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事件編(4)

 粋人は気がつくと、自分がどこかに横になっているのに気がついた。

「あ、目、覚めた?」

 声のする方に目を向けると、ニノンが椅子から立ち上がってこちらへ寄ってくるのが見えた。

「あれ、僕はどうして……」

「えっと……、朝にアレを見てから気持ちが悪いって言って……そのまま倒れちゃった。あっ、無理に起き上がっちゃ駄目だよっ」

 粋人が上半身を起こすと、ニノンが慌てて止めてきた。いくらなんでもそれは大袈裟なので、粋人は苦笑を浮かべる。

「だ、大丈夫だよ、今はもう。それで、今はどうなってるの?」

 ニノンを心配させないよう言ってから、起き上がるついでに時計を見ると、もう昼を過ぎていた。しかしながら、食欲は全く無い。。

 ニノンは粋人の質問に答えて、

「えっと、今は全員自室で待機するように桜葉さんから言われてて……わたしは粋人のことを看たいって頼み込んだら、特別にわたしだけ粋人の部屋に居て良いって」

 粋人は首を傾げる。

「……どうして僕のことを?」

「どうしてって……、放っておけないもん。セイディ以外で初めての年下だもの!」

「そう……、ありがとう」

 ニノンの言葉をまるきり素直に受け取って、粋人は礼を言った。ニノンは満足気に笑みを浮かべたが、すぐに沈んだ表情になる。

「でもどうしてラニエロ死んじゃったんだろうね。唐突過ぎてなんだか、実感があまり湧かないっていうか……」

 本気で理解できないような物言いに、粋人はちょっとした狂気を垣間見た気がした。

「どうしてって……、彼は殺されたんだよ、誰かに」

「誰かって……、誰もそんな人いないでしょ? で、でも、ラニエロはもう居なくなっちゃって……、あはは、よくわかんないね……」

 ニノンの声はだんだんと小さくなっていった。

 二人の間に気まずい沈黙が下りる。粋人は完全に言うべき言葉を見失って、どこか場違いなほど清潔感のある壁紙を見つめていた。

 やがて、ぽつりと、ニノンが呟いた。

「あのね、わたしは誰かを疑うことができないんだ」

 突然の独白に粋人は驚いて、

「えっ……ということはそれが能力の、対価ってこと?」

「うん、そうらしいんだけど……、疑うってどういうこと、だと思う?」

 ニノンは真っ直ぐ粋人を見つめて訊いた。普段は太陽のような快活さを湛えている瞳が、今では困惑の渦を巻いて彼を見据えている。心の底から助けを求めているような、必死な目。

 粋人はどうしても、その色をもっと暖かいものに変えたかったが、それにかなう言葉が見つからなかった。

「他人から自分の身を守ろうとすること、そんなものなんじゃないのかな」

 それでも粋人は視線を逸らさずに言った。「ニノンの場合は、人を全面的に信じてるってことだし、それは誰かに愛されたいっていうのが大前提なわけだから……全く悪いというわけじゃないと思うよ」

 なんだか自分でも何を言っているのか分からなかったが、ニノンはぎこちなく微笑む。

「そっか……そうだよね……、ありがとう……」

 その声が震えていたのを、粋人は聞き逃せなかった。


 スウェーデンの都市郊外にある図書館。そこに『探偵』は居た。

 名前はマーユ・ヴェストレーム。十八歳の少女で趣味は読書、好きな事は散歩。家族無し、知人少なし、身寄りも居ない。これは典型的なニンギアル住民の特徴だ。大抵は両親がおらず、孤児として生きていくので粋人のように、誰かに家族として養われたという者はかなり珍しい部類になる。

 幼少から一人で生きていくので、どうしても真っ当に成長しにくい。雹が河辺機関に一時期身を置いていたり、アンドレイが軍に所属したのは生きていくために必要なことだった。

 この地は英語が通じるので、コミュニケーションに問題はない。

 司書に頼んで、雹は閉架に連れて行ってもらった。本棚が無骨に並ぶ暗い地下室の片隅に、後から敷居を立てて増設された部屋があり、そこにマーユが居る。

 木製の引き戸を開けて、雹は足を踏み入れた。

「うん……?」

 部屋の奥にあるベッドの上で、マーユがもぞもぞと動いた。「どなた?」

「私だ。峰風雹」

「きゃー、血も涙も無い暗殺者よー」

「……殺すぞ」

「あはは、まぁ私は死なないから好きなときにやっちゃってよ」

 寝そべったままマーユはケラケラと笑う。

 身体の自由と引き換えに不死身の身体を手にした彼女は、基本的に彼女はこのベッドの上から一歩も動けないし、身を起こすことすらもできない。ベッドまわりだけはやけに綺麗だったが、それ以外は埃まみれで人間が生活している場所とは思えない。

 雹は苛立ちを抑えながら、備え付けてある椅子に腰掛けて今までつけていたフードを外し、マーユとの距離を縮めた。それを見たマーユは目を細めて、

「相変わらず黒いねえ、今日は何の用?」

「前と同じだ。お前をニンギアルに連れて行く」

「やだ」

 全く表情を変化させること無く即答する。なんとなく予想はついていたので、雹は大きく息を吐いてから言った。

「今回は前と違って、かなり大きな事案が飛び込んできた。もうやだとは言わせない」

 マーユは見くびっているらしく、のんびりとした口調で続ける。

「ふぅん。でもね、私結構ここ気に入ってるんよ。人が死にでもしない限り、行くもんですか!」

「人が死んだ。殺人だ」

 雹が冷たい口調で言い放つと、マーユはあからさまな驚愕を顔に浮かべた。

「マジで! 国連は何やってんの!」

「国連の責任ではないだろ……、今まで平凡な生活で何の兆候もなかったのに、いきなりこうなるなんて想像がつくか」

「てことはあれですか、この中に犯人が居る! っていう展開……?」

 少し演技がかった口ぶりなのは、そのセリフをどこかの推理小説から引用したからなのか。

「そうなる」

 それにしても、マーユには前回訪れた際にニンギアルの仕組みについて説明してあるから、事態の呑み込みが速くて助かる。

「そうかあ、なら私のこの頭脳も遺憾なく発揮されねばなりませぬなあ」

 マーユはわざとらしく、丁寧な言葉づかいで言った。

「しかしこの身体はなんと不自由なことか! う、動けない!」

 両手をついて起き上がろうとしているが、まるで見えない重しでも載っているかのようにその身体は動かない。これに周りの人間が手伝ったところで、動かせるものではない。どういうカラクリが使われているのか知らないが、不死身という究極の欲望とも言うべき特異と釣り合う大層なペナルティだ。

 雹は真面目な顔つきになってマーユに訊いた。

「ということは、依頼を承けるんだな?」

「うん、そうだね、よろしく! じゃあまずは依頼内容をドウゾ」

 マーユはやけにハキハキと言いながら手を伸ばして、一枚の白紙とボールペンを手に取った。どうやらそれを契約書に見立てるらしい。

 雹は腕組をして、よく言葉を吟味し選んで、

「……ニンギアルに於ける殺人事件の解決及び事態の収拾だ」

「次、解決期限は?」

「可及的速やかに」

「もっと具体的にしてよ」

 ペンを指に挟んで振り回しながら文句を言ってくる。雹は苛立ちを胸の内に押し込めながら、少し考える。

「じゃあ私が死ぬまででどうだ。犯人が捕まらなければ私が死ぬ可能性があるわけだろう」

「まあ! っていうことは、私とあなたは運命共同体なのね!」

 途端に目をキラキラとさせてくる。面倒なこと、この上ない。

 雹は眉を顰めて、

「運命……何だって? まぁいい、次は」

「うん、以上。これで雹との契約は完了しました~、これ明細ね」

 マーユはひょいと雹にたった今書いたメモ書きを手渡し、すっと立ち上がった。あまりにもあっさりとした手続きだったので、雹が呆気にとられて押し付けられたメモを眺めている脇で、

「わっふー! 地に立ってるぞ、私はー!」

 マーユは子どものように跳ね回っていた。雹はそんな彼女を半眼で睨む。

「騒がしい。というよりお前、命賭けてるのにこんな簡単な手続きで良いのか」

 殴り書きで、今雹が言ったことをそのまま書いてある『明細』を掲げて雹は訊く。しかしマーユは怖じることなく、へらへらと笑って答えた。

「まあ実際バーターも相当契約適当にやってるからんね。だからこそ私はこうして自分の脚で地面に立ってんの!」

「そこベッドの上だぞ」

「上も下も変わらんのよ、二足歩行の人間にはそれが分からんのだ!」

「意味わからん……、まぁいい、来てもらうぞ」

 雹が立ち上がり踵を返して、さっさと歩いて行くと慌ててマーユが追いかけてくる。

「ま、待ってよ。私道分かんないから」

「ならしゃきしゃき歩け。……それにしてもお前、だいぶ髪伸びたな」

 さっきまで横になっていたから分かりにくかったが、その金色の髪は腰のあたりまで伸びている。雹の指摘にマーユは口を尖らせた。

「仕方ないでしょ、ずっと幽閉生活だったんだから」

「ふん、これからも幽閉生活だぞ」

 皮肉を効かせて言うと、マーユはいたずらっぽい上目遣いで甘ったるい声を出した。

「ふええ、世知辛いよお、お姉ちゃあん……」

「気持ち悪い声出すな。あっちについたらどうか真面目にやってくれ」

 雹は先行きを不安に思いながら言った。


 アンドレイとの合流地点に着くなり、マーユが歓喜の声を上げた。

「すごい! VTOLだあああ!」

「頼むからはしゃがないでくれ……」

 雹はVTOLに乗り込みながらげんなりとした声で言う。VTOLとは垂直離着陸機のことで、滑走路無しでヘリのように滑空できるものだ。いつもならヘリでゆっくりと回収に向かうところだが、今回は火急の用件なので急遽引っ張り出してきた。

「パイロットはアンドレイ・ポロスコフという男だ」

「よろしくな。シートベルトちゃんとしろよ」

 アンドレイは離陸を始めながら言った。マーユは爛々と目を輝かせながら、椅子に座る。

「マーユ・ヴェストレーム、自称探偵、よろしく!」

「自称かよ……」

 雹は呆れた風に言ったが、マーユは全く気にする様子を見せない。

「はいはい、雹はちゃっちゃと事件の概要を私に話しなさいよ! 依頼人なんでしょ!」

「……あまり生意気な事言ってると八つ裂きにするぞ」

「おお、目がマジだよ……流石の不死な私でも慄くレベル……」

「お前ら、何だか随分と仲いいな」

 アンドレイが驚いたように言うと、マーユが胸を張った。

「まあね! これでも『大陸』時代からの戦友なんだよ、これが」

 こいつに任せていると、どんなことを吹聴されるか分かったものじゃないので、雹は仕方なく口を出す。

「幼馴染だ、出身地が同じだったんだ。戦争が本格化して、それぞれがバーターと出会ってからはほとんど会っていなかったがな」

「なるほど、そんな偶然もあるもんなんだな。……この世界に流れ込んできても生存してる『大陸人』なんて一割居れば良い方なんだろ?」

 アンドレイはそう言ったが、実際のところ具体的な割合はわかっていない。前世界──ニンギアルの住民たちが言うところの『大陸』から、こちらの世界への脱出が図られたわけだが、結果は成功とは言い難いもので現在確認されている中では、バーターと契約した異能を持つ人間しか生き残りがいない。本当は一割にも満ちていないのではないかと、雹は考えている。

「そんなことより! 君は私を殺す気かね、私に事件の概要を話しなさい!」 

 マーユが声を張り上げる。ひどい緊張感の無さだが仕方がない、これがマーユという人間なのだ。雹はそう無理矢理自分を納得させて、今回の件について見聞きしたことを最初から懇切丁寧に説明してやった。

「んー、ちょっと待って」

 マーユは懐からメモ帳を取り出すと、口でボールペンのキャップを外し、メモを取り始めた。「住民は全員で十人だったのね。管理人の桜葉霊紗、暗殺者の峰風雹、超剣士マティアス・ハッシ、怪力ウォルト・レイン、極集中力の永菊蘭、極反応のアメリー・リリー、無条件治癒のセイディ・エックルズ、無条件調教のニノン・ロワリエ、道具士アンドレイ・ポロスコフ、不明な比佐志粋人」

 ひとりずつの名前をメモ帳一枚ずつに書いていく。

「そして、予言者ラニエロ・マッサーロ。今回の被害者」

 そう言ってラニエロの名前を記すなり、そのメモ帳を破り捨てた。断片がひらひらと床に舞い落ちる。

「おい」

 雹がたしなめると、マーユは親指を突き立てた。

「後で捨てておいて」

「そういう問題じゃない」

 しかし、そんな叱責もどこ吹く風で、マーユは急に真面目くさった顔になって、

「ところで雹はどう考えてるわけ? 今回の……事件については」

 ボールペンのキャップをしめて、くるくると手の中で弄びながらマーユは訊ねる。普通の人間がこんな態度ならやる気がないように見えるが、マーユがするときちんと聞く姿勢に見えるのは不思議だ。

 雹は行きのあまり時間で考えていたことを打ち明けた。

「密室についてはひとまず後で考えるとして、容疑者ならだいぶ絞れる。私はあの事件があった日、比佐志の記憶が蘇る場に居合わせている。アメリーも一緒にいたから、アリバイ成立だ、誰も一晩中あの部屋から出ていない。それと、もう一つはラニエロが着ていた防刃ベスト。あれを貫通させて致命傷を与えるだけ刃物の扱いに慣れている人間となれば、女たちはまず無理だろう。桜葉もそこまでの力があるようには見えない、あくまで一般人だ。そうなると残るのはマティアスかウォルトしかいない」

「……それで終わり? 運転手のお兄さんのこと忘れてない? ひどくない?」

 マーユはボールペンをくるくると回しながら、運転席の方をさす。雹はまだ教えていなかったのを思い出し、そちらの方を向いて声を上げた。

「おいアンドレイ、お前ラニエロを殺ったか?」

「さっきも言ったが……んなわけあるか!」

 すぐさま否定の答えが返ってきた。雹はマーユの方に向き直って言う。

「だそうだ。あいつは犯人じゃない」

「ああ、彼は嘘を吐けない性質なの?」

 別段驚いた風でもなく、さらっとマーユが質問してきたので、雹は渋い顔になった。

「流石に鋭いな。そうだ、アンドレイは嘘を吐けない。だからこんな簡単な質問でシロクロ判明する」

「なるほどね。それでブラボーな能力をもらったと……、嘘を吐けないってことは、つまり虚構の物語が綴れないってわけだね、ちょっと可哀想かも知んない……、まあこれで、大方の情報は分かったよ。現場はちゃんと調べてないの?」

「ある程度はした。それ以外は、お前が施設に到着するまで保存だ。死体以外はさして調べてない」

「そんなに私に期待してるんだね! 買いかぶりどうもありがとう!」

「……謙遜してるのか、それは」

 嬉しそうに求めてくる握手に応えながら、雹はため息混じりに言った。  


 事件発覚から丸一日が経過した。施設内はひっそりとしていて、部屋の外からは物音一つしない。粋人とニノンは同じ部屋で、不安と退屈に押しつぶされそうになりながら過ごしていた。テレビを見たところで、なんも面白みも感じないし、桜葉が運んできてくれた料理を食べても、なんの喜びを感じなかった。ニノンがいなければとっくに発狂していたかもしれない。

「一日で帰ってくるって言ったよね、雹とアンドレイ。そろそろかなあ」

 冴えない気分で目を覚ました粋人に、ニノンがコーヒーを淹れながら言った。

「だろうね。探偵って言ってたけど……本当に解決してくれるのかな」

「うーん、分かんない……もう、はやく国に帰りたいな……。あっ、粋人とか、他の住んでる人が嫌だからとか、じゃなくて……こんな状況からはやく抜け出したくって」

「そう、だよね。僕も同じだよ」

 粋人はコーヒーを啜りながら言った。その苦さが不安を少しだけ、紛らわしてくれるようだった。

「粋人は帰るところがあるの?」

「うん、育った家がある。ニノンは?」

「わたしもあるよ。わたしには両親がいなかったから孤児院で暮らしてたんだ。みんな仲が良くてね、ここに来るときも、別れ際に小さな子たちにすごい泣かれちゃって……懐かしいな……」

 ニノンは暖かな目をした。粋人も自分の生家のことを思い出す。育て親との別れはひどくあっさりとしたものだったが、また会える機会が来るのだろうか。いや、来るはずだ。無事に目的が達成されれば、粋人たち──いわゆる『大陸人』にも、これ以上にない穏やかな生活が待っているはずなのだ。

「全部終われば、きっと帰れるよ。どれだけ先のことになっても、きっといつかは」

「うん、そうだよね」

 ニノンは笑みを浮かべて言った。昨日は全く見せなかったその表情に、粋人も心が和らいだ。


 マーユはニンギアルに到着するや否や、早速現場を見たいと言った。雹はまず桜葉に報告をしようと思ったが、あまりにマーユが急かすので、とりあえずそれは後で済ますことにして、ずっと操縦にかかりきりだったアンドレイを休息のため部屋に直行させてから、雹とマーユはラニエロの部屋に向かった。扉は破壊されたままなので、廊下へひんやりと死臭が流れてきて気持ちが悪い。

「すご……外開きのドアを内向きに開けるとこうなるんだー。また要らない知識が増えたよ」

 マーユは室内の様子など目もくれず、無残に引きちぎられたまま外枠に残っている蝶番をしげしげと眺めた。そんなマーユを見下ろして、雹は催促をする。

「さっさと検証を済ませてくれ。住民はみんな部屋に閉じ込められっぱなしでこのままだと参ってしまう」

「管理人さんの指示なんだっけ? 次の殺人を発生させないためには、なかなか苦しい策だと私は思いますけどねぇ」

「……それだけお前に期待がかかってるんだ」

「そうだろうね。なんてったって機密最優先だもの」

 マーユは皮肉めかせて言った後、さっさと室内へと入っていった。雹はまた苦い顔をして、その後を追う。

 玄関からラニエロの死体まではだいたい三メートルほどあり、その間に這って移動したかのような血の痕がある。刺客から逃れようとして必死の逃亡をしたのだろう。

「狭い玄関から広い居間まで頑張って移動したけど、ばたり、かあ。……かすれてるね、この血痕」

 マーユはしゃがみこみ、観察しながら言った。「出血量は大したことなかったみたいね」

「……この光景を見て、そんなことを言えるとは大した奴だな、お前は」

 雹はとっくに見慣れているが、それでも結構な血の量である。だからそう言ったのだが、マーユは違うよ、と言わんばかりに手をパタパタと振った。

「うんにゃ、この人けっこう身長高し体格もいいからね、もっとあってもおかしくないよ。よほど良い殺しの腕してたんだろうね」

 マーユがちろりと雹の方を観る。雹はその窺うような視線にむっとした。

「私は殺ってないし殺る意味も方法もないと言ったろうが」

「そうかなー、だって君暗殺する時はいつも魔法みたいな立ち回りするじゃん」

「ふん、あれは人間の感覚の隙をついてるからそう感じるんだ。端から見れば私だって人間に可能な範囲の動きをしている」

「物理的に、の間違いじゃないの。君の動きは人間離れし過ぎだよ」

 さらりと正鵠を射るようなことを言いながら、マーユはのそのそとラニエロの遺体の傍まで歩いて行き、調べ始めた。

「苦しそうに死んでるね。顔がすごい歪んでて死顔が惨めだよ、いい顔が台無しだなあ。それで、これが件の防刃ベストですかぁ。血でべとべと」

「どうも刃物を刺したあとに、抉るように引きぬいたようだな」

 初めて人間を刺した者が、こんな芸当できるはずがない。ほとんど間違いなく、手練の仕業だと見て良い。

「アリバイが無ければ雹がまっさきに疑われてたねえ、こりゃ。……ん?」

「どうした?」

 雹はマーユが何かに気づいたようなので声をかけたが、彼女は聞こえていないかのようにぱっと立ち上がった。

「ぶっ壊された扉が見たい!」

「すぐそこにあるだろ」

 壊された扉はキッチンに立てかけてある。セイディと雹が最初に現場検証しにきた時にどかしたままにしてあるのだ。ウォルトの蹴りは相当の衝撃だったようで、大きく変形している。

「内側に血がついてますよ! 血が! ってことは、犯人は外から訪問していって被害者がドアを開けた瞬間にもうぶっ刺したわけかぁ。いたそう」

「まぁ、そうだろうな。だが、こいつの説明はどうする?」

 雹はカンヌキを人差し指で指さした。それは一度閉めると完全に閉ざしてしまい、扉はびくともしなくなるタイプだ。どうあっても、外からではかけたりできない。かといって中から閉めれば外に出られない。

「抜け道なんてあるはずもないもんね。だとしたら」

 マーユは言った。「被害者自身がしめたんだよ」

「なに?」

 雹は眉をひそめた。

「だって考えてもご覧よ。いきなり扉開けてグサってされたら逃げたくなるのが普通でしょ? まして、この人防刃ベストまで着て対策してたんだからさ、犯人を外に押しのけて扉を閉めたら当然鍵をしめるでしょ? そんでその後、また助けを呼びに廊下へ出てったら二撃目を喰らって死んじゃうかも、というかそういう未来が見えてたのかもね。だからこの部屋でひっそりと死んだ、と」

「……じゃあ、何故扉を開けた? 未来が見えているなら、襲撃者の前に姿を見せるようなマネはしない筈だ」

「んー、回覧板だと思った、とか」

 マーユの半ば本気な口調に、雹はため息をつく。

「……真面目にやってくれ」

「じゃあ真面目な話、未来予知が使える自己中心的主義者が、実際ここで死んでるんだよね。本気で死にたくなかったなら、本気で対策をしたはずで、絶対に死は回避できたはず……でも、殺されてるってことは……、わざと扉を開けて、死に甘んじたってことだよ」

「……」

 そんなこと、あのラニエロがするとは全く思えなかったが、事実としてはそうなる。雹はラニエロの死体に侮蔑の視線を送る。死ぬ時ですら、気持ちの悪いことをしてくれる。

「うーん、まだなんとも言えないけど、密室についてはそれくらいしか説明がつかなさそうだな。仮にそうだとしたら、問題になるはその後の行動だよね。自分でカンヌキをしめたあと、のこのこと死ぬのを待ってるようなタマじゃなさそう」

 マーユは独り言のように考えを口にしながら、ラニエロの死体の方に歩み寄っていく。

「……つまり、ダイイングメッセージがあってもおかしくないよ」

 その言葉に雹は、一瞬目を瞠った。

「確かに、コイツの自己中を考えると、それはあってもおかしくないぞ」

 無意識のうちに興奮した口調になったが、マーユは対照的に落ち着いていた。

「でも一日まるまる空いてる時間があったことを考えると、犯人が消しちゃった可能性が高いね。みんな自室謹慎だっていうから、誰にも見られず部屋を抜けることは簡単そうだしー」

 マーユはあくまで考えるところまで考えている。雹はラニエロに騙されたような気分がして、自分が情けなくなった。

「……ところで監視カメラとかないの?」

 ふっとマーユは雹の方を向いて訊いた。

「……ない。必要であるように想定されてないからな。研究室がかたまってるフロアにはいくらかあるが、他はない」

「ま、あるならとっくに犯人わかってるかぁ。ひぃ、想像以上に大変だなこれは」

 マーユは立ち尽くし、両手を天井に向かって大きく挙げて、

「犯行がすごい華麗なんだもの。もうこれ以上の、手がかりがなんもない!」


ここにきて補足……

なんかミステリーっぽい展開ですけど、ミステリーではないです。

何をしてミステリーというかと訊かれたら、ここでは登場人物と読者が平等の立場にあることを指します。

つまり、ちゃんと文章読んで考えれば、誰でも分かる。

が、これはそうじゃない。いくら考えた所で、分かりっこない!

サスペンスのような具合で読んでもらえると幸いです。

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