魔法は簡単
南の城の牢獄は地下にある。
階段を下りると城兵の詰め所があり、横手の鉄格子を抜けると陰湿な廊下が伸びている。
入り口の光だけなので奥まではよく分からないが、廊下の右手に牢屋が並び、一番手前がいくらか明るく大きかった。
「とっとと歩け」
「はいはい。おかみにゃ、逆らいませんて」
克はそんな減らず口を叩きながら階段を下りていく。
ここの牢番は二人だ。
引き渡されると、詰め所横の鉄格子をくぐり、廊下に漂う臭いに眉をひそめていると一番手前の牢屋に入れられた。
牢屋の鉄格子にカギがかけられ、詰め所との境にも鍵がかけられたが、二つの音を背中で聞きながら牢屋の住人達に驚いていた。
多くの子供達が、子供ばかりが奥の壁にくっつくようにうずくまっている。
チラリとこちらを見た子もいたが、うつむいてしまった。
「ガキばっかり、どうなってんだ?」
独り言にビクンと体を震わせる。おびえているようだ。
「水あめやろうか? 甘いぞ」
近づいてしゃがみ込むが、かたくなに膝を抱えて顔を伏せたり、頭を抱えてうずくまったりするだけだ。
「しゃーない、自分で食うか。うーん甘い、うまい、こりゃいける」
言葉で誘ってみるが、興味を示さないどころか反応すらしない。
泥だらけなのは城門にいた子供たちと同じだが、その体は痩せていた。
ガリガリと言った方がふさわしいほど栄養が足りていないのだ。
ため息をついた克は端の子供に近づくと、無造作に髪をつかみあげた。
「いっ……」
痛いとも言わないその口が少し空いたすきに水あめを放り込んだ。
少年は、髪をつかまれた痛さと怖さと水あめの甘さ、それらの複雑な表情を顔いっぱいに表しながら克を見やった。
克はニヤリとしながらそれを全員に繰り返した。
「欲しくなったら、いつでもいいな」
そう言いながら入り口の方に移動したが、こちらの方をうかがい見る子供がちらほらいるだけで、状況に変化はなかった。
「こりゃ、時間がかかりそうだな」
そう言いながら座り込むと、鉄格子に背を預けた。
「それにしてもまた牢屋かよ。あーあ、親分に叱られる。まいったな」
克にとっては牢屋に入れられることよりも、親分に叱られる事の方がこたえるらしい。
「酒を飲むな~と~♪ にらんで~叱~る♪ 伊三郎親~分~♪ 怖~い~ひと~♪ 怖いその~ひと~♪ また~懐~かし♪」
「静かにしないか!」
「へーい」
ぼんやりと座っていて、なんとなく口ずさんだだけだったが、牢番に叱られてしまった。
「その声は、もしかすると克か?」
うん?と後ろを見るが廊下には誰もいない。隣からのようだ。
「その声は、もしかすると。……だれだ?」
隣からドンという音が聞こえた。
「カレンだ、克だな?」
「あねさんか、こんな所で何やってんだ?」
「それはこっちのセリフだ。何をやらかした?」
「いやー、まあ色々? それより、あねさんが牢に入れられるような性悪女だったとは知らんかったな」
「誰が性悪だ! これは大人の事情というやつだ」
「ふーん。じゃ、俺も子供の事情だ」
何とものんきな克だが、牢屋に入れられているという意味が分かっていないのか、慣れているようにさえ思えてしまう。
「ふざけている場合か。侯爵様が御怒りになるぞ」
「何であの親分さん、じゃない殿様が怒るんだ?」
「お前にじゃない。お前を捉えた者、ここの牢番もただじゃすまないぞ」
「ますます分からん。どうしてそうなる?」
「お前は侯爵様の客人だ。その客人を牢に入れたり出来るものか」
「ふーん」
なんか納得できないといった顔の克だったが、牢番の一人が足早に階段を上っていき、その音を聞いたカレンがニヤリとした。
「客人らしく威厳を持って対応しないと、侯爵様が恥をかく事になるんだぞ」
「んなこと言われてもな」
「不本意かもしれんが、それが現実だ」
「へいへい」
いいかげんな返事だが、これ以上言っても無駄な事はカレンも承知していた。
「そんな事より、何でこんなに大勢の子供が牢屋に入れられてんだ?」
「ああ、その子たちは浮浪者だ」
「それって、まさかとは思うが、浮浪者だと牢に入れられるのか?」
「そうじゃない。むしろ助けているんだ」
「あねさんの話は難しいぞ」
困ったような、咎めるような視線を鉄格子に向けるが、当然のことながら隣にいるカレンは見えない。
「浮浪者が騒ぎを起こし、火まで付けたのだ。ほとんどの浮浪者は殺されたとみていい。ここにいない子供達がいたとしても、生きている保証はない」
「そんな馬鹿な事があるのか? 全員が火をつけたわけではあるまいに、悪いのは火をつけたやつだろ」
「日本じゃ、放火は罪にならんのか?」
「なるよ。火つけは大罪だから、おそらく火あぶりだ。だがな、犯人と思われる者だけを捕まえて、その後、吟味があって沙汰が下りてからの話だ」
「いい国じゃないか」
「……ったく、なんとかならんのか?」
「おそらくサユーリ様が何とかしようとなさったのだろうが、ここに子供達をかくまうのが精いっぱいだったのだろうよ」
「だれだっけ?そのサユーリ」
「サンデリー様の奥様だ。言ったろ」
「ああ、息子の嫁な。そいつに話をすりゃあ、ちっとはましになるんか?」
「そのお方と言え。この子らだって、ほとぼりが冷めたらサユーリ様の農園で働くことになるだろうし、そうなれば食いっぱぐれる事も無いだろうよ」
「農園って、味噌や醤油を作っているとこだな」
「何かそんな物も作ってたな。ともかくしばらくはこのままの方が安全だ」
「そっか」
牢屋が安全とはなと、やりきれない思いで子供達の方を見たが相変わらずだ。
あきらめ顔でため息をつくと陰湿な牢獄に重い沈黙が流れた。
「日本に帰りたくなったか?」
「うん?」
沈黙を破ったのはカレンの静かな声だった。
「日本の歌だろ? さっきのは」
「まあな。だけどここに……そうだ。魔法で火を消したよな?」
「ああ」
「俺、リリアお嬢様に、ちっとは恩を返せたかな?」
「まったく、お前はどれだけ活躍したのか自覚がないのか?」
「だって、雨降らせただけだぞ」
「その雨が火を消したんだ。領民一万人が家を失うとこだった、恩なんか何十倍にもして返したと思うぞ」
「そっか、ならいいや」
どうも、自分の功績には関心がないというか、恩を返せたかどうかの方が重要らしい。
「ところで、大きな港は何処にあるんだ?」
「港? ああ、清水港から来たんだったな。そうだな、南の王都が一番大きいが遠い。次に大きいのはゲノムだが、これは東にあるな」
「ゲノムか、とりあえずそこだな」
「行くならちょうどいい。リリア様も独り立ちしたし、私もゲノムに行こうと思っていたところだ」
「そりゃ助かる。どうもバテレンの暮らしはよく分からん。あねさんがいてくれりゃ心強いってもんだ」
「これも何かの縁というやつだろう。まあ、ここから出ることが先決だがな」
「ちげえねえ」
のんきに話す二人の耳に、あわただしく駆け下りてくる複数の足音が聞こえてきた。
克を救出しようとする者がもう一人いた、ガレントだ。
子供達が騒いでいてもいびきをかいていたが、剣呑な雰囲気で目を覚ました。
さすがは元傭兵といったところだが、なんかあったんかとのんびり立ち上がった。
子供達が池の魚を捕ったらしいと聞いても、ふーんと言いながら歩いてゆく克の背を見ていたくらいだ。
だが、克が兵士に捕まったところでカッと目を見開いた。
装備から見て城兵だ。サンデリー様の兵士なら顔見知りも多いが、城兵に知り合いはいない。助けに行こうと踏み出した足を一歩で止めて踵を返した。
城門を駆け抜けた。今日は走ってばっかりだなと愚痴りながらも防護壁の門を抜けた。目指したのはリリア魔法騎士隊、外にいない事を見てとると、奥内訓練所に飛び込んだ。
瞬間、稽古が止み、全員がこちらを見て武器を構え直す。
いつ魔物が飛び込んできても不思議はない。それが防護壁の北側だ。
「稽古中に失礼する。リリア様にお目通りねがいたい」
「リリア様は御不在です。ご用件をお伺いします」
シェリーが皆をかばうように前に出てきた。
ちょっと迷ったガレントだったが、この子たちが克を救い出したのだと思いだし、話す事にした。
克が城兵に捕まった事、その原因が池の魚を捕った事などを話すと、シェリーはあきれ顔を見せながらも引き受けたが、お願いという条件を付けた。
稽古相手になってほしいというのだ。
魔力は有限であるがゆえに剣術も磨く必要がある。
普段は騎士達に正式な剣を教わっているが、所詮は子供だ。我流とはいえ、傭兵として生き抜いてきたガレントの敵ではない。
槍代わりの長い棒一本で全員を倒す事も可能だろう。
そのガレントに対して、わずか三人で囲み連携を駆使して打ち込む稽古だ。
これは魔物を倒す為の稽古だと察したガレントは、面白い事を考える物だと、嬉々として魔物役を引き受けたのだった。
シェリーはすぐさま南の城に向かい、今度は城の門番に入城の伺いを立てた。
顔を知っている城兵が確認に来て、それから城兵隊長の許可を得、リリア様のお許しが出て、ようやく入場という徹底ぶりだ。
何度も来ているおかげか、門番がシェリーの顔を知っていた為にわりと早かった。
リリア様の部屋に通されて用件を伝えると、今度はリリア様からサンデリー様に面会の申し入れとなる。
だが、お休み中とのことで、緊急でなければサユーリ様がお会いして下さるとの返事だった。
魔法大好きのサユーリ様とは何度もお会いしているので二人で訪れた。
部屋に通され、リリア様が座りシェリーがその後ろに立つと、メイドが紅茶を運んでくる。
時を移さずして、隣の部屋からサユーリ様が来られた。
「まあまあ、お二人して嬉しいわね。どうかなさいましたか?」
世間話がないのは忙しいという事を表現しているが、急ぐのはこちらも同じなのでありがたい。
さっそくリリア様が用件を伝えると、今克を呼びにやったところだと言うのだ。
肩すかしを食った形だが、何はともあれよかったと退出しようとすると、面白い物が見られるからと引き留められた。
それまでにあっちを片付けるからと、隣の部屋に消えたが、チラリと見えた隣の部屋には執事にメイド長、農園長に城兵隊長もいた。
この非常時だ、サンデリー様の知恵袋が本領を発揮しているのだろう。
ほどなくして克がやってきた。
「こりゃ、リリアお嬢様。お嬢様が助けて下さったんですか?」
「いいえ、サユーリ様ですわ。おかけになって」
「はっ、失礼しやす」
克が座るとメイドが紅茶を運んでくる。
「これがバテレンの茶か」
そう言いながら一口飲んで、二度と口を付けなかったから、口に合わなかったようだ。
「あの雨の魔法はすごかったわ。あれで火が消えたようなものですから、領民に成り代わってお礼を言わせていただきますわ」
「よしてくだせえ。こっちは、命を助けてもらった恩返し、ちっとでも返せたんならそれでいいですよ」
「十分すぎますわ。さすがは魔導師様です。ねえ」
そう言いながらシェリーに顔を向けた。
「はい。単なる戦の道具ではなく、役立つ魔法の有り方をお示しくださったのだと思っております」
「よせやい、大げさすぎるぞ。もっと気楽に考えたらどうだ」
「気楽にと言いますと?」
「たとえば、そうだな。お嬢様は甘い物はお好きですか?」
「ええ、好きです」
「じゃ、魔法で甘い物を出しますから、口を開けていただけやすか?」
「こう?」
リリアが小さな口を開け、そこに水あめを放り込んだ。
シェリーが止める間もなかった。
「あまーい! 何これ、すっごーく甘いよ」
食べさせてもらうこと自体に抵抗がないリリアが大きな声を上げた。
「リリア様、何でもお口に入れられては困ります」
「何言ってるの、シェリーも食べてみなさい。あ、ごめんなさい、お願いできますか?」
「ええ、お安い御用で」
「ほら、口を開けて。開けなさい」
戸惑いながらも口の開いたシェリーにも水あめが放り込まれた。
「なっ、これは……あまい」
「でしょう?」
「はい。こんな甘いものは食べた事がございません。いったい?」
「ははは、甘いだろ? これは水あめってんだ。子供達にも大人気だったぞ」
「みずあめ、ですか」
「リリア様、この大きさなら、私達にも作れるのではありませんか?」
「シェリー、貴方の事をますます好きになったわ。魔導師様、ぜひご教授を」
「いいよ。まずは水を入れる桶が欲しいな。食堂の床は土だったが、ここを水浸しには出来んからな」
「はい、直ちに」
克の二つ返事にシェリーが飛び出していった。
リリアは優雅に紅茶を一口含むと、おもむろに口を開いた。
「魔導師様は、珍しい黒目黒髪ですよね」
「ああ、バテレンじゃ珍しいか」
「はい。ですが、サユーリ様も黒目黒髪なんですよ」
「ふーん、そうなんだ」
それがどうしたと言わんばかりだ。
「魔導師様は膨大な魔力をお持ちですし、サユーリ様は卓越した知恵をお持ちなのです」
「それで?」
「何か関係があるのではないかと」
「なるほどな。だが、俺には偶然としか思えねえから、その知恵者に聞いてみるといいかもな」
「そうですね。せんないことをお聞きしました」
「いや、そういう疑問を持つのは大事だと思うぞ。多分だが」
「はい、ありがとうございます」
するとシェリーが戻ってきた。
ずいぶん早いが、通りがかったメイドがいたので桶を頼んだら、持って行くからと言われたそうだ。
自分が行くといったら、叱られますからとことわられたという。
「じゃ、やり方を説明しておこうか」
シェリーも戻ってきたことだしと、切り出した。
「渡世人は旅をする事が多いんで、水の確保は大事なんだ。でな、薪の火を消す水じゃ飲めないから、こう水の玉を出すことにしたわけだ」
そう言いながら小さな水の玉を空中に浮かせて見せ、それをパクッと口に入れた。
これだけでも二人は目を真ん丸にして驚いたが、さっきの水飴の事もある。なんとか納得した。
「だが、これじゃ生ぬるいんで冷たい水を作った」
そう言いながらシェリーの口元に小さな水玉を浮かべた。
「つ、冷たいです」
今度は戸惑うこと無く口に含んでそう告げた。
「そこではたと思ったのは、冷たいのが出来るんなら、甘い物も出来るんじゃないかという事でな」
今度はリリアの口元だ。
「甘い。でも、さっきの方がずっと甘かった」
「そう。最後にたどり着いたのがあの水飴だったという事だ」
ここで言葉を切った克は、二人が考えるのを待った。
実際適当にやったらできた感じなので、これ以上の説明が出来ないという事もあったようだ。
「とにかく、魔導師様と同じ順序でやって見ましょうか」
リリアがそう言ったタイミングで桶が来た。
魔法に関しては二人の方が詳しい。ああでもないこうでもないと言いながら桶に水を満たしてゆく。
克は桶のお代わりを頼んだだけでそれを見守っていたが、二つ目のおけがいっぱいになる頃水飴が完成した。
「できたー。シェリー、食べて、食べて」
「甘いです。とっても甘いです」
リリアが先に完成させた。
「はい、こっちも出来ました」
「ちょうだい」
「はい」
「あまい、あまい、あまーい」
続いてシェリーも出来上がり、大はしゃぎの二人だ。
「なになに? 楽しそうね、私も混ぜて」
隣の部屋からさゆーり様が現れたのだが、その口調は威厳のかけらもない普通の少女の口調だった。




