サンデリーの知恵袋
「まあ、おそろいでうれしいわ。いらっしゃい」
食堂に案内されると、既に小百合がいた。
普通はみんなが席に着いてから現れるものだが、この人に普通は通じない。
「このたびは、お招きいただきありがとうございます」
それでも、みんなを代表してカレンが笑顔で返す。
「そんなのいいから。ほら、こっち、こっち」
メイド達も仕事を取られて困り顔だが、そんな事を気にする小百合ではない。
貴方はこっち、貴方はここと指示を出すと、これ以上働かせてなるものかと早々にワインが運ばれてくる。
「さあ、乾杯よ。みんな立って、グラスを持って」
テーブルの中央には果物がずらりと並び、椅子に座っても手が届くが、座ったかと思ったら立てという、なんとも忙しい。
「準備はいいわね。それじゃ、カレンの……あれ?結果はどうなった?」
誰かの椅子がガタンとなった。
「あの、御存じなのでは?」
思わずカレンの口から出たのも仕方がないだろう。
「結果迄は知らないわ。準備はしたけどね」
胸を張って言われても困るのだが……。
「一応、領地持ちの貴族という事になりました」
「うんうん、他の人は?」
「皆、私の下で貴族となりました」
「予定通りね。じゃ乾杯しましょう」
予定通りって、その内容が知りたいのだが、乾杯が終わらないと聞けそうもない。
やれやれと思いながらも、笑顔でグラスを掲げるカレン。
克とガレントはそんなものかとグラスを持つ。
驚いたのは初めて小百合に会ったアウローラ率いるマギの面々だ。
どんな手を使ったのかは知らないが、あの侯爵とデスリーテンを己の望む方向に誘導したと言っているのだ。
サンデリーの知恵袋という噂は本当だったのかと、顔を見合わせながらグラスに手を伸ばした。
「それでは、新領主と、新貴族の皆に乾杯!」
「「「乾杯」」」
チンチンチンと合わせた銀のグラスが音を立てると、小百合の言葉を待たずに料理が運ばれてくる。
スープとクルトンのようで、さっそく克とガレントが座って食べ始めた。
他の面々はというと、小百合が座ると座り、スープを飲むと飲む。そんな感じだ。
貴族の食事会は会話がメインだから次の料理が出てくるまでが長いのだが、小百合の指示なのか次々と料理が運ばれてくる。
克とガレントは、こりゃうめえとガツガツ食べている。
小百合とカレンは優雅に食べているが、マギの面々は緊張を隠しきれない様子で、これではせっかくの料理も味が分からないだろう。
ともかく、ようやく小百合が口を開いたのは、メインなのかその前なのか、ソテーやムニエルが続いた時だった。
「それで、いつベノムを立つの?」
「えっと、ですね。その前に、領地の場所をご存知でしたら教えていただきたいのですが?」
ようやく始まったが、話が飛び過ぎている。なんとか引き戻したいところだ。
「あら、聞かなかったの?」
「ゲノムの隣とは分かったのですが、とても聞けるような雰囲気ではなかったもので」
「そうね、たしかに隣ね。北側にでっかい半島があるでしょう、そこよ」
「……」
さすがのカレンも返す言葉がなかった。
確かにそこには半島がある。ある事はあるのだが、それはギジナール山脈が海に突き出した半島で、人では無く魔物が住む場所なのだ。
「あ、あの。お聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
カレンに変わってアウローラが助け舟を出した。
「私も平民だったんだから気にしなくていいわよ。何かしら?」
「ありがとうございます。私はゲノムに行き、その半島について調べた事がございます」
「すごいじゃない。で、どうだった?」
「はい。サユーリ様はその半島の付け根に防護壁があるのをご存知でしょうか?」
「ええ。新たな魔物を半島に入れない為でしょう? 記録にあったわ」
「確かに、ある程度の効果はあったようですが、逆に、魔物に追われた動物の逃げ場が無くなりました。今あの半島に、動物は一頭も、一匹もおりません」
「そうなの?」
「はい。それに、問題なのは鳥の魔物なのです。魔鳥に槍は届きませんし、矢は躱されます」
「魔法はどう?」
「大型の魔鳥でしたら単独で来ますから簡単に倒せますが、問題は小型の魔鳥です。スピードと硬いくちばしが武器で、細い枝ならへし折り、人の体など貫くそうです。しかも、一本の木に多くの巣があり、近づくと集団で襲ってきます」
「つまり、魔法でも倒せないのね?」
「そのとおりにございます。そして、その木は半島中にあり、その数は数千とも数万とも言われております。防護壁が出来た後もゲノム子爵様が何度も兵を差し向けましたが、減った魔鳥はすぐに増え、いたずらに兵を失うだけと聞いております」
「なるほどね」
「あの半島には人も動物もいませんし、今後も住む事は出来ないでしょう。領地であって領地にはならない場所なのです」
とうとうと自説を述べ、小百合を説得したアウローラだったが、この後言葉を失った。
「あら? もしかして、本気で領主になりたかった?」
「…………」
いやいやいや、ここまで来てそれは無いだろう。
みんなの顔がゆがむ。
「ふふふ、ごめんね。あまりに真剣だったから、からかいたくなっちゃった」
「も、申し訳ございませんでした」
つまり、言葉が過ぎるとお怒りなのだ。
「いいのよ。半分は本気だから」
「……」
まったく、怒っているのかいないのか、何が本気なのか訳が分からない人だ。
「今回の戦時令騒ぎはね、デスリーテンにとっては目障りなカレンを倒す絶好の機会だったのよ」
どうやら本題に入ったようだ。
空気を読まない克以外、ガレントでさえ食べるのをやめた。
「とりあえずカレンを牢に入れて、侯爵様と相談したの。カレンを殺したくないというのは同じだからね。そして、この場所を選んだの」
小百合はワインを一口含んだ。
「カレンが気に入らないからといって、魔法騎士隊を育てた功績を無視して殺すのは、デスリーテンの名が泣く。カレンごときを切っては剣が錆びる。この二つが殺し文句でね。そうそう、お金をもらわなかった?」
「支度金だと言って、金貨を十枚」
「でしょう。平民なら金貨一枚で一生過ごせる額よ。彼等は貴族だから領地を与えられたら、たとえ死んでもそこに行くと思うのよ。でも、カレンは平民でしょう。そんな馬鹿な事はしないで逃げればいいのよ」
「……」
いや、たしかにそうだ。考えてもいなかったが、そう言われれば確かにその通りだ。
「命あってのものだねよ。ベノムを離れれば済む話だし、なんならよその国に行ってもいい。北にも西にも国はあるのよ。堂々とゲノムまで行って、半島を見て、駄目だと思ったらとっとと船に乗っちゃえばいいって事よ」
この言葉が止めとなった。
あんな所に領地を貰ったところで苦労しか思い浮かばない。貴族の名誉など平民には何の価値もないのだ。
みんなが、なるほどそれが狙いだったかと、納得もし、最良だと感じ、結論が出たような気になっていた時だ。
「そいつあ、面白くねえな」
いつの間にか食べ終わった克が声を上げた。
「デスリーテンというのは、さっき居たいけ好かないジジイどもだろ? そいつらがだ、自分で出来ない事を棚に上げ、カレンねえさんに押し付けて笑いものにしようというんだ。こんなふざけた話があるかよ」
「確かにそのとおりではあるわね。でも、どうするの?」
笑いを含んだ小百合の言葉、さすがに一筋縄ではいかないようだ。
「考えるのは小百合の仕事だろうが。だいたい、コケにされてそのままって事はねえだろう。あいつらをギャフンと言わせなきゃ気が済まねえ。何でもやるぜ、言ってくれ」
この口調を気にしないのは小百合だけだろう。
特にマギのメンバーは、他人事ながらオロオロしている。
カレンは、克が自分の事で怒っている事を嬉しいと思ってはいたが、危険な目に合わせる事は出来ないと、自重していた。
「そうね、策が無い事も無いけど・・・・・みんなの協力がいるのよね、どうする?」
そう言いながら皆を見渡す。
「どうするって、あるんですか? そんな策が」
アウローラが身を乗り出したが、小百合はいたずらっぽく微笑むだけだ。
「デスリーテンと言えば公爵でさえその道を譲ると聞きます。そんな彼等に一矢報いる期会なぞ生涯ありますまい。是非やらせてください」
「カレンが心配だと言えばいいのに。まったく、素直じゃないんだから」
「うるさい! お前達はどうなんだ?」
「はいはい、やりますよ。やらせていただきます」
マギ達は相変わらずのようだ。
「それじゃ、いーい?」
小百合は内緒話でもするかのように声を落とし、それにつられてみんなが聞き耳を立てた。
「問題は鳥の魔物で、倒す事は難しいのよね。でもね、木の上に巣をつくるのなら、魔法でその木を燃やしてしまえばいいと思わない?」
「はい?」
今なんと言った?
「近づいたら攻撃してくるのだったら、船に乗って魔法をバンバン使えばいい。魔晄が見えるんだから、どの木を狙えばいいのかも分かる。半島をひとまわりすれば、それだけで人が住む海岸線は安全になると思わない?」
言っている事は分かる。魔法を使えば簡単な事も分かる。
「魔鳥を倒そうとするから大変なのよ。追い払って、戻って来ないようにすればいいだけでしょう? 違う?」
いや、違わない。確かにそのとおりだ。
「あの、他の木にも燃え移るのではないでしょうか?」
「あら駄目なの?」
「いえ。あの、いいのかなと」
「マギのメンバーは炎の魔法が得意なんでしょう? 今なら克君もいるわよ」
「俺?」
「そうよ。水の雨を降らせるんだから、炎の雨だって出来るでしょう?」
「やったこたぁねえが、出来そうな気はするな」
「でしょう? 先端の方から海風に乗せて全部燃やしちゃえば、魔物も片付くし、一石二鳥じゃない」
「……」
だけど、そんなんでいいのか? 簡単すぎないか?
いや、簡単なのはいい事なのだ。なのだが、今迄の苦労は何だったのだ?
だってそうだろ、今まで数えきれないほどの犠牲があったのだ。それなのに、そんな簡単な事で解決してしまってもいいのか?
いや、いい。いいはず、だよな。
「よし、それでいこう。いつ出発する?」
「準備があるし、そうね、二十日はかかるかしら」
周囲の戸惑いをよそに、そんな事には無縁の克はいたって単純だ。
「分かった。そん時に呼んでくれ」
まだ食事中だというのに、そう言い残して席を立ってしまった。
「あの、ああいうやつでして。申し訳ありません」
ここにきて、初めてガレントが口をきいた。
「分かっているから気にしないで。それより」
そう言いながら皆の顔を見渡す。
その視線に気が付いた者から正気に戻っていくかのように、小百合の方に目を向けてゆく。
「いい? さっきも言ったように、みんなの協力がいるの。領主になるのなら準備がいる。根回しもいる。特に人集めは難航が予想される。切り札は魔法。そのあたりも含めて、これからじっくりと検討する。いいわね?」
サンデリーの知恵袋、その本領が再び発揮されようとしていた。
この後、会議を終えたリリアとサンデリーが合流し、作戦会議は夜遅くまで続くのだが、そんな事とは無縁の克は街に来ていた。
敷物を敷いただけの賭場はいくつもあったが、それぞれに縄張りがあり、克もやる場所は一つと決めている。
懐が温かい克は意気揚々といつもの賭場に向かってゆく。
「克さん、いらっしゃい」
克が近づくと、いかつい男たちの出迎えを受ける。
ここでは子ども扱いはされない。それどころか、中央に座っていた客をどけて場所を開けさえする。
これは克が侯爵様の客人だからではない。それが分かったのはずっと後だ。
最初に訪れた時、
「ここはガキの来るところじゃねえ」
などと言った奴をぶちのめし、更には、その事に怒ったり驚いたりして立ち上がった者達をあっという間に倒すと、
「まったく、弱いくせにいきがってんじゃねえよ」
困ったもんだと座り込み、
「こっちの博打は初めてだ、教えてくんな」
と、切り出したのだ。
それ以来負け続けているのだが、負けてもごねたりはしなかった。
「今日は日が悪い、明日又出直してくるわ」
あっさりと負けを認めて帰ってゆくのだ。
これが大人なら潔い良い奴だという事になるのだが、見た目が見た目だけになかなかそうはならなかった。
しかしある時、この賭場を邪魔しに来る者達がいて、みんなを守るかのように前に出たかと思うと、いつものごとくに手際よく片付けた。
そして、
「ここは俺の賭場だ、よそもんに邪魔はさせん」
と、啖呵を切ったのがきっかけで、みんなが一目置くようになった。
以来、克を子ども扱いする奴は無くなり、たまに知らない奴がチョッカイをかけようとすると、克よりも早く他の者達が止めるようになったのだ。
そして、克が侯爵様の客人だと知れ、慕われるようにさえなっていった。
「今日はまた、物騒な物をお持ちで」
この賭場を仕切っている胴元が言うのも無理はない。
克が倒した相手は、ならず者はもとより傭兵たちも含まれていて、彼等は当然武装しているのだが、気にしたそぶりも見せずに倒してしまうのだ。
その克が剣を持ったらどういう事になるのか、想像もしたくないという所だろう。
「これか? こいつあ、神道加持池田鬼神丸ってやつよ。心配しなくても、味方に向ける刃は付いちゃいねえよ」
克は笑ってそう言うが、敵対すれば容赦しないという脅しにも聞こえる。
まあ、胴元を務めるほどになると、それすらも飲み込んで笑顔を見せるものだ。
「今日はサシといきてえ、受けてくれるか?」
そう言って銀貨を一枚出した。
「お受けしましょう」
サシとは一対一の勝負の事で、一発勝負で大金が動く。
今日まで負け続けの克だ、受けない手はないが、いやな予感がするのは長年の勘というやつだろう。
しかし、ここで受けなければ胴元としての信用を失いかねない。
大金がかかった大勝負に周りの注目も集まり、大勢がいるのに静かですらある。
数十人に囲まれた二人。
胴元が緊張の面持ちでサイを振る。
大勢の視線を集めてサイコロが舞う。
「よっしゃ―!」
克の雄叫びが上がった。
念願の初勝利、その瞬間だった。
がっくりと肩を落とす胴元。そうする事が負けた胴元の礼儀ではあるが、何しろ大金だ、半分は本気だろう。
そんな胴元に克が声をかけた。
「なあ胴元、ここにいるみんなに酒をごちそうしてチャラって事でどうだい?」
「銀貨だぞ、そんな事でいいのか?」
「久々の大勝負で気分がいい。俺の初勝利だ、祝ってくれや」
「まったく、こんな話は初めてだ。あんたには負けたよ」
胴元が折れ、話の成り行きをワクワクしながら見守っていた周りの者達から大きな歓声が上がった。