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事件編(5)

 探偵を連れてこれたというので、粋人たちはまた会議室へと招集された。事件から一晩経ったが、雰囲気は相変わらず重苦しい。これから、この中から犯人を探すようなことが行われると考えると、いっそう気が重くなる。

「ヘイ!」

 そんな中に、場の空気という概念を知らないと言わんばかりの顔で会議室へ入ってきた少女が居た。

「どうも初めましてー、マーユ・ヴェストレームという者です! 事件解決を依頼されて来ました! 趣味は読書! 生き様は不死身! どうぞよろしく!」

 底抜けに明るい声に、粋人は拍子抜けしてしまった。まるで何がここで起こったのか知らされずに来たかのようだった。

「不死身……が、あなたの得たものなのですね」

 桜葉が改まったように訊ねた。マーユは大いに頷く。

「はい、その通り。いやでも実際に死んだことはないけどね、怖いから」

「ってことはあんたなの……、『大陸』で唯一、不死の身体を持った契約者っていうのは」

 セイディが冷たい視線を向けて言った。どうも、この新参者の態度が気に入らないらしい。粋人はいやな緊張を覚えたが、マーユはぽかんとした顔で疑問符を浮かべた。

「え、何語?」

 予想外な反論に流石にセイディも意表をつかれたようで目を丸くする。

「悪いがコイツにはまだ例の氷を与えていない。英語だけで頼む」

 雹が言うとセイディは溜息をついた。

「……まぁいいわ。そんなどうでもいいこと」

「ひどいなぁ、そんなはぐらかすなんて。まぁいいや、後でまた訊くから。そう、これから私が皆さんに提案したいのはですね、私はこれからひとりずつにインタビューをしたいのですよ! 事件前後のことについてね。なんせ、致命的なことに私は現場に居合わせなかったもので……」

 マーユはわざとらしく頭を掻いた。つまり情報収集という名目の事情聴取だ。事件の概要についてなら、とっくに雹が説明されているだろう。

 粋人はそう思いつつも、どこからどこまでも軽薄ではあるが、どうも憎めない印象を彼女に抱いた。まるきりタイプは違うというのに、何故か親近感が湧いてくる。彼女なら、どうにかしてこの事態を収拾してしまいそうな気がした。

 ニンギアル住民一堂はそのまま解散して、マーユが訪問してくるまで自室で待機することになった。


「まずは面白そうな君から」

「はぁ……」

 マーユは単身で真っ先に、粋人の部屋にやってきた。耳の裏にボールペンを載せメモ帳をわざとらしくちらつかせており、どちらかというと探偵というよりも新聞記者のようだった。

「そういうわけで、事件前後のことを教えてね」

 そう訊く口調は気のおけない友人のよう。色々とちぐはぐだった。

「分かった」

 粋人は頷いて昨日の朝、記憶の夢から醒めて雹たちに取り押さえられているところから、今に至るまでのことをひと通り話した。できるだけ細かく話したつもりだったが、あまり実のある話にならなかった気がする。というのもマーユは最終的には無表情になって、じっと粋人を見つめてきたからだ。

「えっと……何か?」

「君ねえ、つまり君は女の子とふたりきりで一日この部屋に閉じこもっていたわけ?」

「そうなるけど……」

 何を問われるか粋人が身をこわばらせると、

「うおおお! 羨ましい! 私も髭剃りの必要がないような美青年と一日中、こんな感じの部屋でごろごろしていたいよ!」

 猛烈な勢いで叫び、マーユは立ち上がった。その後、しんと沈黙が舞い降りてくる。微妙な雰囲気になってしまったので、粋人は無理に笑みを浮かべて言った。

「うん……実現すると良いね」

「ごめん、ジョークだった。それで、ニノンちゃんとはどこまでいったの?」

 今の出来事を全く無に帰すように、けろりとしてマーユは訊く。

「どこまでって……なにも」

「何も? 君は本当に記憶が蘇る適齢に至った男子なのかね、こんな絶好のチャンスに、たかだか一人の女子にも触れられぬほど性欲の欠片も無いとは……まるで雹のようだな」

 本人が聞いたら怒り出しそうだな、と粋人は思いながら、それについて正直に答える。

「……一応弁明しておくと、こんな、状況だし」

「こんな状況──あ、そか。メガトン級のシリアスな場面だね今は」

 マーユはあっさりと合点がいった顔をすると、ストンとまた座った。「なんか気になることはない? 例えば、かの高名な暗殺者の峰風さんはですね、被害者のマッサーロさんにヘリコプターをゲロまみれにされて、フライトが遅れたことに非常に憤りを覚えていたと供述しております」

 なるほど、だからあのヘリは妙に綺麗だったんだ、と粋人は今更納得する。それから、頭の中を数日前の晩にシフトさせた。

「……ラニエロさんとなら、事件の前日に話をしたよ」

「ほぉー、その内容を詳しく」

 マーユは口を縦に開けてボールペンを手にとった。

 粋人は記憶にある限り、ラニエロとの会話を掘り起こして話した。マーユはその一字一句を全てメモ帳に書き起こし、粋人の話が終わるとそれを面白そうに眺めた。

「『絶対に、決まった時間に俺は死ぬ』か。すごい面白いよ、これは。なるほどねえ、君を最初にして正解だったよ」

 その時は、もっとずっと先のことだと思って、話半分で聞いていたのだが。

「まさかその時はこんな近いものだとは思わなくって……」

「つまりねえ」

 マーユは粋人の声など聞こえていないようで、自分の言葉を続けた。

「ラニエロは自分の死の時間がわかっていたからこそ、自分の部屋に密室を施したんだよ。何故かって、私をこの施設に招聘するための口実づくりだ。ただの殺人では、私は動かなかったかも知れないが、密室になったからこそ興味を持って私はここにやってきた。そうしておいて、事件を解決する使命を背負った! 事件は解決される運命にあるということだよ! 被害者はそこまで見越していた! その判断、私に対するナイスな買いかぶりだと思わない?」

「謙遜してるの、それは……」

 何を言っているのか半分よく分からなかったが、粋人はとりあえずそう答えておく。そんな粋人から困惑の気配を感じたのか、マーユはあっけらかんといった様子で言う。

「なに、私は頭で思っていることと口で言うことは全く違うからね。あんま本気にしないでね。私はまだ死にたくないもんで」

 そう言いつつも、視線はラニエロのセリフから離さない。まだ他に宝の在処が書かれていないか、といったような様子だ。そんな彼女に粋人は質問を投げかける。

「えっとさらっと言ってたけど……密室ってラニエロさん自身が作ったって本当?」

「えっ? 言ってなかったっけ? あれは別に大したトリックでもないって」

 マーユはさも当たり前のことのように言うので、粋人は驚いてしまった。

「……初耳だ」

「じゃあ教えてあげるよ」

 マーユはメモ帳を懐にしまいながら言った。「ただし身体でなぁ!」

「言葉で、お願い」

 また大袈裟に両手を広げながら立ち上がるマーユに、粋人は落ち着いて対応した。すると、マーユは満足そうに楽しそうに笑う。

 まるで檻から解放されて、自由を謳歌する小動物のようだった。


 二人はその後に、各部屋で待つ住民たちへの聞き込みに出かけた。

 一番最初に向かったのは、アメリーの部屋だ。

「うーん、こんなところかなあ。雹とずっと一緒だったし、あの子とだいたい一緒だよ」

 アメリーが話を終えるとマーユはしきりに頷いて、彼女の証言を記したメモをしまった。

「これは貴重な証言をどうもどうも」

「うん、頑張ってね。もう密室の件も解けたなら、もう犯人まで一直線だよ!」

 彼女はずっと密室のことが気になっていたらしくしょっちゅう訊いてきたので、マーユがとりあえずの結論を言ったところ、かなり興味深そうに納得していた。

 アメリーの激励にマーユは親指を突き出す。

「だよね! 頑張りますよお! よし、次いくぞ、粋人!」

「う、うん。じゃあ、これで」

 マーユに促されて粋人がアメリーと向き合うと、彼女はにこやかに質問をしてきた。

「ところで、どうして粋人がマーユの助手をしてるの?」

「……成り行きで。実は僕にもよく分からなくて」

 もうそれ以外に説明のしようがない。粋人の返答にアメリーはくすっと笑った。

「確かに不思議な感じの子だよね。それじゃあ、また後で」

  

「朝起きたらラニエロが死んでたから、雹と一緒に死体の検証をして報告をして、あとはずっと部屋に閉じこもってたわ」

 セイディはつまらなそうにコッペパンを頬張りながら言った。本人曰く三十六時間ぶりほどの食事らしいが、全く嬉しそうではない。粋人は気の毒で見ていられなかった。

 マーユはメモを取り終えてから言った。

「他に気になったことは?」

「……特に。ちなみに付け加えておくけど、私の検死はあんまりアテにしないで。なんの根拠もない、経験則で言ったようなものだから」

「なるほど、セイディの検死はアテにならない……っと。ありがとう、すごい参考になったよ!」

「なんか、……ムカつく」

 セイディは不満な感情を全く隠そうともしない。

「っていうかあんたはあの氷食べてないの? 英語しか使えないのはなんか窮屈なんだけど」

「ああ、あのうさんくさい魔法の氷のことか。雹に勧められたけど私は絶対に嫌だかんね、舌がちべたくなるでしょーが!」

 マーユはそう主張してから、べーっと舌を突き出す。

「……あんたとわたし、あんまりウマ合わないかもね」

 セイディはそっぽを向きながら言った。


「え……えっと……私、ラニエロさんが死んでるって昨日、マティアスさんが私の部屋に来た時に、初めて知って……」

 菊蘭はびくびくと一言一言ゆっくりと喋った。「その……、ずっと眠ってたので……、な、何が起こったとか……わからないんです、けど……」

 ところがマーユは、訊問されているかのように必死な彼女の話を聞いていないようで、部屋の中をキョロキョロと見回していた。

 それから、「おっ」と小さく声を漏らして、

「ねぇねぇ、そんな話はどうでもいいんだけどさ、あのスナイパーライフルは何? 本物?」

「えっ……、あ、あれは、ガス銃です……さ、最近、やってて……別にたいした腕じゃないんですけど……」

「へぇー、かっこいーね。ってすっごい重い! こんなの持って殺ってんの!」

 マーユはいつの間にか、隅に立てかけてあったライフルの方に移動してはしゃいでいた。

「こ、殺しなんてできませんよぉ! それに、私、そ、そんな……密室なんて作れません!」

 マーユ流の際どいジョークなのだが、そんなものの耐性が無い菊蘭は狼狽した表情になって慌てて言った。どうもラニエロを殺したんじゃないか、と疑いをかけられたと勘違いしているらしい。

 マーユも流石にやり過ぎたと思ったようで、宥めるように笑いかける。

「わかってるよ、ジョークジョーク。あれは刺殺だし、そもそも密室じゃないしね」

「え……も、もうあの密室の秘密が分かったんですか」

 菊蘭が目を瞬かせる。ここぞとばかりにマーユは、にひひ、と口元に笑みを浮かべた。

「まぁね、私を誰だと思ってんの。不死身のマーユ・ヴェストレームだからね!」

「さ、流石です!」

 マーユの謎の勢いに圧されるように、菊蘭は目を輝かせた。粋人はもうついていけなかった。


「朝、マティアスがわたしの部屋に飛び込んできたの。ウォルトはいないか、って……いないって言ったら、また同じ風に粋人の部屋にもすごい勢い飛んでいったから、どうしたのかなって廊下に出たら、桜葉さんがラニエロの部屋の前に立ってて」

 ニノンはいつになく神妙な表情で言った。マーユはそこでボールペンを動かすのをやめて、口を開く。

「そこに雹たちが合流して、死体発見に至る、と。んー、他になにか気になったこととか無い?」

 どうも他の証人と重複する証言は間引いているらしい。雹になるべく急ぎで解決してほしいと依頼されたから、事情聴取も巻きで行っているのだろう。

 マーユの定型文とも言えるような質問を受け、ニノンは思い出したように、

「……あの、わたし、夜中に一回目が覚めたの。その、どこかの部屋からすごいどたばた聞こえてきたから。でも……、確かめに行くのは少し怖かったから、ベッドで丸まってた」

 ニノンは目を伏せる。粋人はその情報にどきりとした。もしかしたら、それは正に犯行が行われていた真っ最中の物音だったのかもしれない。

 しかし、マーユはそんな彼女の様子をじっと眺めたあとに、わざとらしい咳払いをして言った。

「そのどたばたの心当たりならあるよ」

「えっ……」

 ニノンが怖がるような視線をマーユに向ける。すると、彼女は大仰に頷いて、

「こいつ」

 すっ、と人差し指を粋人に向けた。

「……えっ」

 まさか自分の方に話が向くとは思ってなかったので、ただ驚いているとマーユは解説を始める。

「隣だしね、粋人の部屋とニノンちゃんの部屋は。事件の起こったってことになってる昨日の晩は、記憶蘇生の真っ最中で、粋人は発狂してたんよ。その音を聞いたんだね」

「そ、そうなんだ。かなり凄い音してたから心配したけど……そう、無事でよかったね、粋人」

 ニノンは薄く微笑して言った。粋人はとりあえず、礼を返しておく。

 本当にその物音が犯行時のものではないという確証はない。だが、マーユはニノンの不安を取り除くために、こんなおどけたように解説してみせたのだろう。

「それじゃあ、次行こうかー」

 そんなことを考えながら、部屋を後にするマーユの後を追った。


「……ラニエロの部屋の異変に気づいたのはオレが一番最初だ」

 マティアスは言った。「血の臭いがしたんだよ。お前にも分かるだろう」

 マーユは肩をすくめてみせる。

「生憎私は兵士じゃなかったんでちょっと分からないな。死んだこともなかったし、そもそも怪我したことないや」

 冗談めかしたような台詞に、マティアスは真意を探るようにしばらく黙る。だが、すぐに諦めたようだ。

「……そうか。んで、オレはとりあえずノックしてみたんだ。何度もな。だが、反応が一切ない。だからただごとじゃないと思って、急いで桜葉のもとへ向かったんだ。管理人室だ、あそこはあいつの部屋みたいなもんだからな。すぐ出てこなかったんだが、扉をぶっ壊す勢いでノックしまくったら、のっそりと今起きたような顔して出てきたんだ。オレはすぐにマスターキーを要求して、すぐにラニエロの部屋に戻って解錠したが……開かなかった。どうも、かんぬきが掛かってるって分かったから、ウォルトに扉をぶっ飛ばしてもらおうと思ってアイツの部屋に向かったんだが……、いなかった」

「ほー、すごい興味深い! 今まで他の人は、もう気づいたら騒ぎになってました! って感じで聞きごたえが無かったんだもの。それそれで?」

 舌なめずりしながら、マーユは続きを促す。どう見ても探偵というか、やはり特ダネを見つけた新聞記者のように思われたが、粋人は何も言わなかった。

「だから俺はすぐに近くの部屋を回ったんだが……粋人の部屋を回ってから、アイツが他の人の部屋にいるわけないと気づいたんだ。そんな社交的な奴じゃないからな。だから俺は地下の方まで探しに行って、研究室が集まってるフロアでアイツを見つけた」

「それで、被害者の部屋まで行って扉をぶち壊したと。……ところでさ、あの鎧はオーダーメイドなのかな?」

 マーユは唐突に事件前の話に飽きたかのように、ボールペンを仕舞いながら言った。マティアスは顔をしかめる。

「な、なんだよそれ、事件と関係あるのかよ?」

「うーん、いや、ちょっと興味持ったんだよ。だって、あんなに大きな鎧なんだよ? 手頃に雑貨屋さんに置いてあるようなものじゃないと思うんだけどなあ」

 マティアスは考えるように親指でこめかみを何回か掻く。

「……オレが聞いた話だと、雹がアイツを迎えに行った時から、既にあの姿で大量の荷物を持ってたらしい。だから、オレはそこんところは知らない。──で、オレからも質問するが、よ……あの密室は実際どうなんだ?」

「ほ? あれは密室じゃないよ? 言わなかったっけ?」

 マーユは素でぽかんとした顔をする。惚けているのか、本気で勘違いしているのか粋人には分からなかった。それほど、マーユにはこういう動作がハマっている。

 無論、マティアスはむっとしたように言った。

「一っ言も聞いてない」

「そーだっけ。あれはねえ」

 ラニエロが自衛のために鍵をしたことを、マーユはかなり大雑把に説明した。

「……雹とか桜葉が信用しただけあるんだな」

 マティアスはぽつりと言うと、マーユはその呟きを思い切り拡声するように胸を張る。

「そうでしょう! 実際、それ以上のことは何っにもわかってないんですけどね!」

「偉そうに言うなよ」

「マティアス君、かなり参考になったよ、ありがと。じゃあ次行こうか粋人」

 マーユはさっさとマティアスの部屋から出て行こうとする。粋人は慌ててそのあとを追おうとしたが、ふと立ち止まってマティアスに訊ねた。

「マティアス……、なんか、元気、無いね」

「……おう、流石に分かるか」

 マティアスは沈んだ声で言った。

「お前だって分かるだろ……、状況を見ると、一番犯人クサいのがウォルトなんだ。絶対に違うと信じちゃいるが……クソ……」

「マティアス……」

 粋人はなんと声をかければよいか分からなかった。


「ミスターアームド! 事件前後に見聞きしたことを報告お願い出来ますか!」

 マーユは手を高く挙げて言った。彼女の前で、ベッドにがっちりと座っているウォルトは、一回だけ大きく頷く。それを見たマーユはぐっとガッツポーズを決める。

「よし、意思疎通成功!」

「流石にそれは失礼でしょ……」

 粋人がたしなめるのも意に介した様子を見せず、マーユは手を顎に当てて考えるポーズをする。

「しかし、ここからどうコミュニケーションをするか……やっぱ、ベタに筆談な限るかぁ。はい、メモ帳。これに事件前後についてに書いて下さい。制限時間は十分で」

 机の上に白紙とボールペンを転がし、その傍に時計を置く。しかし、ウォルトはじっとその小物たちを見つめるだけで、手に取ろうとはしなかった。全く動かないウォルトを見たマーユはおずおずと話しかける。

「あ、スミマセン……十五分でもいいよ……?」

「……」

「……二十分でも……、なんなら無制限で!」

「制限時間の問題じゃないんじゃ……?」

 見てられなくなった粋人が思わず声をかけると、ウォルトは再び大きく頷いた。そしてすっと立ち上がると、部屋の奥に置いてあったノートパソコンを持ってきて机の上に置いた。

「な……電子媒体……! わ、私のボールペンでは不潔で使えないとでも言うのかー!」

 マーユがぎゃんぎゃんとまくし立てるが、ウォルトは一向に気にせず電源を入れて、文字を打ち込んでいく。数分間、キーボードが叩かれる音が静かな部屋に響き渡った。その間、ちらちらとマーユが粋人に視線を送ってきたが、なんだか良からぬ目論見を抱いているように感じたので、敢えて視線を逸らしてやり過ごす。 

 数分後に、ウォルトは黙ってモニターをこちらに向けた。マーユは嬉々としてその文面に目を滑らせていったが、すぐに表情が硬くなった。

「何語なんだ、こ、これは……!」

「ん……日本語だね」

「ジャパニーズ! 私がそんなマイナーな言語知ってるワケないでしょう……粋人君、英訳して~」

 餌をねだる子猫のようななで声を出して、モニターを粋人の方へ向ける。

「……あの氷を食べればわかるんだけど」

 断ることはしないが、どうも不便そうなのでそう提言すると、マーユはぶんぶんと首を振る。

「やだよ、そんなものを口にいれるなんて! 第一、何であの氷で得られる言語にスウェーデン語が入ってないわけ! そこが気に入らないんだよね、まったく。そんなことよりもこれ、さっさと読み上げよーよ」

「わかってるって……どれどれ」

 粋人はモニターに並んでいる文字を見た。

『事件当日は目が覚めると食料が尽きていた事に気づき、俺は倉庫へと向かった。当面の分を確保して自室へ戻ろうと階段を上っていると、マティアスと会い、何が何やら分からないまま、手にしていた食料を全て放置し、ラニエロの部屋まで急行したところで、扉をぶち破れと言われた。言うとおりにすると、死体が見つかった。一連の騒ぎの後に食料は回収しに行って、昨日と今日で消費した』

「……って感じ」

「ふむ」

 マーユは粋人の言葉をメモに几帳面に写し、すっと彼へボールペンごと手渡した。

「一応、その原文も写しておいて」

「分かった」

 粋人は言われたとおり、ボールペンを握って書き写しはじめる。

「私はねえ、ずっと気になってるんだよ、その鎧……」

 その間、マーユは興味深そうにウォルトを凝視する。「めちゃくちゃ重そうじゃない? いくらしたの?」

 その無遠慮な詮索にウォルトは黙ったまま、何の意思表示もしない。それでもマーユは気にしていない様子で室内をきょろきょろと見回し、ふらふらと歩き出した。冷蔵庫の中を覗いたり、戸棚の中を覗いたり、テレビを勝手につけたりやりたい放題だ。

「なんか全体的にスカスカだね! 定年後のすることがなくなった人のうちみたい」

 挙句に、そんなことを言ったりした。しかしウォルトはその鎧の中身が無いかのように、全く動かない。粋人は一旦書く手をやめてマーユの方を見てみると、彼女の足は風呂場の方へ向いていた。まるで自分の家であるかのように入ろうとしているのを見て、粋人は流石に制止しようと口を開きかけた、その時に。

 ウォルトは急に立ち上がり、機敏な動きでマーユに接近すると、その襟首を掴んで持ち上げた。

「えっ、ちょっと……」

 呆然とするマーユを、ロボットのように運んで、ぽんと彼女が元いた席へ置いた。マーユはしばらくびっくりした風に固まっていたが、それで反省したのか、その後は粋人が写し終えるまで口を開かずに大人しくしていた。

「終わったよ」

「うん……ありがと、次行こうか。雹とヘリの運転手の兄さんからはもう話を聞いたから、あとは桜葉氏だけだよ」

 マーユは粋人からメモとペンを受け取った。



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