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日本人、小百合

 いつも冷静沈着なサユーリ様が、まるで少女のようにはしゃぎながら入ってきた。

 リリアとシェリーは一瞬固まったが、侯爵令嬢の教育は伊達じゃない。

「こちらです。はやく、はやく」

 すぐさま手招きを返したのだ。

 シェリーもすかさず椅子を引き、メイドのように後ろに控えた。

「シェリー、ありがとー」

 しかし、笑顔でお礼を言われてまたまた驚き、今度は引き攣った笑顔を返すのがやっとだった。

 克はうるさいのが増えたと蚊帳の外だが、何というかにぎやかだ。

 作るたびに、キャーキャー言うのはなぜだ?

 何が悲しくて、何種類もの酸っぱい水を作るのかが分からない。苦い水にいたっては言わずもがなだ。

 早々についていけなくなった克をよそに、紅茶を入れにきたメイドにティーカップをたくさん持ってくるように言いつけた。

 さすがに空中の水あめをパクパクは出来んだろうが、テーブルに所狭しと並んだティーカップ、これでも足らないのではないかという勢いだ。

「あー、もうだめー」

「わたしもですー」

 暫くすると、リリアとシェリーの魔力が付きかけようやく騒動は収まったが、克はふと思いついた。思いついてしまった、というべきか。

「俺の魔力って、あげられないのかな?」

 そう言ってしまい、そしてそれが出来てしまった。

「あーん、克君が私の中に入ってくるー」

「キャー、私も、克君が欲しいー」

 軽く手を触れるだけで出来てしまった魔力譲渡だが、どうしてこうまで興奮できるんだ? 女三人寄ればかしましというが、聞いている方が恥ずかしくなってくる。

 そして、再び騒動が始まった。

 サユーリは魔法が使えないのにいろんなことを知っていて、こんなのは出来ないか、あんなのはどうかと話を振ってくるのだ。

 それに応えるリリアとシェリーもすごいのだろうが、出来上がった水を顔に塗った時にはさすがの克も唖然とした。

 賢者と呼ばれる人はいるが、こんなににぎやかで非常識な人は見た事がない。

 もはや、窓の外を眺めながら時間を潰すしかない克だった。


「今日はこのくらいにしましょうか」

 どのくらいたったろうか、ようやく静かになった。

「概略は分かったから、詳しい検証はまた今度にしましょう」

 サユーリの言葉に、思わずこけそうになる克だった。

 ティーカップには文字や記号の書かれた紙がコヨリになってついている。更にいくつかをひとまとめとしてメイドに持って行かせた。

 捨てずに残しておくとはなんとも趣味の悪い話だが、女性陣の顔を見る限りそんな事は言えるはずもなかった。

「さてと、そろそろ本題に入りましょうか」

 今度のは強烈で、さすがの克も椅子からずり落ちてしまった。

 まったく、今迄はいったいなんだったのだ……。

 もはや何も言うまい。そうとも、何を聞いても驚くまい。


「克君も日本人よね?」

「日本人? ああ、バテレン人から見れば日本人になるのか、初めて気が付いたな」

「そういう事。私も日本人、北条小百合よ、会えてうれしいわ」

「そりゃどうも」

 サユーリ様が日本人だと聞いて、驚いたのは克ではなくリリアとシェリーの方だった。驚きながらも目で会話を交わす。

「魔導師様と同郷ということは……どういう事?」

「分かりませんがすごい事です」

「そうよね、すごいことよね」

「はい」

 とにもかくも興味津々、これからどうなるのか、かたずをのんで見守っている状態だ。


「中学校で習ったかどうか定かじゃないんだけど、四圃式濃栽って知ってる?」

「はあ?」

「やっぱり知らないか。同じ作物を植えると連作障害が起きるでしょう。小麦と大豆にジャガイモとクローバーでやってるんだけど、これでいいのかなって思ってさ」

「はあ」

 何を言っているのかチンプンカンプンの克だったが、サユーリはお構いなしに話を続けた。

「じゃあさ、社会科見学で、醤油工場とか行ったこと無いかな?」

「難しいことは分からんが、あのまずい醤油の事か?」

「やっぱりまずかった?」

「当たり前だ。まともな麹使って無いだろう」

「麹知ってるの?」

「まともな麹を使わないで醤油を作れる方が驚きだぞ」

「ここじゃ売ってないのよね」

「――売って、いるものなのか?」

「もしかして、作れる?」

「親分の命令で、醤油工場や味噌工場をいくつも建てたんだぞ、当たり前だろうが」

「教えて、お願い」

 両手を合わせて小首をかしげた。

「しゃーねーな。バテレンに稲はあるか?」

「ええ、ライズと呼ばれてて、ここは寒いから無理だけど、南の方にはあるわ。家畜のえさ扱いだけどね」

「なんとも、もったいねえ話だな。稲穂が実ったら小さくて黒い塊が出来る、それが米麹だ」

「じゃ、秋まで駄目ね」

「どのみち夏は駄目だ」

「どうして?」

「温度が高いと麹が死ぬ」

「ああ。もしかして、造酒屋は冬に仕込みをするのはそのため?」

「常識だぞ。お前本当に日本人か?」

「ぐっ、返す言葉もございません」

 克がサユーリ様と友達のように話すのにも驚いたが、なんと頭を下げた。

 リリアとシェリーは顔を見合わせたが、なんとか声は出さなかった。


「一つ聞きたいんだがいいか?」

「なに?」

「街でよ、せっかく燃え残った家を騎士達が壊してる。泣いてすがった老婆が切り殺された。浮浪者が皆殺しにされたって話も聞いた。どういう事か分かるか?」

 克はかなり怒っていたが、女のサユーリには関係のない話だと思っていたため、口調は軟らかい物になっていた。

「そうね」

 小百合は子供にどう説明すればいいのかと悩んでいるようだが、リリアとシェリーは気が気ではなかった。口調は軟らかいが、非難とも糾弾ともとれる内容だからだ。

「まず、ここは日本じゃない。それはいいわよね」

「ああ、バテレンの、カサシン王国だったっけ」

「そう、王国なの。でね、国民は貴族だけで、平民はその他の人なの」

「どういう意味だ?」

「うーん、家畜やペットと同じといった方が分かりやすいかな」

「何じゃそりゃ?」

「牛乳や肉を取るために飼われている牛や、ニワトリと変わらないの。税を納める人という動物なのよ」

「…………」

「だから、税を納められなければ殺す。邪魔をするから殺す。浮浪者など必要が無い物はいらないから殺す」

「むちゃくちゃだな」

「卵を産まなくなったニワトリをいつまでも飼う人はいないでしょう?」

「いや、だから、畜生と一緒にすんなよ」

「残念ながらそれが現実よ。カサシン王国だけじゃない、この世界の常識なのよ」

「じゃ」

 克がリリア達の方を見る。

「彼女たちは違うわよ」

 かたまった二人をかばうように即答する小百合だ。

「幼い時からカレンがいたから、そんな感情は無いの。だけど、この子たちは例外なのよ。たしかに、威張らない貴族もいるけど、平民を馬鹿にしないというだけで対等だとは思っていない。同じ人間だとは思っていないって事になるんだけど、ちょっと難しいかな?」

「切り捨てごめんてやつだな」

「よく知っているね?」

「まあな、実際に見たからな」

「ほんと? もう、いつの時代よ」

 冗談だと思い、笑いながら答えた小百合だった。

「慶応二年かな」

「へ?」

 よほど予想外の答えだったのだろう。すぐには反応が出来ない小百合だった。

「三年だったかな。いや、二年だったよな」

 克はどっちだったかなと、首をひねっていた。

「あ、あの、克君は、もしかして、江戸時代の人?」

「江戸は江戸だろう、時代なんかつけないぞ」

「そっか、そうだよね」

 小百合はマジマジと克を見ながら『江戸時代の少年がいた』、とつぶやいた。

「どうかしたか?」

 急に黙り込んだ小百合を不思議そうに見やる克だ。

「いや。えっとね、将軍様の名前は分かるかな?」

「将軍様は将軍様だろう、名前なんかない」

「そ、そだよね」

 駄目だ、子供には難しすぎる質問だ。

「天保とか享保という年代なんかも知らないわよね。飢饉があった年なんだけど」

「知らん。昔の年代みたいだが、飢饉なんてしょっちゅうあるぞ」

「そっか。じゃ、黒船が来たとか聞いたこと無いかな? 外国の船なんだけど」

「外国? ああ、メリケンの船が難破した漁師を助けてくれたって話は聞いた事があるな」

「はーっ、こっちが知らないわ。じゃね、薩摩藩とか長州藩とかで誰か知らない?」

「勝海舟」

 即答だった。

「勝海舟知ってるの?」

「同じ克だ。月とすっぽん、勿論俺が月の方だけどな」

「そ、そう。でもやっと分かった、幕末ね」

 なんとも歯切れの悪い小百合だったが、時代が分かってホッとした。

「随分熱心だけど、それってなんか意味があるのか?」

「いや、意味って言うか、ほら、あれよ、幕府が無くなって、明治になるのよ」

「ふーん」

「ふーんて、これって大変な事よ」

「そうかな。明日釜の蓋が開くんなら、お偉いさんがどうなろうと構わんと思うけどな」

「…………」

 釜の蓋が開くとは古風な言い回しだが、ご飯を炊く窯が明日も開く。つまり、飢える心配がないならば支配者が変わろうが関係ないという事で、確かにそのとおりだった。

 もっとも、幕府が無くなると言われても信じてはいないだろうし、本当だとしてもどうなる物でもないと思っているのだろう。

「そ、そうだ。燃え残った家を壊しているのは、大火のない街をつくる為なのよ」

「どういう意味だ?」

「道幅を広げる事で延焼を防げるし、中央に運河を通して防火用水が確保できるの」

「ふーん」

 なんとか違う話題にしてみたが、あまりいい反応は見せない。理屈は分かっても納得しかねるといったところだろうか。

「区画ごとに自衛の消防団も作る予定なの」

「町火消か?」

「そうそう。初期消火でほとんどの火事には対処できるし、騎士を火元だけに集中投下できるのよ」

「なるほどな」

 うーん。会話にはなっているがあまり興味がない感じだ。

 もっと別の話題に変えよう。

「この町の最大の問題は凍死と飢餓なの」

「凍死?」

「そう。冬は雪で閉ざされる。蓄えた食料や薪が切れれば終わり。だから運河で物流を確保するの」

「なるほどな。船に乗せて馬で運ぶか」

「……そ……そ」

「そ?」

「それだー!」

 突然小百合が大きな声を上げた。

「どれだ?」

 リリアとシェリーはぱちくりとしたが、克は何のことかと小首をかしげた。

「馬よ、馬で船を引けばいいのよ。イギリス式よ。何で気が付かなかったんだろう。有難う克君」

「お、おう」

 小百合は一人はしゃいでいるが、誰もついていけない事に気が付き、ゴホンと咳払いをすると説明を始めた。

「えっと、説明するとね。イギリスで石炭を運ぶのに沢山の運河が出来て、馬で引いたって話があるのよ。ここでは町の人口を十万人にする予定なの。排泄物を運河に流して衛生面を確保すると、どうしても流れが欲しいでしょう? でもそうなると下りはいいけど上りが大変になる。だから困っていたというわけ」

「ふーん。難しい話は良く分からんが、排泄物って畑に撒けばいいだろうに。汲み取りを商売でやっている奴もいるぞ」

「それは駄目。人間の排泄物を肥料にすると回虫がわくの」

「回虫?」

「そう。腸の中に虫がわいて、栄養を取っちゃうの。便の中に紐みたいなものを見たこと無いかな?」

「あ、ある」

「それよ。虫下しの海人草があればいいんだけど、あれって南の海にしかいないのよ。だけど、王都にならあると思うし、商人に聞いておくわね」

「俺、どうなっちゃうんだ?」

「大丈夫、命に別状はないから」

「そ、そうか。よかった」

 ホッと胸をなでおろす克だった。

「そうだ。江戸って何人くらい人がいるのか知ってる?」

「百五十万か二百万位だと思うが、よく知らん」

「ええ、そんなにいるの?」

「いや、よく知らんて言ってるだろ」

「でも、百万は越えているんだよね?」

「ああ、大阪だって超えているって言ってたから、間違いないと思うぞ」

「やったー。じゃ、ここも百万人目指す」

「は?」

 またまた小百合の独壇場だった。

 十万人というのは王都に匹敵する。ただあきれる克は別としても、リリアとシェリーにとってはその十倍の人口等想像すらできない数だった。

「自然の浄化作用がどのくらいあるのか知りたかったのよ。石鹸やビニールなんかが無いからかなり行けると思ってはいたけど、これなら下流域に農園がよさそうね。栄養たっぷりの水を利用しない手はないわ。そうだ、養殖場を作って冬場のたんぱく質確保もいいか」

 もはや、だれもついていけなくなっていた。


「サユーリ様、私達はそろそろ」

「ああごめんなさい、引き止めちゃって」

 小百合が思考の海に沈み、場に奇妙な沈黙が流れると、リリアが言葉を挟んだ。

 ここにいるのが場違いな感じがするし、興味本位で聞いていい話では無いと思ったのだろう。

「とんでもございません、楽しゅうございました」

「そう、またよぶからね」

「はい、喜んで」

 スカートの裾をつかみ優雅に会釈を見せたリリアと、右の拳を左胸に当てたシェリーが退出したが、入れ違いにメイドが入ってきた。

「サンデリー様がおこしにございます」

「すぐにお通しして」

「かしこまりました」

 廊下でリリアとあいさつを交わしているのだろう。暫くの間があってサンデリーが入ってきたが、逃げ遅れた克がまだ残っていた。

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