少年が目覚めたのは牢獄の中だった
少年が目覚めたのは北の塔と呼ばれる牢獄の中だった。
場所はベノム侯爵領の中心地ベノム、といっても都会ではない。
カサシン王国の最北領、ギジナール山脈の麓一帯、そのとてつもなく細長い領地の真ん中に過ぎない。
ベノム侯爵は代々将軍侯爵の異名を引き継ぎ、山脈から下りてくる魔物を一手に引き受けている。
そんな歴代侯爵が魔物を飼い馴らすのを目的に建てたのがこの塔だ。
幸い今は使われていなかったが、石壁の厚みは両手を広げるほどもあり、唯一の入り口は鉄の二重扉となっていた。
「ふあーっ、あーあっ、よう寝た。 うーん」
十歳を少し過ぎたあたりだろうか、黒目黒髪とは珍しい取り合わせの少年だが、大きな欠伸をしながら上体を起こすと、背伸びをしながらあたりを見渡した。
「うん? あれ? ここはいったいどこって、鉄格子? おいおい、牢屋かよ」
鉄格子の他は重厚な石の壁で、明り取りの高窓にも鉄格子がはまっている。
「やけに広いが誰もおらんし、向こうにいるのは牢番か。 昨日はしこたま飲んでたから、喧嘩でもしちまったかな? 親分にゃ、酒を飲むなと言われてたんだが、こりゃあ、めいっぱい叱られるな」
ため息をつきながら黒髪を掻いているのは、どう見ても少年なのだが……。
「やれやれ、昨日はどこで飲んでいたっけな? まてまて、たしか金毘羅さんに代参したんだ。 ちょいと使いを頼むってえから、隣に鍋でも借りに行くかと思ったら、往復四百里のお使いとは驚いたもんだが、名刀と五十両は納めた。 うん、お使いは済ませた、と」
胡坐をかき、うなりながらの独り言はいっぱしの大人のつもりなのだろうが、酒を飲み過ぎたとはいささか問題がありそうな少年だ。
「で、大阪まで戻って来たが、街はすごかったな。 あれは江戸にも負けねえ賑わいだった。 その後、八軒屋から三十石船に乗って伏見まで来た。 川を上るから歩くより時間はかかるが、朝方に着くのがいいな。 そんで、お山にお参りして京都見物がすんで……ああ、祇園だ。 あの灯に魅かれちまったんだ。 おひとつどうぞ、てなもんで、ついつい飲み過ぎちまった。 まあ、祇園なら仕方ねえな。 なんせ格式ってやつが違うから、ちっとでも暴れたらすぐに捕まる。 俺みたいな渡世人じゃ、分不相応だったってことだな。 まぁ、やっちまったもんはしょうがねえし、なるようになるだろ」
自らを渡世人だという少年は、なんと再び横になって目を閉じてしまった。
牢獄に入れられたというのに何とものんきな話だが、口調とは裏腹に顔立ちは整っていて、小首をかしげる仕草は可愛くさえある。
大阪、伏見、京都、地名だと思われるが、どれもこれも聞いた事がない。
何処から来たのか知らないが、なんともおかしな少年だ。
彼はギジナール山中で気を失っていたところを助けられていた。
森の中なのに見つかったのは魔光のおかげだろう。
魔力を持つ者、魔物もそうだが体が光る。
魔力を持つ者にしか見えないのだが 偵察に出ていたのが魔法騎士隊だったことが幸いした。
しかし今、その隊長であるリリア・ベノムは叱られていた。
父であるベノム侯爵の執務室、幼いころから世話役として仕えているカレンその人に。
「リリア様、今度という今度は許しませんからね!」
「は……い」
カレンは女丈夫ともいえる体格を持ち、傭兵として戦場はおろか魔物討伐でもその名をとどろかせていた。
そんな彼女が世話役になれたのはその名声では無く珍しい魔法の才能ではあったが、赤い髪を振り乱す迫力を前にしては、十二歳になったばかりのリリアに勝ち目などない。
「あれほど危険な事はしない様にと申し上げましたのに、この始末はどうつけるおつもりですか?」
「どう、と、言われても……その、どうなっているの、ですか?」
「戦時令発令です。 総兵力結集は勿論、退役者まで借り出し住民の避難誘導にあたっております」
カレンは、六人は座れる応接テーブルの向こうで仁王立ちだ。
美人が怒ると魔物より怖いとはよく言った物で、明るく自由奔放なリリアも椅子に小さくなり、後ろで束ねた金髪も心なしか色あせて見える。
「はは、ははは」
「笑い事ではありません! お仕置きです!」
「あ、あの? 一応、お父様の前なんですけど」
「だからなんですか? 赤嵐の異名を持つこのカレン、侯爵様に拾われた恩を忘れるほど腐ってはおりません。 たとえ御手討になろうとも、それでリリア様がちっとはましなお方になられるのであれば安い物です」
「ははは」
まったく、取りつく島も無いとはこの事だ。
赤嵐の通り名は髪の色では無く、倒した敵の血しぶきがカレンの周りで嵐のように舞うように見えた事から来ていた。
蛮勇とも思えるこの性格が男を遠ざける原因なのかもしれないが、そのくせ妙に女性に人気があるのは不思議と言えば不思議だ。
部屋の主であるベノム侯爵はがっしりとした巨体を執務室の椅子にゆだね、白髪の混じった金髪を撫でながら苦笑いをしている。
「ともかく、なぜこうなったのか、説明しなさい!」
両手を腰に当てて睨みつけるカレンに、お仕置きを受けるかどうかの瀬戸際だと緊張するリリア。
「リリア魔法騎士隊七名、一列縦隊でギジナール山脈の山道に入りました。 ああ、私は中央です」
カレンの表情が微妙に変化した事に気付き慌てて付け加えると、意を決したように話し出した。