまけに、笑顔でただいまというリリアに毒気まで抜かれた侯爵は、ともかく執務室に向かうしかなかった。
黒目黒髪の少年は北の塔に幽閉となり、兵達はその塔を囲むように配置され、戸惑うシェリーたちは魔法騎士隊の詰め所へと追い払われた。
ベノム侯爵の執務室では、重厚な机の向こうで腕をくんだ侯爵が目をつむり考え事をしている。
報告を終えたリリアはさらに小さくなり、テーブルの向こうのカレンは両手をワナワナとふるわせていた。
「異常を見つけ出すのが偵察隊。 それを調べるのが調査隊。 教えたわよね。 何度も何度も、教えたわよね!」
「は……い」
両手をテーブルに叩きつけて上体を乗り出してくる。
「それを、それを、貴方という人はー!」
あまりの迫力に、リリアが椅子から下に滑り落ちる。
「待ちなさい!」
テーブルを回り込むカレン。
思わずテーブルの下をくぐり、カレンがいた場所で首を出すリリア。
リリアがいた場所まで来たカレンも頭に血が上り、リリアが座っていた椅子を蹴倒すとテーブルの下にもぐり込む。
焦ったリリアは四つん這いでテーブルの上を進み、元の位置に戻った。
十二歳という成人した侯爵令嬢にあるまじきふるまいだが、今はそれどころではない。
テーブルをはさんで、カレンが右ならリリアは左。カレンが下ならリリアは上。
もはや恒例となった必死の追いかけっこが、事も有ろうに侯爵様の執務室で展開されたのだった。
将軍侯爵は騒ぎなど気にも留めずに考え事をしている。
そこに逃げ込んではいけないという分別はあるようだが、騒ぎはいっこうに収まる気配はない。
しかし、ここにはそれを静める強者がいる。
何食わぬ顔で入ってきたメイドだ。
魔物の脅威があるベノム家だ、メイド服は皮鎧だし腰には短剣も見える。
しかも、武器を取っての稽古も毎日あり、そこらの兵士なら剣を抜くまでも無く制圧できるというから驚きだ。
そんな彼女は騒ぎには目もくれずにワゴンを押してくると、ベノム侯爵のわきでおもむろに紅茶をカップにそそぎだす。
その小さな音にカレンが反応した。
ゴホンと咳払いをしながら何食わぬ顔で席に着き、カップが三つある事を確認する。
侯爵家に仕えるようになって、上等な紅茶がカレンの楽しみの一つだった。
リリアも倒れた椅子をおこすと、侯爵令嬢らしく優雅に座り直し、紅茶の横のお茶菓子は何かと目を向ける。
リリアがいるから甘めのお菓子が多いはずだ。
メイドは三人の前に紅茶と菓子を並べ、綺麗なお辞儀を見せながら扉の向こうに消えていった。
これだけの騒ぎを無言で静めるメイドこそ最強なのかもしれないが、ともあれ侯爵家らしいお茶会が始まった。
こうなると、格上のベノム侯爵が口を開くまで無言でいるのが礼儀となる。
カレンは紅茶を楽しみ、リリアは菓子を楽しむ。
先ほどまでの喧騒がうそのように、ゆったりとした時間が流れていった。




