火事、その後
最も早く目覚めたのはリリアだろう。
ひと眠りするかしないかの時間だったが、ぼんやりとした頭で首を横に向けると懐かしいメイドがほほえんでいた。子供の頃、夜に目が覚めるといつもいてくれたメイドだ。今夜は特別に選ばれてきたのだろう。
布でくるんだ小さなものを近づけてくる。それをパクリとほおばり、押しつぶすと甘い水が染み出てくる。
「皆様怪我も無くお休みになられておりますし、火災もほぼ鎮火と伺っております」
吐き出した物をつまみ取りながらささやいてくる。
それを聞いたリリアはかすかに微笑むと、差し出されたお代わりをする事も無く、再び安らかな寝息をたてた。
深夜に目覚めたのはアウローラだ。
ずぶ濡れのままギルドの片隅に寝かされ、自分のくしゃみで起きる羽目になっていた。
気を失っているとはいえ、マギのメンバーにチョッカイを出す命知らずはいなかったし、助けてやろうとする親切な者もいなかった。
いまだに魔力を持つ者は人のなりをした魔物だと思われ、畏れられているという事だろう。
アウローラは仲間をおこし、冷えた体を温めるべく宿に向かった。
屋根までは見えないが宿の中は無事で、部屋で着替えを済ますと食堂に下りてきた。ただ、当然のごとく宿屋の主は不在で、厨房から勝手にワインを取り出し祝杯だ。料金は後払いだが、店ごと買える褒美が出ることだろう。
シェリーが目覚めたのはトイレに行く為だ。
二段ベッドが並ぶ宿舎で適当に寝かされたために自分のベッドではなかった。戻ってきて自分のベッドに寝ている同僚を起こして入れ替わると、その子もまたトイレに行って入れ替わり、またその子も。
魔法騎士隊はいつも通りの夜を迎えていた。
明け方近く、空が白み始めた頃に目覚めたのはカレンだ。
即座に緊張し、周りに危険がないかを確かめるのは、目が覚めたら魔物がいたというおぞましい経験があったからだ。
軽く体をほぐしながら部屋を出ると、寒い。春とはいえ明け方は冷え込むようだ。
ところどころにある篝火を頼りに防護壁に上がる。街には騎士の持つ無数の松明はうごめいていたが、火災らしい炎は見えなかった。
防護壁の上の騎士達も、今はギジナール山脈の方を向いている。
建物は領主の城を中心にかたまっているが、左手に明るい建物がある。克がいるのだろう、ちょうど守備隊の宿舎あたりだ。
遠く離れた場所にはみはり塔があり、等間隔に設置され半円を描いている。
馬二頭とともに二人の兵士がいて、魔物が来て馬が騒げば篝火をたく。その光を防護壁の上の騎士達が見るという仕組みだ。
この見張り塔がガレントたち平民兵の職場だが、幸いにも篝火は見えない。
北の城に向かうと、門番が二人門の両脇に立っている。それが本来の姿なのだが、こう寒い時は篝火の傍にいたはず。顔見知りの騎士だったので近寄った。
「侯爵様にご報告に来たのですが、何かございましたか?」
「両隣の領主様が来られている。側近もかなりの数だ。後にした方がいい」
「ありがとうございます」
カレンの身分は平民だ。領主たちにとってカレンは、侯爵様に取り入って好き勝手をしている女狐に過ぎない。君子危うきに近寄らず、外で待つ事にする。
一旦部屋に帰って幅広の布を三枚に裂き、再び戻る。
新しい薪を篝火の上に水平に置き、その上にてごろな石を並べる。熱くなったら取り出し、布で包む。
顔見知りの騎士に二つ渡すのは、下級とはいえ貴族様は平民からの施しを嫌がるからだ。同僚からだと問題ないらしい。
面倒でもこうやって親しくなっていくしかないのだが、10年前は入れてももらえなかったのだから格段の進歩といえるだろう。しかし、こういう事をしているからアウローラに嫌われる。
苦笑いを浮かべたカレンもあったかい石で暖を取りながら脇に控えて待った。
「何の報告だ?」
「リリア魔法騎士隊の活躍、一部始終です」
「それはお喜びになられるだろう」
「ありがとうございます」
暇だから話しかけてきたのだろうが、それが分かったところでどうする事も出来ない。
彼等とて、どれほど寒くとも持ち場から離れられないほどに、デスリーテンと呼ばれる領主様は怖いのだ。
「あの雨も、魔法か?」
「詳しくお話しできないのが残念です」
「そっか」
微妙な問題なのでうまくかわした。
克の力をどこまで知らせるのかは侯爵様が決める事で、偶然に雨が降ったとされる可能性さえあるのだから、うかつな事は言えないのだ。
ポツリポツリと世間話をしながら、カレンは別の事を考えていた。
リリア様が独り立ちをした今、自分の役目は終わった。このまま居座っても窮屈な思いをするだけなのは明らかだ。何事も引き際が難しいのだが、今回の事はよいきっかけになるかもしれない。問題はどう切り出すかだと、長い時間を考えに費やしていた。
やがて、騎士達がぞろぞろと出てきた。
カレンはさらに後ろに下がり、右拳を左胸に当て、膝をついて首を垂れた。光の魔石で照らされた室内から出てきたばかりで、陰に隠れるようにしていたカレンに気が付く者は無かったが、気が付いたとしても話しかけてはこないだろう。
足跡が遠ざかってから顔を上げ、門番がうなずくのを見てようやく城に入る。
長い廊下を進むと、普段とは違って等間隔に兵士の姿がある。当然、侯爵様の扉の前にもいる。右手を左胸に当てながらご報告に来たと告げ、確認を取ってもらうまで待つ。
ようやく部屋に入ると、左顔面を腫らしたサンデリー様が座っておられた。何があったのか、詮索は無用というものだろう。
二人の後ろには警備の兵が二人。横には普段は部隊の指揮をとっている副官までいる。もっとも、これが本来の侯爵執務室の姿なのだ。
「リリア魔法騎士隊の活躍をご報告に参りました」
「うむ」
今日は正式に報告しなければならないようだ。
一の滝で火災を見たあたりから、私見を挟まず事実のみを淡々と話す。
これが結構難しいのだが、一通りの説明を終えると以外にもサンデリー様から質問が来た。
「その克という少年意外に、雨の魔法は使えぬのだな?」
「正確に申し上げれば、一時的に、なおかつ狭い範囲であれば可能でございます」
「具体的には?」
「この部屋に通り雨を降らせることなら可能かと」
「干ばつの時に、畑に降らすのは無理か?」
「克殿の様に、ドラゴンクラスの魔力が無くてはかなわぬものでございます」
「ふむ」
魔法のあたらしい使い道を考えておられるとは、さすがはサンデリー様だ。
感心していると、侯爵様が口を開いた。
「水を降らせることが出来るなら、炎を降らせることも可能か?」
「それは……可能かと」
「ふむ」
カレンはドキリとした。魔法を武器の一つと考えるなら、これほど威力のある武器は無いだろう。
魔物のほとんどは炎に弱いから大軍が下りてきても倒せるだろうし、戦争などという事になればなおさらだ。
だが、克の心はここには無い。
火事の時の対応を見ても分かるように、彼にとってここは旅先に過ぎない。
清水港という所に帰ろうとするだろうし、それを止めようとすればどういう事になるのか見当もつかない。
「侯爵様、三つほど申し上げたい事がございますが、よろしゅうございますか?」
「うむ」
まずはと切り出し、これまでの克の言葉を引用して、貴族と間違われることが嫌な事、出世を望まぬことなどを告げた。そして、その心が清水港の親分にある事をそれとなく追加した。
「貴族のふりをして威張りたいというのなら分かるが、逆とはな」
サンデリー様から言葉が返ってきた。
次に、魔力の問題だ。
魔力を持つ者が感情的になった時、魔力をそのまま放ってしまう。厄介なのは制御できない事だ。
それに、普通の者ならば痛い程度で済むが、克ほどの魔力だとそうはいかない。
「ちなみに、どれくらいの威力があると思うか?」
とは、サンデリー様だ。
「ドラゴンに匹敵する魔力を考えますと、ブレス程度かと」
「ばかな。ドラゴンのブレスならベノムの街が消えるぞ」
「……」
そう言われても返事の仕様がないのだ。
「極め付きの危険人物だな」
「御意」
かろうじて返事を返した。
味方に付けたいが、それが出来ないなら殺してしまえ。そうならない事を願うばかりだ。
「で、三つ目は?」
侯爵様だ。
「はっ、リリア様の此度の采配はお見事でございました。私のお役目も終わりかと存じます」
「やめてどうする? あてがあるのか?」
「ゲノムに行こうかと思っております」
「港町か」
「はい。海が見える丘に家でも建てようかと」
「ふむ、考えておこう」
「ありがとうございます」
克が清水港に帰るなら海を目指すはずで、暗にそこまで送り届けると伝えた。
後は侯爵様の胸一つだ。
言うべきことを伝え、話が終われば立ち去るのみ。
早々に部屋を辞し、門番とあいさつを交わしていると女性が一人いた。服装からすると南の城のメイドだ。
珍しい事もあるもんだと思っていると、サユーリ様がお呼びだという。
誰から情報収集するべきかを的確につかんでおられるとは、さすがはサンデリーの知恵袋と呼ばれるだけはある。拒否権はないようだと、ため息をつきつつ付いて行った。
豪華な客間で上等の紅茶は出たが、予想にたがわず、リリア様が克を連れてくるところから説明する羽目になった。
時折、「転生、いや、転移か」とか、「チートね」とか、意味不明な言葉を挟まれたが、驚いたのは魔法で雨を降らせたことについてだ。
「魔力の無駄使いね。おかげで街は泥だらけよ」
まさか、そんな言葉が返って来るとは予想もしていなかったのだ。
「あの、どういう意味か、お聞きしてもよろしゅうございますか?」
質問をするなど礼儀にかなっているとはいえないが、ゆるしてもらおう。
「バリアを張ればよかったって事」
「バリア、でございますか?」
「そうよ、見えない壁で街を覆ってしまうのよ。それだけで火は消えるわ」
「多くの騎士も、炎とともに閉じ込められると思いますが?」
「あれだけの炎よ、すぐに酸欠になって十も数えないうちに消えるわ。くすぶっている所まで全て、ね。多少は苦しいかもしれないけど、それだけよ」
「……」
サユーリ様は魔法が使えないはずだ。現に、魔晄は見えない。
「でも変ね。日本人なら分かりそうなものなのに。本当に日本人なの?」
「はあ、確かに日本から来たと」
「そう。これは直接会ってみるしかないわね」
「分かりました。すぐに呼んでまいります」
「いいわ、あなたには別にしてもらう事があるから」
「はい。何をすればよろしゅうございますか?」
「牢に入ってちょうだい」
魔物の監視要員である平民兵を除き、ほとんどの騎士は街で後片付けだが、二度と火災を起こさぬ街にする為に区画整理が行われていた。
城門から南に向かう大通りを中心に、東西南北それぞれ五本の道が作られ、その中に家を建てるという。だが、道幅が馬車二十台分で、中央に運河を設けるというとんでもない物だ。
問題は道を先に作るという事で、邪魔な家は壊されていく。
街の規模は四倍になるというが、せっかく燃え残った家も容赦はない。
もともと貴族が平民に遠慮をするはずもなく、火災復興で家を建てる為に来たはずの領主の兵達も嬉々として打ち壊している状態だ。
ほとんどの領民はいないが、泣いて騎士達にすがる姿もあちこちで見られていたが、これほどの混乱をよそに、克とガレントはやはり食堂だ。
ガレントは自分のベッドに克を寝かせたので、同僚と夜間監視を交代して朝方帰ってきた。
夜間監視とはいっても、平民なら厩の藁のベッドで寝られ、馬が騒げば嫌でも起きるというわけだ。貴族だとこうはいかない。
朝食を取ってから昼食の今となるまで魔法の研究をしていた。
「これでどうだ、ポヨン」
小さな水の玉が浮かんだ。
「おおこの大きさならユノさんでも食べられそうだ。うん、冷たいし、いい感じだ」
そいつをパクリと食べたガレントだが、大きさや温度まで変えた研究の成果だ。そして、思い出したように続けた。
「そう言えば、女の子は甘い物が好きだぞ」
「甘くか……うーん。よし、これでどうだ。ポヨヨン」
「おお、これは甘いぞ。これならいける、間違いない」
「よっしゃ―」
女の子の気を引く為ならどんな苦労もいとわない。それが男の子というものだ。
それでも、二人が向かった先はマーナのところであって、断じてユナの所ではないのである。
「こんにちはー」
「こんにちは、マーナちゃん」
克たちを見つけて走ってきたが、ここではユナから遠い。みんなの方へ歩きながら会話をする。
「あのね、マーナね、お兄ちゃんの名前聞くの忘れたの。名前教えて」
「そりゃ、名乗らなかった俺が悪いな、克ってんだ。昨日は遊んでくれてありがとうな」
「マーナも楽しかったからいいよ。克にいちゃん」
「こっちはガレントって言うんだ」
「こんにちは、ガレントおじちゃん」
「お、おじちゃん……」
ガレントがショックを受け、挨拶を忘れた。
「ははは、まだ結婚してないからお兄ちゃんと呼んでやってくれ」
「難しい男心というやつね」
「ははは、そんなところだ」
「こんにちは、ガレントおにいちゃん」
「こ、こんにちは」
何とか挨拶を返したガレントだが、ユノがクスリと笑ったのだけは見逃さなかった。
すばやく克を引き寄せ、ユノが聞いている事を耳打ちする。チャンスだ、と。
「昨日、火事があったけど大丈夫だった?」
「火事があったの?」
「ああ、俺達もがんばって魔法で消したんだ」
「魔法で火事を消したの? 克にいちゃんすごい」
「いやいや、マーナちゃんが魔法を教えてくれたからだよ。気を失ってさ、このガレント兄さんに運ばれたんだ」
「ガレントおにいちゃん強そうだもんね」
「ああ、すごい力だぞ」
ユナさん聞いているかな、聞いているよな、いい調子だよなと、克とガレントは目と目で会話を交わしていた。
「実はさ、美味しい魔法を考えたんだ」
「おいしい魔法? どんなの?」
「へへへ、これだ。ポヨヨン」
マーナの目の前に小さな水の塊が浮いている。
目を真ん丸にして驚くマーナちゃんはかわいいが、ユノさんが見ている方が重要だ。
「食ってみ」
ウンとうなずき、ちょっと匂いを嗅いでからパクリとかぶりついた。
「あ、あまーひ」
「ははは、美味しいだろう」
「うん、おいしい」
水あめのようになった為に口調がおかしくなったが、飲み込んで満面の笑顔だ。
作戦ではここでユノさんが来るはずだったが、よって来たのは子供達で、なんだなんだと大騒ぎだ。
おまけにマーナちゃんが美味しい魔法を自慢するもんだから、結局みんなに御馳走する羽目になった。
せがまれるままに水あめを作り続け、こりゃ作戦失敗かと思った時にユノさんが来た。
一人一個ですよと、食べた子は魔法の練習ですよと。たったそれだけで子供達が移動してゆく。
大したもんだと感心している場合ではない。
「おひとついかがですか?」
ここが勝負どころだ。勇気を振り絞ってポヨヨンだ。
「い、いえ、私は」
「美味しいですよ、遠慮は無用です」
遠慮するユノさんにカッコ良いセリフをぶつける。
「いえ、本当に。それより、練習の邪魔になりますので、このくらいにしておいてくださいませ」
「え、え、えー」
そう言って立ち去ろうとするユノさんに、ショックのあまり言葉にならない。
大失敗だ。
何が悪かったのかさっぱりだが、こんなはずではなかった。
思わず駆け寄り手を伸ばした。
伸ばしてしまった。
クルリと振り返ったユノさんは笑顔だ。伸ばした手のひらを両手でつかまれてドキリとするが、その手を中心に笑顔のユノさんが一回転。ちょいと引かれると天地がひっくり返り、ドシーンと地面に叩きつけられた。
「いっー」
とっさに受け身は取ったが、何がどうなっているのかさっぱりだ。
とにもかくにも起き上がると、
「起き上がれるのですか?」
そう言いながら近寄ってくる。
近くに、更に近くに、抱きしめられるほど近くに来て、思わず両手を出したところで、喉に手が置かれて再び空が見えた。
克も任侠者流の達人を自負しているし、身体能力も上がっている。
それでも、剣も持たずにあっという間に相手を倒す事など出来ない。おまけに、なぜこんな事になっているのか、それすら分かっていないのだ。
それが分かったのは他のメイド達が来た時だ。
「ベノムのメイドに手を出すとはいい度胸ね」
そう言いながら、何度も起き上がって来るのは倒れ方がうまいのだろうと、かわるがわるに克を投げ飛ばし始めたのだった。
いくら受け身が取れるとはいえ、地面に叩きつけられたのではたまらない。
二度目に倒された時から、「助けてくれ」という言葉さえ出なくなっていたのだ。
頭から落とせば受け身も取れずにとどめとなるのだが、それをしないあたりが逆に怖い所だ。
メイドの実力を知るガレントは手も足も出せないでいたが、こちらに走ってくる少年が見えた。
「誰か来た!」
そう叫んで、メイドの注意がそっちに向いている間に克を抱きかかえて走り出した。
後ろを振り返る余裕はなく、ともかく防護壁の向こうにまで駆け抜けたのだった。