暗殺編(1)
ニンギアルに数多ある会議室のうちの一つで、事件は一応の決着をみた。
自白も同然の言葉も手中に収め、犯人の身柄も確保しているのだから、これを世界へ突き出せば、彼らが目的を果たそうとする大きな妨害となるはずだ。
そして、ここまで至るのに粋人が果たした役割は大きい。
ラニエロが残した膨大な情報を消化した後、どうやってこの毒ガスによる処刑の仕組みを利用し、犯人に命の危機を感じさせた上で彼しか知り得ない情報を喋らせるか、というところで作戦会議は行き詰まった。
そこへ、こんな提案をしたのが粋人だった。
自分が本当に、死ねばいい、と。どうせ生き返るのだから、気にする必要もない。
マーユがこの、ある種リアリスティックな演劇を敢行する直前、様子が変だったのはこれが原因だ。
死ぬことを死ぬほど嫌って忌避しているマーユが、死ぬことをまるで眠ることと同然のように言う粋人を見て、どう思うだろうか。
もう子どもではないのに子どもっぽいマーユだが、そのワガママの限界を感じてしまったのではないかと、雹は勝手に想像した。
今、粋人はさっきまで完全に事切れていたことを感じさせない様子でそこに立っている。
「……『大陸』で唯一不死の身体を得た人間ってのは、あんたのことじゃなくって、粋人のことだったのね」
セイディがじろりとマーユを見て言った。不死身は誰もが望むことであって、その代償に見合う重さなど計り知ることができない。だからこそ、望むものは少なく得たものは有名になる。
マーユは胸を張って、
「まぁそうでしょ! 私死んだことないのに、死なない人間がいるなんていう噂が立ったら怖いもの」
だが、それは当然不死身を目撃した人間が居てこそだ。もう一人いる本物の不死身は、表舞台に一切上がらなかった故に、不死身は大陸に一人だけ、という噂が出来上がったのだ。
セイディは心底呆れたようだった。
「本当に、弱虫なのね、あんた」
「何とでも言ってよ! とにかく、私は犯人を追い詰めたかんね」
マーユは雹に抑えこまれている桜葉をびっと指差す。雹はこれまで、この手の内に収めた者を逃したことがない。追い詰めた、どころかもう終わっていると言ってもいい。
桜葉は目を眇めて、口を開いた。
「追い詰めた……か……、だが、……ここで、私が足手まといになるわけにはいかない……、ぐ……」
確信しつつも、慢心は一切なかったと、雹は思っていた。
だが、それ以上に相手は上手だった。
唐突に彼は苦しげに顔を歪める。それと同時に何かの刺激臭が雹の嗅覚を突いた。
──これは良くないと、身体中の神経が身を引こうとしたが、遅かった。
次の瞬間、桜葉が口から雹の顔面に向けて、何か液体を吹き出した。
「!」
雹は避けきれず、それをまともに受けてしまった。吹きかけられたのは何か薬品らしい。皮膚の壊されていく凄絶な熱さが顔に広がる。左眼はもろに食らってしまい、視界が真っ暗に塞がっていた。
悲鳴を上げるのはこらえたものの、その痛みは桜葉が脱出するのに十分な隙を作り出した。
「きゃっ!」
アメリーの悲鳴。雹がのけぞった隙に桜葉は拘束から脱出して、入り口へ一目散に逃げ出していた。
「クソ……」
雹は右目だけを頼りにすぐさま追い始める。
住民たちを飛び越えるようにして、廊下に出た時には既に桜葉の姿はなくなっていた。
遠くなっていく足音を追って、全力で駆ける。桜葉にかけられた薬品で爛れた皮膚を空気が薙いで、顔中に苦痛が走ったが、雹は全く気にすることなく、階段を落ちるように降りていき、やたらと長い廊下を走り抜けていった。
その途中で先行する桜葉の足音が消えた。
歯噛みしながら、廊下の果てにある扉を押し開ける。そこは、この施設で唯一空が見られる場所──山の鋭い傾斜を利用して作られた屋上だった。
雹は崖際に寄って下を見下ろした。鬱蒼と木々が立ち並ぶ深遠な自然の景色のどこにも、帝国からの差金である刺客の姿は見当たらなかった。普通の人間がここから飛び降りたら死ぬだろうが、桜葉の身体能力なら生き残ることは十分可能だろう。あんなところに逃げ込まれたら、流石の雹でももう見つけることはできない。
雹は柵に凭れ顔の火傷へ、痛むのも構わず手をあてた。
──素早さでいえば、圧倒的に桜葉の方が上だった。あっという間に突き放されて、あっさりと逃亡を許してしまった。
ここのところ、失敗が多い。自然と重い溜息が出た。
そんな時に。
「雹!」
マーユの叫び声が聞こえた。雹が振り向くと、マーユは激しく息切れしながら駆け寄ってきて、そのまま抱きついてきた。
「お、おい」
いつもの冗談の一環かと思ったが、どうも様子がおかしい。ぎゅっと雹の身体に顔を埋めて、くぐもった声で訊いてくる。
「大丈夫だった……?」
「いや、逃げられた……悪い……」
「違うよ! 雹のことだよ」
顔を上げてマーユが叫んだ。それから雹の顔の状態を見て、表情をくしゃりと歪める。
「あっ……か、顔、ひどいことになってるよ……ど、どうしよう……」
マーユは雹の身体から身を離すと、その手を雹の顔に触れようと伸ばしてくる。だがその傷に触れるのが躊躇われたようで、戸惑うように手を引っ込ませた。
雹はなんと声をかければいいか分からず、
「お、お前……」
「目、目が……うう……」
マーユは、泣いていた。目を真っ赤にしてぼろぼろと大粒の涙が落ちていく。
……最初は、契約のことを気にしているのかと思った。雹が死ねば、マーユも本当の意味で死んでしまう。だから、雹の身を案じているのかと思ったが、今その顔を見て悟った。
それは懐かしい顔だった。前世界『大陸』という戦争に狂った土地で、それでも何とか生きていた時、戦争へ行く『彼』に恋人が見せた、泣き顔。また会えるよね、と何度も確かめ合った、
それと同じ表情だった。それは分析するにはあまりにも単純で、分かりやすいものだ。
とても、優しい娘だった。大切に思う人間が傷ついたりすることが、耐えられない、直視することができない、それでも自分はその助けになりたい。でもなれないことが悔しくて、泣いてしまう。
それはあまりにも、子どもっぽかった。不死身になれば、そんなこといくらでも痛感することだろうに、感情のままにそんなことを表現するところが、特に。
だが、どこか羨ましいと思った自分がいることに、雹は少しだけ動揺する。ずっと忘れていたような感情が胸の中に湧いてきた。
思わず雹は顔の痛みも忘れて、語りかけた。
「……変わってないな、お前も」
「……えっ……」
マーユは目を丸くして、「あ……」と声を漏らして雹の顔を凝視した。
「粋人にさせたことと一緒だ。桜葉もとびきりの硫酸か何かを口の中に仕込んでいたらしい」
次の瞬間に、そう言う雹の口調はいつもの冷たさを取り戻していた。
桜葉は、精神は闇に生きる者としての意識を欠いていたとしても、技術は全く落ちる所がない。ラニエロが防刃チョッキを着ていることを瞬時に見抜き、咄嗟にねじれを加えるだけの技量がある男なのだ、油断するべきではなかった。
「雹」
突然声をかけられてそちらの方を見ると、セイディが相変わらず面白くなさそうな顔をして立っていた。他の住民達も続々と現れる。
「こんなところにいたの……顔、治してあげるから、こっち来て」
マーユは慌てた風にぱっと雹のもとから離れた。
「桜葉霊紗が逃亡した」
全員が再集合した会議室にて、眼帯をつけた雹が言った。
セイディが治癒できるのは、自然に回復する傷のみで、雹の場合は眼球の半分が損なわれていたために、もう完治は不可能とのことだった。その代わり、薬品による火傷の傷は綺麗に治っている。
「また捕縛しなければ、どんなことをしでかすか分からないため、早々に確保する必要がある……。だが、それ以上にしなければならないことがある、状況を整理する」
先刻の大芝居の中で、マーユが激白したこと。
ニンギアルは、『大陸』の記憶を持つ異能者たちを救うための施設ではなく、殺すための施設だった。そして、そのバックにはとてつもなく強大なものがいる。
「まずは内通者のこと。ここに紛れ込んだスパイの正体は、ラニエロ・マッサーロ、被害者自身だった」
マーユ達がラニエロの部屋でダイイングメッセージを発見した直後、内通者の侵入経路のセキュリティが自動的に解除された。どうも時限式にしてあったようでその先にあったのは、個人経営のホームページだった。
そこに自作小説と称して記されていたのは、実話としての『大陸』時代、この世界、そして未来の話。
前世界『ニンギアル』で戦争を起こした皇帝の野望は、『大陸』を手中に収めることに留まらない、『大陸』よりも遥かに大きい規模である、現世界を支配することだった。そのために、敢えて核爆弾を多用して大陸を使い物にならない場所にし、こちらの世界へ移転するための口実を作った。いくら皇帝といえども、単身でその移転する技術を完成させることができなかったのだ。
そうして出来上がった装置でこちらの世界に流れ込もうとした直前に、とんでもない裏切りにあった。皇帝に、これだけの知恵をつけさせた者が、皇帝を、殺したのだ。
そうして、自らだけがこちらの世界に流れ込み、新たに『皇帝』と名乗って行動を開始した。
──全世界を核戦争の渦へと陥れるための、準備を。
そうして、大混乱に陥った世界を平定して、世界中から信仰を得る。
そんな、途方も無く大きな計画を黒幕は立てていた。
「この小説は黒幕が世界を無事征服したところで終わる。かなり胸糞の悪い話だ。更に、後書きに意味深めいて『後は任せる』と書いてある。……後の行動は私達に委ねられているということだ」
「何て奴だよ、こんな計画立てた挙句にオレ達に丸投げってよ……」
マティアスが渋面を作って言う。
未来を予知し続ける彼は、如何にしたらその企みを防げるかを延々と模索し続けていた。そしてその果てに、自分がこのタイミングで凄絶な死を遂げることが最善策であることを見出す。
全ては意味付けのためのこと。荒唐無稽な話を、真実たらしめるために、自らの命を投げ打ったのだ。
そして、その真実を突きつけられた生者は、更なる選択を強いられている。
どこまでも狡猾だ、と雹は思う。ラニエロが嫌な性格だったのは、すべてこのためだと。あらゆる嫌がらせも、すべてこのためだと。ニノンにだけやたら優しかったのも、すべてこのためだと。
自分が死んだのも、すべてこのためだと。
どこまでも自己中心的な奴だった。自己中心的に目的を達成するためだけのために、自分ですら捨てた。とんでもない気狂いだ。理解し難い。
──これがお前の納得する終わらせ方だったのか。
「ねえ、さっき『皇帝』が桜葉さんを捨て駒と考えてる、ってマーユが言ってたけど……そのことも書いてあったの?」
アメリーが訪ねてきた。今更隠す必要もないので、雹はあっさりと話してやる。
「あれは桜葉を過剰に動揺させるための嘘だ。元々私達側に確定的な証拠が無かったから、桜葉から直接言質をとるほか無かったんだ。だから小細工を幾つも施す必要があった」
雹はちらりと開けっ放しになっている排気口を見る。「だがあの通気口はいつか本物の毒ガスを吐く。この施設はそもそも私達を皆殺しにするために生まれた場所だ。それを利用するしかなかった」
「何で俺達は死ななきゃいけないんだ? 放っといてくれても問題無いだろうに」
アンドレイが至極迷惑だ、というふうに言う。
雹は目を天井に泳がせた。相変わらず、蛍光灯の無骨な明かりが目に染みる。
「……さぁな。どうも敵はかなり慎重な奴らしい、確実に私達『大陸』の生き残りを始末したいようだ。考えられることとしては、口封じか、或いは自分たちに対抗しうる人間の排除、か」
「じゃあこのままでも私達は死ぬんじゃない」
セイディは気怠げに視線を雹に向ける。「いま、皇帝が遠隔操作か何かで制御して、毒ガスを吹かせたらどこにも逃げようが無いわ」
当然そうなったら、この施設唯一外に出られるエレベーターも抑えられるだろう。そうなるとセイディの言うとおり、どこにも逃げようがない。
だが、それは仮定の話だ。
「心配は無い。桜葉は着の身着のまま、一目散にこの施設から脱走した。つまり、皇帝側に私達が事実に気づいたことを知らせる術はない。当分、連絡が取れるようになることはないだろう。今は桜葉が使用していた端末をハックして、なんともなく施設が運営されているように見せかけている最中だ。皇帝が意図している殺害タイミングまで、私達は死なない」
雹は言う。「つまり、その間はヘリ等も自由に使えるということだ」
「どこへでも行き放題ってわけか」
アンドレイが指を鳴らした。しかし、雹は表情のない顔で続ける。
「……そうだな。だが、さっきも言っただろ。皇帝はこの世界で核戦争を始める気だ──何としても阻止しなくてはいけない」
その言葉で、会議室に沈黙が降りる。『大陸』など、この世界に比べればかなりちっぽけなものだったのに、あれだけの悲惨さだった。仮にこの世界であのレベルの戦争が起こるとすれば、もはや神の存在を信じてもおかしくないほどのものとなるだろう。
やがて、アメリーがおずおずと言った。
「えっと……止めなきゃいけないのは分かるんだけど、皇帝っていう人がどこにいるのかっていうのは分かるの?」
「簡単な話だ。ソディールを切欠にして戦争が始まった時、真っ先にそれに対向する国はどこだ?」
「アメリカ……か」
アンドレイが苦虫を噛むような顔をしてこぼした。雹は頷く。
「そうだ。そして、『皇帝』と呼ばれるくらいなんだ、トップに上り詰めていてもおかしくない。……現在のトップは、エリン・エリオット米大統領。こいつが皇帝の正体で、……恐らくはバーター本人だろう」
雹は左目の眼帯に手をあてて、言った。
「──こいつを暗殺すれば、全てが終わる」
エリン・エリオット。
初の米国女性大統領、史上最年少異例の二十八歳で就任。十八歳で政治に開眼、圧倒的なカリスマと超人的な手腕で現在の地位を築く。紛争の解決に積極的で、有望視する声が多く、聡明な女性の代名詞として名高い。
「この、政治に目覚めたって年齢が私達民が記憶を取り戻す十七歳って歳に近いね。そんでもって、彼女が政治に目覚めたっていう十八歳だった当時、この世界が今みたいな様相になる切っ掛けとなった事件が起こった……まぁ、辻褄は合ってるっちゃ合ってる」
マーユは桜葉の管理人部屋にあるソファに寝そべった状態で言う。当然、掃除して積もった埃を掃除した後だ。
「ま、この部屋にある資料を漁って見る限り、この大統領が黒幕であることは間違いないみたいだねえ。粋人君お疲れ様」
さっきまで、雹に抱きついてわんわんと泣いていたとは思えないくらい、いつも通りの調子を取り戻している。粋人は、そんなマーユを不思議に思いながら、
「何で僕達だけこんなところで……」
二人は再度開かれた会議に参加せず、管理人室で残っている情報をかき集めていた。かなり重要なデータは当然、奥の方に隠されているので引っ張りだすのになかなか苦労する。
マーユは至極当然、とでもいう風に、
「何でってそれはもう、作戦会議のためだよ。エリン大統領はここにいる住民達を殺すことに躍起になっている。でもさ、私達はどうなるんだと思う? 私達みたいに死なない人間をどう、処理するのか」
不死身は当然死なないのだから、相手側も通常の人間を相手にするのとは違う手を講じてくるはずだ。
「んー……」
粋人は考え込む。「捕縛して監禁するとか……?」
「良い線かもね。バーターによる治世の裏で、永遠に捕らえておく……悪くない。でも、ほかにもっと有効な手段があったら? 例えばさ、覚えてるよね、大量の言語をいっぺんに習得できる怪しい氷」
マーユは天井に向けて手を伸ばして言った。粋人は今、それの存在を思い出して、
「……あったね」
「私は怪しすぎるから一切口につけてないけど、多分錬金術師が作ったなんて嘘だと思ってる。バーターがどうにかして生み出した便利グッズなんじゃないかな。言ってみれば、いっぱい言語を使えるってのも異能なわけだから……、でも、そんなことさえできてしまうなら、だ。バーターはもしかしてああいう類の小道具を使ってさ」
マーユはそこで言葉を止めて、思わせぶりな視線を粋人に向けた。
「……なんでも、することができる?」
粋人の半疑問な言葉に、マーユは楽しげに笑ってみせた。
「いい線いってるかも」
「この任務は危険だ。行きたくない者は行かない方が良い。特に非戦闘要員はな」
雹は硬い表情の住民達を見渡して、言った。とはいえ、ここの住民達は戦争の中で生きてきた。よっぽど引腰でなければ足手まといになるどころか、全員が立派な戦力になり得るだろう。
だがそこで、恐る恐るに手が上がった。
「わ、私は……、……そ、そんなとんでもないこと……できそうに、無いです……」
菊蘭だった。なるほど、こんな仕事、自信が無い者にできる所業とは思えない。雹は頷いた。
「そうか。──狙撃手が居ても良いと思ったが、仕方がない」
「えっ……」
すると菊蘭は意外そうな顔をした。雹はその予想通りの反応に、白々しく言葉を向ける。
「どうした」
「いえ、えっと……私は居ても良いの……?」
「当たり前だろう。お前は狙撃に必要な集中力を嫌というほど持っているようだからな」
雹が素直に言うと、菊蘭は嬉しそうに頬を緩めた。
「じゃあ……、行く」
雹はそんな彼女の表情を見たのは初めてのような気がした。ほんのすこしばかり、罪悪感が芽生えたような気がしたが、もしそうだとしたら、とうの昔に執拗にすりつぶした人間性がマーユのせいで、少しばかり戻ってきてしまったのかもしれない。
そんな自嘲的なことを思いながら、雹は頷く。
「……構わない。それでは全員参加で、大統領暗殺を決行する」
「それで、何か情報はあるの?」
セイディが訊いた。雹は、マーユが桜葉の部屋から集めてきた資料を頭のなかでめくっていき、
「二十四日、大統領は日本に渡って首相と協議を執り行う予定になっている。日本再軍備に伴う安保改正らしい。狙うとしたら、そこだ」
「……割と時間がないな」
アンドレイが言った。「それにこっちは人数も乏しい。相手は大層なボディガードをどうせ引き連れてるんだろ? まともに仕掛けたらまず返り討ちだ」
「──まぁ、待て。今私が言った情報は公になっているものだ。実際は違う。テロリスト対策という名目で、大統領は前日二十三日に来日する」
「あぁ、更に時間が無いやつか……」
アンドレイは深刻に捉えたようだったが、雹は彼ほど、その事実を悲観視していなかった。
「そうなるな。その日は、地下鉄工事と銘打って全線を運行停止にしているようだが、実態は大統領が地下鉄で移動するから、一般人の利用をストップさせる目的があるようだ。埼玉に新たにできた空港から、国会議事堂まで一本で通う地下鉄が秘密裏に作られたらしい。それで一気に移動をする」
「なるほどね……でも、その大統領以外はこちらの世界の人達なんでしょう? できるだけ、犠牲を出さないようにしないとね」
アメリーが提案をする。雹はまた眼帯に触れながら言った。
「そうだな、彼らは被害者だ。標的は大統領……及び、桜葉霊紗に限定する」
「そうは言っても……どう攻めれば良いんだよ?」
マティアスが難しい顔をする。「そういう前提だと飛行機を爆破したり地下鉄を水攻めするわけにもいかないぞ? 何か策があるのか?」
「──それはこれから考える」
雹は目を瞑って言った。
その時、扉の開いて会議室に粋人とマーユが入ってきた。マーユは真面目な顔をして、手をぷらぷらとさせている。
「やー、お疲れ。皆、分かってくれた?」
「恐らくな。それで……何かあるのか?」
雹はマーユを見て訊ねる。何か提案はあるのか、という意味だが、彼女はあっさりと頷いた。
「あるよ」
「何? あるのか?」
「いやまぁ、あるっちゃあるんだ。あるっちゃあるけど……その……」
マーユは急に言い難そうに口ごもる。「不死身を倒すには不死身をぶつけるしかないや、やっぱり。でもそうなると私の身も危うくなる……それがちょっと怖くてさ」
ついに、今までずっと閉じ籠もり、何の危険にも見を晒さないよう生きてきたマーユが、自らが動く決断をしたらしい。
雹は少し意外に思ったが、今の状況はそれだけの重さがある。
「まだそんなこと言ってるのか」
なので、その背中を後押しするように言ってやる。
「……そうだよね。世界の危機だもんね……、頑張らなきゃ……」
マーユは自分に言い聞かせるように呟き、それから声を上げて言った。
「ポイントは地下鉄だよね。きっと議事堂に直接アクセスできる経路があるんだ。これをどうにかすれば、どうにでもなると思うよ、多分」
「目処は立ってるんだな」
マティアスの言葉にマーユは頷く。
「うん。あぁ、後はあの子を仲間にしようよ。ほら、中東のソディールの傭兵をやってるっていう」
「……インサフ・スジェンコフ、なるほど。光学迷彩ならもうすぐ出来上がるし、これからするのは大統領暗殺だ、奴らも進んで協力してくれるかも知れない」
もはやこの施設が機能しない以上、新しく住民を増やす必要は無い。だが、傭兵をしているというインサフの技術はこれからの作戦に役立つはずだ。
雹はその期待を込めて、言った。
「そゆこと」
マーユは雹の言葉を肯定したものの、どこか気分が晴れない表情をしていた。




